大捕物のその後
門にたどり着くと、モリヤが一人で荷馬車と荷車の番をしながら待っていた。
「お待ちしておりましたよ。お疲れでしょう」
「モリヤさんこそ。ありがとうございました」
集会所で捕まえた五人もここに運ばれている。元から気絶していたが、とどめとばかりにザコルが鎮静剤を打った。
最初に私達が襲われた日暮れ時から、六時間程が経過していた。というか、たったの六時間だ。
返り討ちに遭った四人以外の教徒が動き出す前に、的確な情報を得て素早く行動を起こしたザコルの判断は流石だった。
結果を見れば、計十六人の曲者を一晩にして捕まえるという大捕物だ。多少の情報漏洩はあったが、教徒以外にはかすり傷を負った者さえいない。ザコルの言う通り、サカシータ領だからこそ成し得た快挙なのだろう。
「ザコルとモリヤさんのおかげですね。二人ともとっても強かった!」
「ミカが囮になる事を快諾してくれたからですよ。モリヤも僕も周囲に気を遣う事なく戦えました。エビーもタイタも、協力に感謝します」
「まあ、俺は全然活躍してませんけどねえ…。ほとんど町の女性達が捕まえたみたいなもんすよ。俺、倉庫から縄持ってきただけでした…」
エビーが珍しく落ち込んだように言うので、背中をポンポン叩いて励ました。
「モリヤ、義母に報告しなければなりません。ついでに父にも」
父、というか子爵様はついでか?
「使いに走れる者はおりますよ。文をお書きになりますか」
「そうですね。守衛室を少し借ります」
狭い守衛室の中にザコルが入る。
「ザコル。最初の四人の件も、私が自分から囮になったって書いといてくださいよ」
私は扉を半開きにして話しかけた。
「僕は嘘の報告は嫌いです。ミカが僕をどうやって無力化したかまでは書きませんが、タイタと二人で行動した隙を狙われたと正直に書きますよ」
「はあ、そうですか。二人で怒られましょうね…」
「ええ」
大真面目くんが文をしたためて使いに預けるのを見届け、荷車に乗っていたボロ雑巾こと曲者四人を荷馬車の方に移し、馬を引きながら同志村へ向かう。
もう日付が変わる頃だというのに、私達のために明かりを点けてくれているようだ。
近づくと美味しそうな匂いが漂ってきた。ぐう、とお腹が鳴る。
「急にお腹が空いていた事を思い出しちゃった…」
音を聴かれた事に恥ずかしくなりながらお腹をさする。
「昼以降、井戸水以外に何も口に入れてないっすもんね。同志村の人に頼んで、ミカさん達が来たら軽く何か恵んでくれるように頼んでおきました。きっと何か温かいものでも作ってくれてますよ」
「流石はエビー。さすえび。やっぱりエビーがいないとね」
「もっと褒めてくれていいんすよぉ」
「よっ! 気遣いの塊!」
「照れますねえー」
全然活躍できなかったと言うが、気遣い屋のエビーはいつだって大活躍だと思う。あの台本は変だったけど。
朝、同志達にお願いしていた件は二つある。
まずは、同市村のテントの一つに泊めてくれないかという事。
現状、私達には決まったねぐらがない。町長屋敷は患者でいっぱいだし、看病に奔走する使用人の仕事を増やすことにもなる。かと言って避難民と一緒に雑魚寝するのも気を遣わせるし、警備上の問題もある。信頼できそうな民家を紹介してもらって泊めてもらうことも考えたが、同志達にはもう一つ頼みたい事があった。
それは、魔法を密かに使うために協力してくれないかという事だった。
色々考えたが、人の多い町の中で大量の魔力を消費するのはどうしても無理だった。同志ならば私が魔法士である事は既に知っているし、同市村の近くには広大な放牧場や森、そして井戸がある。町の中よりはまだ魔法を使うチャンスがあるだろう。
ザコルが管理する財布から対価も支払うのでとお願いしたところ、そんなものはいらないと断られてしまった。しかし、一度は断られたくらいで諦める私ではない。どうやって押し付けるかは考え中である。
深緑色の旗の前で荷馬車を停める。今朝会った部下代表と、何故か頭から黒子の頭巾をすっぽり被った男性が出迎えてくれた。
「ザコル様、ミカ様。それにタイタ殿にエビー殿。お疲れ様でございました」
「こんばんは、お世話になります。えっと、ドーシャさん…ですよね?」
背格好と声から察するに、夕方集会所で会った商家の若頭ドーシャだろう。
「ええ、おっしゃる通りドーシャでございます。直視できないなら布を一枚挟めばいいと思い至りまして。これなら私めがどんなにだらしのない顔をしていてもお目汚しする事もありません。どうです、妙案でしょう!」
顔は見えないが、口調はとても得意げだ。
「そう…ですね。はい。こうして対峙ができるのであれば画期的だと思います。あの、他の同志の方々は?」
「あちらのテントの陰に全員います」
この寒いのに、ずっとあそこで私達を待ってくれていたらしい。
「君は、初日に木の上にいた一人ですね。面と向かって話すのは初めてでしょうから、改めて自己紹介を。サカシータ子爵が八男、ザコル・サカシータです。この度はこの地に多大なる支援を頂き、父に代わり御礼申し上げます」
ザコルが貴族風の礼を取る。
「おおおおお恐れれれおおおいこここととででごごごございいままますすすすわわわわ私めはドーシャともももも申し」
黒子が話しかけられた途端にブレ出す。布一枚挟んでもこれか。
「ドーシャさん、落ち着いてください。どうどう、どうどう…!」
「…ええと、話を続けても?」
ザコルがタイタをちらっと見る。タイタがコクコクと頷く。
「タイタから聞いているかと思いますが、まずこちらの荷物をこの同志村の中に置く許可を。それから、今夜からしばらくミカが世話になります。僕達護衛もこちらに滞在させていただく事になりますが、いいでしょうか」
ドーシャがブレつつもブンブンと首を縦に振る。
「もももももちもちもちろろろろろろろ」
「あの、一体、僕の何に緊張しているんです。そんなに震えて大丈夫ですか」
ザコルが怪訝な顔をしつつも心配し始めた。
「全く、ドーシャ殿は。危険があるから近づかないようにと言ったのに、皆さんで見に来ていましたね? ザコル殿にバレておりましたよ」
タイタが震えるドーシャに向かって物申す。
「な、ななな、なんと!! あの距離で!? 気配も断っていたはずなのに!!」
「あれで気配を断ったつもりですか。視線が強すぎるんですよ。いいですか、ドーシャ。それに隠れている同志達も。見た事は決して口外せず、できれば忘れて」
「推しが…私めの名前を…」
ドーシャの身体が斜めに傾き始めた。部下がすかさず支えに入る。
「ドーシャ、聴いていますか? ドーシャ」
「ザコル、それ以上名前を呼んだら会話ができなくなります」
ザコルの腕をくいくいと引きながら言った。推しによる名前連呼は破壊力が強そうだ。
「そうですか。ではミカ、代わりに話してください」
「はい。では。ドーシャさん、気を確かに。あなたが頼りなんです。現状、ザコルと対面? までできている同志があなたとタイタしかいないので」
「ミ…ミカ…様。あなた様方が寄り添い、名前を呼び合っているだけでもう心臓を口から吐きそうなのですが、今日の私めにはこの黒布があります。心頭滅却! 私は壁!」
「ふふ、ドーシャさんって面白いですよねえ。結構好き…」
くんっ、と逆に袖を引かれ、今度は私がザコルにもたれかかる体勢になる。
「ミカ。その、好きという言葉は控えてくれませんか。…分かっていても、どうしても不安に」
「ぐはぁっ!! 独占欲ぅ!!」
「ドーシャ殿しっかり!」
「しまった。謎イチャを見せつけてしまった」
謎のイチャコラ、略して謎イチャ。
ガタイのいいドーシャの重みで部下が潰されそうになっている。タイタとザコルが助けようと手を出した。
「……何なんすか、この時間」
エビーが完全なる置いてけぼりになっていた。
ドーシャは担架に乗せられて運ばれていった。
残された部下代表によって中で二室に分かれているタイプの大きなテントに案内される。町長屋敷にあったはずの私達の荷物も運び込まれていた。いつの間に。
しばらくすると、ドーシャの部下の一人でピッタという女性が食事を持って訪ねてくれた。
彼女は会うなり頭を下げた。
「お疲れの所、うちの若頭が騒いで申し訳ありませんでした…!」
「いえ、こちらがトドメを刺したようなものなので…。こちらこそご迷惑をおかけしました」
私達の方も頭を下げる。
ピッタは恐らく十代後半から二十歳前後くらいだろう。肩まで伸ばした明るい茶髪に金茶の瞳で、ハキハキとして活発そうな印象の女子だ。
「ミカ様。リーダー達はあのように頼りになりませんので、私が代表してお世話をさせていただいてもよろしいでしょうか。ミカ様のお世話に関する事は決して人に口外は致しません。必要であれば誓約書もご用意致します」
書面を用意すると言う辺り、商人らしい感じがする。
「いえ、完全なるご厚意でお世話になる身ですから。そこまで用意してもらわなくても大丈夫です。ピッタさん。ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします」
「ピッタで結構です。お世話をお任せいただき光栄です、ミカ様」
ピッタは恭しく頭を下げてくれた。
「こんな時間ですが、後で井戸を使いたいんです。周辺の人払いをお願いしてもいいでしょうか」
「もし水をご使用されるのであれば、このテントの裏に樽で用意してございます。大きな布で隠せるようにもしてありますので、どうぞお好きにお使いください」
「わあ、助かります! それ、ドーシャさんのご指示ですか?」
「いいえ、エビー様のご指示です」
「は!?」
私はエビーの方を振り返った。
「ちょっと、エビーったらそんな事まで頼んでたの!? ピッタ、用意してくれて本当にありがとう。遅い時間に大変な作業をさせました。食事の用意も…」
「いえ、何かお役に立ちたいと申し出たのはこちらですので! 他にもさせていただける事があればぜひお申し付けください。喜んで対応いたしますから!」
ピッタは爛々と目を輝かせて『ぜひ!!』と連呼した。接待のつもりで申し出てくれているなら悪いと思ったが、どうやら心からの善意でそう言ってくれているようだ。ただ、甘え過ぎるのも良くないだろう。
「分かりました。何かあれば相談させてもらいますね」
「はい。皆様ごゆっくり。後でお湯と清拭布をお持ちします。寝所の使い方はその時にご説明いたしますね」
ピッタはそう告げてテントから離れて行った。
「はあ、このシチュー滅茶苦茶美味しいね…。野菜とソーセージの出汁がよく出てる」
「ええ、温まりますね。この町で搾った牛乳を使っているんでしょうか。甘いです」
私が漏らした言葉に、ザコルがコメントを添える。
「ザコル殿、食べ物の味なんて分かるんすか」
「失礼な。味くらいは分かります。食事は感謝して味わって食べようと心を入れ替えたんです」
「はは、何すか、人間みたいな事言って」
「僕は元から人間です」
テントの中でラグに座り、四人で和やかに食事を摂る。
「私ってさー、氷作るだけじゃなくてお湯も作れたらいいのにねー。そしたらお風呂入れ放題なのに」
いい加減に髪のベタつきが気になる。涼しい時期なのでまだ良いが。
「町長屋敷で湯を用意してもらいましょうか? ミカの分だけでも」
「それなら怪我人や病人が先でしょう。私ならどんなに汚れても調子悪くするような事もありませんしね」
どんな家でも蛇口をひねればお湯が出る日本とは違い、こちらではかなり高級な施設でもない限り蛇口からお湯が出るといった事はない。
ここの町長屋敷ですら、井戸水を釜で沸かし、使用人が数回に分けて運んで湯船に貯めるのだ。こんな非常時に燃料や労力を無駄遣いさせたくない。
「ミカ殿は高貴な女性なのですし、遠慮なさる事はないのでは?」
「中身は庶民だもん。それに高貴も庶民もないでしょ。病人は不衛生にして寝続けるだけでも背中か腰に炎症起こして死にかける事もあるんだから。私なんて優先順位で言ったら下の下だよ」
自己治癒能力がある限り、炎症はもちろん、痒みの一つも起こす事はないだろう。
「下の下って…。相変わらず遠慮しいすよねえ…」
「遠慮なんかじゃないよ。こうして食事や清拭の用意を人様にしていただけるだけでもありがたいと思ってるんだから」
味わって食べていたシチューが底をつく。添えられたパンで器を綺麗に拭って食べ切った。
テントの外に出て裏に回ると、ピッタの言うとおり、黒い布に隠された樽が五つほどあった。
「あったかくなれーあったかくなれー」
「ふは、風呂に未練たらたらじゃないすか」
エビーが後ろで苦笑する。
支援優先だと思ってはいるが、風呂に入りたい気持ちがさっぱり消える訳じゃない。樽の一つに手をかざして半ば真剣に念じていたが、パッと見の様子は変わらなかった。
「だよねー。そう都合のいい事が…」
すん、ザコルが鼻を上げた。
「樽の木の匂いが強まりました」
「えっ」
ザコルが樽に近づいて側面に触る。
「ミカ、触ってみてください」
私も樽に近づけば、確かにむわっと木が蒸されたような香りもする。
まさかと思いながら樽に手を当てた。
「…………あ……あ…ったかい…」
「は? マジすか」
エビーが樽に触り、続いてタイタも触る。
「マジだ……」
「た、確かに温かいです。この気温で、この樽の温かさはおかしい」
外気温はもう冬のそれだ。現に、他四つの樽の中身を確かめれば、氷水のように冷たかった。
側面が温かくなった樽の蓋を恐々と開けてみると、ぼわんと湯気が立ち上った。手を差し入れてみる。
「あっっつう!」
反射的に手を引いて勢いよく振る。
「ミカ、大丈夫ですか、手を見せて」
「火傷したかも…ああ、すぐ治るでしょうから大丈夫ですよ」
ザコルが私の手を丁重に検分するが、そうこうしているうちにピリピリとした痛みは引いた。
他の樽にも同じように念じてみると、程なくして湯気が上がる。さらに凍れと念じたら、その熱いお湯は一瞬で凍り付いた。
シーン…。
何となく沈黙。私達の間をぴゅうと冷たい風が吹き抜けていく。
「…………何で、何でこんな単純な事に今まで気づかなかったんだろう…」
「すみません、僕も発想に無く…。氷結能力が判った時点でもう他は試しませんでしたからね。ミカの能力は氷結ではなく、水の温度を変える魔法だったと考えるのが妥当でしょう。まだ確定ではありませんが…」
「……そっか、私、水属性の人なんだ。そう考えると治癒能力があるのも納得かも」
「どういう事ですか」
「何でかは知りませんが、回復といえば光か水って相場が決まってるんです。人体もナマモノだからですかねえ…。日本で出回っているゲームやファンタジーの設定としてそうあるんですよ。日本の現実世界では魔法なんて誰も使えませんけどね」
しかしあくまでもよくある設定の話だ。本当にこの水魔法と治癒能力がつながっているかは分からない。思い込みや決めつけはよくない。これからじっくり検証した方がいい。
「誰も使えないのに魔法の知識があるって、ニホンって一体どういう世界なんすか」
「オタクの世界っていうか、妙に空想力の高い人間の集う国だよ」
お湯が作れるなら、これまでの苦労は何だったのか。例えば、氷を作って溶かしてを繰り返せば、痕跡をほとんど残さずに魔力を消費する事もできたじゃないか。
「過去の損失を考えても仕方ないね。お湯が作れるなら労力半分以下でお風呂に入れるよ。明日、この村で沸かした事にして大量のお湯をシータイに運んじゃう? 湯船はどうしようか…」
「ミカさん、避難民支援は置いといて、とりあえず今からこのお湯使ったらどうすか。こんだけお湯があれば髪くらい洗えるでしょ」
「確かに! 樽は五個もあるんだし一人一個使って洗おうよ! 待って、これじゃ熱すぎるからちょっとだけ冷ませるかやってみる」
結局、そんな繊細な水温コントロールはできなかったが、とりあえずはお湯の一部を氷にする事によって温度調整はできた。
「この能力、ピッタに伝えた方がいいですかね? そろそろ清拭のセットを持ってきてくれちゃうかも」
「どうしたいですか。ミカの好きにしてください」
ザコルが私に判断を委ねた。彼としては問題ないと思っているのだろう。現状ラースラ教徒は捕まえられるだけ捕まえたし、どのみちピッタは私が氷を作れる魔法士である事くらいは把握しているはずだ。
「…今更だし、話してもいいと思う。というか支援に活用するなら遅かれ早かれ打ち明けないといけないし。髪を拭くための手拭いを多めに貸してくれるようにも頼もう」
樽は五個。一つはピッタに進呈する事にしよう。
ピッタは話を聞くと、部下代表の男性ともう一人を呼んできて、外に小規模な天幕を張ってくれた。
樽を運び入れ、すのこを敷いたら簡易シャワーエリアの完成だ。こんな夜更けに誠に申し訳ないなと恐縮していたが、部下代表ともう一人の若者も「また呼んでください」と笑顔で自分のテントに戻って行った。
服を脱いだら寒いだろうけれど、髪が洗えるなら多少寒くても我慢できる。
「天幕の中にランプを置きますと、幕に影が映ってシルエットが丸見えになる事がありますので幕の外に灯りを置きますね。少々暗いかとは思いますが、よろしいですか」
「全然いいです。ありがとう、気づかずに中から照らしちゃうところでした」
「ふふ、こちらは野宿で何度か失敗しておりますので。お時間があれば天幕を二重にしてもいいのですが…」
「いいえ、手間ですから。さっさと洗ってしまいます」
暗くて寒い天幕の中で上半身の服を脱ぎ…あまりの寒さに胴に手拭いを巻き付ける。
樽から適温のお湯を手桶で汲み出し、頭を浸け、髪を地肌から揉むようにしながら洗う。洗っていないのはせいぜい三日くらいの事なのだが、皮脂が邪魔をしてなかなか浸透しない。ザコルはよくこんな状態の髪に顔を押しつけていたな…。
いらぬ事を思い出しつつ、お湯を何度も換えて髪を洗う作業を続ける。泥や雨を被った避難民の人々も早く風呂に入れてあげなければ。
シャンプーはないが、お湯だけでもかなりさっぱりした。人間、本来はお湯だけの洗浄でも充分だと聞いた事がある。胴に巻いた手拭いを取って肩から残りの湯をかけ、気になる所だけ素早く洗って、手拭いでよく拭いて服を着込んでバタバタと天幕を出た。
「ミカさん、もう出たんすか。もっとゆっくり洗えばいいのに」
「ちゃんと洗ったよ。急いだのもあるけど、寒くてもう無理…」
髪はまだ少し温かいが、それ以外は冷え切って震えが止まらない。
「ミカ様、温かいお茶です。これを持ってテントの中へどうぞ。歯ブラシと清拭の用意もしてあります」
「何から何までありがとう、ピッタ」
ピッタに渡されたマグで暖を取りながらテントの中に入ると、中は石炭か何かを使った小さなストーブで暖められていた。テントの奥の部屋に入って歯磨きを済ませる。
その間、まずザコルが天幕に入って洗い、エビーとタイタは二人で一緒に入って洗ったようだ。
ピッタは他の女性部下に申し訳ないと遠慮していたが、明日以降必ず全員分のお湯を用意するからと説得して樽のお湯を引き取ってもらった。
「ミカさん、あざーっす! すっきりしました!」
「ここへきて、新たな能力に目覚められるとは流石ですねミカ殿!」
「目覚めたっていうか、今まで間抜けにも気づかなかっただけだからね…」
テント内で先程食事を囲んだラグに座り、濡れた髪を少しずつ手拭いに包みながら水気を取る。
もしかしたら、この髪全体に魔法をかけたら全部湯気にできるかもしれないが、繊細なコントロールがまだできない以上、髪と頭皮を丸ごと茹で上げてしまう可能性も考えてしまってできなかった。自分で考えておいてゾッとした。水温調整って結構危険な能力だよな…。
「ミカ、僕も手伝いましょう」
ザコルが手拭いを一枚取り、私の髪のひと房を包む。
「前に僕の髪を拭いてくれた事がありましたね。人に頭を触られるのは案外心地いいのだと初めて知りました」
手拭いで自分の髪を拭いていたエビーがこっちを向いた。
「聞いてればよう、髪を切ってやるって言うハコネ団長から逃げ回ってた人のセリフじゃねえんだよ。大体、髪をごくごく自然に触り合ってるなんて結構進んだカップルのやる事すからね? 言っていいすか。すう、はあ、すう……いちゃついてんじゃーねーぞお!」
エビーがたっぷり溜めてから突っ込んだ。
「何を言っているんですかエビー。僕はミカの世話をしているだけです」
しれっと返すザコル。ちょっと恥ずかしくなってきた。
「マッサージしてあげましょうか、ミカ」
ザコルが私の肩に手を置く。
「前に俺がそれ言ったら、そんな事できる訳ないってブチギレたくせに!」
「エビーがじゃあ俺がやりましょうかなんて言うのが悪いんです。そういえばあの時、微かに部屋の隅からも殺気を感じましたが、今思えば君でしたね、タイタ」
「はい。ザコル殿とミカ殿の間に入ろうだなんて、いくら当て馬でも許せませんでしたので」
「俺、当て馬なんすか!?」
「…ふ、ふふ、あははっ」
恥ずかしいのに笑えてきた。
一日が終わる前に、どうしても皆に言っておきたい事があった。
「…ねえ、今日色んな事がありましたね。皆、一度だけ謝らせてください。これで最後だから。今日は勝手な事してごめんなさい。特に、ザコルを寝かしつけちゃったの、本当に反省してるんです。思い上がっていました…。言い訳に聞こえるかもしれないけど、今、魔法をたくさん使ったからかすごく冷静なの。今日はずっとイライラもしてたし、随分と取り乱したなとも思ってて…」
今は精神的には今日一番と言っていい程安定している。事件も一段落したので当然だ。
冷静になればなるほど、自分の振る舞いに後悔がつのる。
「ミカ、いいですか」
ザコルが手拭いを置く。
「はい」
「僕を寝かしつけるだなんて芸当、ミカにしかできないんです。これ以後は場面を弁えてください」
「はい」
「それから、僕があなたを怒らせたのが先です。ミカの目がずっと据わっていたのは恐怖でした…。申し訳ありませんでした」
ザコルが私の正面に回って頭を下げる。
私は、一体何に怒っていたんだろう。正直な所、何かにイライラしていた自覚はあるのだが、要因が沢山あって真の原因が自分でもよく分からない。何に怒っていたのか分からないなんて子供みたいだ。
私がマージの執務室で清拭している間、ザコルとエビーがコソコソ内緒話をしていたのは気づいていた。
たまに声を上げかけているものの大半は聴き取れず、私が聞いてはいけない事ならと追求もしなかった。結局二人は私に話してくれなかったし、ザコルには微妙に距離を取られ、ただただモヤモヤだけが募っていった。
まさか、小指を折って、治癒能力を勝手に再検証しているとは思わなかったが。
「…ああ、そうだ、私、怒ってたんでしたね。別に内緒話された事に関してはどうでもいいんですけど、理由も判らずに避けられたのは傷つきました」
ザコルが姿勢を正す。
「それは、本当に、申し訳…」
「それに、勝手に検証してたのだって、一体どういうつもりですか? 私の能力の全容が分からないうちに安易に自分の身を実験台にするなんて。今回はただ怪我が治っただけで済んだかもしれないけど、人に告げずに一人で勝手に検証して、もし何か重大な副作用でもあって倒れでもしたらどうするつもりだったんですか。ザコルだって充分自分を蔑ろにしてるんですからね。自覚してください。全くザコルは…」
イライラの根源を自覚したら怒涛のように文句が湧いてきた。
違う、そうじゃない。今は責めたい訳じゃない。首を振って気持ちを切り替える。
「ううん、違う、どんな理由があっても私が調子に乗ってたんです。礼拝堂での検証だって危険が無いなんて言い切れなかったし、半分八つ当たりみたいなものだった…。それこそ、寝てるザコルを置いて出るなんてあり得なかった。呑気にも散歩気分で…本当に気が緩んでいました。本当に…ごめんなさ…っ」
「あ、謝らないで。ミカの機嫌が悪かったのは僕と魔力のせいです。僕が動けないうちに、同志達の様子を見に行く意図もあったんでしょう。僕が行くと動揺させますし。ミカの行動は思い付きに見えていつだって合理的だ。僕が、感情的になって大人気ない怒り方をしたからあなたを追い詰めて…」
「怒らせた私が悪いんです。ちゃんと叱って」
「もうさっき叱りました。まんまと無力化された僕が言うと説得力が無さすぎるんです。もう勘弁してください」
「でも…」
「はいはい、そこまで。この後に及んで謝り合戦とか、どっちもほんと真面目っつうか不器用すよねえ…。ミカさん、この猟犬殿はね、俺のカマかけでミカさんとの進捗を白状しちまったんで、しばらく恥ずかしくて隣に座れなかったんすよ」
話に割って入ったエビーがニヤニヤしている。
「進捗?」
「やめろエビー」
エビーはトントン、と自分の唇を指先で叩いた。
「涙以外の体液は試したかって訊いたんすよ」
エビーは、執務室の外でザコルとエビーが内緒話、もといじゃれついていた時の話をしてくれた。
私に、触れる程度の口づけまでした事をまんまと報告してしまったザコルは、急に私への接し方が分からなくなったらしい。
それで、座る私の後ろに立ったり、エビーの隣に座ったり、踊ろうと言ったら身構えたり……。
「何それ、かわ…」
「揶揄わないでください。い、今も逃げ出したいくらいなのに…っ」
当人は頑張って耐えているらしく、むぐぐ、と唸りながら顔を逸らしている。
「そういう前振りがあってのあのブチかましだったんでタイミング的にも威力は抜群でしたよねえ。ほーんと初心っつうかヘタレ…」
ペラペラと喋るエビーの喉に、ザコルがピタッと指を当てる。
「その喉笛引きちぎってやろうか…!!」
「ウーソウソウソウソ」
「タイタに余計な事を吹き込んだのもお前だろうが。聴こえてるんだよ」
「お、俺に余計な事を、ですか?」
私は、今もやけに近い位置にビシッと良い姿勢で座っているタイタを見上げた。
「ほおーん…。やっぱり」
「ミカ殿、お、俺はまた、間違っているのでしょうか?」
皆のやりとりを静観していたタイタが、少し不安そうに私を見下ろす。
「ううん。でも、やけに近いなとは思っていたかも」
「そうでしたか。ミカ殿は特に距離を取られるとヘコむと聞いたもので…」
タイタがエビーをちらっと見る。
「あのねタイタ、その距離ってのは、精神的なものの事なんだよ。心の距離というのかな。例えば、軽口叩いてるエビーが急によそよそしくなったら傷付くみたいな、そういう意味でエビーに言ったことがあるかも。エビーも勘違いしちゃったんだね」
「ふむ、なるほど。理解しました。ミカ殿が落ち込まれないのであれば」
タイタはそっと三十センチ程離れて居住いを正す。
「タイタ、もう一度言うけど、解らないことは遠慮なく聞いていいんだからね。私が言い出した事だけど、以後、何でもかんでもエビーの言うことだけをアテにしなくていいから」
「承知いたしました」
「改めて、さっきはタイタにも感情的になっちゃってごめんなさい。これ以後は謝りすぎないよう気を付けるから、今回は受け取ってくれると嬉しいです」
「はい。俺の方こそ取り乱しまして、申し訳ありませんでした」
二人してお辞儀し合うと、自然と笑みが溢れた。
「心配してくれたんだって解ってるよ。ありがとう。あ、そうそう、タイタには短剣よりダンスを教えてほしいかな」
「女性のパートはあまり詳しくありませんが…」
「いいの。アメリアとも踊る約束だし、ザコルの事もフォローしなくちゃなんないから男性パートも教えて」
「御意に」
タイタとニコニコ笑い合っていると、ザコルが三十センチの間に無理矢理入ってくる。
「僕が不安になるので、もう少しミカから離れてください」
「ザ…っザコルどの…!」
結果的にザコルと密着する事になったタイタが固まった。私に密着してても全く平常心のくせに。
もう時刻的には夜中一時を回る頃だろう。そろそろ寝ようか、と皆を促す。
私は奥のスペースを一人で使わせてもらい、こっちの広いスペースは男三人が寝る予定だ。
ピッタに教わった通り寝袋を開けて潜り込むと、意識は早々に途切れた。




