穴熊達の望み① 君ってほんとちゃんとしてるよね
穴熊の彼が去ると、天井と廊下に忍者とくの一、もといサゴシとメリーの気配が戻ってきた。
彼らといい穴熊といい、私につけられた影が有能過ぎるというか明らかにオーバースペックだ。
というか隣で私を引き寄せたまま離してくれなくなった専属護衛もとい最終兵器もオーバースペックというかオーバーキルだ。
この最終兵器、穴熊達の言葉は解っていないはずだが、マウントを取られたことだけは敏感に察知したらしい。
ザコルに拘束されながら先程いた部屋の前に戻ると、エビーとタイタが何とも言えない顔で私を覗き込んだ。
「…よくわかんねーすけど、何かまたロクでもねー感じのもん背負わされたんじゃねーすか」
「ロクでもないなんてことはないよ、でもごめん、これ以上は話せないわ」
エビーとタイタに話してもいいか、なんてことは聞けなかった。聞きそびれたともいうが。
「謝られる必要はございません。全てミカ殿のご判断にお任せいたします」
「ありがとう。何か勘づいても詮索しないでくれると助かります」
「御意に」
「ほーい」
コンプライアンスの解る子達で本当に助かる。
今後、何かあって明かすことになる可能性はなくもないが、それ相応の理由は必要になるだろう。何せ私の治癒能力並みにデリケートな問題である。
彼らがアカイシ山脈のサイカ側の奥地に住んでいた氏族で、その住処を追われてサカシータに与した、というのはザコルから聞いた話だ。その能力ゆえに住処を追われたのかという私のつぶやきを穴熊の彼は否定しなかった。
つまり、隣国サイカの政府は彼らの能力を把握している可能性が高い。
ひっきりなしにアカイシの国境を越えてくる山賊もどきの何割かは、この穴熊達を奪還しに来ているのかもしれなかった。
「コンプラっていうか社外秘案件…」
穴熊達の件もそうだが、サカシータ家の抱える機密に首を突っ込みすぎではないだろうか。元の目的を考えれば、私が首を突っ込んでいいのは渡り人に関する機密のみのはずだ。
イーリアはどうしてザッシュと穴熊を私に託したんだろう。よもや本気でこの領から私を出さないつもりじゃ…………
扉をノックして部屋に入ると、ザラミーアの隣に一人増えていた。
両肘を付けば、大きめのティーテーブルの半分は占めようかという巨躯の彼は、一礼するこちらを見てニコニコと笑う。
「ただいま戻りましたザラミーア様。オーレン様、ご機嫌麗しく」
「うんうん、こんにちは。君ってほんとちゃんとしてるよね。親御さんの教育がいいのかな」
「うちは父も母も子供の頃に失踪しておりまして、躾けたのは祖母です」
「そっかあ。苦労してるんだね。今更だけど、うちの子達にも礼儀作法の先生くらいつけるべきだったかなあ」
「その教師が必要なのはオーレン、あなたです。少しは子爵らしくなさいませ」
「もう今更だろう、ミカさんは僕が情けなくても見下げたりするような子じゃないよ」
ニコニコ。
「で、ザコル。ミカさんをこっちに渡してくれるかな」
「そうよ、ミカは私とおしゃべりするんですからね。あなたは廊下よコリー」
「嫌です。父上も母上も、昨日の今日で何を飼い慣らされているんですか」
「飼い慣らされているだなんて心外だな、ミカさんにも失礼だよザコル。昨日は僕の自己紹介のさわりくらいで話が終わっちゃったからさ、続きでもしようかと思ってね」
「どうせまた機密が絡むことでしょう、こんな道中の町で話すことじゃありません」
「ザコル、君もうちの息子達の中じゃほんとちゃんとしてるよね。どうせほとんど知ってるんじゃないの。知ってて知らないフリをしてくれてるんだよね。偉いなあ」
「過大評価はやめてください。僕は、知る必要のないことを時間を割いてまで調べ上げるような真似はしません。興味のないことは覚えられないタチですし。これ以上、必要のないことにまで首を突っ込ませないでくれますか」
さっきの独り言を拾われていたようだ。いつだったか、これ以上義母に気に入られたら本気でテイラーに帰れなくなりますよ、と私を脅したのはザコルである。
「必要あるとも。何せ、君はうちの息子達の中じゃちゃんとしてる方だ」
「………………」
…なるほど、オーレンは私をではなく、ザコルに首を突っ込ませたいのか。
そりゃそうか、ザコルは多少考え方に異端な面はあるとはいえ、誰よりも向上心があって頭もいい。王族にも顔がきくし、愛想があるかはともかく礼儀だって弁えられる。感情よりも形式的な儀礼を優先するくらいの冷静さも一応はある。
まあ、その辺りはあくまで他のサカシータ兄弟の中では、という話だが…。
「君の場合、善悪より合理を取っちゃうきらいがあったからね、ちょっとなあと思ってたんだけど。でも君、ミカさんの良識に従うと決めたんだろう。いい主を持ったね、これ以上ない首輪をつけていただいたようだ」
「ええ、僕もその首輪も主、セオドア様のものですので。何度も言いますが必要のないことにまで首を突っ込ませないでください。よろしいですね、サカシータ子爵殿」
「ちょっ、やめてよザコル、父様かせめて父上って呼んで!?」
「嫌です。嫌なことを無理強いしてくる父上など父上ではありません」
「もう! いつの間にそんな反抗的な子になっちゃったの!?」
「僕はいつだって我が道を歩いているような輩です。外にいるタイタという弟分は、僕の『はっきり嫌だと言える強さ』を褒めてくれました。彼の期待を裏切りたくないのでこれにて失礼します」
くるり、ザコルが私の腰を抱えたまま踵を返す。ブン、と遠心力で一瞬足が浮いた。
「ちょちょちょ、待ってくださいザコル」
「これ以上の交渉は無用ですミカ」
「違いますったら。大丈夫ですよ、最後には必ずあなたの望むようにしてあげます。ね?」
「………………」
何を根拠に、と突っ込まれるかと思ったが、ザコルは大人しく私の拘束を解いた。
くるり、と再び振り返れば、百面相をしていたオーレンはニコニコの絵文字みたいな顔に戻っていた。ザラミーアも隣の椅子をぽんぽんと叩く。
私は再び一礼してその席に着いた。
「君を口説く機会をくれて嬉しいよ、ミカさん」
「こちらこそ身に余る光栄でございます、オーレン様」
「君は今や各方面から引っ張りだこの人気者だからねえ。アカイシの女帝のみならず、ツルギ山の女王にまで目をつけられているし、ジークの工作員からも勧誘を受けてるって聞いたよ」
「よくご存知で…。でもきっと冗談ですよ」
冗談だと思わせてほしい。
「君みたいに優秀な人相手に誰も冗談なんて言わないさ。聞けばオースト国の王太子教育まで修了しているそうじゃないか」
「修了? まさか。時間のある時にテイラー家の貴重な蔵書に触れさせていただいただけですよ。それに本来、王太子育成カリキュラムには座学だけでなく、実習等も含まれますよね」
「そうだねえ、実習といっても御身大事だし、そう大したことはしないと思うよ。礼儀作法やダンス、乗馬、護身と体作りを兼ねた鍛錬に、辺境などの要所の視察、それから災害に見舞われた土地を慰問しに行くとかかな。なんだ、実績充分じゃないか君」
「…ええと、とりあえず私は王族ではありませんので。ちゃんと適任がいます」
何だろう、オーレンは私に王位を継いで欲しいんだろうか。そういう意図で私を席に着かせたわけじゃないはずだが。
「よく妹さんを説得できたね。彼女、君を立てることも視野に入れてたんじゃないかい」
「流石に王族でもない者を王位につけようだなんて、そんなことは彼女も考えてないと思います。私からは説得もしていません。あくまで、彼女が選んだ生き方を支持するスタンスでいるだけですから」
説得というと、私よりもタイタがその役目を担ったようになっているが、おそらくタイタもアメリアの気持ちの整理に付き合っただけだろう。セーフティゾーンの本領発揮である。
気持ちを整理した結果、彼女が伯爵令嬢のままでいると決めたとしても、私を含むテイラー勢は必ずその意思を尊重した。これは絶対だ。
「オーレン様」
「なんだい?」
「機密のことですよね、取り急ぎ、最近知っちゃった件の」
「ああ、で、何を知ったんだい?」
「言えません」
「そうかあ。君ってほんとにちゃんとしてるよね」
オーレンは穴熊達の特殊能力を知っていると思う、思うのだが、百パーセント知っているとは断定できないのだ。その辺り穴熊に確認しなければ軽々しく口に出せない。
「ミカ。この非生産的で不毛な議論はもう切り上げましょう。エコじゃありません」
ザコルがまたイライラしたように床をタシタシと踏んでいる。
「エコ? それってもしかしてエコロジーのことかい。ああそうだ、緑の党だろ! 平和とか反原発とか人権とか叫んでた」
ピコーン、オーレンの頭上に電球マークの幻覚が見える。
「緑の党? あ、いえ、やっぱり用語の解釈に世代間ギャップがありますね。私の時代ですと、エコやエコロジーは単に地球に優しくする活動を指す用語になっています。ゴミを減らしてリサイクルしましょうとか、電気や燃料を節約しましょうとか、きれいな自然を残しましょうとか。過激な自然保護団体みたいなのもいるにはいますが、自治体や学校、家庭でも日常的に取り組むような環境保全活動全般を指してエコと表現しています」
ふぅーむ。オーレンが親指と人差し指の股で顎を持つポーズをする。
「なるほどねえ、反原発と人権はともかく、あの暑苦しい彼らの活動はそれなりに実を結んだってわけだ。日常に根ざした言葉にまで押し上げるなんてすごいじゃないか。ちなみに、ミカさん達は何年代から来てるんだい? 生まれ変わりを隠してたから、カズさんには訊けなくってね」
「ふふ、そうですよね。私達は二〇二二年から来ています」
「にっ、二〇二二年!? 君達二十一世紀から来たのかい!? ノストラダムスの予言は!?」
ビックリ! 目を丸くするオーレン。
「予言? ああ、恐怖の大王とやらは降りてこなかったらしいです。私は小さな頃だったのでよく知りませんが」
「なんだそうかあ、安心したよ。世界は滅亡しなかったんだね。でも、君達みたいなお嬢さんが朝も夜もなくおじさんみたいに働いてる社会になっちゃったんだろ、大王は来なくても世も末みたいじゃないか」
「男女雇用機会均等法が浸透した結果ですかねえ一応。最近は働き方改革だとか政府が言い出して、少しずつ改善してきてるらしいですよ。まあ、私の周りじゃ都市伝説扱いでしたけど」
「都市伝説? ああ、新人の伊藤がアメリカの民俗学者の本に書いてあるって力説してた。それって、街に出る妖怪を見たとか見ないとかっていう話だろ? 政府の施策が信憑性のない噂扱いされてるってことかい。やっぱり世も末だ!」
「ふ…っあはは。確かにそうですね」
ガーン。絵文字そのものな顔をするオーレンに思わず笑ってしまった。
「二〇一九年末から始まった世界的な疫病流行もあって、世も末というか終末っぽい雰囲気はありましたね。なんと、あの京都から外国人観光客が消えたんですよ」
「えええっ、あの京都から!? 外国人には定番の観光地なのに!」
「ええ、防疫の関係で国と国の行き来は特にしづらくなって」
「未来も世知辛いねえ、猫型ロボットや空飛ぶ車はないのかい」
「リニア新幹線はもう少しで完成するところでしたよ。それからほとんどの人がスマホというものを持ち歩くようになって、会話や手紙のやりとりがいつでもどこでも個人間でできるようになりました。こんな薄っぺらい板状で、小型のコンピューターみたいなものなんですけど」
「小型のコンピュータ!? わあ、なんだいなんだいそれ! 計算機みたいなものかい!?」
「いえ、携帯電話の進化したものですよ。正しくはスマートフォンと言います。通信の他にも、ニュースを見たり、調べ物をしたり、音楽を聴いたり、映像を見たり、本を読んだりもできるんですよ」
「うわあ、想像できない! いかにもSF、未来の世界って感じだね! すごい、僕、未来人とお話ししてるんだ!」
「私からすれば昭和を生きた方のお話の方が興味深いですよ。その頃流行った本って」
タシタシタシタシタシ。
背後から迫るイライラの圧。長話するなと言わんばかりだ。
「…コホン。君と話していると、忘れていた記憶がどんどん呼び起こされて話が止まらなくなるよ。なんとも不思議な感覚だね。君からすれば僕の時代なんて四十年くらい前の話だろう。生まれる前の話だっていうのによく知ってるね」
「その頃の日本は高度経済成長期を終えてしばらくして、バブル期に突入した激動の時代ですから。社会の授業でもしっかり学習するんです。元号が昭和から平成に変わって、バブルが弾けて地価や株価が大暴落、超不景気になるところまでがセットですね」
「ひええ、超不景気が来るの!? そんなことになったら窓際族の僕は絶対クビだよお、良かったあ、その前に死んだみたいで」
ふう、とオーレンが汗を拭う仕草をしてみせる。
「オーレン様ったら、死んで良かったなんてことはないでしょう。でも、会社員の立場って振り回されるばっかりでつらいですよねえ。ちなみに景気は二〇二二年に至るまで回復してませんので、私はむしろ好景気の日本を知らないです。働いても働いても低賃金、それでも仕事は減らない、毎日残業徹夜ばっちこい」
「ひええええ、大変な時代から来ちゃったんだ、おじさんじゃあ耐えられないかも」
「そうでしょうか、仕事量はむしろ昭和の方がえげつなかったんじゃないですか。何しろ二十四時間働けますかですし」
「あはは、本当に二十四時間なんて働いてたら死んじゃうよお。にんげんだもの。あ、もしかしてそれで死んだのかな僕」
窓際族というのは閑職だと思っていたが違うのか。オーレンは人が好さそうなので、周りに面倒な仕事を押し付けられていても不思議ではないが。
「私は死にかけたとこでこっちに喚ばれたみたいですから、九死に一生を得たみたいです」
「それが本当なら良かったよ。召喚なんて、される方は理不尽ばっかりかと思ってたけど、いいこともあるんだね」
「ええ、ですから負い目になんて思わないでくださいね。毎日楽しくやってますから」
「うんうん、ありがとうミカさん。君と話せて良かった。それから遅くなっちゃったけれど、ようこそ、サカシータ領へ。何もないとこだけど、空気と水だけは美味しいところだからさ、のんびりしてってよ。できれば一生」
「すみません春には一度テイラー領に帰らないと」
「そう言わずにさあ」
やはり、穴熊の件は知ってはならない機密の一つだったらしい。
別に、個人的にはサカシータ領で暮らすのでもいいのだが、セオドアと約束してしまった以上、いつかはテイラー領に戻らないといけない。その後の進路もセオドアの意向を確認する必要がある。ザコルも同様だ。
この状況をどう変えようか。
私はとりあえず、私に彼らを預けたイーリアの真意を今一度考えてみることにした。
つづく




