王都を追われた者達⑤ 真の傾国
気がついたら、わたくしは何か視界の高いところにいた。
「えっ、こ、ここはどこですの!? ひ…………!?」
ふと、手をかけている場所が誰かの頭や首であることに気づいて悲鳴を上げそうになるも、すんでのところで飲み込んだ。
「…乗り物という形で侍るのも悪くはないな。一応、ほとんどの乗り物よりは早く走れるぞ。舌を噛まないよう、あらかじめ何か噛んでもらう必要はありそうだが」
「ザ、ザザザッシュ様!?」
どういう経緯でそうなったのかちっともさっぱり分からないが、わたくしはザッシュに縦抱きにされて運ばれていた。
がさがさ。
近くの薮から数人の男が出てくる。民を誘導していたはずの同志達と、そしてサーマルだった。
「藪というのはいいな。不躾であるとか、そういうのを考えず思う存分眺めていられる」
「はは、サモン殿にも藪の素晴らしさをご理解いただけましたな」
「次は樹上に挑戦ですな」
……あの第二王子は一体何をしているのかしら?
「一体何をしているのだ、サーマル殿下」
「兄殿! 私のことは今まで通りサモンかコレと呼んでくれ!」
「いや、何を言っている、ここは町長屋敷ではないのだぞ」
「いいのだ! 兄殿はアメリの番犬をするのだろう、であれば私の兄殿も同然ではないか!」
「…………一体、何を言っているのだ? アレは」
ザッシュは完全に理解の範疇を超えたらしく、高い位置にあるわたくしの顔を見上げる。
いつも下から見ていたザッシュの顔を上から覗き込むことになり、わたくしの心臓がきゅうっと縮み上がる。
「ひぇっ、まっ、前を向いていてくださいませ!」
「はは、安心しろ落としはしない」
「そんなことは心配しておりませんわ!」
わたくしは無理矢理その顔を前に向けさせようと手でぐいぐいと押す。ちっとも動かなくて、全身で動かそうと四苦八苦する。
「あの、アメリア、嬢、その」
ハッと気づくと、ザッシュの頭部に抱きつくような形になっていた。
「し、失礼いたしました! あっ」
パッと身を離すと体勢を崩しそうになる。が、すぐに大きな手が背中を支えた。
「大丈夫か。先程、腰を抜かしたばかりだ。まだそこに乗っていろ」
まさか、わたくし、手に口付けられて腰を抜かしたというの…?
今度こそ赤面するのを抑えられなくなり、両手で顔を覆う羽目になった。
「アメリア嬢」
名を呼ばれて手の隙間から見れば、イーリアが不機嫌そうな顔で前に立ちはだかっていた。サア…ッ、赤面した顔から血の気が引く。
「しっ、失礼いたしました、お見苦しいところばかりお見せして…っ」
「まさか。見苦しくなどあるものか。あなたは何から何まで完璧に美しく可憐だ。私が気に入らんのは、その可憐なアメリア嬢にザッシュが同行すると言い出したことだ。私が自ら隊を率いて王都までお送りしようと考えていたというのに!」
「えっ」
「何を驚くことがある。大恩あるテイラー伯からよしなにと預けられた姫様が凱旋なさるというのに、手勢の一つも用意しないなどサカシータの名折れ。快適な旅となるよう尽力させていただく所存だ」
サカシータ家は、もとより『姫』に兵をつけてくれるつもりだったようだ。凱旋するのが『氷姫』であっても同じようにしたのだろう。
ミカとそしてザコルのおかげで、テイラー家、もとい、わたくしは、武のサカシータすなわち最強の山派貴族筆頭の後ろ盾を得ることになったのだ。
「いや、アカイシの女帝ともあろうお方が何を言っている。父上も使い物にならんし、義母上まで不在となれば流石に民も不安がるだろう」
「聖女の妹御のお力になると言えば民も納得する! それに国境が雪に閉ざされている今がチャンスだ」
「春までに決着がつくとも限らんだろう。おれが行く方がいい」
「春までに片付けるに決まっているだろう。私が行く方が早い」
ザッシュとイーリアで睨み合いになる。
コホン、と咳払いで割り込んできたのはサギラ侯爵パードレだった。
「サカシータ第一子爵夫人。あなたは王都を、というかオースト国の社交界を出禁になっているだろう」
「えっ!?」
「はあ? 出禁だと? おれも知らんぞ」
パードレが語るところによると、今から二十年程前、国内の全貴族が招待される王宮のパーティにイーリアが子爵の名代として単独で参加した際、当時会場にいたほとんどの令嬢や夫人が男装の麗人の虜となってしまうという事案が発生したらしい。
王宮のダンスホールが一気にイーリアのハーレムと化した他、そのシーズンに開かれた他の茶会や夜会でもイーリアは取り合われるようになった。結果、令嬢同士で取っ組み合いの喧嘩に発展したり、仲睦まじかった婚約者同士や夫婦間にまで亀裂を入れるなど、当時の社交界を大いに賑わせ、狂わせた。
事態を重く見た王家は、サカシータ子爵家に連絡、というか通報した。当時王宮魔法陣技師として出仕していたオーレンの父、ジーレンによってイーリアは回収され、サカシータ領に強制送還となった。
以後、サカシータ家からは必ずイーリア以外の人間が社交界に参加している。たまにイーリアが王都に行く時も必ず誰か見張りがついているのだとか…。
「まあ、そのようなことが…。イーリア様はまさに傾国の美女でいらしたのですね」
傾国の美女、文字通り国を傾かせるほどの魅力持った女性を指す言葉だ。普通は男性権力者を惑わせる存在だが、イーリアの場合はあらゆる貴婦人を惑わせる存在であったらしい。
「どうせ片っ端からナンパでもして惑わせたのだろう。見目だけの話ではない、素行の問題だ」
「私が惑わせたのではない、彼女らが美しく私を惑わせる存在であったというだけだ。オースト国は美女揃いで当時から有名……何か文句がおありかな、テイラー第二騎士団長殿」
「いいえ。あまりご長男を責められたお立場でないのだな、と」
「ふ、昔の話だ」
…昔、かしら?
今も隙あらばミカやカズを手元に置こうとしたり、わたくしをエスコートしたがったり、マージや同志村の女子を集めて侍らせていたりする気もするが、これでも丸くなったということなのだろう。
そういえばザコルが、自分よりもイーリアとミカを二人きりにする方がよほど危ないと話していた気がする。なるほど。
「イーリア様。わたくし、サカシータ子爵様やザラミーア様から最愛の方を奪うわけにはいきませんわ」
「それはそれ、これはこれだ! これ以上、美しいものを唐変木な息子達に奪われてなるものか!」
「義母上に奪われていいはずもないだろうが。アメリア嬢は人形ではないのだぞ。全く、長兄とロットの悪い癖を合わせて煮詰めたようなその性格はどうにかならんのか」
ザコルがここにいればザッシュと一緒になって眉間に皺を寄せていたことだろう。
「それにいいのか、放っておいたら母上をミカ殿に奪われるぞ」
「…ふむ、それは懸念しているところだ」
「ホッター殿はその場の女を全員『ホッタの嫁』にする才能があるらしいですからね」
…そういえば、わたくしも『アメリアたんは私の嫁』とよく言われているわ。
この町にいる民は揃いに揃ってミカの信望者ではあるが、女性達は特に過激派である。表立って暴れたりなどしないが、マージの命令に従い、裏で粛々と何かをしている。
最初はミカとザコルを非難していたらしい元ザハリファンの女性達でさえ、今はミカ達を盲目的に支持し、せっせと貢ぎ物を捧げているという。誘拐の実行犯であったメリーなど、ミカをまるで神の一柱のように崇めている。
「そうね、お姉様も『傾国』でいらしたわ。わたくしもその『嫁』の一人である自覚はあるけれど」
「傾国はその番犬の方もだろう、我が弟ながら、秘密結社まで作られているとは…」
ザッシュは、サーマルに『ファンの心得』なる思想を吹き込んでいる同志の集団を横目に見た。
「あいつら二人は山奥にでもやって世に出さないに限る」
「同感だ」
うんうんうん、この滞在で仲を深めたハコネとザッシュが頷き合う。
「というわけで、無害なおれが手勢を率いてアメリア嬢に同行する。文句はないな」
「文句しかないぞ! おい、お前達、何をする!」
暴れるイーリアはその側近によって拘束され、ずるずると引きずられていった。
残った側近の一人が一礼する。
「真の傾国は、ザラミーア様の血にございます。ザッシュ様もお気をつけください」
…喋ったわ。
「は? 真の傾国? 血? 何だと、詳しく」
不穏な一言に焦るザッシュを置いて、側近は速やかにその場を去っていった。
「…全く、うちの親どもは」
ふう、とザッシュが眉間を揉んでいる。揉んで差し上げたい、という気持ちが湧いて驚いた。
「ザッシュ様は、わたくし以外を惑わせないでくださいませね」
「えっ」
「前を向いていてくださいまし」
振り返ろうとするザッシュの首をぎゅっと押さえ込む。短く刈り込んだ深い色の茶髪に、わたくしは熱くなった頬をすり寄せた。
モナ男爵家の紋章が入った馬車が、次々と町の中にまで乗り入れる。御者の中にはドーシャの部下、ヴァンの姿もあった。
「アーユル商会は、モナ男爵家の遣いでしたわね」
「ああ…」
気のない返事しかしなくなったザッシュに、わたくしはくすりと笑みを漏らす。心神喪失気味でも、わたくしを支える腕は少しも揺らがない。こんなに安心できる場所がこの世にあっただなんて。何というか、結局、ミカお姉様には何もかも掌握されていたようだわ…。
馬車の荷台に乗り込もうと並ぶ難民達に、サカシータの男女が走り寄る。
「待って待って。干し肉と干し林檎、小分けにしたからさ、道中でお食べよ」
「干し林檎はポレックじーさんの手作りだけどよ、干し肉は聖女様が手ずから魔法をかけなさったもんだからな。きっと元気が出るぞ」
男性達が抱えた木箱の中から女性達が布製の巾着を取り出し、一つ一つ難民に手渡していく。
「ありがとう、ありがとう」
「いいのさ、受け入れてやれなくてすまないね」
「違うわ、私達が何も解っていなかったの」
「迷惑をかけてすまなかった」
この短い滞在の間、彼らの内の何人もが曲者として捕らわれた挙句、目の前で毒を吐いて死んだ刺客までいた。
氷姫の日常が危うい綱渡りで営まれていることを難民達も肌で理解したことだろう。集団で押しかけ、曲者を連れ込んだことを悔いる者も多かった。
「本当にありがとう。ここで受けた親切も、道中で受けた施しも、一生、忘れずに生きていくわ」
「必ず安住の地を見つけてちょうだい。きっとだよ」
「聖女様…氷姫様は必ず俺らが守り抜くからな。いつかサギラ侯爵領にも足を運ばれるだろうさ。旅のしやすい国にしてくださるそうだから」
サカシータの民と王都の民は手を取り合い、お互いの無事と幸せを祈り合った。
つづく




