途中の町② ずるいわ。かわいいわ
サゴシが天井に帰ってしばらくすると、トントン、控えめなノックが鳴った。
訪ねてきたのはミリナと……少し目を腫らしたイリヤだった。
「あれ、どうしたのイリヤくん」
「お寛ぎのところにすみません、少し、皆様の顔が見たいと言って」
「どーぞどーぞ、入ってください。私達も暇すぎて、みんなで編み物してたところなんです」
「まあ、皆さんで編み物を? ふふっ」
冗談だと思ったのだろう。主に部屋で療養していたミリナは、うちの護衛達、特にザコルが編み物マシンと化しているのを知らない。
「イリヤ、これを君にあげましょう」
「えっ、なにこれ、わあ、ひつじっぽいのだあ! 大きい!」
イリヤの顔にぱっと光が差し込む。そしてぎゅっと羊っぽいのを抱きしめた。
「羊っぽいもの? あらこれ、皆さんが流行っていると言っていた縁起物でしょう? もっと小さなものではありませんでしたか」
ミリナの言う通り、巷で流行っている羊っぽいものは手の平サイズである。イリヤが抱きしめているのは中玉スイカくらいの大きさだ。
「はい。ミカが自分用に欲しいというので、せっかくですし大きさ違いを作ってみようかと」
「……えっ、ザコル様がお作りに? 本当に?」
「はい。僕が編みました。ですが、形を考えたのはミカですよ」
「毎日馬車いっぱいになるまで量産してるのはザコルでしょ。ほら、私ももらったんだよイリヤくん。一緒に遊ばない?」
「はい! 僕もこのひつじっぽいのであそびたいです!」
「じゃあ、あっちのベッドの上でやろっか」
「はい! えーとえーと、こっちのひつじっぽいのがおにーさんで、こっちのひつじっぽいのが…」
イリヤはもしかして、寂しくて泣いていたのだろうか。
当然か、と思い直す。突然シータイを離れることになり、せっかくできた友達や、優しくしてくれたザッシュ、メイド長達とも離れることになったのだから。
今までは旅行気分ではしゃいではいたものの、部屋に落ち着いたら急に込み上げてきたのかもしれない。
「だーっ、アミグルミって細けーな! 目がしぱしぱする!」
「俺はマフラーよりこちらの方が編みやすく感じるぞ」
「タイタは力が入りすぎて目を詰まらせる傾向にありますからね。アミグルミは詰め気味に編んだ方がむしろ仕上がりが滑らかになります。ミカによると、完璧でなく少し歪な方が味が出てかわいいのだそうです。ですから僕も敢えて目を飛ばしたり増やしたりして…」
「ふへ、ザコルがかわいいって言ってるかわいい」
「うるさいです!」
小さな毛玉のようなものが飛んできた。イリヤがキャッチする。
「わあ、ちっちゃい! ちっちゃいひつじっぽいのだ! えーとえーと、この子はこっちの大きい子のおとーとにします!」
「よかったわね、イリヤ。ザコル様、ありがとうございます。もし毛糸に余裕があるなら、私も挑戦していいでしょうか」
「もちろんです。義姉上は手芸ができる人でしたね」
「ええまあ、嗜み程度ですが…」
ミリナはザコルの常人とは思えぬ手元を凝視しながら、タイタが示した一人がけソファの一つに座った。
「ミリナ様、良かったら教えてくださいよお。こっちの兄貴はこの通り、何を何してんだか全然見えねえんすよ」
「ふふふっ、確かに手が速すぎて見えないわ。では、ゆっくり編みましょうね」
エビーは向かいの二人がけソファに座り、ミリナの手元を覗き込む。タイタも書き物机の椅子を引っ張ってきて、ミリナの手元が見える位置に陣取った。
「できた! 羊っぽいもの三体目!」
「俺もできたぞ、手慣れてきたな。ミリナ様、ご教示いただきありがとうございます。おかげで上達いたしました」
「ふふっ、お二人ともお上手よ。騎士の皆様まで編み物をなさっていたなんて、私ちっとも知らなかったわ」
「シータイは未曾有の編み物ブーム起きてたんで、そこらのオッサンも衛士のにーちゃんもみーんな編み棒持ってましたよお」
「まあまあ、男性の方がみんな編み物を? 見てみたかったわ、寝込んでいたのがもったいないくらい。さあ、羊っぽい子にケープを編んだわよイリヤ」
「わあ、母さますごい、ぴったりです! ねえ母さま、次は羊っぽいのにぼうしを作ってください!」
ミイミイ!
「ふふっ、ミイまでおねだりかしら。楽しそうねえ」
イリヤはたくさんの羊っぽい編みぐるみと魔獣達に囲まれながらママゴトを楽しんでいる。イリヤの相手をしていた私までモフモフに埋もれていた。
◇ ◇ ◇
トントン、次に訪ねてきたのは屋敷付きのメイドで、ザラミーアからの先触れを言付かっていた。
そして数分後、ザラミーア本人がやってきた。私以外の大人達は立って彼女を出迎えた。私は編みぐるみを腕いっぱいに抱えていたせいですぐに立てなかった。
「皆様、お待たせしております…わ…」
ザラミーアの目はベッドの上に釘付けになった。
「…まあまあまあなんて可愛らしいの…!! いいのよホッタ様、そのままお座りになっていて! 何かしら何かしら、イリヤさんもホッタ様も魔獣ちゃんとお人形に囲まれて……お人形?」
ザラミーアは、ローテーブルの上にまで積まれた大量の編みぐるみに目をとめた。
「これは、何のお人形……? コリー、あなた一体何を作っているの。ミリナさんも、騎士のお二人まで」
「羊のようで羊じゃない、少し羊っぽいアミグルミを作っています、母上」
「羊のようで羊じゃ……何ですって?」
かくかくしかじか。
ザラミーアに、これがチッカで流行っていることや、シータイの編み物ブーム、ザコルが編み物マシン化したことなどを順に説明する。
「微々たる額でしょうが、売り上げは水害支援に寄付しています」
「微々たる額なわけねーっしょ、あの量すよ。既に相当な額だってルーシちゃんとティスちゃんが言ってましたよ」
「そう」
ザラミーアは、よく分からないが分かった、みたいな顔で頷いた。
流石は実のお母様、息子が起こす超常現象には慣れているらしい。
「昔から器用な子だとは思っていたけれど、まさかここまで」
彼女はエビーが譲った二人がけソファの席に腰を下ろし、立ったままでも手を止めない息子をしみじみと眺めた。
私は羊っぽい編みぐるみを抱いたままのイリヤの背を押す。
「あの、ザラミーアおばあさま」
「まあイリヤさん、こちらにいらっしゃいな。長旅で疲れたでしょう、すぐお食事の時間になりますからね。きっとご馳走よ」
にこやかなザラミーアに、イリヤは安心したように表情を崩す。そしてザラミーアの横にちょこんと腰をおろした。私はその向かい、ミリナの横の一人がけソファに腰をおろす。
「ごめんなさいね、お待たせしていて。挨拶させようと思ったのだけれど、あの格好ではと思ってしまって…。町内の服屋をあたらせていたの」
「どうせ父が着られる服なんて置いていないでしょう。いい加減、待たせる方が失礼ですよ」
「でもコリー、室内着にあんな小さなハンテンを羽織っている当主だなんていくら何でもおかしすぎるわ。本人も恥ずかしいみたいで」
服装が恥ずかしいのもあって麻袋に入っていたのか…。そういえば、ザコルににおうと言われたのも気にしていたようだった。
「ザラミーア様。私は何を着ていらしても気になりません」
「私もですわ。立派な体格の持ち主でいらっしゃいますもの、どんなお召し物でも威厳は損なわれませんわ」
ミリナの言う通りだと思った。彼の場合、服装よりもその背の大きさや類まれに発達した筋肉の方に目が奪われる。
実際、ついさっき後ろ姿を見たところだというのに、半纏以外に何を着ていたのか詳しく思い出せない。
「へへっ、うちの姫はあのダボついた謎服の人に一目惚れした実績があるんで、服とかマジに気にしませんよ」
「ええ、ミカの趣味の方がよほどおかしいので気にするなと父上に伝えてください」
「突然のディスり! もー何なんですか、その謎服をこよなく愛してた人に趣味おかしいとか言われたくないんですけど!」
「ぼ、僕は不審者たろうとしてあの服を着ていたんです!」
「はは、不審者などとはとても。ザコル殿こそ何を着ても魅力が損なわれないお方でありますから」
「やめてくださいタイタ、僕は不審者でいいんです」
「ドン・セージが謎服の買い占めどころか、作業着屋ごと買い上げてたのマジ笑いましたね」
「はあ、頭が痛い。行動が早すぎではないですか。あの店の夫婦を保護してくれたのは幸いでしたが、セージには量産などさせないよう重々言っておかなければ」
「もう量産してるっしょ。今頃、生地屋の方も買収されてんじゃねーすか」
「団服に忍者装束に謎服、一気にコスのラインナップが増えましたね! みんな何着るのかなあ、楽しみ!」
「こすのらいんなっぷ…? 集団で僕になりきることに何の意味が…?」
内輪話で盛り上がっている私達を見て、ザラミーアとミリナが苦笑気味に顔を見合わせる。
「ね、ザラミーアお義母様。お楽しそうでしょう」
「ええミリナさんの言う通りだったわ。あの子が誰かとこんなに喋っているところなんて…、っそ、それはそうとイリヤさん」
ザラミーアは、込み上げたものを誤魔化すようにイリヤの方を向いた。
「はい、ザラミーアおばあさま」
「ザラでいいわ。何か欲しいものはない? 玩具でも服でも、何でも用意してあげますからね」
「なんでも? …ええと、おもちゃは、ひつじっぽいのをいっぱいもらったのでだいじょうぶです。ふくは、おじいさまにかってさしあげてください。こまっているのでしょう?」
「まあ…。なんて健気な子なのかしら。おじいさまはいいのよ、玩具や服じゃなくてもいいわ、好きなものを教えてちょうだい。私が孫のあなたに何か贈りたいのよ」
うーん、とイリヤはしばらく悩み、思いついたように顔を上げた。
「えっと、じゃあ、しかにくを」
「しかにく……鹿肉ですって?」
「はい。ミカさまが、しかにくとハチミツを使ったおりょうりを母さまに作ってくれるんです。とってもおいしくて、母さまが元気になるんですよ」
「まあイリヤ、私のことは」
「だから、しかにくとハチミツをください、ザラおばあさま。あ、ちょっとでもいいんです! きちょうだって、りょうりちょーが言ってましたから」
すう、はあ。とザラミーアは気持ちを落ち着けるように深呼吸した。
「………………オーレンに言ってその辺りに蔓延っている鹿を全て狩ってこさせましょう。それから町長をここに。ヌマの町にある蜂蜜を全て」
「落ち着いてください母上」
「落ち着いているわ」
「落ち着いてません。今の深呼吸は一体何だったのですか」
「だってイリヤさんが!」
「お気持ちは解りますが冷静に。また父上を野に放つつもりですか。それにここの蜂蜜を全て買い上げられては商いに支障が出るのでは」
「でも!」
「アメリアお嬢様からいただいた蜂蜜ならば荷に積んであります。肉は、晴れた日に山へ行って、一緒に狩りをしてみるのはどうでしょう、イリヤ」
「かり!? 僕、やったことないです! どうやってやるんですか!?」
「君の投擲技術があれば何でも狩れますよ。魔獣と違い、野獣は増えすぎると森や畑が荒らされるので、定期的に狩って数を減らす必要があるんです。義姉上もお元気になりますし、僕らも美味しいカクニやニクジャガが食べられます。実にエコでしょう」
「エコ! 僕、エコします!」
「来なさい、イリヤ」
イリヤがぴょんとソファから飛び降り、ザコルに走り寄る。ザコルはそんなイリヤを抱き上げ、いーこいーこと撫でた。
ザラミーアが身悶えたのは言うまでもない。
「ずるいわ。かわいいわ」
ずっと同じセリフを言っているザラミーアに、今度は私がミリナと顔を合わせて苦笑する。ザコルの実のお母様は、イーリアとは若干方向性が違うようだが、同じく可愛いもの好きで愛情深いお方のようだ。
彼女の視線の先にいるイリヤはザコルの膝上で蜂蜜牛乳をちびちび飲んでいる。私は座っていた一人がけソファを彼らに譲り、ザラミーアの隣に腰掛けさせてもらっている。
「ふふっ、どっちも可愛いんですよねえ」
「ええそうなのよホッタ様。いい歳をした息子相手に、なんて思われますわよね」
「思いませんよ、私も可愛いと思ってますから。素敵な息子さんですね」
「まあ、ありがとう。嬉しいわ」
ザコルが気まずそうに視線をそらしている。
「でもっ、私もイリヤさんを可愛がりたいわ! ミリナさんにも似ているけれど、少女時代のリア様にそっくりなのだもの。お世話がしたくってたまらないのよ」
ザラミーアは隣国サイカの男爵家の娘で、同国の伯爵令嬢だったイーリアの侍女をしていたと聞いている。かなり若い時から仕えていたようだ。
イリヤは、顔立ちはイアンとミリナ両方の面影があるが、色彩はイーリアの金髪碧眼を隔世で引き継いでいた。
「何か物をあげるより、実際にお世話してあげた方が喜ばれると思いますよ。あ、そうだ、浴室を使ってもいいか町長さんに訊いてもいいでしょうか」
「浴室の手配はもうしてあります。いつでも使って構わないそうですよ」
「ありがとうございますザラミーア様。イリヤくん。今日は誰と一緒にお風呂に入る?」
「先生たちと! 先生たちと入りたいです!」
イリヤは後ろに控えるエビーとタイタの方も見た。もちろん彼らもニコニコと笑って頷く。
「じゃあ夕食後、三人仲良く入っておいでよ。ザラミーア様、寝る前にご本でも読んで差し上げるのはいかがでしょう。ここに、テイラー伯爵子息くんから預かった童話があります」
私は、旅に出る際にオリヴァーが貸してくれた小さな絵本を取り出した。受け取ったザラミーアはほう、とため息をつく。
「なんて美しい装丁の本なの。流石はテイラー家のご子息、素敵なご趣味ね。どうかしら、イリヤさん」
「ザラおばあさま、僕によんでくださるんですか?」
「ええ。ミリナさん、夜、寝室にお邪魔して構わないかしら」
「もちろんですわ。ぜひお願いいたします」
よし、これでイリヤも寝るまで楽しく過ごせるだろう。
つづく




