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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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大捕物

「ミカ、落ち着きましたか。そろそろ門が近くなります。僕はこのままでもいいですが」

 私は縋り付いていた腕をゆるめ、顔を上げた。


 暗闇の向こうに明かりが見え始めた。衛士と見られる人影もある。

 このボロ雑巾を善良な人の目に晒すのは良くないかと、礼拝堂から拝借してきた絨毯をかけて一応は隠してある。だが念のため、礼拝堂から少々遠回りをし、人けのない道を選んで荷車を押して来ていた。


「ありがとう。大分落ち着きました。降ろしてください」

 ザコルがそっと地面に降ろしてくれる。ザコルが片手に下げていたランプが傾き、チャカ…という音が耳に響いた。

 辺りは静まり返っている。

 ザコルがスッと腕を出してくれたので、エスコートされる要領で手を回した。

「切り替えなきゃ。関係の無い人達を心配させるわけにはいかないですよね」


 町に私を尾け狙う邪教信者が多数潜伏しているかもしれない事。

 災害時に余計な危険を持ち込んでしまった事。

 そんな事を軽々しく町の人や避難民達に知らせるわけにはいかない。

 マージに相談するべきか。それとも黙ってこの町を出るべきか。早めに決めなければ。


「ミカ。サカシータ領に来たら、安心して過ごしてくださいと言いましたよね」

「え? あ、はい。そうですね」

「だから大丈夫です。ここは玄関口とはいえサカシータ領ですから」

「? 何が言いたいんです?」

「他の町ではできない事がここでならできます」


「おおーい」

 守衛のモリヤの声だ。門の方向から駆けてくる。まだかなり距離があったはずなのに、よく私達だと判ったものだ。


「ザコル坊ちゃん、ミカ様。遅かったですねえ、同志村の人達が心配してましたよ」

 モリヤは後方の荷車を見て怪訝な顔をする。

「何だ、大層なもん引いてるじゃあないですか。どうしたんです、このにおい…」

「モリヤ。仕事です」

「…はい。何でございましょう、ザコル様」


 モリヤの口調が僅かに切り替わる。ザコルはクイっと親指で荷車を指す。


「詳細はまだ伏せますが曲者です。水害の二日前から今日まで、領外から町へ入ってきた者は把握していますか」

 モリヤは頷いた。

「ええ。水害の二日前といや、僻地での牧場運営のノウハウを学びたいという事で若者が六人、はるばる王都からこの町に来ております。それから、パズータの住人と同志村の関係者を一旦除くとすれば、水害後の二日目に五人、今日は七人。パズータの要請を受けてモナ側の山麓町とチッカから支援に出張ってきたと自称する人間が町に入っております」

「そうですか。行方は?」

「この門と集会所に分かれて支援に当たっているはずですな」

 一切の澱みなくモリヤが答えていく。彼の頭の中には、ここ数日の人の出入りが全て収まっているらしい。

「タイタ」

「は、何でしょう」

 ザコルの呼びかけに、タイタが荷車の持ち手を下ろしてサッと駆け寄ってくる。

「君はまず一人で同志村へ行って、この荷車を預かってもらう手筈を整えてください。今夜、この町には人を近づけさせないよう、上手に言い含めてくださいね」

「し、しかし」

 タイタは私をちらっと見る。

「安心してください。君とエビーが二人でかかったとしても、このモリヤは倒せません」

 ブワッと風のような圧がモリヤから放たれる。

 驚いて振り返った。

「おや、ミカ様はなかなか鋭い勘をお持ちですなあ。流石は坊ちゃんがお連れになった女性だ」

 穏やかな笑みを湛えてモリヤがこちらを見ていた。

「この近隣にいた曲者は今ここに集結しています。叩けますよ」

 ザコルもまた笑みを湛える。

「魔王降臨…」

「茶化さないでくださいエビー。手伝うんですか、手伝わないんですか」

「そりゃ」

「お、俺は手伝います! いえ、手伝わせてください! 同志村に行って話して、後は何をすればよろしいでしょうか!」

 エビーではなく、まずはタイタが勢いよく言った。

「君はまずはここへ戻って来てください。モリヤ、門の方は何人です」

「今日来た七人はまだ全員門の近辺におります。男ばかりでしたからな。疲れ果てた山の民や町の男に代わってよく働いてくれました」

「それはそれは。演技とはいえ力になってくれた方々に無体を働くのは申し訳ないですね」

「支援に来たという割に避難民用の食事にありついておりましたので、もてなしは充分でございましょう」


 支援の基本は自活。パズータや同志村から来た者は基本的に自分の食料は持参しているらしい。

 ちなみに私達はザコル以外避難民扱いです。はい。


「それなら遠慮は要りませんね。ではエビー」

「何でしょうか魔王殿」

「君は集会所に行って、場を仕切っている町の女性に根回しをお願いします」

「了解す。何を伝えますか」

「集会所の方は五人ですか。まずは領外から来た者達がどこで寝ているかを聞いてください。昨日からいてきちんと働いているのなら今夜は休息を勧められているでしょう。同志村やパズータの者達がいるなら巻き込まれないよう、さりげなく誘導しろと伝えてください」

「分かりました。そいつらの見張りもしますよね。 逃げようとしたり、変なことしようとしたらヤッちゃっていいんすか?」

「もちろんです。やるなら一人も逃さぬよう。ああでも、後で話せる程度には形をとどめておいてくださいね。騒ぎそうなら余計な事を喋らないよう処置もお願いします」

「ほーい」

 エビーが拳をパシっと叩いてニヤつく。


「はいはいはい、私は何をしますか!」

 私も手を挙げて存在を主張する。

「ミカは…」

「何でしょう!」

「僕と喧嘩をしてください」

「ほえ?」

 変な声が出た、喧嘩ならさっきもしたような。

「ミカは呆けた顔も愛らしいですね。頬を揉んでもいいですか?」

「ちょっ、やめ…! やうぇんくぁ! ぶふう! 何するんです!」

「とまあ、そういう感じで。僕と喧嘩して飛び出してください」

「はえ…?」


 ぐふっ、とモリヤが笑いを噛み殺し、タイタも何故か口元を押さえて震え始めた。

「非常時にいちゃついてじゃねえぞおこのバカップルどもがあ」

 エビーの投げやりなツッコミが更けた夜空に溶けていった。


 ◇ ◇ ◇


 作戦はこうだ。


 タイタが戻ってきたら、ザコルと私が門の辺りで言い合いをする。理由は、私が勝手にタイタと二人だけで行動したから。

 ザコルが頭を冷やすと言ってその場を離れた隙に、私は荷馬車の方へと走る。今日の最後便となる出発間際の荷馬車に乗り込み、御者は何故か私に気づかずに出発するのだ。

 同志村から派遣された御者には、モリヤが代わるから今日は早めに休めと声をかける手筈になっている。


「ええー、うまくいくのかなあ。私、演技なんてした事ないんですけど」

「そうでしたか? 第二王子殿下は見事に騙せていたじゃないですか」

「騙したとは人聞きの悪い。丁重に応対して差し上げただけですよ」

「…あなたは、敵とみなした者には容赦ないですよね。まあ、ミカが囮となって町の外に飛び出すまでは僕の考えですが、茶番の台本はエビーが考えたものなので。なるべく成功することを祈っています」


 門から離れた暗がりでコソコソ話す。荷馬車も一旦茂みに隠した。エビーは集会所へ、タイタは同志村へ交渉に向かった。

 ちなみに、エビーは私が持っていた便箋と鉛筆を使い、ランプの灯りを頼りに即興で台本を作ってから集会所に向かって行った。絶対使ってくださいよ、と言い残して。


 同志村は町の外、門から見て右の方角に設営されている。

 同じ方角には大きな放牧場と果樹園があり、隣接した農作業用の井戸は同市村の面々も使用していいことになっている。

 下流へ行く馬車はその反対、門から見て左の方角へ延びた道を通る。私を乗せた荷馬車に教徒を引きつけ、町や同志村からなるべく離れた場所で捕物をするのだ。


「それなら、無関係な人を巻き込まずに済みますね。余計なことを知らせずにも済みますし…」

「今回、本当の意味で『巻き込まない』配慮をするのは同志村やパズータの民だけですよ。サカシータ領の人間ならば心配ありません。余計な詮索など一切せずこの捕物に協力してくれるでしょうから。もちろん下流の町の民もです。誰が何故狙われたのか、いちいち知らせる必要はありません」

 まさか、サカシータ領の人は全員忍なのだろうか。それなら納得だが。

「シノビについて教えを請えるのは一握りだけです。ここに住まう者は、退役した兵士や兼業兵士、その家族が多いのです。特にシータイと下流の町は領境の関所町でもありますから。荒事に長けた者もそれなり配置されています。モリヤもそうです」

 はは、とモリヤが朗らかな笑い声を上げる。

「このモリヤ、どなたがどうして狙われたのかなど全く見当もつきませんなあ。客人の七人が全員、ミカ様の貴重な初舞台を拝めるようご助力するのみです」


 モリヤは私が狙われている事は絶対に理解している。私自身が囮になろうというのだから当然だ。

 そもそも、私は少数の護衛のみを連れて辺境まで旅してきた貴族縁者という、怪しさ満点の立場だった。町の人達も既に察しているのかもしれない。


「察する事があったとしても、憶測の域を出なければ真実にはならないのです。しかし同志村の人間はまだ、ミカがここにいる経緯については建前ですら知らないはず。この領へはせいぜい僕の実家に挨拶に来たくらいに思っているでしょう。それならばこれ以上悟らせない方がお互いに…」

「待って。じ…実家に挨拶?」

 ザコルの言葉に引っかかりを感じて思わず話を遮る。

「…ミカはたまに察しが悪くなりますよね。要するに、僕達は彼らにとって、おしかぷ? だとかいう存在なのでしょう。勝手に盛り上がって勘違いをしていそうなものですが、違うのですか?」

 ザコルから推しカプとかいう言葉が聴けるなんて。いや、それよりも…


「も、も、もう婚約か結婚間近だとでも思われてる…!?」


 深刻な問題が浮上した。猟犬ファンの集いにかかれば噂が一気に全国へと拡散してしまう!

「おや、真実そうではないのですか? 勝手にそう考えている町の者も多いですよ。憶測の域は出ませんがね、はっは」

「モリヤさんまで!! 捕物に集中できなくなっちゃう…! どうするの、なぜなの、次からどんな顔して皆に会えばいいの!?」

「あくまで皆の憶測ですよ、ミカ」

 ザコルがニヤリと意味深に笑う。

「何今の顔! 初めて見る顔ですよそれ!」

「坊ちゃんも悪い顔ができるようになりましたなあ」

 はっは、とモリヤが再び和やかに笑う。


「人聞きの悪い事を。僕はあくまでセオドア様の指示に従ってミカをここまで連れてきたのに過ぎません。わざわざ深緑色の飾りや服を買ったのはミカですしね。勘違いしてくれと言わんばかりの格好ですが、まあ、僕のせいじゃありませんし」

「そうですけど! そうですけど! 買う時にツッコんでくれてもいいでしょう!?」

「ツッコみましたよ。周りに何を言われても知りませんよとね」

「……そうだけどおー!!」


 同じ色をまとって実家にお邪魔なんてしたら進退が極まる、そう自分でも解っていたはずなのに、どうして同じ色の服なんて買って着たまま堂々と入領したりしたんだろう。

 …ああ、そうだ、ザコルが不審者扱いされるのに耐えられなくなったからだ。それは致し方ない。

 あとは何かヤケクソになっていたような…。魔力過多怖い。今思うと全然冷静じゃなかった。


 そういえば、ザコルと再会した朝、町長屋敷で当然のように同じ部屋に通され、それをマージですらも咎めなかった事にも違和感を覚えるべきだったかもしれない。ただ他に部屋が無いだけだと思っていたが、あれが他にも意図を含んでいたとすれば…。


「ようやく気付きましたか。ミカは本当に変な所で鈍いですよね。そもそも僕にミカと呼び捨てにさせているのもミカですから。僕は本当に何も…」

「ザコルなんて知らない! もう荷馬車に乗ってやる!」

「まだ早い」

 走りだそうとして、ガシッと腕を掴まれてつんのめった。



「落ち着きましたか」

「ううー。もう、仕方ない、割り切るしかない。切り替えていこう。おー」

 私はザコルに腹を抱えられて拘束されたまま、力なく拳を上げた。すりすりと髪に頬を押し付けられる。やめれ。

「若いとはいいですなあ」

「もう若いという歳でもないですけれどね」

 微笑ましく笑うモリヤに、困ったように答えるザコル。お爺ちゃんと孫みたいだ。実際、それに近い関係なのかもしれない。 


「そういえば、話は変わりますけど、ザコル」

「何です、ミカ」

「タイタに、同志達を上手く言い含めろみたいな事を言ってましたが、大丈夫なんですか」

「何がです」

「ですから、タイタにあの指示の仕方で良かったのかと…」

「そもそも自分で伝えると言っていましたし、特に彼から質問も無かったでしょう。何を心配しているのです」

「その辺りもザコルの計算の内ならいいんですが。まあ今更ですし、同志達なら悪いようにはしないはずですよね…」

「だから何なんです」

「エビーと違って、タイタはかなり具体的に指示しないと…」


 こちらに駆け寄る足音が聞こえ、口を閉じる。

「ミカ殿、ザコル殿」

「タイちゃんおかえり。上手く伝えられた?」

「はい! ザコル殿のお力になれると聞いて喜んでおりました! これからの時間、危険があるのでこちらに近づかないようにとも伝えました!」

「そっかそっか。ストレートにお願いしたんだね」

「ミカ殿が狙われている事は話していません。あくまでザコル殿の敵だと伝えましたから」

「タイタ、ありがとうございます。この捕物が終わったら、今度こそ直接礼を伝えたいのですが」

「隠れはするかもしれませんが喜ぶはずです! ああ、俺も楽しみです。これから、あなた様が直接戦われるかと思うと…!」

 ツッコむべきかなと思いつつ、もう手遅れだろうなとも思い、私はこれ以上の追求をやめた。



 さあ、茶番の時間だ。

 モリヤは先に荷馬車への積み込みや御者の交代を指示しに行った。上手いこと七人の曲者だけを荷馬車近くに集めてくれる予定だ。


「ミカ、最後はあなた頼みなので。よろしくお願いします」

「頑張りましょうミカ殿!」

 振り向けば、根が大真面目で人心に疎い狂気が二人。

「…あの、茶番って本当に必要ですか? 今更ですが、私が泣き真似でもしながら荷馬車に飛び乗るだけで充分なんじゃ…」


 戦闘が絡むとなれば、私はほぼほぼ素人だ。余計な口出しはすまいと思っていたが、急に不安になってきた。

 ザコルって、もともと単独行動してる事が多いんじゃなかったっけ。果たしてこんなに回りくどい作戦を集団で実行した事はあるのだろうか。


 ザコルは紙切れを懐から取り出した。

「不安なら、念のためエビーに渡されたメモを通しで読み上げてみましょう。…ミカ、あなたはまた人をタラシ込んで。えー、僕以外の男と二人きりで歩くなどどういうつもりなんですかー」

 台本片手な上に棒読みだ。

「えー、ザコル殿! あなたにはもうミカ殿を任せられません! これからは俺がお護りします!」

 タイタはタイタで、暗記は完璧なようだが、修羅場を演じているはずなのにすごく元気だし笑顔だ。

「お前にこそミカを任せられるものかー」

 棒読みザコルがこっちを見る。私のターンだ。

「えー…と、私のために争わないで。ザコル、信じてくれないなんてひどい…」

「ミカ、あなたこそ酷い人だ。僕の純情を踏みにじって…? 何だこの台詞は」

「ブフッ…! 純情……!」

「俺こそがミカ殿、いや、ミカの隣にふさわしい! 向こうへ行きましょう!」

 タイタがあの夕日に向かって走ろう! みたいなノリで私の肩をガシッと抱く。部活か。

「……あまり調子に乗るなよタイタ。その手を離せ」

 あれ? この殺気、まさか本気か?

「……ッ! この凄まじい殺気!! この身に浴びられるなんてッ」

 あれ? 喜んでる?

「…あ、私の番か。えーとザコル、しばらく一人にしてください。離れて頭を冷やしたいので」

「なんだと? 僕がそんな言葉ひとつでミカの側を離れるとでも思っているのか?」

「ちょっと、そこは『僕も頭を冷やして来ます』でしょ。セリフが違うんですけど?」

 何故かタイタがうんうんと頷く。

「確かに、ザコル殿がこの程度のやりとりで任務を放棄するなどとは思えません。解釈違いですね」

「解釈違いという斬新なコメント」

 二人とも演技する気があるんだろうか。


「やめやめやめ。この流れ、どうしたってザコルを振りきれないですよ。それこそ心神喪失でもさせない限り」

「ま、また蹂躙する気ですか。僕が戦えなくなるでしょうが!」

 ザコルが後ずさって身構える。

 私は目を眇めた。

「でしょうね。詰みました。なので、茶番はナシです。経緯は無視で私は荷馬車に乗ります。タイタは時間差で焦った感じで走ってきて、一緒に乗って。護衛が一人も追ってきていないのは流石に不自然だから。いいですか、ザコルは演技には加わらず気配を消していてください。先回りの準備だけしてて」

「今、せっかく台詞を覚えたのに」

 棒読みだったくせに文句を言わないでほしい。


 何だか、前にもこんなような事あった気がするな…。

 そうだ、私が初めてドレスを着せてもらって、ザコルが柄にもなく美辞麗句をスラスラ言った時だ。あの時の原稿はホノルが用意したらしいが、この様子ではかなり練習し…いや、練習させられたのだろう。


「魔王は魔王キャラだけ演じていればいいんです。さっきの悪いニヤリ顔にはときめきました」

「そうですか」

「あっ、ザコル殿が解釈違いなお顔を!」

「うるさいですタイタ」

 タイタが持っていたランプを奪ってザコルの顔を確認しようとしたが、思いっきり背けられて見られなかった。




「もう! ザコルのバカ! 何で解ってくれないの…!」

 エビー監督の用意した台本の最後の台詞だけをわざとらしく口に出し、物資を積み終わって人が遠のいた荷馬車に向かってズンズンと歩いていく。

 私は、誰にも見られずに荷馬車に乗っているつもりでいなければならない。一応形だけ荷馬車の陰に隠れ、周りを確認したフリをして荷馬車の空いたスペースにササッと乗り込む。

 時間差でタイタが追いかけてくる。彼がステップに足をかけたかどうかというギリギリのタイミングで荷馬車は走り出した。


 ズンチャチャズンチャチャ、 ズンチャチャズンチャチャ。

「あっのっひーとのー」

「ミカ殿、その歌は?」

「魔女が独り立ちする時のテーマソング」

 気分は箒に跨っている。


 灯りも無い荷馬車の中で、ダミーの支援物資と共に揺られている。

 貴重な物資に被害が及ぶと勿体無いので、箱の中身はなるべく砂や麦わらを詰めたものにしておくとモリヤは言っていた。この短時間でよく荷物のすり替えまでしてくれたものだ。

 もうしばらく進んだら、モリヤが車輪の様子を見るために馬を停める予定だ。


「ザコルって、戦闘とかサバイバルとか以外のことになるとポンコツだよねえ…」

「むしろスペシャリストゆえにございましょう!」

「ふふ、まあね。スペシャリストはそうでなくっちゃ」

 戦闘やサバイバルに極振りしたからこそのポンコツなら名誉のポンコツだ。

「タイちゃん、元気になったね」

「ミカ殿こそ、お楽しそうです」

「でしょ?」

 暗闇で表情までは見えないが、タイタと笑い合う。


「人生でこんな状況に陥る事ある? 邪教に狙われたり、囮になって荷馬車に乗り込んだり。こんなの、楽しまなきゃ損だよ」

「そう言える強さをお持ちの淑女はなかなかおられないでしょう。ですが、ミカ殿の言う通りだ。やはり俺の視野が狭かったので…」

「ううん、タイタの言うことも正しいよ。大体、こうして気楽でいられるのも、信じられる護衛が側にいてくれるからこそだからね。頼りにしてるよ! さあ、そろそろかな。パーティの始まりだよっ」

 軋んだ音を立てて荷馬車が停まる。私は立ち上がった。

「いえ、ミカ殿は荷馬車から降りず奥の方に隠れていてください。こればかりはザコル殿にキツく言われておりますので」

「えええー!! 私も戦ってるとこ見たいのにー!!」


 ゴネてはみたもののタイタに窘められ、渋々荷物の間に挟まって身を隠す。短刀は一応手に持った。

 タイタは荷馬車の幕をほんの少しだけ開けて外を伺っている。隙間から細く月明かりが差し込んでくる。


「来ました。一、二……六、七。ぴったり七人です。どこに馬を隠していたのか…」

「すごいね、本当に七人全員曲者だったんだ」

 私にも場の空気の変化が分かる。馬の蹄の音も近づいてきた。

 ザコルもどこかで気配を断って潜んでいる事だろう。何しろ彼は馬車よりも早く走れる。


「俺はこの入り口を死守します。モリヤ殿の実力が確かなら一瞬で事は終わるかもしれませんが、万が一があるといけませんので」

「怪我したら治してあげるね」

「えっ」


 タイタがこちらを振り向いたのと同時に、荷馬車の外で馬が停まり、何人かに取り囲まれる気配がした。

 罵声と金属音が聴こえる。剣を交えているのはモリヤのようだ。


 タイタが実況してくれなくなったので、私は荷馬車の幕に近寄って外を覗き見る。

「タイタ。反省文、もう一度書く? 今度こそ厳重に保管して家宝にするけど」

「…………お、おやめください!」

 タイタが思考の海から戻ってきた。やはりタイタの反省文は役に立つ。


 モリヤが剣を振るうと、曲者の一人が手に持った剣ごと呆気なく吹き飛ばされる。

 モリヤだけでも七人全員倒せてしまうのではないだろうか。少なくとも曲者達とは比べ物にならないくらいには強い。小さな町の守衛レベルでこうなら、サカシータ領の現主戦力は一体どうなっているんだろう。

「サカシータ領、半端ないって」

「テイラー第一騎士団のボストン団長並みかそれ以上の剛腕ですね。お歳を考えれば、現役時代はいかほどの腕だった事か…」

 タイタが武者震いをする。


 温厚そうな老爺の思わぬ反撃に動揺したか、残りの六人がもと来た道を逃げ戻ろうとしている。

 その道の先、月明かりに照らされて深緑のマントが翻るのが見えた。


 僅かな手の動きとともに放たれた暗器によって、森に逃げ込もうとした数人が一度に倒れる。

 正面に迫った者は素手で絡め取られ、その刹那、投げ技によって地面に叩き付けられた。

 投げた方は叩き付けた勢いで体を伏せ、横に迫った者達の攻撃を避けつつ脚で円を描くようにくるりと回る。

 足を払われた者達の首や腹に軽くタッチしたかと思うと、人影がまるで砂山のように崩れて地面へと沈んだ。

 一歩遅れて、カラン、カラン、と剣の倒れる音がする。

 残ったのは微かな呻き声、馬達の落ち着かない足踏み、風の音。


 人間の山の中でザコルが何事も無かったかのように首を上げ、背筋を伸ばす。

 マントが風になびいて大きく広がった。


「か……」

「か……」

『かああああぁぁ…っこいいいいいいい!!』


 タイタと同時に叫んでしまった。

「生きてて……良かった…ッ!! ぐふうう…っ」

「そうだねそうだね滅茶苦茶感動したあ…っ!! ぶええ…っ」


 二人で涙を流しながら手を取り合っていたら、幕をシャッと開けられた。

「随分と仲がいいようですねえ…ミカ、タイタ」

 月明かりに浮かぶ恐ろしげな魔王の笑顔。

「猟犬殿おぉぁ!!」

「魔王様あぁぁ!!」

 私とタイタが同時に荷馬車を飛び出てザコルに抱きついた。

「好きいいい」

「抱いてくださいいい」

「だ、抱い…!? 何で僕がタイタを抱かなきゃならないんだ! 鬱陶しい! 泣くな! 離れろ!」


 嫌がるザコルに必死でしがみついていると、ザコルがピタッと動きを止めた。

「何だ…? この七人以外にもいるのか?」

「どうしました?」

「僕が感知できるギリギリの距離から強い視線を感じます。それも複数」

 じり、ザコルが殺気と私とタイタを体にまとわせながら、腰のベルトへと手を伸ばす。

「ああー…。それ、多分敵じゃないですよ」

「? 何故ミカにそれが判るんです」

「だって、ザコルの戦闘シーンなんて滅多に見られないもの、多少の危険を侵したとしても見に来ますよね。ファンなら」


「………………」

 ザコルが無言で私からタイタに目線を移した。


「も、もしかして、お、お、俺のせいでしょうか…? 伝え方が間違っていたんでしょうか。ど、ど、どうしましょう、同志達にミカ殿が囮になっている事がバレて…!?」

「ううん。これはタイタのせいばかりじゃないよ。その場で気づいて指摘できなかったのも悪いかな。まあ、彼らが知りたがるようなら、納得いくように話すしかないね」


「………………」

「暗いからよく分かんないけど、苦々しい顔してますね〜」

「頬を…つつかないでください…それから二人とも離れてください」


 スタスタとモリヤが近づいてくる。

「坊ちゃん。ひとまずは片付けて戻りましょう。モリヤも一緒に考えますから。ね?」

 モリヤがザコルの肩をポンポンと叩いた。


 ◇ ◇ ◇


 そりゃね、ザコルを狙った敵が現れた、今日これから危険があるからこっちに近づくな、と言われたら、これから戦闘があるんだなって判るよね。


「でも、戦闘の邪魔にならないギリギリの距離までしか近づいてこない辺り、彼らなりの気遣いも感じられますね。ザコルセンサーの感度が良すぎたから彼らもバレてしまっただけですよ」

「もはやベテラン暗殺者並みの間合いの取り方じゃねえすか? 流石は魔王配下っすね」

 集会所の根回し、というか曲者の捕縛までもが済んでこちらに合流したエビーが呑気な声で言う。


 あの捕物の後、私達は荷馬車の中身を整理して、ザコルの鎮静剤によって眠らされた曲者達を積んだ。

 馬車に積んでいた箱の中身はほとんどが砂袋と麦わらなので、捨てられるものは道に捨てる。箱は普段林檎を出荷するための木箱だ。床に敷き詰めると大きな寝台のようになった。箱を汚さないように麦わらを敷き、その上に曲者達を並べる。

 箱と曲者七人で荷台がいっぱいになってしまったので、モリヤには先に言ってくれるよう頼み、私達はランプ片手に徒歩で戻っている。町からそれなりに離れたが、歩けない距離ではない。もうひと踏ん張りだ。


 エビーが集会所へ行き、町のリーダー格の女性に声をかけると領外から入って来たという五人の居場所はすぐに判ったそうだ。些細な振る舞いや言動から町民達には既に怪しまれており、それとなく監視までされていたらしい。

 男性二人、女性三人で構成されたグループは、呑気に寝こけている所をエビーと女性達によって呆気なく捕縛された。


「俺が…俺がもう少し質問なり相談なりしていれば…」

 頭を抱えるタイタの肩をザコルが叩く。

「タイタ、これは僕の責任ですよ」

「何言ってんすか。連帯責任すよお」

 エビーがザコルの頬をつつく。

 反省している時のザコルは、こうしたおふざけを黙って受け止める傾向にある。

「そうだよ。タイタへの伝え方に工夫がいるのは解っていた事だし。ね、エビー」

「そうそう。俺も気付けなかったんで。こうなったら全力で隠蔽工作するしかないっすよ」

 エビーがいつもの軽い調子のまま言う。

「そうだね。まあ、大丈夫じゃない? 何とかなるでしょ」

「ミカもエビーもお気楽ですね…」

 ザコルのどんよりした声が斜め上から落ちてくる。どんよりしつつも、夜道で私がつまづかないよう私の手を取って歩いてくれている。女性の扱いに慣れてきたようだ。


「私に気楽でいろって言ったのはザコルでしょ。別に、私の出自そのものがバレたわけじゃないんだし。私が狙われている、という事実だけ黙っていて貰えばいいんです。きっと解ってくれますよ」

「ミカ、僕を罵ってくれませんか」

「何て? ののし…? え、えーと、えーと…この、唐変木?」

「もっと」

「うーんと、朴念仁!」

「もっと」

「変態魔王!」

「もっと」

「エ、エロ犬…」

「もっと」

「……ま、真面目くん…? これ、何の意味があるんですか?」

「うちの姫に意味不明なことさせねえでくれます? また新しい扉開いてんじゃねーですよ」

 エビーが呆れたようにツッコむ。

「僕は単に優しくされたくない気分なだけで…」

 しょげしょげするザコルの手の甲をなでなでする。

「はいはいはい、反省会終わり。ザコルはかっこよかったからいーの! ね、タイタ」

 話を振ると、頭を抱えていたタイタが羽を広げるように背筋を伸ばした。多分キラッキラの顔だ。暗くてよく見えないけど。

「か…っこよかったです……!! 俺、今日まで生きてきて本当に良かった…もう一度この目で見られるなんて。ミカ殿、もしや敢えて一緒に荷馬車に乗るようと指示してくださいましたか」

「もちろんだよ。特等席に一人なんて寂しすぎるでしょ。タイタはザコル推し仲間なんだから。…でもそっか『もう一度』なのかあ。タイタは前にザコルの実戦を見た事あるんだ。そりゃ同僚だもんね。いいなあ」

 同僚なのズルい。私も同僚になりたい。

「あ……。いえ、あの…実は…ずっと前に…」

 ごにょごにょと、タイタが言葉に詰まってしまった。


「……やはり、そうですよね。その鮮やかな赤毛と緑眼。僕の記憶がおかしいのかと思っていました」

 代わりにザコルが話を繋ぐ。


「ま、まさか、俺を覚えていらっしゃるのですか!?」

「当たり前でしょう。君は、コメリ子爵の令息ですよね?」

「えっ、え? 子爵? タイタって貴族なの?」


 いいとこの坊ちゃんだったとはエビーに聞いていた。だが、裕福な商家だとか、勝手に貴族以外だろうと思い込んでいたのだ。テイラー伯爵家は貴族出身者を滅多に雇わないと聞いていたから。


「い、いえ、もう爵位はありません。八年前に…その…」

「コメリ子爵家は、僕が粛清に関わった貴族家の一つです。実際に王都の邸へ乗り込んだ事があります。そうですね、タイタ」

「え、えええええ!?」

 驚いてタイタの顔を見ようとするが、相変わらず暗くてよく見えない。

 タイタは俯いているようだった。

「そ、その通りです……。父が、邸に他の貴族達を招いて話し合いをしている最中、ザコル殿が一斉捕縛のために乗り込んで来られました。俺は十五歳で、父に後学のため話し合いを見学しろと言われ、部屋の隅に立ってそれを見ていた」

 ぽつ、ぽつ、とタイタが自分の事を話し出した。


 ◇ ◇ ◇


 タイタはかつて、領地を持たない『中央貴族』として王宮に勤めるコメリ子爵の一人息子だった。


 八年前、コメリ子爵は当時横領で粛清された高位貴族の派閥に属しており、賄賂の仲介などに関わっていたために巻き込まれる形で爵位を失った。

 トップの高位貴族が捕らえられた直後、派閥貴族が王都のコメリ子爵邸に集まっているという情報を得た暗部は、ザコルを差し向けた。


「今日のような、月の明るい夜でした。窓際にいた俺は、一人で堂々と正面玄関に向かう、マントを着けた人物を外に見ていました。遅れて来た父の客だろうと思っていたんです」


 タイタの証言通り、ザコルは正面玄関から堂々と邸に押し入り、向かってくる護衛や使用人を無力化しながら真っ直ぐ二階の応接間へと向かったそうだ。


「一人? 一人で? まさか単独で突入したんすか? 八年前っつったら、ザコル殿だってまだ十代すよね」

 エビーはタイタの出自については知っていたようだが、当時の話を聴くのは初めてらしい。

 今ザコルは二十六歳のはずなので、八年前なら十八歳だろう。そうか、十八か。十八……

 …………………………。

 ダメだ、十代のザコルを想像すると思考が脱線する。我ながら重症だな…。


「当時、周囲との衝突の多かった僕は浮いていましたから、基本的に単独行動でした」

 複数の貴族が集まっているとなれば、護衛や従者の数もそれ相応だったはず。

 その中に十代の若者一人を放り込んだ。無謀というよりはイジメか何かではないか。


「使用人の一人が報せに来て、追って廊下が騒がしくなり、やがてそれも収まり、そして、扉をノックする音が鳴りました。失礼します、とザコル殿がお一人で部屋に入って来られた事、今も昨日の事のように思い出せます」


「恐怖すね…」

 エビーが本音か揶揄いか分からない呟きを漏らす。

 タイタは神妙に頷いた。


「そう、まさに恐怖だった。実際、父を始めとした貴族の大人達は皆、近づいてくる刺客に怯え切っていました。廊下に通じる扉の周りは護衛達が抜剣して囲んでいましたが、扉を開けたのは地味な格好の若者が一人。あの瞬間だけは皆、拍子抜けもしていました」


「フン、あの場に集まった貴族達の無駄に派手派手しい格好よりはマシでしょう」

「ええ、それはもちろんですとも」

 鼻を鳴らすザコルに、タイタは再び頷いてみせる。

「ねえ、ザコルは十代の頃からあのダボついた服を着てたんですか?」

「…僕の服装なんてどうでもいいじゃないですか」

 結局地味とか言われたのを気にしているのか。だったら派手な格好でもすればいいのに。

「少なくともその深緑色のマントはお着けになられていましたよ。今よりも華奢で、全体的に黒っぽい格好だったと記憶しています」

 私の空気を読まない質問にもタイタは優しく答えてくれる。


 そんな地味なザコルは、剣を構えた護衛達を次々と倒し、当該の貴族達もあっという間に捕縛したという。


「うまく説明できないのが残念でなりません。当時の俺には、ザコル殿の動きがほとんど目で追えなかったのです。ずっと部屋の隅で立ち尽くしていました」

「赤毛の若いのがいるなとは思っていましたが、こちらに向かってきたり逃げたりする様子は一切見られなかった。潔いと思っていましたよ」

「俺は動けなかっただけです。それに父が、当時宰相だったホムセン侯爵に逆らえず悪事に手を染めていることは解っていましたから、いつか裁かれる日が来るとも思っていたんです。助けもせず、薄情な息子でした」

 タイタは自嘲気味に言った。


「タイタ、君は、家を潰した僕を恨んでいないんですか。どうしてファンなどと言ってくれるんです。もしやコメリ家の…と思い始めてからは、ずっと疑問に思っていました」

「ザコル殿こそ、俺を不審に思っておりませんか。罪を犯した者の息子ですよ。信用していただけなくても無理はないと…」

 ああ、そうか、だからザコルはタイタの気持ちを疑っていたし、タイタは自分に信用がない前提で話をしていたんだ。


「前にも言いましたが、君は主家とミカに認められているんです。それに、君は君だ。親の過去など関係ない」

「……そう言っていただけることの、なんとありがたいことか。俺は、あの日からずっとあなた様を目標に生きてきたのですよ、ザコル殿」

 タイタはそう言って、俯かせていた頭を上げた。




 父であるコメリ子爵はザコルによって捕らえられた。

 その捕物の一部始終を見ていた十五歳のタイタは、うだつの上がらない父親が捕まった事よりも、自分より少し歳上なだけの若者がたった一人で国のために戦っている事に衝撃を受けた。


「あの時、不謹慎だと思いつつも、胸が躍ってしまったんです。遅かれ早かれコメリ子爵家はダメになっていたでしょう。継嗣がこの俺だったんですから。そんな未来の無い、つまらない家に縛られるしかなかった俺にとって、あの大人数を何でもないような顔で相手取り、ただただ正義のために闘うあなた様は眩しかった。俺が目指すべきはこの人だと思ったんだ」


 父が犯した罪によって、コメリ家は極刑こそ免れたものの、財産没収、爵位剥奪処分となった。平民となったタイタは国の特殊部隊、すなわち暗部の門戸を叩いた。しかし門前払いを受けたという。


「門の前で、帽子を目深に被った小柄な人物に『お前の図体と赤毛は目立つ。気性も向いていない。真面目野郎はもうたくさんだ』と言われて追い返されました。確かに、この髪と目はコメリ家特有の色です。当時は何も考えていませんでしたが、爵位を失った元貴族家の者が歓迎されるわけがなかったのですよね…」


「……それ、コマさんじゃない?」

 その言いよう、絶対にコマだ。真面目野郎とはきっとザコルの事だろう。

「コマ殿、ですか。なぜミカ殿はその方だと」

「ジーク領でお世話になったんだよ。同じように目深にほっかむり被った小柄な人で、毒舌で…」

「あり得ますね。タイタ、その人物は恐らく純粋に君自身が暗部に向いていないと言いたかっただけだと思いますよ。コマは僕と顔を合わせる度にお貴族様だ何だと突っかかってくるような奴ですが、身内の前科なんかを気にするような奴ではありません。それに暗部には自身が前科持ちの者だっていますしね」

「そ、そうなのですか…?」

「きっとそうだよ、門をくぐらせなかったのはコマさんなりのお節介だったと思うよ」

 どうやらイジメもあったようだし、真面目で純粋な若者を入れるのは気が進まなかったのかもしれない。

「コマには感謝しないといけませんね。僕に感謝なんかされたらまた嫌がるでしょうが。タイタを巻き込まずに済んで良かったです」

 今、暗部は混乱の最中にある。もしタイタが所属していたら今頃どうなっていたことか。


「……それで俺は、暗部に断られ、王宮騎士団や王都警邏隊にも当然断られ、その後はあちこちの貴族屋敷の門を叩いて回りました。俺には剣くらいしか能が無かったですし、どうしても誰かのために剣を振るいたかった。それに、全てを失って呆けていた両親も養わなくてはならなかった。唯一門を通してくださったのがテイラー伯爵家だったのです」


 セオドアは王都の屋敷を突然訪ねたタイタの実直な人柄と剣の実力を評価し、領地の邸を守る騎士団の新人として迎えたという。


「セオドア様は俺だけでなく、両親も共にテイラー領民として迎えてくださいました。用意して下さった新しい家に移り住んでから、父は近所の養蜂家の方に教えを請うようになりました。最近養蜂家として独立して、セオドア様が新事業として立ち上げた蜂蜜酒の製造にも関わらせてもらっているのですよ。中央貴族なんてしていた時よりも余程いきいきと物作りを楽しんでいます。今の父と、父を支える母は俺の誇りです。ですから俺は、ザコル殿に感謝こそすれ、恨むだなんて事は決してありません」


 タイタはテイラー伯爵家で騎士として鍛錬を積む傍ら、ザコルの事を調べた。同じ子爵令息であった事、深緑の猟犬という二つ名の事、サカシータ一族の事。調べれば調べるほど惹かれていった。

 公爵領での活躍が新聞に載った時には、当時遊び相手にもなっていた幼いオリヴァーと一緒になって大興奮したという。


「オリヴァーの猟犬好きは、もしかしてタイタに影響されてるの?」

「俺が一度深緑の猟犬の話をしたら、何度もせがまれるようになってしまって…。あ、ですが、猟犬ファンの集いを立ち上げると言い出されたのはオリヴァー様です。喜んでお手伝いはしましたが」

 何ということだ。タイタはただの工作員ではなく、真の黒幕だったというのか。


「あの…僕が人間不信なんていう理由で王都を退いた時はどう思ったんですか…」

 ザコルが若干気まずそうな声で質問した。そこ、前にも言っていたが、そんなに気になるところだろうか…。

「もちろん、それまで以上に尊敬いたしました」

「なっ、なぜ!? どうしてそんなに迷いがないんですか!?」

「迷いなどあるはずがありません。むしろ、迷いがないのは、あなた様の方ではないですか」

「いえ、僕は迷ってばかりですが…」

「ご謙遜を。ただ漠然と自分の意思もなく父に従っていた俺にとって、権力や世間に対し、はっきり嫌だと言える強さがどれだけ眩しかったか。元々、周りからどんなに持て囃されようとも、ご自身の身なりや振る舞いを全く曲げなかったあなた様の事です。世情に流されるように褒章を授けた王家に突きつけた言葉が『人間不信』だなんて。なんと痛快なことかとオリヴァー様もおっしゃっておられました。あ、しかし、戦争の旗頭に掲げられるのを回避なさりたかったというご事情も理解しておりますよ。オリヴァー様が物分かりの悪い俺にしっかり説明してくださるのです」

 タイタがにっこりと笑った気がした。


 ザコルは今どんな顔をしているだろう。

 二人の後ろ姿を月が照らす。

「…今、ザコルとタイタを撫でくりまわしたい衝動をグッと我慢している。嫉妬もしている」

「ミカさん、もう少し我慢してください。台無しなんで」

 ザコルから離れてエビーの方に寄ってコソコソ話していたら、ザコルに手を引かれて元の位置に戻された。

「奇行はやめろ。僕はまだ自分の感情が整理できていないんです。タイタ、もう少し待ってください。君に掛けるべき言葉をきちんと考えますから」

「恐れ多い事です。深緑の猟犬殿がこの世に存在しているというだけで俺は前を向けますから。息をしていただくだけで充分なのですよ」

 元コメリ子爵令息、タイタは澱みなくそう告げた。



つづく

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