途中の町二日目③ あなた様にならお話しできる
トントン、ノックが鳴る。
「……どうぞ、母上」
開ける前に名を言い当てられたザラミーアは、入ってくるなり眉を寄せた。
「ミカは、息ができているのかしら?」
「…か、かろう、じて…っ」
「やはり苦しがっているではないの! お離しなさいコリー! エビーさんにタイタさん! あなた達も何をしているの! 泣いていないで早くお止めなさい!」
「……ずびっ、今のは姐さんが…っ」
「ええ…! ミ、ミカ殿が…っ、せ、世界を愛してくださっていると…っ」
「僕もミカを愛しています」
「俺らも愛してるぜ姉貴!」
「あ、あり、がじょ……んぐゅ」
「あああミカ! しっかりなさって! コリー、コリー!? お願いだから離しなさい!! 締め殺すつもりですか!!」
ザコルがハッと我に返り、その腕の力を緩めた。ふう、とやっと息をつくことができた。
「また、すみません、ミカ」
私は、彼の潤んだ目尻を親指で軽く拭う。
「ふふっ、また泣かせてしまいましたねえ。突然言ってあなたを驚かせないように、今日から毎日愛してるって言いましょうか」
「…僕の精神が保ちませんので、勘弁してください」
コホン、とザラミーアが咳払いする。かぁ、と頬が熱くなって慌てて彼女に向き直る。
「す、すみませんザラミーア様、ご機嫌麗しゅう」
「挨拶はいいわ。ミカ、今夜は私達の部屋にいらっしゃい」
「えっ、ご夫婦のお部屋にですか? そんな、お邪魔では」
「このままではうちの息子の愛とやらに押し潰されかねません。さあ」
「そんな、大丈夫ですよ、こんなの通常運転で」
「通常運転!? このような事故が毎日起きかけているの!?」
「事故? まさか。今日はまだ声も出ましたし事故なんかじゃ」
「声も出せないような目に遭ったことがあるのね!?」
「あ、いえ、そ、そんなことは」
ぐい、腰を抱き寄せられる。
「母上。ミカは僕から離れると不安になります」
「コリー! あなたと一緒にさせておくほうが不安だと言っているのよ!」
「あの」
「ザラミーア様、本当なんすよ、ミカさんは息子さんの側離れると目に見えてストレス溜めるんで」
「そ、その通りです。このお二方は心寄せ合っておられまして、離れると心労が、特に睡眠が」
「心労なんて物理的にどうかなるよりマシよ!! とにかく! 私は今からミカとお茶を飲むわ。護衛は扉の前に立つことのみ許します。さあ行きますよ!」
結局、ザラミーアの勢いには誰も物申せず、私は粛々と彼女の後をついていくことになった。
ほほほ、うふふ…。
半ば無理矢理連れ出された形ではあったが、麗しく知的なザラミーアとのアフタヌーンティーは非常に楽しかった。
「ミカは本当に博識ね、異世界のお話も興味深いですけれど、まさかサイカ国の田舎の特産までご存知だなんて驚きだわ」
「所詮は付け焼き刃ですよ。近隣諸国のことはまだまだ深く学べていませんので」
「オースト国内のことではもう知らないことなどないのではなくって」
「まさか。地図に乗らないような隠れ里や施設、地方の風俗などに関してまではまだまだ。動植物は名前しか知らないものも多いですし、ここサカシータ領なんて載っている文献があまりに少なくて、実地で初めて知ることばかりです」
「ここは国境ですからね。情報統制もされているのよ。むしろ地理だけでも頭に入れられていたことの方が驚きよ。流石は富のテイラー。どんな伝手と財を使ってそんな地図を入手なさったのかしら」
今思うとテイラー邸のあの豊富な蔵書は、アメリアに『選択肢』を与えるために用意されたものなのだろう。
つまり、王太子を育成するにふさわしいだけの…………
ガチャ。
「その通りです。ミカはこの国の王太子教育に匹敵する知識を約半年で頭に叩き込んだんですよ。全く非常識ですよね」
ザコルはやはり、以前からあの蔵書の使い途を察していたようだ。いつアメリアの出自を知ったのかまでは判らないが。
「コリー。同席は認めていないわよ。今ミカは私と楽しくお話ししているの。邪魔しないでちょうだい」
「僕はミカの護衛でもありますが世話係でもあるんです。早く返してください」
扉から半分顔を出していたザコルがふと廊下の方に視線をやる。
「誰か来ましたかザコル」
「ええ、穴熊の一人です」
「ザラミーア様、何か報告があるようです。少し席を外してもよろしいでしょうか」
「ええ。でもすぐに帰ってきてちょうだい。まだまだ話し足りないわ」
「もちろんですともお姫様」
私はイーリアの真似をして騎士っぽい一礼をしてみせ、廊下に出た。
廊下に出たものの穴熊らしい人影は見当たらず、散々目を凝らしたら、遠くの柱の出っ張ったところからほんの少しだけ肩の筋肉がのぞいていた。私の方から近づいていくと、彼はさらに半身をのぞかせる。
ボソボソ、ボソボソ。
「…えーっ、そんなことが!? うんうん、うんうん。へーっ、ザッシュお兄様ったら意外にグイグイいくじゃないですか」
ぐふぉっ、うぉう。
今、笑った? 笑ったよね?
「ていうか、この吹雪の中どうやってシータイの情報を受け取ってるんですか? ありがたいんですが、吹雪の中走るような無茶はちょっと…」
ボソボソ、ボソボソ、ボソボソ…………
「……は!? かんかく、きょうゆ…っ、はあああ!?」
私の大声が気になったのかザコルがこちらへ駆けてくる。エビーとタイタはシャイな穴熊に遠慮しているのか、部屋の前に立ったままこちらを伺っている。
「ミカ、何を話しているんですか」
「え、いや、今のは、ザコルでもちょっと、あ、サゴシとメリーはあっちに行ってて!!」
天井裏と廊下の気配が一瞬存在を主張し、そして遠ざかっていく。あの子達、こっちの気配察知能力を当てにしすぎでは…。
「で、何の話を」
「あ、ですからちょっと待って、この話は軽々しくしていい内容じゃ」
ボソボソ。
「ええ!? いいの!? 本当に!? 確認しますけど、この人には話していいんですね!?」
うぉう。
本当に何でもないことだと思っているようだ。これは本人達も危機感が薄いのか。
「じゃあ…」
私は他に気配がないことを確認し、声をひそめた。ごく小さな声でもザコルなら拾ってくれる。ついでに言えば穴熊達も普段からボソボソ喋っているだけあって耳はいいようだ。
「……ええと、穴熊の皆さんは、一人一人が見聞きした情報を二十人くらいの仲間全体で共有できるそうなんです。だからこの彼も、シータイにいる穴熊さんの感覚を共有して、私にあっちの出来事を教えてくれてる、みたいな?」
「感覚を共有…? それは初耳なのですが。シュウ兄様は知っているのですか?」
うぉう。
「知ってるんだ…。あの、今シータイにいる穴熊さんってザッシュお兄様の近くにいます? つなげることってできますか」
穴熊の彼はわずかに頷いたのち黙り込んだ。
ポクポクポク…。そんな擬音を頭に浮かべつつしばらく見守っていると、彼はピーンと何かに気づいたように顔を上げ、ボソボソと伝言を始めた。
「…えっ、トンネルの掘削に便利? 両側から掘り進める時には欠かせない能力、って、チート能力をトランシーバー代わりにしないでくださいよ!」
ポクポクポク。ピーン、ボソボソ。
「チート? 何がだ、じゃないですよ! 軍とか国家に狙われるような能力だって解ってるんですか!」
ポクポクポク。ピーン、ボソボソ。
「せ、せいぜい国内でしか使えない能力…? 一国覆えるほどの受信範囲を誇るってことですか!? ちょっ、外部の人には絶対バレないよう気をつけてくださいよ!?」
ポクポクポク。ピーン、ボソボソ。
「ああ分かった分かったじゃないんですよっ、もっと危機感を、えっ、もしもし、もしもーし!! ……ああもう、誰かに呼ばれて行っちゃったみたいですね」
うぉう。
「…コホン。いいですか穴熊の皆さん。その能力のことは軽々しく口外しちゃダメですからね。ヘタしたら世界中から目をつけられることになるんですから、っていうかどうして私に話したんですか!」
うぉううぉう。
「違う! もーっ、どうせ気づいていただろう、じゃないですよ! 寝耳に水ですよ! ていうか心配してるんですよ私は!」
相手は一人だというのに、大人数相手に配信している気分だ。
今聞いた彼らの特殊能力は『感覚共有』。彼らの氏族に受け継がれた能力で、仲間内約二十人でそれぞれの視覚や聴覚から得られる情報を共有しているらしい。つまり一人に伝えればその仲間約二十人に瞬時に伝わるということ。彼らは特殊能力によって穴熊ネットワークとでも呼ぶべき情報網を築いているのだ。ラノベかよ。
なるほど、オースト語というかこの国の共通語で話さないようにしていたのも頷ける。何がきっかけでバレるか分からないから独自の言語を使い続けているのだ。スマホはおろか固定電話も無線も存在しないこの世界において、彼らの能力はとんでもなく貴重なものだ。政治、戦争、金儲け、あらゆるものを有利に運ぶ可能性を秘めている。まさにチートだ。
「……まさか、その力のせいで元の住処を追われたとか」
うぉう。
目の前の穴熊の彼は、珍しくこちらをまっすぐ見て、そして穏やかに頷いた。
ボソボソ、ボソボソ…。
(我らは最後の共有者。共有できなくなった者は里に降りた。力を引き継いだ我らはもはや子を残すことはせず、ただ命尽きるまでこのサカシータに恩を返してゆくと決めている。我らの力がいらぬ争いを産むことは理解している。だが、今こそザッシュ様とそのザッシュ様が守ると決めた姫様方のお役に立てる時。特に、あなた様は我々の言葉を解する。この世界のどこにもない、余所者には決して発音できぬとされる我らが母語を。ザッシュ様でもここまでは解されぬ)
穴熊の彼はザコルの方をチラリと伺った。
ボソボソ…。
(さしもの猟犬殿も、目の前で堂々と内緒話をされる経験はお持ちでないだろう)
「何か、挑発されているような気が…」
「き、気のせいでは」
何かよく分からないマウントを仕掛けようとしているようだが、彼らもザコルのことは信用しているはずだ。話してもいい、と言ったのは彼がサカシータ一族で、ザッシュと仲のいい弟だからに違いない。
ボソボソ、ボソボソ…。
(あなた様は昏い世界に生きる我らに明るい眼差しを向け、しかし好奇心では何一つ暴くことなく、ただありのままを尊重してくださった。あなた様にならばお話しできる、というのはもはや二十余人にまで数を減らした仲間達の総意だ)
ボソボソ、ボソボソ…。
(この母語はもはや暗号の一つでしかないが、こうして仕えるべき姫様だけに胸の内を明かせる栄誉を思えば、今日まで守り続けてきた意味があったというものだ)
ぐふぉっ。
穴熊が微笑う。
彼一人の後ろに、仲間達が一斉にうぉううぉうと拳を上げた幻影が見えた気がした。
つづく




