それぞれの決意② どうか、ご自分の望む生き方をご選択ください
私はマージに頼んで浴室に水を運んでもらい、女神達に入浴を勧めた。
イーリアは恐縮しまくるザラミーアを半ば引きずるようにして浴室へ入って行った。
パタパタ、と階段を降りる足音が聴こえる。
「おい、走んな」
「ああミカ様っ、今お義母様方がいらしたと聞いたのですが!」
「ミリナ様。まだ起きていらしたんですか」
浴室の前まで走ってきたのは、コマを伴ったミリナだった。
「今、やっとイリヤが寝ついたところですの。私は日中休んでいるせいか、夜の寝つきがよくないのです。あ、ミカ様、今日もカクニをありがとうございます。ニクジャガというお料理もとっても美味しくって!」
「落ち着け。メシの感想なんざ今じゃなくていいだろが。それよか姫、その犬が抱えてる袋はなんだ」
コマは、ザコルの脇でモゴモゴジタバタと蠢く麻袋を指差した。
「…ええと、何でしょうかね。ザコル、どうするんですか」
「とりあえず、入浴小屋の方で湯に沈めてこようかと思っています。においますし」
ぴた、と麻袋の動きが止まった。そしてシュンと項垂れるように脱力した。におうと言われたことがショックだったんだろうか。
カズの話では三日三晩寝ずの鬼ごっこを繰り広げていたそうなので、それからも子爵邸に帰ってないとすれば、少々におっても仕方のないことだと思う。
「シュウ兄様、ロット兄様。手伝いをお願いしていいでしょうか」
「もちろん。というかおれ達で引き取ろう」
「ええ、貸しなさい。アンタ達は先に休んでていいわよ」
「そんなわけには」
同じ焦茶色の髪になった四男と六男が、八男から麻袋をぶん取った。
じゃあ私はお湯を温め直そうか、とその後を追おうとすれば、私の隣に並ぶ人があった。
「ホッター殿」
「ハコネ兄さん」
「先にアメリアお嬢様を休ませたい。貴殿から言ってくれるか」
「あー…。彼女からは言い出しにくいですよね」
麻袋の中身は見当がついている。挨拶もなしに休むのは彼女の主義に反するだろう。
「ていうかウチのお嬢はミカさんの言うことしか聞かねえんですよ」
「そーそー」
と補足しにきたのはカッツォ達、お嬢様の幼馴染組だ。
そんなわけあるまい、あのできた子が。とは思いつつ、入浴小屋でさっと湯を沸かし、何となくついてきているミリナと共にアメリアの部屋を訪れた。ちなみにコマはまたいつの間にか姿を消している。
「まだミカお姉様がお休みになっていないのよ、わたくしが先に寝るなど言語道断だわ!」
扉を叩こうとして、中から聴こえてきた声に手を止める。
「ですから、ミカ様とお嬢様では基礎体力が全く」
「お姉様だって今は病み上がりよ!」
「それでもお嬢様よりは体力をお持ちです!」
「そうですわお嬢様、朝から雪上を全力で走り込んだり何十本も弓を打ち込んだりできますか!」
「それは…っ、で、できないけれど! とにかく! お姉様だけに対応をお任せするなんて!」
トントン、私は扉を叩いた。
「アメリア」
「ミカお姉様!」
ぱああ、と顔を輝かせる美少女。まぶしい。
「まあ、わたくしが刺したスカーフを着けてくださっていますの」
「ええ、明日からしばらく仮装大会かもしれませんから」
「明日…。そうでしたわね」
「ええ、明日です。寝不足で挑んでは心残りがあるかもしれません。何しろ何が起きるか判りませんからね。休める時に休んでください。ね?」
「ですが」
「私なら夜更かしに慣れてますから任せてください。カズもそろそろ起きてくるでしょ。あの子は寝過ぎるとむしろマズいみたいですし」
起きている間ずっと身体強化に魔力を割いているらしいカズに、休みすぎると魔力過多となる可能性がある、と指摘したのはシシだ。
アメリアは私の横に立つザコルにちらりと目をやった。
「アメリアお嬢様、我が家の者が礼を失して申し訳ありません。必ず埋め合わせさせますので、今日のところはお休みください。ミカもそろそろ寝かしつけますから」
「え」
「ザコルがそう言うなら仕方ありませんわね。では、早く寝かしつけて差し上げなさい」
「えっ」
「御意に」
ガッ。私はさっきの麻袋のように小脇に抱えられた。
「ちょっ、せめて挨拶を」
ジタバタ。
「要りません。礼を失しているのはあの麻袋の方ですし。母達に兄達、それにナカタもいますから、今度こそ取り逃しはしないでしょう」
「お姉様もカズ様をご信用なさっているのでしょう? それに、明日ですわ。何しろ何が起きるか判りませんものね。休める時に休んでいただきたいのです。ね? お姉様」
「むぐう」
ブーメランで返されるとは。
アメリアは私の後ろにいたミリナにもチラッと視線をやった。
「あ、あーっ、ミカ様やアメリア様がお休みになっていないというのにとても寝られません! あー、困りました! 今日もたくさん歩いて疲れましたのに!」
なんというか棒読みだが、頑張って演技しているミリナが可愛い。
「ずるい、ミリナ様を人質にするなんて」
「自分を人質にするのはミカがよくやる手口でしょう」
ニヤ、とザコルが口角を上げる。魔王か。
「貴殿も姫の一人だからな」
テイラー第二騎士団長も意地悪そうに笑う。
「ていうかウチの姫様は可愛い女子の言うことしか聞かねえんですよ」
「そーそー」
カッツォ達氷姫護衛隊もしてやったりと笑う。
「あー、気になって寝られませんわー」
「ミリナ様、よろしければわたくしの部屋でお過ごしになりませんこと。タイタ、お姉様がご就寝になったと確認できたら教えてちょうだい。わたくし達はその後に寝台に入ります」
『えっ』
「御意に」
タイタがスッと礼をする。
ザコルが真顔になった。エビーも「あちゃあ」という顔をしている。
うちの風紀番長は、私とザコルが毎晩同じ寝台で仲良く寝ていることをまだ知らない。
「タイタ、先に白状してもいいかな」
「? 何をでしょうか」
小脇に抱えられた姿勢のまま、人の好さそうな笑顔を浮かべる赤毛の青年を見上げる。
いや、今は赤毛ではない。彼もロットと同じように、短い髪を焦茶に染められていた。
「安眠法のことで」
「ああ、就寝前に牛乳を飲まれるという? では運んでいただきましょうか」
「そうじゃないの、まあ、牛乳も定番の安眠法ではあるんだけどさ。先に言っておくね、本当に何もないんだよ」
「? 何がでしょうか」
「タイタ」
部屋に入ったザコルは脇の小荷物もとい私を降ろし、一つしかない寝台の布団をめくる。彼は敢えてそこに腰掛けてみせた。
「…た、たまたま、寝ぼけたミカが、僕の手を離してくれず、僕も、この寝台の端で眠ったことが、あったんです」
「ああ、なるほど。過去にそうした『事故』があったことをおっしゃりたいのですね」
事故扱いか。雲行きが怪しくなってきた。
「か、過去、と、言いますか……。その時に、非常によく眠れてしまって」
「ミカ殿が心労から不眠がちであった時のことですね。手の温もりにご安心なさったのでしょう、微笑ましい限りです」
「わっ、私がお願いしたの! 次の日も、できれば……その、添い寝、してほしいって」
「……添い寝」
「ザ、ザコルも、今までになく熟睡できたみたいだったし、お互いメリットしかないじゃんと思って。で、でもね! 魔力のやりとり以上のことは本当に何もないんだよ! 信じてね!?」
ぐるん、風紀番長がエビーの方を見る。
「お前は、知っていたな」
「なっ、何もない、のは本当すよ、たぶん」
「たぶんか。そうだな、同室警護は全て、目に見えない信用の上に成り立つものだ」
「まっ、毎日寝かしつけられてるのはむしろ猟犬殿の方で」
「そうなんだよ! 彼を無力化させて勝手に添い寝してるのは私なんだよ!!」
「むぐう…っ、きょっ、今日は僕が寝かしつける番だ! 早くしないとお嬢様と義姉上が寝られない! ミカ、身支度を!」
「そうだった。あっち向いててください」
くるん、私はザコルを回転させ、服に手をかける。
「わーっ、俺らもいるんすよ! いつも通りに脱ごうとすんなって!」
エビーが慌てて止める。
「…いつも通りに。そうですか、身支度なさる間、退室もなさらないのが『いつも通り』だと」
「わーごめんごめん全部私が面倒くさがったせいだよ!! ザコルも抵抗する気なくしてるだけだから!! いつだってご無体を働いてるのは私の方なんだから!!」
「姐さんは元々荒療治がてらそうしたんだろが! 大体そっちのヘタレが悪いんだぞ! タイさんだって、そのヘタレが何度も拒否るから魔力移譲の検証が全然進まなかったの知ってんだろ。姐さんはなあ、そのクッソヘタレの隙を狙って魔力移譲して、もれなく心神喪失するヘタレを自分のベッドに転がしてやってただけだ! むしろ最終兵器相手に毎日隙つけんのすげーだろ、すげーって言えよう!」
「落ち着けエビー、ミカ殿を問いただすつもりはない。毎日、ですか。といいますか、まだ…」
「まだアレのたびに心神喪失しているのかと問いたいのですね。流石に、最近はしていませんよ。ですが、何となく同じ布団で寝るのは習慣化してしまって…。すみません、本当の本当に何もないのですが、…あの、このことを君に話すと叱られそうで…」
チラ、ザコルが上目遣いでタイタを見る。タイタはビシッと固まった。
ドサ、天井から忍者が降ってきた。
「サゴシ殿」
「…上目遣い禁止でお願いします」
かろうじて心神喪失を免れたタイタはコホン、と咳払いした。
「サゴシ殿もお二人のご様子をご存じだったのですね」
「いや『僕がハメ外さないよう見てろ』とか言われたんで…」
そういえば、いつだったかのぞいていたサゴシに対し、ザコルがそんなことを言っていた気がする。
「俺以外にも町長様に差し向けられた監視がいたはずです。ていうかこの人達、二人きりになっても老後の話とかしかしてませんよ、横になったら即寝落ちだし。むしろのぞき甲斐がないです」
「のぞいてる自覚があって何よりだよ」
今更だが、サゴシがいつ休んでいるのか気になってきた。が、聞いても教えてくれなさそうだなと思い直す。
「黙っててごめんねタイタ」
「いえ、何もないと証言できる者がいるのであれば問題はありません。流石はザコル殿、抜かりない」
「タイタ…すみません、君を蔑ろにしたかったわけではないんです」
「ええ、解っておりますとも。今回、お二人が就寝したのを見届け、それをお嬢様に報告申し上げなければなりません。俺にも入室の許可をいただけますか」
「ええ、もちろんです。君は律儀ですね。エビーは無断で入ってきていましたし、サゴシやマージは僕が言わなくとも勝手にのぞいていたというのに」
タイタがニコリとしてエビーとサゴシを振り返った。くすんだ金髪二人組はびくりと肩を上げた。
「とりあえず着替えるからみんな出て行って。こうなったらありのままを見てもらうしかないですね。私達の寝付きのよさ、見せつけてやりましょう!」
「僕もエビー達の部屋を借りて着替えてきます」
◇ ◇ ◇
その後、俺とタイタは揃ってアメリアの部屋に報告に来ていた。
「…タイタ、どうして涙しているのかしら?」
「も、もはやっ、恋人や婚約者など通り越して長年連れ添ったご夫婦のようで…ッ」
「まさかそんなに睦まじくしていたんですの!?」
「いいえ、むしろ何も無かったのです。何も無いのですが、お二人とも身を寄せ合った瞬間、すぐさま眠りに落ちてしまわれて…ッ、その安らかな寝顔が実に微笑ましく…ッ」
「ちょ、タイさん」
俺は何お嬢相手に添い寝を暴露してんだと突っ込みたかったが、こっちまで墓穴を掘るわけにもいかない。
「…はあ、あの男、最近目の下の隈がすっかりなくなりましたものね。そんな安眠法を得ていただなんて」
ミシ、アメリアの持つ扇子が軋む。
「悔しい…っ、わたくしもミカお姉様と一緒に眠りたいですわ…!」
「お嬢様。伯爵邸に帰ったらお願いしてみては」
侍女ハイナのフォローに、帰れればな、と口をついて出そうになる。今や王都のみならず国中の治安が悪化している中で、非力な伯爵令嬢を連れた旅はリスクが高すぎる。行きだってよくぞここまで無事に辿り着いたもんだと思う。
「アメリア様、私はこれで」
「ミリナ様。夜分にお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます」
「いいえいいえ。少しでもミカ様のために何かできたというのならば本望でございますから。こちらに来て以来、息子ともどもお世話になりすぎておりますし」
ミカはミリナに毎日のようにカクニを届け、ミリナや魔獣達に異変がないかずっと窺っていた。水害直後にも、母子や妊婦のために何度も白湯を届けては顔を見ていた姿を思い出す。面倒見の良さは相変わらずだ。
最近、ミリナも幾分かふっくらとしてきて、退出のカーテシーでもよろめかなくなった。息子のイリヤも随分と屈託なく笑うようになって、時々見せていた不安定な様子も徐々に減っているように思う。
「アメリアお嬢様。例の者達についてはいかがいたしましょう」
例の者達? ハコネの言葉に俺は注意を傾ける。
「それもありましたわね…。お姉様には報せなくて結構よ。トラウマの相手なのでしょう」
「ホッター殿ならば自分で話を聞きたいなどとも言い出しそうですが」
「なんすか、そのトラウマの相手って」
「ああ、元第三の者が町を訪ねてきてな」
「第三とは、テイラーの第三騎士団、という意味でしょうか」
タイタが緩み切った顔を引き締める。
「そうだ。目的はアメリアお嬢様に取りなしていただくことのようだが、何というか、ホッター殿のことを逆恨みしているようでな」
「はあ? なんで逆恨みなんか」
「さあな。大方、自分達がお嬢様の側付きを解雇されたのはホッター殿のせいだとでも思い込んでいるだろう」
「はああ!? 姐さんアイツらのことなんざ最近まで忘れてたぞ!?」
「アイツらの方には恨みを買うようなことをした覚えがあるということだ」
ミカを座敷牢に入れると決めたのは紛れもなく第三騎士団の奴らだ。話に聞く限り『ばあや』だって見張れとは言ったが牢に入れろとは一言も言ってないんだろう。
ただ、俺ら第二騎士団だってなすすべなく牢を見張るしかできなかった。何故かミカ本人は座敷牢を気に入っていたとはいえ、あの待遇への責任は、あの時期テイラー邸にいた全ての使用人と騎士にある。
シュタッ、天井からサゴシが降りてきた。
「聞いてませんよ騎士団長殿」
「お前に言うとすぐにでも処すなどと言いそうだからな」
「当然でしょう。残らず吐かせた後にですけどね」
「向こうは正規の手順を踏んで入領している。特に罪状もない」
「罪状なんて氷姫様への不敬だけで充分です!」
じわ、サゴシから不穏な気が立ち上る。
「サゴシ。その考えは個人的に嫌いではないわ。でも、あれはまだ使えます」
「お嬢様! あんなゴミ何に使えるって」
「ゴミも使いようよ。お姉様もエコ? が大事なのだとおっしゃっていたでしょう」
アメリアはバサッと扇子を広げ、口元を隠す。
「ばあやがわたくしのために集めていたゴミはあの者達だけではないわ。いいように言って集められるだけ集めさせなさい。ちまちまと少しずつ捨てていたのでは効率が悪いでしょう」
にい、とアクアマリンの瞳が細められる。
ゴクリ、誰かが喉を鳴らした。
「お嬢、どうしてばあやがゴミを敢えて集めてたって言い切れるんすか」
「当然、わたくしの意を汲んでのことよ。お父様が集めた者達は、近衛としていささか優秀すぎたのです」
王女の近衛。俺ら第二騎士団の精鋭が秘密裏に呼ばれる名だ。
「そんな、ばあや殿が、俺らを遠ざけた理由ってのは…」
「お父様もわたくしの思いを尊重してくださっていたわ。あのゴミ達を解雇した後も近衛はわたくしに戻されることなく、氷姫護衛隊として再編成してしまわれた。渡り人様につける者が生半可な者であっていいわけがないという理由もあるでしょうが、わたくしに少しでも重圧をかけたくなかったのね」
アメリアが王女として王位継承戦に混ざるつもりがないこと、ばあやもセオドアもその意を汲み、敢えてゴミ…能力的にも年齢的にも将来性のない者ばかりを選んで彼女の周りにつけた。それが第三騎士団だったのだと、アメリアは言っている。
ほう、と扇子の向こうでアメリアが溜め息を漏らす。
「ですが、わたくしも少し思い直しましたのよ。果たして、あの方々に国を任せ続けていいものかと。他ならぬミカお姉様と、お姉様お気に入りの飼い犬をこうも虚仮にされてはね」
「お嬢、それって」
「まだ迷っているの。お姉様に聞いていただこうと思ってここまで来たのだけれど、お姉様があまりに出来たお方なものだから、最初から『近衛』はこのお方にこそ相応しかったのだとさえ思えてきてしまって。…裏では、あの猟犬を懐に入れた者こそが次代の、とも言われていたそうよ。叔父様はもちろん、結局お兄様でさえ彼を手懐けることはできなかった。ふふっ、ある意味で、もう一人のお兄様が一番彼の心を掴んでいるみたいだけれど」
もう一人のお兄様。第二王子サーマルのことだ。確かにザコルがやたらに絆されている。俺もだけど。
「あの猟犬はもはやお姉様のためにしか動かないわ。例えお父様の命でも」
「あの男はあれで玄人ですし、氷姫に仕えるのも半分は主の意向を汲んでのことです」
ハコネがアメリアの言葉を遮るように言った。
「あら、あなたが彼を庇うのね」
ザコルの忠誠心を侮るなとばかりに意見したハコネを、アメリアは咎めるでもなく笑う。
「彼が王宮勤めを避けているのは家の事情です。それ以上の理由なんてない。あいつはそういう男だ」
「それでも、彼の世間に知れた力は無視できなくてよ。何せ一人で一国を更地にできる力なのですもの」
深緑の猟犬、最終兵器、歩く火薬庫、神のいかづち。魔獣や大砲以上の戦闘力を個人で有する、唯一無二の戦士。
さっきも見た無邪気な寝顔からは、とても想像がつかない事実だ。
「彼は、いや、あの二人はどこまでもお嬢様の味方をするでしょう」
「…ええ。そうでしょうね」
アメリアは目を伏せる。ザコルが本当に自分の味方につくかどうか、疑っているんだろうか。
「お嬢様には選択肢がある、と言ったのはホッター殿です。あの娘は何もかもを見通していますよ。見通した上で固辞するに決まっています」
「あのお方が望むと望まないに関わらず、高みに立つ者としての格を日々身につけていらっしゃるわ」
「それはまあ、そう、ですが…」
地下牢でザハリの攻撃を受けた直後、ミカが見せつけた覇気のような圧を忘れられるだろうか。
誰も口答えできなかった。思わずひれ伏しそうになった。
王子よりも、よほどミカの方が王族らしい。というアメリアの言葉はストンと腑に落ちる。落ちてしまう。
「とにかく、これ以上あの二人の忠義を疑ってはいけません」
「ええ、疑うつもりはなくてよ。でも、そうまで強く諌める理由を聞かせてくれるかしら」
「証明するために何をしでかすか分かったものではない、それに尽きます」
ぱちくり、とアメリアが瞳を瞬かせる。
「…ふっ、ふふふっ、そうね、何をしでかすか。その通りだわ」
アメリアはおかしそうに笑う。
「お姉様ったら秘密を打ち明けようとした時なんて、私は本当の家族ではなく駒に過ぎないだとか、家族と呼んでくれるより契約書でも作って縛ってもらった方が家のためになるだとか、そんなことばかり言ってなかなか打ち明けさせてくださらなかったのよ。信用されるにも時間と機会が足りないとか…。そんなもの、この地でのテイラー家の評判だけで事足りますのに」
アメリア擁する一行はここまでの道中、テイラー家の馬車というだけで、モナ領でもサカシータ領でも民に諸手を挙げて歓迎されたと聞いている。それもこれも、シータイに現れた聖女が堂々とテイラー家の縁者を名乗っていたからだ。
「ホッター殿らしいですね。なあ」
ハコネは俺とタイタの方に目を向けた。
「へへっ、そーすね。あの人、自分に厳しすぎんすよ」
「ええ、いかにも謙虚なミカ殿がおっしゃいそうなことです」
自分に力があっても、いや、あるからこそ相手に譲歩し、へりくだる。そういう『自分の力を誇示しすぎないよう気を配る』とこがまるで王者だってザコルもイーリアも言ってたけどな。
「ザコル殿も『僕は僕自身がどんな力を持とうとも、主と認めた方が生きろと言えば生き、死ねと言えば死にます。それがサカシータ一族の誇り、シノビの流儀です』とおっしゃっておりましたよ」
「そうね、ザコルもすぐ忠義だの恩義だのと言ってこちらを拒むのよ。最近は随分と人らしい会話もできるようになったけれど」
「二人とも拒んでるつもりはねーんでしょうけどね。それが一番誠実だと思ってる節あるっつーか。てかあの人、本気で王都を更地にしようとしてたんすから。あれ全部テイラー家のためっしょ」
「いえ、あのセリフは我が家に来る前から言っていたそうよ。お兄様が何故か嬉しそうに語っていたもの」
「あ、確かにな…。あのタヌキジジイも言ってた気が」
シシは第一王子が『ザコルはいつだってこの王宮を更地にしてくれるって言うんだ。僕もこんな上物は要らないと思ってたんだよね、素敵でしょう』と言うのを嘆いていたようだった。
「とにかく。わたくしが言いたかったのは、わたくしが今後何を選択するにしろ、お姉様とザコルの意向次第では叶うものも叶わないということよ。事実、あのお二人にはそれだけの影響力があるのだから」
アメリアはぱちんと扇子を閉じた。
「ふーん、てかお嬢、別に『番犬』は一人じゃねえすよ。むしろ側に侍らせとくなら、巨大鎚でも持ったキャラの方が箔がつくんじゃねーすか」
「きょだい、つち?」
アメリアが復唱する。
「つち………鎚っ!? …なっ、ななな何を言っているのエビー!?」
「お、そーだな。英雄殿のお兄様だって別に見劣りしねーよな」
「事実めちゃくちゃ強えもんな。俺らとサカシータの人らで束んなっても敵わなかったし」
「紳士で人徳も高くていらっしゃるわ」
「エビーもたまには良いことを言いますね」
「あなた達まで…っ」
「お前達、勝手なことを言うんじゃない。家の事情で王宮勤めができないのはザコル殿だけじゃないぞ」
「そんなんどーとでもなるっしょ、女帝も、山の民の長老だってお嬢にはメロメロなんすから」
ツルギ山の女王が認めりゃルールなんざ紙っペラも同然だ。事実、ツルギ王朝の血をひくシシは現王家に捧げられている。
「お黙りなさい!! あの方にはただ憧れているだけよ、推しというだけで、決して巻き込んでいい方では…っ、タイタ、タイタ!」
「は、お嬢様」
アメリアが急に立ち上がり、報告に来たまま立っていたタイタの後ろへと駆け込んだ。
「…ついにお嬢までセーフティゾーンを」
「もう揶揄いは聴きたくないわ!」
「ええ、ご安心ください。全てはあなた様がお望みの通りになりましょう」
「…は」
タイタの落ち着いた声に、必死に耳を押さえようとしていたアメリアが動きを止める。
「アメリアお嬢様には、心強い味方が数多くついておられます。この先あなた様がどのようなご選択をなさろうとも、あなた様の決めたことだけが真実となるでしょう。我々テイラーのしもべも、あなた様のご決断を必ずや支持いたします」
アメリアだけでなく、その場の誰もがタイタの言葉に息を飲む。
「………………」
「お心を整理なさる時間が必要なら、このタイタ、いくらでもお付き合いいたしましょう。たまには、夜更かしもよろしいのではないでしょうか」
俺は思わず「えっ」と声を上げかけた。明日何が起きるか分からない以上、早く休むべきだというのが正論だ。誰よりもモラルやルールにうるさいタイタから『夜更かし』などという単語が出てくるとは思わなかったのだ。
「…あなたに、夜更かしを勧められるとは思わなかったわ。ミカお姉様に叱られるのではなくて?」
「はい。お叱りいただいたことは二度ほどあります。ミカ殿からは『私の護衛をする者は必ず四時間以上の睡眠を取ること』という規則を守り、守らせるようにもおおせつかっております」
「では」
「それでも、他ならぬお嬢様のためであればお許しくださるでしょう。あの方はお嬢様の絶対的なお味方なのですから」
「でも」
「ザコル殿は、主家とご自分のためにミカ殿の『良識』に従うとお決めになりました。であれば『最強』なのは、アメリアお嬢様に決まっているのです」
タイタは後ろを振り向き、俯くアメリアの前に跪いた。
「どうか、ご自分の望む生き方をご選択ください。アメリアお嬢様」
つづく




