王都を追われた者達③ つまづく前に必ず守ってやる
パンパン、イーリアが手を叩く。
「我々からの提案は以上だ。ちなみに、ここに残るのならば容赦なくその手を借りさせてもらうぞ。雪かきに、曲者の掃討、野獣狩り、力仕事ならばいくらでもある。働かざるもの食うべからずだ。冬が明けたらばアカイシの国境にも連れて行ってやる。敵は多いが、山からの眺めは一見の価値ありだ。何、心配はいらぬ。体力に自信がなければこの私が一から鍛え直してくれよう」
ニヤリ。女帝が不敵に笑うと、彼女の屈強な側近達がその体躯を見せつけるような格好で脇を固めた。いかにも体力のなさそうな面子は怯え上がった。
「イーリア様が直々に鍛えてくださるだなんて素敵ね。羨ましいですわ」
「ああ、麗しのアメリア嬢。あなたは無駄な筋肉などつけなくともよい。必要ならいくらでもうちの筋肉を貸し出すからな。皆の衆、ゆっくり考えろと言ってやりたいところだが、時間がない。この分だと夜には吹雪き出す。明日から早速そこに缶詰になる可能性が高い。サギラ侯爵」
イーリアの呼びかけに、下がっていたパードレが一歩進み出す。
「モナ男爵に馬車を借りてある。そろそろ到着するだろう。今日中にチッカまで戻り、その後は天候を見ながらジーク領と我がサギラ領の領界まで進む予定だ。道中、ここを目指している者がいれば拾ってやる必要もある。一時間やる。希望する者は荷物をまとめろ」
どうする、と話し合おうとした難民の数人がふと気づいた。
「……何だか、人数が減っていないかしら」
「本当だ、どこへ」
キョロキョロと周りを伺う彼らの中から、初老の男女がこちらにやってきた。夫婦だろうか。
「アメリア殿下、サーマル殿下」
殿下、と呼ばれなぜか心がざわつく。
二人は薄汚れた格好ながら丁寧に頭を下げた。
「面を上げなさい」
顔を上げさせると、二人は涙を流していた。初老男性の方が口を開く。
「…ご高説、ありがとうございました。ただ慈悲に預かろうとしていたこの身が恥ずかしく、一言お礼と謝罪をいたしたく」
「謝罪は結構よ。するなら町の者になさい。あなた達はどうするか決めたのね」
「はい。王都の再興をこの目にしたいのは山々でございますが、見ての通り若くもない身です。夫婦ともどもサギラ侯爵様のお世話になりたいと考えております。精一杯働かせていただくことで国と侯爵様にご恩をお返しして参ります。なにとぞご容赦を」
「謝罪はいらないと言ったでしょう。それにどこで手を動かすかは重要ではありません。励みなさい」
「感謝いたします」
二人は再び深々と頭を下げ、握手をとばかりに手を差し出す。わたくしは隣にやってきていたサーマルと顔を見合わせた。
身分が下の者から握手を求めるのは礼を欠くが、相手は庶民。貴族のルールを持ち出すのも大人げなく思えた。
会うのもこれが最後だろうと、応じるつもりで手を出そうとしたら、突如大きな手がわたくしの前に現れ、次の瞬間、足が宙に浮いた。
そのままわたくしの足では数歩以上になる距離を一気に後退し、夫婦らしき男女には騎士達の剣が突きつけられた。
ハコネが懐からハンカチを出し、雪の上に落ちた細い針らしきものにかぶせてつまみ上げる。
「…毒か。狙いは『王子』だな」
男女は何の感情も読み取れない昏い目でわたくしとサーマルを見つめ、次の瞬間何かを吐いて倒れた。難民達が悲鳴を上げる。
口に含んでいた毒の袋を噛み切ったようだった。
「一旦離れるぞ、アメリア嬢」
わたくしの腹に回った大きな腕の持ち主は、耳元で静かにそう告げる。
「大丈夫だ。あなたのことは、つまづく前に必ず守ってやる」
「……ザッシュ様」
背後から抱き上げられていた状態から、そっと雪の上に降ろされる。
そして昨日氷の上でエスコートしてくれたように、片腕を差し出された。
◇ ◇ ◇
集会所の前から撤退し、ザクザクと足早に雪道を歩く。背後には侍女とグレイ兄弟、騎士達はわたくし達の四方を固めるように陣取って歩いている。
「…ザコル殿の兄殿よ。私はいつまで小脇に抱えられたままなのだろうか」
わたくしと同時に庇われたらしいサーマルが不平を言う。彼はザッシュの太い片腕に胴を巻かれ、ぷらんと宙に浮いたままだった。
「ああすまん、忘れていた。あんまり軽いのでな。アメリア嬢はともかく、そっちはもっと食べて鍛えた方がいいぞ」
「わ、分かっている! ハコネ殿に鍛え直してもらうのだ! それにこれでも前よりは食べているぞ!」
「まあ、労働すれば腹も減るだろうからな。アメリア嬢、大丈夫か」
話しかけられてハッとする。
…危ない、完全に持っていかれていたわ。
「だ、大丈夫でございます。ザッシュ様、どうしてここに」
「ああ、ミカ殿に曲者を間引くように言われたので残った。このゴウ殿と一緒にな」
するり、ザッシュの足元から尻尾が三本ある黒狐型の魔獣が姿を現す。
ガウ。
「狐の魔獣殿ではないか!」
サーマルはなぜかはしゃいだようにゴウに話しかける。ゴウも気を悪くした様子がない。
…ミリューには相当嫌われたと聞いていたのに、いつの間に打ち解けたのかしら。
「どうやら、王都で長年暮らしていた民は魔力を搾取されている? とのことで、魔獣達にはその痕跡が判るのだそうだ。先程、義母が王都以外から来た者がいるかと訊いただろう。そこで手を挙げなかった者で、搾取の痕跡がない者は嘘をついていることになる。集いの奴…いや、サギラ侯爵とアメリア嬢が話している間、ゴウ殿に合図してもらい、おれと町民達で間引きをしたのだ」
「まあ。わたくし前で話していて、ちっとも気づきませんでしたわ」
「ははっ、気配を殺して行ったのでな。ゴウ殿も流石、戦闘慣れしているだけあって見事な立ち回りだった。当の難民達も気づいてなかっただろう?」
「凄いではないか、狐の魔獣殿!」
ガウガウ!
「得意げだな!」
ゴウと同じく、得意げに笑っているザッシュを見上げる。わたくしはこの立派な腕にくっついたままでいいのだろうか。
…いいえ、役得と思いましょう。指摘すれば、この方は必ず我に返ってしまうわ。
こんな時に図々しい考えをしている自分に気づき、ふと笑いが込み上げる。
「…よかった。怯えてはいないようだな。驚いてしまったか」
「ええ、覚悟はしておりましたが、早速狙われるとは思いませんでしたので。ザッシュ様。庇っていただき、ありがとうございます」
「兄殿! 私も礼を言うぞ!」
「いいのだ。むしろ間引きが間に合わず申し訳ない。あの二人は、挙動が『落ち着き過ぎ』ていて怪しかったものの、王都にいたのは確かなようだったのでな、様子を見ていたのだ」
「あれは元々、第二王子殿下が生きていれば始末しろとでも命じられていたんでしょうね」
前を歩いていたハコネが話に加わってきた。
「そうなのか!? ではどうしてアメリまで」
「元がどのような命令だったか正確には判りませんが、あいつらの中で、王位継承者を始末すべしと解釈したのでしょう。恐らく王弟殿下がらみの刺客です」
わたくしが『第三の王子』を名乗ったため、二人同時に亡き者にしようと機を伺っていたのだ。
「曲者はみな黒水晶殿を狙う者ばかりかと思っていた」
「王子を狙う曲者は以前からいたぞ。ずっと屋敷の中にいたのでは知らないだろうが」
「そうだったのか…。私はやはり、随分と大事にしてもらっていたようだ。町長殿に礼することがまた増えてしまった」
「…また随分と殊勝に仕上がったことだな」
「褒め言葉か、兄殿」
「まあ、そうだな。今の貴殿なら守ってやろうという気にもなる」
「そうか! それはありがたい!」
何なのかしら、なぜ守ってもらえる気でいるのかしら。わたくしも図々しいけれど、この第二王子ほどではないわね。
調子に乗るサーマルに対し、思わず目を眇めてしまった。
「サモーン!」
「はっ、幼児達」
わたくし達を追ってガットとミワが駆けてくる。後ろから母親達がついてきているので、このままガットの祖母の元にでも送る気なのだろう。
「ガットにミワ、そなたらも先程は私を守ってくれようとしたな、礼を言おう」
「ねーねー、サモンとアメリさま、おうじさまなの?」
「…ついにバレてしまったか。従僕見習いサモンとは世を忍ぶ仮の姿、実はオースト国第二王子サーマル・オーストなのだ!」
「すげー、よくわかんねーけどカッケー」
「えー、ミワ、おうじさまってもっとつよいとおもってた」
「これから強い王子になるのだ。お前達にもすぐ追いつくぞ」
「おれらもたんれんするから、いっしょーおいつけないぞ」
「お、追いついてみせるとも!」
あはは、と和やかな雰囲気になる。うちの騎士や侍女も、グレイ兄弟も、母親達も、ザッシュまで笑っている。
むう。
「お嬢がむくれてら」
「何を言っているの。むくれてなんかいないわ」
「ほら、旦那がサモン殿を可愛がるからですよ」
「コタ! もうおやめなさ」
「は? おれがどうしてこれを可愛がらねばならんのだ」
「これとは何だっ、黒水晶殿は私を可愛い子だと言っていたぞ!?」
「ミカ殿に言わせると歳下は全員『可愛い子』だ。何なら、最近はおれまで子供扱いされている気がする」
あの聖女は万物の母にでもなったつもりか? とザッシュが言うので、皆はまたおかしそうに笑った。
しばらくして再び集会所の前に戻ると、サギラ侯爵令息フィリオが荷物を抱えた難民達を並ばせ、帳面に名前を書かせていた。
先程自害した刺客二人は既に片付けられている。毒が吐き散らされた雪ごと運び出したようで、妙なくぼみだけが残っていた。
「最後尾はこちらですぞぉー!!」
そう叫ぶのは立て看板を持ったドーシャだ。他の同志も人々の誘導を手伝っている。
その様子を離れた所で見守るパードレの姿を認め、挨拶に向かう。
「侯爵様」
「アメリア様」
わたくしの礼に対し、侯爵は胸に手を当て、一礼を返した。
おかしな白装束を着ていてさえ、高位貴族らしい品と威厳は損なわれない。よくぞ今までイーリア達にさえ悟らせず、同志として町に溶け込んでいたものだ。
「結局、ほとんどの民を引き取っていただくことになりそうですわね。侯のご高配に感謝を」
「いいえ。これは辺境貴族の一人として必要と考える措置であるとともに、深緑の猟犬ファン活動の一環でもあるのです。むしろ私は次期テイラー伯の手先とも言えるわけですな」
「まあ。ふふ、ご冗談を」
「マネジ殿を通じてオリヴァー会長にもご報告申し上げ、既に承諾のお返事をいただいております」
「まあ……」
冗談ではないらしい。
…いや冗談であって欲しかった。侯爵を顎で使うだなんて。この国に、うちの幼い弟を越える『王』なんて存在し得るのかしら。
「褒美に蜂蜜酒と直筆の感謝状をくださるらしい。会長の直筆……楽しみです。ぐふっ…」
侯爵は威厳ある表情を引っ込め、どこか不恰好な笑みを浮かべた。
「…コホン。それから、ジーク伯やモナ男爵も一枚噛んでおりますゆえ、決して私一人の思いつきではございません。そこのところ、難民達にも今からきっちりと説明いたします」
ですから、くれぐれも功績を称えるなどと言って私を王宮に呼び出すことのないように、と謙虚な侯爵は重ねて言った。
つづく




