映える氷魔法
「わあ、雪がいっしゅんでとけてまたこおりに…………これは、ひつじっぽいもの、ですか? せいじょさま」
「あれっ、あんまり喜んでない!?」
「いえ、うれしいです」
にこ。
しまった、七歳に作り笑いをさせてしまった…。
羊の氷像は全くウケなかった。このままでは氷姫の名がすたると思い、色々考えた結果、氷で小さな滑り台を作ってあげた。こっちにはマリモというか、その妹のモリーが大喜びしてくれた。
「娘達に良くしてくださり、感謝申し上げます聖女様。本当なら町民総出でお迎えもお送りもしたいところでしたが、聖女様はお忍び。目立つ行動は控えよとの命ですので…」
「いいんですよ。充分もてなしていただきましたから。大変お世話になりました。ガマ様、タニア様」
コートの裾をつまんでカーテシーを披露する。
「お魚料理、とっても美味しかったです」
「またいつでもお越しください。季節の馳走を用意いたしますので」
ヌマのご馳走は、沼で釣り上げた魚がメインだった。今の時期は凍った水面に穴を開けて、ワカサギ釣りよろしく小魚を獲るのだそうだ。
「この辺りは、年中湿気が多いんでしょうか」
「ええ、そうです。豊かな湿原に面しておりますゆえ。他にはない珍しい草花もあって、春から秋にかけては大層美しい眺めなのですよ」
尾瀬みたいなところなんだろうか。雪解け後の景色を見てみたいものだ。
「あの景色を毎日堪能できると思えば、苔やカビとの戦いも乙なものです」
「ふふっ、私の出身国も湿気の多い国でしたから、ご苦労はお察しします」
……そうか、ここは湿気が多いのか。
サカシータは雪国なので、今の時期どこに行っても湿気は多いのだろうが、湿原があると聞けば、より空気中の水分を感じられる気がした。
「ミカ、そろそろ」
「ザコル」
ツルギ山の端から太陽が顔を出し、陽光が鋭く町に差し込んだ。今朝は風もほとんどない。
今なら成功するかもしれない。成功すれば、氷像や滑り台よりずっと『映える氷魔法』になるはずだ。置き土産にもちょうどいいだろう。
私は目の前に出した指先あたりの空気に集中する。チカッ、と小さな光が見えた。
「よし」
「何をしているんですか」
「ちょっと、見ててください」
指先に当たる陽光の筋の中にごく小さな氷の粒子が舞い始め、星空のように瞬き始めた。
わ、とマリモが声を漏らせば、その場にいた人が一斉にこちらを向いた。私は指先を腕ごと軽く上に挙げる。粒子は陽光を反射させながら、空気中にどんどんとあふれていく。
「できた。ダイヤモンドダスト」
私はその場をゆっくりと回って辺り一面を煌めきで満たす。自分の吐いた息さえも氷の粒子へと昇華していく様は、幻想的で美しく、ただ少し眩しくて目にしみた。
魔法が及ぶ限りひたすら粒子を発生させてみた結果、自分を中心に半径二、三十メートルのスノードームが出来たような感じになった。
思ったより射程距離は伸びなかったが、まあこんなもんだろう。慣れたらもうちょっと広範囲もいけるかもしれない。
もはや凍らせる水蒸気も無くなったかというところで、私は魔法の展開を止めた。
その後はさらさらと粒子が雪に落ち切るのを静かに見届ける。…何だか気温がガクンと下がった気がする、当然か。
パッパッ、私は肩や腕に積もった氷の結晶を軽く払った。
「…うーん、気象条件が良すぎたかもですねえ。これを夏場でも発生させられるようになりたいところ……わっ、ザコル、何泣いてるんですか」
「あ」
ザコルが今気づいたというように自分の頬に手を当てる。
「どうしたんですか。もしかして感動してくれました? でも、この地方ならたまに見られる光景じゃ」
「……あなたが、美しくて」
「え」
びし、差し出しかけた手が止まる。何で私が。ダイヤモンドダストの話では。
「神様に、ならないでください。ミカ」
ザコルが縋るように私を抱き締める。
「神様? 何が、だ、大丈夫、大丈夫ですよ、ただのオモシレー女ですって。ね?」
ぐす、とザコルが洟をすする。私はそんな彼の背中を宥めるように撫でる。
ぐす、ぐす、他にも洟をすする音がして視線を走らせると、見える範囲だけでもエビーとタイタ、いつの間に出てきたのかサゴシ、メリー、闇堕ちしていたペータまでもが泣いている。というか涙を流したまま全員呆けている。
「まさか今ので? みんな大袈裟…」
「せいじょさま、ひつじっぽいのをつくってください。いますぐ!」
「えっ、でもマリモ、羊はあまり好きじゃないんじゃ…」
「ミカさま! マリモがひつじっぽいのをつくってと言ってます!」
「え、あ、うん」
イリヤにも急かされ、ザコルに抱き締められたままその辺の雪に念じる。
あんまり集中できていないが、ダルマくらいの羊っぽい像がゴロゴロと三体くらいできた。
「よ、よかった…」
「いや、何で羊…」
「…あ、ああ…っ、この変な像! やっぱミカさんだ、山神様か何か乗り移っちまったかと思って焦っただろがこの馬鹿姉貴ぃ!! うっ、うわあああん!!」
そう泣き叫んだエビーに続き、ガクッと糸が切れたかのようにタイタが膝を折る。
「本当に、良かった、天に、お帰りになってしまうのかと」
私はかぐや姫か?
「もーほんと大袈裟、ただの理科実験だよ。空気中の水蒸気を凍らせてみただけっていうか」
「なるほど、ダイヤモンドダストを強制的に発生させたのか。あんな規模で…すごいな」
オーレンは泣いていなかった。興奮はしているようだが。
「はい! 初めて成功しました! 空気中の水分を意識するのがなかなか難しくって。でも今ならいけるかと思…ぐゅう」
ザコルの腕の力が強まり、タンマタンマと慌てて背中を叩く。
「うんうんそうかそうか。ミカさん、素晴らしいけれどね、さっきの光景はこちらの世界の人にとって刺激が強過ぎるよ。そんなに崇められたいのかい?」
「オーレン様までそんなことを。別に、崇められるほどの現象じゃありませんよね? 寒い地域ならたまに起きるって」
「うんうん、たまにね。快晴、無風、かなりの低温、と発生条件がかなりシビアでね。かくいう僕もそう何度も見たことはない。山の上の方でさえ滅多に見られない奇跡だから、神の御業とか御渡りのように呼ぶ人もいる」
「え」
ザコルが私を離し、ニコォ、と口角を吊り上げた。…久々に見る魔王の微笑みだ。
「ダイヤモンドダスト、でしたか。もう禁止です」
「なんで! いつかホノルにも見せるって約束したのに!!」
ザラミーアが首を横に振りながらこちらへ来た。
「ダメよ、ザコルの言う通りになさいミカ。あんなのを見せられたら本気であなたを神と思ってしまうわ。ほら見なさい、ガマとタニアがまだ」
「ああ我が神よ!! この雪上に降り給いし氷と慈悲を司る神よ!! あなた様はその指先一つで天をも操られるというのですね私の目に狂いはなかったやはりあなた様は唯一無二の全人類が尊ぶべき女神」
「もーメリーはあっちいってて! ザラミーア様がお話し中でしょ全く…。すみませんうるさくて」
語りが止まらないメリーに代わってペコペコと謝ると、オーレンとザラミーアはますます微妙な顔になった。
「随分と狂信的な信者だね…。なんていうか君、手遅れじゃないか」
「てっ、手遅れなんかじゃありません!! …あっ、でもやっぱりあの木像は回収していいですか!? いいですよね!?」
くい、とコートの裾を引かれる。
「せいじょさま。いえ、ミカさま。わたしが、ちゃんとにんげんだったってみんなに言います。かみさまじゃなくて、やさしくてつよくてちょっとへん……おもしろい人だったよって、みんなにそうやっておしえますから。だから、天にかえらないで…!!」
「かえらないでぇ」
言い募るマリモに、私の太ももにしがみつくモリー。
「いや帰らない、帰らないよ、ていうか天ってどこ? あとマリモ今、変って言いかけ……ああもう、どうしたの二人とも、あの羊っぽいのならいくらでも作ってあげるから泣かないで」
どうしよう、映えるかなーと思ってやってみただけなのにとんだ大事になってしまった。SNSウケを狙って軽い出来心でアップしたら大炎上した人の気分だ。
「ガマ様、すみません、せっかく目立たないように計らってくださったのに。もしさっきのを見ちゃった人がいたら、珍しいかもしれませんが自然現象ですと説明を」
「…私達は、神をお泊めしていたというのか」
「ああ聖女様、あなた様はやはり次期神官長様のお言葉通り山神様の化身」
「違いますから!! やめてやめて跪かないで!」
シリルめ…。雪が解けたら、いや解けなくても絶対に里まで文句を言いに行ってやる。
「ミリナさんは大丈夫……あら? あまり驚いていないのね」
「ええ、まあ、ミカ様ですし…。確かに綺麗でしたけれど、毎日四百人分の風呂を沸かしていたことに比べれば疲労は少なそうだなと」
「よっ、四百人…!?」
「ミカさま! サゴシと、あのじゅーぼくの人がまだかたまってます! 僕がおこしてきてもいいですか?」
「あ、うん。イリヤくんが『サゴシ大好き』って言えばすぐ起きると思うよ。ペータは分かんないけど…」
イリヤは私の言った通り、サゴシだいすき! と言いながら飛びついた。サゴシの金縛りは解けたが、逆にふにゃふにゃのスライムみたいになって雪の上に溶けた。
ペータもそのはずみで我にかえり、軟体となったサゴシを非常に嫌そうな目で見下ろした。
結局その後、何度も膝を折ろうとするガマとタニアをザラミーアとミリナが宥め、オーレンはスッと気配を消し、私はひたすら羊っぽい像を作って屋敷の脇に並べた。さっきのダイヤモンドダストを目撃したかもしれない人が間違っても私を神だとか思わないように、というのはマリモの助言である。
マリモの中で私は『本当は天界出身で、地上の人にバレたら天に帰らなくちゃいけない』みたいな設定で固定されてしまったようだった。…というか、羊っぽいものは俗世の象徴か何かなんだろうか。
何とか『ミカとかいう女は一応人間か人間を装わなくてはならない女』と納得してくれた町長夫婦とその娘達に見送られ、私達はお世話になったヌマの町を後にした。
本当はもっと早くに出発するはずだったのに、結局日が昇り切ってからの出発になってしまった。私達がなかなか出発しないせいで、人払いを命じられていた町の人達も家から出られなかったはずだ。
ザコルに言われたからというのもあるが、変わったことをいきなりするのはやめようと心に誓った。
つづく




