来る朝⑤ 怖いと思う者は、実は優しいのだ
守衛のモリヤと衛士達に挨拶を済ませ、牛乳や乳製品の出荷が一段落した町民達に挨拶し、避難民が集団で寝泊まりしている空き家や小屋などにも顔を出した後、わたくし達はシータイ中心部にある小さな商店街へと向かっていた。
門やその近辺では王都からの難民達と鉢合わせしないように移動する必要があったが、町の中心部にはまだ難民の立ち入りが許されていない。幾分か気楽に歩くことができた。
「お疲れではありませんか、お嬢様」
変わらず、わたくしをお嬢様と呼ぶハコネに首を振ってみせる。
「雪道には大分慣れてよ。毎日のことで体力もつきましたし。…いずれ、野道をのんびり散歩することもできなくなるのね」
「しようと思えばできる! ただし後で叱られるだけだ!」
サーマルの慰めともつかない言葉に騎士達が吹き出す。
「お嬢、あの近衛モドキがついてた頃だって、何度も勝手に抜け出して俺らと遊んでたじゃないですか」
「近衛モドキとは何だ?」
ばあやが集めて作った第三騎士団は『家柄はそこそこだが近衛としては全く相応しくない』者達だけで構成されたいわば『近衛騎士団モドキ』だった。
「わたくしが十、実年齢では十二になる頃、テイラー伯セオドアは、王妃殿下から娘を王女としていつでも立てるようにしなさいとご命令を受けたそうなのです。わたくしの乳母には王妃殿下のお付きだった魔法士の女性がいました。彼女は、わたくしの家族や邸から離れたくないという気持ちを汲み、敢えてどうしようもない者達ばかり集めて体裁を整えてくれたのですわ」
「どうしようもない者達を…」
「例えば、血筋はそこそこでも、それを笠にきて威張り散らした挙句どこかの団でつまはじきに遭っている者などです」
「威張り散らしてつまはじきに…」
サーマルが目線を泳がせる。自分の立場を重ねたようだ。
「恐らくだけれど、ばあやは侍女達に言ってわたくしの脱走を目こぼしさせていたと思うのよ。今思えば、あのように都合よく抜け出せるわけがないと思う場面もあったわ」
「そっかあ…。やっぱ、ばあや殿はずっと俺らん味方だったんですね」
テイラー家に来て十年、対外的には十歳として祝われた誕生日の夜。わたくしは父母から自分の生い立ちを明かされた。
まだまだ幼かったわたくしにとってその事実は到底受け入れがたく、話もそこそこに部屋を飛び出したことを今も鮮明に覚えている。
家族も、毎年祝っていた誕生日でさえも、何もかもが偽りだった。
その偽りを隠すために囲われた乳母とその子達の顔がよぎる。乳母や乳姉妹の彼らはもはや本当の家族同然なのだと、まるで自分の懐の深さを誇るかのようにのたまっていたことが恥ずかしく、虚しく、最後には申し訳ない気持ちでいっぱいになった。わたくしのために集められたであろう幼馴染達や優秀な『近衛候補』達とも、まともに顔を合わせる自信がなくなってしまった。
散々邸の中を逃げ回り、リネン室へと駆け込んだわたくしは、元乳母で侍女筆頭となっていたばあやに見つかった。わたくしは泣きじゃくり、ばあやが差し出した手を叩くように振り払った。
ばあやの寂しそうな顔に、冷たくしたことをすぐに後悔した。そんなわたくしに優しく微笑んだばあやは、「今からする話は内緒ですよ」と言った。
ばあやは、テイラー家とばあやが、王妃殿下より内々に娘をいずれ王女として立てる準備をするようにと命令を受けたことを明かした。いよいよこの家を追い出されるのだと青ざめたわたくしに、大丈夫、とばあやは力強く言った。
かねてより娘に『選択肢』を与えることにこだわってきた両親がこの命令に憤慨したこと、そして、両親の方針に賛同していたばあやと他の乳母達も同じ気持ちでいるのだと教えてくれた。そして、
「あなた様は生まれはどうあれ、あの夫妻のお子に間違いありません。彼らに向ける愛が偽りでないからこそ、こうして深く傷ついておられるのでしょう。そのあふれる涙こそは愛の証。テイラー一族の愛は重いことで有名なのですよ。国内はもちろん、国外でも聴き及ぶほどには」
と穏やかに笑った。その時、わたくしはばあやがメイヤー公国からこの国へ来たことを思い出した。
ばあやに伴われて部屋に戻ると、父母はわたくしを抱きしめて泣いてくれた。
いつもは完璧な紳士淑女である父母が、子供のわたくしと同じくらい酷い涙顔をしていたのが印象的で、驚いた反面、どうしようもなく嬉しかった。そして父母は、
「大切に育てた娘を軽々しく手放すものか。将来お前が何者になろうとも、私達の愛する娘である事実は決して変わらない。どうか、自分の望む生き方を選択してほしい。必ずテイラー家の総力をもって叶えてみせよう」
と力強く言った。
父母とばあやは、わたくしが落ち着くのを待って、希望をしっかりと聞き出してくれた。
王家が何のつもりで王女を立てるよう命じたかは判らないけれど、駒としてどこかの王族に嫁がされるのも、王位継承戦に加わるのも、愛する家族と引き離されるのも絶対に嫌だとその時ははっきり伝えた。
父は、それまでわたくしに選択肢を与えるため施していた王太子教育を大幅に削り、削った時間で茶会などに参加するように言った。
「王妃殿下には支持集めと説明するけれど、実際は由緒正しいテイラー伯爵家の令嬢として、王位とは無縁の『普通の令嬢』であることを印象付ける作戦さ」
と、いたずらっぽい顔で父が言えば
「うちの娘は賢すぎるわ。そろそろ莫迦のフリも覚えなくてはね。殿方を夢中にさせる令嬢のたしなみの一つよ」
と、艶っぽい笑みをたたえた母が頷いた。
ばあやはその時、例の『近衛騎士団モドキ』を作ってはどうかと父母に提案し、実際に立ち上げた。年齢や実績などは載せず、家名や血統のみを記した名簿だけを王妃殿下宛てに送った。
登城しろなどと言われてもとても王宮にやれるような面子ではないだなんて皮肉が効いている、と父母は満足そうに笑った。王妃様が実態を知ったとて、王女としての体裁を整えるために近衛を作ったのは事実。バレたらバレたで考えましょ、といつもは品行方正なばあやらしくない顔でニヤリと笑った。
わたくしは、この家族のもとで育ったことを頼もしく、そして誇らしく思ったものだった。
「お父様もお母様も、わたくしの意思次第でどちらをも選べるようにしっかりと準備なさってきた。だからこそ、その選択肢を狭めるようなご命令には、不敬を承知で反発してくださった。姉の忘れ形見である娘をテイラー邸で自由に育てたいというのは、王妃殿下と育ての親サーラとの間に交わされた約束の一つでしたから」
王妃エレミリアは、テイラー伯爵家はもとより、セーラとサーラの実家であるシュライバー侯爵家の機嫌を損ねるのは得策でないとでも思ったのか、それ以降、強く命令を下すようなことはなかった。ただ、折につけ、わたくしの教育の進捗や出来などを探る動きはあった。
「…そうか。母上はアメリに期待していたのだな」
サーマルの言葉にハッとする。
「ああ、そんな顔をしないでくれ。羨んでいるわけではないのだ。その気がないうちに期待されても困るだけだろう。それに、私も今は王位につきたいと思えなくなった。生き地獄は嫌なのでな…」
確かに以前ミカは『サモンを躾け直して王位据えてくる』などと言っていたが、何をどうして王位につけるつもりなのだろう。全く荒唐無稽な話だが、何となくミカならばやりかねないように思えるから不思議だ。
「だがアメリならば安心だ! 私より賢くて、兄上よりしっかりしている、気がする!」
「わたくしが継ぐなどとは一言も言っておりませんわよ」
「そうなのか!? ではなぜ」
「微力ながら、血の義務を果たそうと決めただけです。次代を決めるのは陛下ですもの」
なるほど、とサーマルは今の言葉を咀嚼し始めた。どんな発言が不敬や不適切に当たるのか、少しずつだが学習しているようだった。
意外に、周りに恵まれさえすればこの男はいい王になるのでは、とほんの少しだけ思った。
わたくし達は商店街の方でも温かく迎えられた。屋敷にいた従僕見習いがあの第二王子だったと知っても、いきなり暴力を振るうような人はいない。誰もが、ミカ様とザコル様が優しくしてたからね、と困ったように笑うばかりだった。
編み物クラブで世話になった手芸店の店主と話していると、アメリ様ぁー、と遠くから声がし、しばらくして手芸店の中に町民の一人が駆け込んできた。
「えっと、ええと、カリューにいた同…じゃなくて、集いのやつ? が来て」
「落ち着きなよ、何があったんだい」
息せき切って走ってきたものの、未だに混乱しているらしい牧畜家の男性を手芸店の店主が宥める。
「と、とにかく! 偉い人らしいのが来てるって同志達が! アメリ様にお知らせしねえとって」
「偉い人? その方はどちらにいらっしゃるのかしら」
「同志達が集会所の方に案内するっつってました!」
「同志が?」
思わずハコネと顔を見合わせる。
偉い人、というからには身分の高い人間なのだろう。なのに、サカシータの人間ではなく同志が案内をしているとは一体どういうことなのか。
わたくし達は商店街での挨拶を切り上げ、集会所に戻ることにした。
集会所の前には、二人乗りのソリとともに、何頭もの大型犬がつながれていた。よく躾けられているようで、吠えたりもせず大人しくしている。近くの薮に、犬を見に来たらしい幼児二人の姿を見つけた。
「ガット、ミワ、こんなところで何をしている?」
「あっ、サモン! しーっ」
サーマルが呼びかけると、二人は口に人差し指を立ててみせる。
「感心しませんわね、安全なところで待つよう言われなかったかしら?」
「あ、アメリさま…」
二人はぎくりとして縮こまった。…わたくし、そんなに怖いかしら。
「アメリの言う通りだ。あそこには他所の人間が大勢いる。曲者もいるらしいし、お前達でも危ないかもしれないぞ。こちらに来い」
二人は観念したように藪から出てきて、サーマルの側に来た。
「親に行き合うまで、我々で預かりましょう」
ハコネが幼児二人の前にしゃがんで手を二つ差し出す。ガットとミワはおずおずといった様子でその手を握った。
流石は二児の父。子供達の世話を焼くさまが自然だ。
「ねー、ハコネにーさん、ミカさまとドングリせんせーは?」
幼児達は、ミカに倣ってハコネをハコネ兄さんと呼んでいる。
「この町のどこかにはいるぞ。ほら、丁度あちらを歩いている」
「えっ、どこどこ」
「あっ、ホントだ! ミワ、みえたよ!」
門の方角に、見慣れた五人組らしい集団が見える。
「む、なんだ、二人とも町にいたのか…………ん? 何か、色が違うような」
「えー、おんなじいろだよ。ふかみどりのマントとー、ずきんとー、タイさまはあかでー」
「タイさま?」
「かーちゃんたちはね、タイタをタイさまってよんでるよ!」
深緑色の頭巾を被った小柄な人物と、寄り添うように左腕を差し出す深緑マントの人物。その二人の後方を守るように歩く、金髪と赤髪の青年が二人。そして大きな鎚を持った大柄な人物。
赤髪の青年が少しだけ猫背に見える以外は、完璧にあの五人組だった。
「ミカお姉様とその番犬達に間違いないですわ」
「しかし」
「わたくしが間違いないと言ったら間違いないのです」
「…………」
サーマルが口をつぐむ。
「サモン、アメリさまにさからっちゃだめ。ドングリせんせーよりえらいんだよ!」
「ははっ、ザコル殿はしょっちゅう叱られているからな」
「そーだぞ偉くて怖えんだぞー」
ハコネと騎士達がおどける。
「まあっ、わたくし怖くないですわ!」
憤慨してみせれば、少々緊張していたらしいガットとミワも笑った。
「いいか幼児達よ。怖いと思う者は、実は優しいのだ。これは私が最近発見したことだ」
サーマルがいかにも重大なことを発表するかのように語り出した。
幼児二人の興味は引けたようで、ガットとミワはサーマルにキラキラとした目を向ける。
「こわいのにやさしーの?」
「そうだ。叱るとは、かなり疲れることらしい。町長殿やメイド長殿もよくそんな風に言っているので間違いない」
この男、あの二人に何度叱られたのだろう…。
「あの二人は叱るし怖い。だが、叱られた後、そこを直すようにすれば必ず褒めてくれる。つまり、真に叱ってくれる者というのは、実はお前達を褒める時を待っている者なのだ」
「ほめるときをまってる…」
「逆に、叱るばかり怒るばかりで褒めない者は嫌なヤツだ。私のことか……!!」
「殿下しっかり!」
「最近のサモン様は私達を褒めてくださいます!」
自分の言葉にダメージを受けたサーマルに従者二人が駆け寄った。
ギ、集会所の扉がわずかに開き、外を見回す者がいる。
「…あ! ガット、それにミワ!! 何か騒がしいと思ったら…!」
「かーちゃん!」
「ガットのおばちゃんだ」
ガットの母親は急いで駆けてきた。
「アメリ様っ、申し訳ありません!! 子供達が……何やってんだいアンタ達は!! 家にいろって言ったのに! ばーちゃんはどうしたの!」
今日はガットの祖母がガットとミワを預かっていたようだ。
「ねー、かーちゃんもほめるときをまってるの?」
「全く言い訳ばか……え? 何だって?」
「おばちゃんいつもしかってくれるから、ほめるとき、まってるんだよね」
「……ほめるとき?」
かくかくしかじか。
雪に四つん這いになっているサーマルに代わり、ハコネが簡単に経緯を説明する。
「はあ、なるほど…。叱りにくくなったわ」
彼女のその反応に、ハコネが苦笑する。
「親っていうのはね、アンタ達が危ない目に遭ったり、後で困ったりしないように叱るんだよ。もちろん、大人しくして勉強も頑張ってたら褒めてやるさ。なかなかそのチャンスが来なくって困ってるんだ」
むう、とガットが口を尖らせる。
「おれ、べんきょう、がんばってる」
「そうね、文字や鍛錬は最近とっても頑張っていて偉いよ。でもね、危ない真似したら叱らないといけない。アンタ達は、大事な大事な番犬の卵だ。この冬、一人の戦士も欠かすなってイーリア様にも言われたからね。で、ばーちゃんはどうしたの」
「ねちゃったよ。つかれたって」
はああああ、と母親は今度こそ深い溜め息をついた。
つづく




