途中の町③ 幸せでなかったら、どうしようかと
ルンルン、そんな擬音が聴こえそうな足取りでイリヤが廊下を進む。魔獣達は部屋でお留守番のようだ。
外は暗くなり、雪が降り始めた。風も強まってきている。
ヌマの町長屋敷では、食堂は二階に造られていた。町長の執務室とも近い。町長の仕事場、プライベート空間、ゲストハウスを兼ねているのはシータイと一緒だが、あまり町民が自由に出入りする感じではないようだ。
「シータイの屋敷も、元は大勢が気軽に出入りするような雰囲気になかったはずです。水害があって避難民を受け入れることになり、さらにミカが入浴イベントを開いたりするうち、ああいった開放的な雰囲気になったんでしょう。それから、マージが僕に忖度して主な曲者を使っていなかった地下牢に移しました。ああなっては悪事を働くどころか証拠隠滅も難しくなったでしょうね」
「なるほど。恨みに思われてたのは、ドーランさんを追い出したことだけじゃなかったってことですね」
元執事長は、私を拐うようにメリーをそそのかす以前にも、私達が同志村キャンプに泊まると決めた日、エビーから伝えられていたのにマージに報告を上げなかったことがあった。
もしマージが先に聞いていたら、町外で寝泊まりするのは警備上問題があると事前に教えてくれたかもしれない。執事長的には、モリヤや衛士達の苦労より、私達にあれ以上屋敷内でうろつかれないようにすることの方が重要だったのだろう。
食堂の前には、ヌマの町長自らが立って待っていた。私達は自己紹介がてら、一通りの挨拶をした。
「ミカ・ホッタ様、ザコル様、ミリナ様、イリヤ様、騎士のタイタ様、エビー様。本日は当町にお寄りいただきましてありがとうございます。私、ヌマの町長でガマと申します。当屋敷には私と妻、それから七歳と三歳の娘がおります。夕食後、妻と娘達からご挨拶させていただいてもよろしゅうございますか」
「もちろんです。吹雪が止むまでの間、お世話になります」
何となく私が代表して返事をする。
「イリヤくん、七歳の子がいるって。同い年、楽しみだね」
すっかり機嫌の良くなったイリヤは、ニコニコ笑顔で頷いた。
食堂に入ると、部屋の奥の方に大柄な人が立っていた。
雰囲気作りなのか、灯りはテーブルに置かれたランプや蝋燭のみなので、部屋の隅にいるその人のことはほぼほぼ影にしか見えない。怖い。
「そんな暗がりで何をしているのですか。これ以上ミカや義姉上に失礼を働くようなら、いい加減嫌いになりますよ」
「きっ、嫌い!?」
大柄な人はサッと光のある場所に出てきた。結局代わりの服は見つからなかったらしく、小さな半纏を部屋着らしい服の上に重ね着した格好のままだ。
…あれ、もしかして脱げなくなったのかな。ありうる。半纏なのに背中も袖もぴちぴちで今にもはち切れそうだ。
「ほら、ちゃんと挨拶してください。嫌いになりますよ」
「嫌わないで! ちゃんとする! するんだけど、でも」
「でもじゃありません」
「だってこんな格好じゃ」
「だってもありません。格好などどうでもいいのです。いつまで礼を失しているつもりですか」
ザコルがメリーみたいなことを言い出した。
私は一歩踏み出し、昨夜ザラミーアにしたように深く腰を落とした。
「お初にお目にかかります。テイラー領より参りました渡り人、ミカ・ホッタでございます。恐れながらサカシータ子爵様であらせられましょうか」
「いかにも」
丁寧にされてスイッチが入ったのか、情けない声が急に威厳のある声に変わった。
「我が名はオーレン・サカシータ。サカシータ領主にして子爵の位をたまわる者だ。面を上げよ」
「はっ」
私は面を上げた。
タンタンタン、ザコルがイライラしたように片足を踏み鳴らす。
「…偉そうすぎます! 分かってるんですか、この方はお世話になっている伯爵家の縁者なんですよ!? しかも領の窮地を救った恩人です!」
「わあ、ごめん、ごめんよ、父様これしかできないんだよお」
「先程サギラ侯爵親子にも尊大な挨拶をしていましたね!? 彼らが同志でなければ問題にされているところでしたよ!」
「ザコルが厳しいよザラミーア! この子こんなに喋る子だっけ!?」
「コリーの変わりようはともかく、全面的にあなたが悪いわオーレン」
「ザラ母様の言う通りです。僕が喋るかどうかなどどうでもいいのです。ミカにこれ以上失礼を働くなら父様なんて父様じゃありません! 敵です!」
「敵じゃないよおおおお」
びええ、と幼子のように泣きつくオーレン。
「もういいです。ミカ、あちらの席へ。そこの木偶の坊はあっちの末席にでもついてください」
「ちょっと、私を一番上座に座らせようとしないでくださいよ。それに子爵様が末席に行かれたら遠くてお話できないじゃないですか。ていうかみんな座れなくなりますよ」
夕食の席はエビーとタイタの分まで用意してくれてあった。が、本来平民階級である彼らにオーレンより上座に座る資格などない。それは子爵令息の妻であるミリナとその息子イリヤに関してもそうだ。
「僕が許可するから構いません。この場で父上に次ぐ地位にあるのは僕ですから!」
「それはそうでしょうけど」
ていうか地位が高い自覚あったんだ。
ザコルは誰にでも腰を低くするし、自分は平民みたいなものだともよく言っているが、全然そんなことはない。
王家から褒章を賜った英雄様であり、第一王子率いる暗部の幹部でもある。裕福なテイラー伯爵家ならびに政治の実権を握るカリー公爵、沈黙の山派貴族の後ろ盾もあっては、平民どころかそこらの令息、いやそこらの下位貴族なんかより立場は上だろう。
それは、子爵位ながら辺境貴族で、同じく二つ名持ちの英雄であるオーレンも同様だが。
「では、そのあなたが従うと決めているらしい私からお願いしましょう。ザコル、あの上座には子爵様をご案内してください。タイタ、次席にザラミーア様をご案内して。エビー、ザラミーア様のお向かいにイリヤくんとミリナ様を。私はザラミーア様のお隣に失礼します」
むう、ザコルの口がへの字に曲がった。気に入らないらしい。タイタとエビーは指示通りに動き始めた。それを見たザコルも渋々、長机の最奥、いわゆるお誕生日席の椅子を引く。
「第二子爵夫人様、どうぞ」
「やはりいけませんわホッタ様、あなた様が私より下の席にお座りになるなんて。上座がお嫌でもせめてオーレンの隣にお座りになってちょうだい」
椅子を引くタイタを見てザラミーアが首を横に振る。おかしいな、イーリアはフツーに上座に座ってくれたのに。女帝だからか。
「そうですわ、これでは私達のどちらかもミカ様より上座になってしまいます」
ミリナもザラミーアに加勢し始めた。
「申し訳ありません、元は庶民なもので、テーブルマナーには未だ自信がないのです。本来ならば末席でお目汚ししないのが一番かと思いますが、護衛よりも後ろに下がるわけにはいきませんのでご容赦願いたく存じます。それにせっかくお孫さんがお見えですから、お隣に座ってもらったらと思ったんです。イリヤくんも、おじいさまやおばあさまともっとお話ししたいでしょう」
イリヤの方に話しかければ、彼はこくこくと頷いてくれた。
「は、はい、したいです! ザラおばあさまはおやさしいし、おじいさまは大きくてムキムキでカッコいいです! だいすきなシュウおじさまにそっくり! おじいさまにはアカイシのばんけん、というお名前もあるんでしょう? 僕、お会いできるのを楽しみにしてました!」
はわ、とオーレンとザラミーアの眉が下がる。
「あの、おじいさま、僕、おとなりにすわってはダメですか…?」
「だっ、ダメじゃない! いいに決まってるよ…っ、何この子、本当にイアンの子なの!? すっごい可愛いよ!?」
「解りますけれど落ち着いてくださいオーレン」
ちっとも落ち着いてないザラミーアが手で口元を覆いながらオーレンを宥める。
「くふふっ、おじいさまはシュウおじさまににてますが、おはなしするとロットおじさまににてます」
「そうですねイリヤ。シュウ兄様の女見知りとロット兄様の脆弱な精神を合わせて煮詰めたようなのがこの父上です」
「わああんザコルは何てこと言うの!? ねえ! 本当にあの無口で静かだった子なの!?」
「うるさいです。早く座ってください」
…何ていうか、女好きで鋼の精神を持つイーリアとは真反対のお人だ。何がどうなって結婚することになったのか気になって仕方がない。
食事自体は和やかに進んだ。
というかイリヤが可愛らしい質問をオーレンやザラミーアにしたり、シータイでどんなに楽しいことがあったか嬉しそうに語る様子をみんなでほんわか眺めながら食事したという感じだった。子はかすがい、とはよく言ったものだ。
「今日はね、先生と、エビーと、タイタがいっしょにおふろにはいってくれるんです。先生がね、おおだるをもち上げてざばーんってお水を入れてくれるの。そしたら、ミカさまがまほうであたためてくれて、ゆげがいっぱいになって」
オーレンはイリヤの話をうんうんと溶けそうな顔で聴いている。緊張も解けたようで何よりだ。
「そうかいそうかい、楽しみだね、彼女は水温の魔法士だってね」
「はい! ぎゅーにゅーも、りんごも、おにくも、なんでもあたためておいしくしてくれます! それから外に、大きな大きな、すけーとりんくも作ってくれました!」
「スケートリンク? へえ、すごいね、あんな大きなものを。僕も昔、神宮外苑のスケート場に行ったことがあるよ。懐かしい…」
「じんぐーがいえん、ですか?」
「…あっ、いや、そういう名前の湖があってね!?」
「神宮外苑湖、ふふっ」
神宮外苑湖なるものが本当にあるのかどうか知らないが、オーレンはこれでよく周りに不審がられずにいられたものだ。
私が笑ったのに気づいたオーレンがしまったという顔でこちらをうかがった。やっぱり何か怖がられているような…。
「…あ、あの、堀田さん…じゃなかった、ホッタ嬢はその、どうしてその上着を」
「これですか」
私はシータイの屋敷付きメイド、ユキが持たせてくれた半纏を羽織って食事会に出席していた。
「貴領ではこれが正装なのでしょう? ご当主様の考案とうかがいました」
「え、あ……ぼ、僕の考案だって、知って…!?」
「オーレンたら。あなたが着ているから気を遣ってくださったのよ。席順のことだって緊張するあなたのために」
「わ、分かってるよザラミーア」
お叱りモードになるザラミーアをオーレンが慌てて宥める。
「すみません、正装うんぬんは冗談です、単に温かいので気に入ってしまって。それにこれを着ると、昔、祖母の友達が着物を解いて縫ってくれた一着を思い出すんです。大事に着ていたんですが…。あれをこちらに持ってこられなかったのは、心残りといえば心残りかもしれませんね」
「ミカ」
隣に座っていたザコルが、フォークを持つ私の左手に手を添える。心配させてしまったようだ。
「………………」
「あなた?」
黙ってしまったオーレンの顔を見れば、彼は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「大丈夫です。こちらへ来て、もっと大事なものができましたから」
私はカトラリーを置いた。
そしてザコルと、笑顔で頷く騎士の二人に目をやり、もう一度オーレンの方を向き直す。
「君は、まだ来たばかりじゃないか。しかもまだ若い、人生の途中で」
オーレンは、震えかけの声で言葉を紡いだ。
「私、日本にはもう縁がなかったようなんです。唯一の家族だった祖母は、何もかも忘れて施設で幸せに暮らしています。叔母が面倒を見てくれてますから心配いりません。会社ではちょっと働きすぎたみたいで、こちらに喚ばれなければ過労で道端で倒れてそのまま、って感じでした。私は、こちらに来られて、あなたの息子さんやテイラー家の方々と出会えました。大事にしていただけて本当に幸せです。だから、大丈夫なんですよ。子爵様」
「おじいさま、ないてるの、どこかいたいのですか?」
心配するイリヤに、オーレンは首を横に振った。
「違う、違うんだよ、……ただ、僕は怖かったんだ。幸せでなかったら、どうしようかと。僕が、辛いことを思い出させるようなことがあったら、どうしようかと」
「子爵様……」
彼は巨躯の背を丸め、ぐす、と洟をすすり上げて目をこすった。
つづく
ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。
ここんとこ毎日定期で更新しておりましたが、
2022年から書いていたストックがついに底をつき、
最近書いたものをアップし始めています。
すぐということはないのですが、
執筆の都合上、特に前触れなく更新を休むこともあるかもしれませんし、
後から修正することも多くなるかもしれません(タイトルとか特に)。
どうか「いっぱいいっぱいなんだな…コイツ」と
生温かく見守ってくださると嬉しいです。
全然関係ないですが、最近のお気に入りはサモン(サーマル)です。
めげずにがんばってほしいです。
最近、肌寒い夜も増えてまいりましたね。
皆様におかれましては何卒ご自愛いただき、
お風邪などお召しになることのありませんように。
今後ともどうぞ、拙作をよろしくお願い申し上げます。
もっけのさひわひ




