それぞれの決意① 大暴露大会
「ミカお姉様! できましたわ! どうぞ見てくださいまし」
「もちろんですよアメリア、何ができたんですか」
彼女が得意げに広げたのは、全面に見事な刺繍が入った大判スカーフだった。
「ハンカチにしようと考えておりましたが、どうしても考えていた図案が入りきらなくて…。お姉様は山の民の刺繍をお好みでしょう? あの独特で精緻な紋様をどう意匠に取り入れるか迷いましたのよ。それに布地の色にも迷いまして、紺と、緑と、真紅と…ユーカとカモミには随分と我が儘を聞いてもらってしまいましたわ。取り寄せた生地全てに刺してはみましたが、やはりわたくしからお贈りするなら紺色かと思いました。深緑も真紅も、どちらかといえばザコルに縁する色ですものね」
カズがコマがかぶる三角頭巾に視線をやった。まるで狙ったかのように深緑色な、その頭巾に。
「私に贈ってくれるんですか」
「もちろんですわ! いつもの頭巾もお似合いですが、たまにでいいのです、こちらも使ってくださいませ」
「嬉しいです、一生大切にしますねアメリア」
アメリアは紺色のスカーフを私に差し出そうと一歩踏み出す。
そこで初めて私がコマの帽子をかぶっていることに気づいたのか、「あら?」と声に出した。
「ねー、アメリアちゃん。そのスカーフってぇ、他の色は先輩にあげないの」
「ええそのつもりですわカズ様。一応、持ってきてはおりますが」
アメリアの脇からスッと侍女ハイナが出てきて、深緑色と真紅のスカーフを差し出す。
「良かったらさ、一枚貸してくんない?」
「もちろん構いません。試作ですが、お気に召したのならば差し上げますわ」
「やった、ありがとー」
カズはハイナが差し出した二枚のうち、深緑の方を手に取った。そして髪をざっくりとハーフアップにして、フワリとスカーフを被る。その間、アメリアは部屋にいたメンバーをくるりと見回した。
「カズ様も髪色をお変えになりましたの?」
「うん。色抜けてるとこ黒染めしてもらったー。就活中みたいでウケるっしょ」
「しゅうかつちゅう…。黒髪にそうして深緑色を髪にまとわれますと、ミカお姉様と見間違いそうですわ」
コマが立ち上がり、カズの横に来て並ぶ。
「ふふ、おそろいだね、カズ。明日はおさげにしてもらおっか」
「…やば、今、完全に先輩かと思った」
「何言ってんの、ニセモノとかじゃないよ。そっちじゃあるまいし」
コマは動揺するカズを鼻で笑い、かつ私のフリをしたまま部屋の隅に控えるメイド長に視線を向けた。
「すみません。ハンテンとかいう上着を二着貸していただけませんか」
「もちろんでございますよ、お嬢様」
「ふふっ、もー、お嬢様って歳じゃないですって」
にこ。
コマはらしくない極上の微笑みで返した。
アメリア様聴いてちょうだいっ、とロットが新勢力に縋りにいった。
うちの有能なコミュ強妹は、さりげない相槌と控えめな探りであっという間に午後の一悶着を把握し、どこからか出てきたハンカチを一枚ロットに渡した。
「ぐすっ、だって、カズがあんな思いしてきたなんて知らなくってあたし…っ、そんな健気で繊細な娘にどうしてあたしみたいな無神経が相応しいと思えるのよっ、ミカの側にいた方がずっと幸せに決まってるわ!」
「ええ、ええ、そのお気持ちとってもよく解りますわ。わたくしも、決死の思いで世界をお渡りになられたカズ様にはご遠慮申し上げるべきかと、そう弱音を吐いてしまったことがございますのよ。ですが、お姉様に叱られてしまいました」
「ミカに?」
「ええ、家族として選んだのはわたくしどもテイラー家だと、そのために生きる覚悟をしてくださったのだと、そうわたくし達におっしゃってくださったのです」
「な、何それ…っ、じゃあ、ミカはカズにはもう何も…」
「いいえ、違いますわ。決してお見放しになったわけではないのです。ただ、ミカお姉様は信じていらっしゃるの。カズ様はお強い方だと、この世界でもきっとうまくやるはずだと。かつて苦楽を共にしたお仲間だからこそ、そのお力を認めておられるのですわ。そして、サカシータ家ならびにモナ家の方々を、ロット様を、大事なお仲間を預けるに足る存在であると、心から信用なさってもおいでなのです」
「なによそれぇ…っ、ミカああああアンタどこまでえええ」
「うるさい。今いいところなのだ、ミカ殿に話しかけるなロット」
「もう何よ何よさっきからっ、あたし達が言い合ってるのに平然とボードゲームなんかに夢中になって!!」
「こんな一局はもう見られん気がしてな」
「ああ全くだ。この娘は底なしだな。史上最強とも謳われる工作員相手に、こうも対等な駆け引きができる女がどれだけいるか」
「駆け引きとか、チェスがちょっとできるってくらいで大袈裟な」
「姐さん、どうせそーいう関連の本もかなり、っつーか山ほど読んでんだろ」
「あー、チェスのスコアならね。祖母と住んでた町内に一人、囲碁とか将棋とかチェスとかの棋譜や詰碁集を集めるのが趣味の人がいて、山ほど貸してくれたから。だから得意とかっていうより、勝ちパターンをいっぱい知ってるって感じかな。でもザコルは本気で強いよ、なんかAI相手に指してるみたい」
「ミカ殿、えーあい、とは何でしょう」
「人よりも計算ができて、勝つために最適な解を一瞬で割り出せる機械っていうか…。難度設定によるだろうけど、究極どんな名人でも絶対に勝てない存在っていうか」
「何だそれは、まるで神か何かのようではないか」
「なんと、我らが猟犬殿は異界で産み出されし神にも匹敵する存在であると!?」
「またもや公式聖女が新たなる福音を!!」
「落ち着いてくださいっすガチ勢ども」
「てか神相手に好戦してんのヤバいですねミカさん」
「僕は神じゃありません。しかし、こんなに苦戦する相手には初めて会いました」
「今まで負けなしだったってことですか、やー、どっちもヤバいですね」
「ミカお姉様、次はわたくしとも指してくださいませ。少しはできますのよ」
「もちろんですアメリア。何局でもやりましょう。あ、コマさん、これシシ先生がくれた薬なんですけど」
「例の香の中和薬か。貸してみろ」
「あっ、そうだわ。カズに薬をちょっとずつ処方してくれないかしら。お金は払うわ」
「リュウ、話聞いとけ」
「あ、お風呂温め直さなきゃ。ザコル、ちょっと中断で。みんな、今のうちにお風呂入ってきてくださいねー」
「ミカ様、皆様に夕食を運んでもよろしゅうございますか」
「そうだ! ニクジャガ! 僕は風呂より先にニクジャガが食べたいです!」
「だめです。肉じゃがが食べたくば先にお風呂です。そーですねえ、お風呂に入ってくれたら、その後ミリナ様にお出しする角煮も作りますから味見を」
「すぐに入ります! 行きましょう!」
「野生の人、肉じゃがと角煮食べた過ぎてキャラ変わってんの草超えすぎて宇宙」
「ちょっと、この勝負終わらせてからにしてくださいよお! 気になるじゃないすか!!」
ワイワイガヤガヤ。
明日何かが起きる、と判っているのに全く緊張感がない。
イーリアがシータイに到着したのはその後、三時間も経った頃だった。
◇ ◇ ◇
「待たせてすまなかったな」
私はアメリアや護衛達とともに、まだ服に雪をつけたイーリア御一行を町長屋敷玄関で出迎えた。
マージと使用人マダム達がバタバタと雪にまみれた外套やブーツを引き取り、代わりの室内履きや乾いた上着…というか半纏を肩にかけて回っている。
「いえ、皆様がご無事で何よりです。心配しておりました」
多少の月明かりはあるとはいえ、暗い雪道の危険さは雪国出身でなくとも容易に想像がつく。
シータイの門に備えられた見張塔では篝火が焚き続けられていて、町長屋敷の上階からもよく見えていた。あの篝火は雪の海に漂う航海者を導くための灯台だ。イーリア達が到着したからか、既に火は落とされている。
イーリアが連れている女性もだが、その後ろに引きずられている麻袋が気になってならない。
「紹介しよう。我が最愛、第二子爵夫人ザラミーアだ」
正式に紹介されてなお、その女性は深く跪くように腰を落としたまま頭を上げない。
仕方がないので、私も同じように低い姿勢を取る、同時に、後ろにいたアメリアとその侍女や騎士も一斉に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。テイラー領より参りました渡り人、ミカ・ホッタでございます。召喚され、テイラー伯に保護される前は地球という世界の日本という国に在籍しておりました。サカシータ子爵第二夫人ザラミーア様におかれましてはご機嫌うるわしく」
「同じくテイラー領より参りました、テイラー伯爵セオドアが長女、アメリア・テイラーにございます。こうしてお目もじ叶いましたこと光栄にございますわザラミーア様」
「お、お顔をお上げくださいませ、ホッタ様、テイラー様!」
ザラミーアが思わずといった様子で手を差し伸べる。私とアメリアは顔を上げ、目の前のザラミーアを見つめた。
榛色の大きな瞳に、ぽってりした唇、豊かな焦茶の髪。髪には少しだけ白髪が混じっているものの、むしろそれがキラキラとランプの光を反射し、まるで光のエフェクトがかかっているかのよう。
背丈は私より少し高いくらいか。女性にしては長身のイーリアと並べば、某歌劇団の男役、女役を思わせる華やかさ。
「ふぉぉぉおぉぉ…っ」
「まあ…!」
「美しいだろう、しかしこれはやらんぞミカ」
「取りませんよっ!」
「はは、私も含め、女はみなミカの虜だからな」
「イーリア様はもう、冗談ばっかり…」
ははは、と女帝は景気良く笑う。
「ホッタ様、テイラー様。ご挨拶が遅れ大変申し訳ございません。わたくしはサカシータ子爵が第二夫人、ザラミーア・サカシータと申します。お二人におかれましては、我が領を危機よりお救いくださいましたこと、深く、深く感謝申し上げます」
ザラミーアはそう口上を述べると、また深く深く腰を落として顔を下げてしまった。
「あの、ザラミーア様。お顔を上げてくださいませんか、お世話になっているのはこちらです」
「いいえ、ホッタ様には水害直後の対応だけでなく、衛生、食糧、燃料の問題に関して多大なるご貢献をいただいております。テイラー様は物資を御自ら調達しお持ちくださったと聞きました。そればかりか多額の金銭援助まで…。そんなお二人のご献身に見合うだけの待遇をご用意できているとはこちらも考えておりません」
「そんな、充分快適に過ごさせていただいてますから」
「ええ、わたくし達のために追加で人を手配くださいましたわよね、お手紙も頂きましたし。この非常時に手間と人手を割かせてしまいましたこと、誠に」
「いいえ、今まで子爵邸にお招きできなかったのですから人の手配くらい当然です。食料に関してはテイラー様やテイラー伯関係者でもある同志様方の援助に頼りきりですもの。それにホッタ様が休みもなく奔走してくださっているおかげで、シータイもカリューも万全の冬支度ができていると聞いております。ああ、お預かりした姫様のお手をお借りするだなんて…!」
「そんな、冬支度というか、お風呂にしろジャムにしろ薪にしろ編み物にしろ、領民の皆さん、山の民の皆さん、同志の皆さんのお力添えあってこそですので」
「いいえ、どれもこれもあなた様のお知恵とお力なくしてはなし得なかったことですわ!」
そんな、いいえ、そんな、いいえ…
しばらく遠慮と謝意の応酬が続いた。
「ですのに、あなた方お二人に対する失礼、無礼、失態のなんたる多いこと…!! 息子達の所業は言わずもがな、まさか当主がまだご挨拶に参っていないだなんて…!」
「あ、いえ」
イーリアが引きずっている麻袋がもぞ、と動いた。
「カズちゃんがオーレンを探しに子爵邸まで来た時は血の気が引く思いでしたわ! とっくの! 昔に! ご挨拶や謝罪に参ったと! 思っていましたのに!!」
麻袋は逃げようとでもしているのか、もぞもぞと少しずつ玄関扉の方に寄っていっている。そしてついに、イーリアの持つが紐がピンと張った。
「お二人が今もシータイに屯留くださっている理由は存じております。同志様方への接待のため、避難民に湯や食料を分け与えてくださるため、曲者を玄関口で食い止めるため、要人や罪人の保護と監視のため。他にも様々ありますでしょうが、そちら様のご厚意で留まってくださっているのは明らかですわ! それなのに…!!」
ザラミーアが振り向くと、麻袋はサッと元の場所に戻ってきた。
「しかも不肖の息子達の世話まで見ていただいているとか…!! シュウ! ロットさん! そこにいるのでしょう、出てきなさい!」
壁の陰に隠れていたザッシュとロットが渋々と出てくる。
「ロットさんっ、あなたホッタ様とコリーに言いがかりをつけてとんでもない無礼を働いたそうですね!?」
「うっ、そ、そう、です」
「母上、庇うつもりはないが、興奮するロットをわざと泳がせてミカ殿に相手させたのは義母上だぞ」
「リア様!?」
イーリアはそっぽを向いて口笛を吹き始めた。
「ミカ殿は気づいていても義母上には言わないだけだ。全く、隙あらばミカ殿を口説こうとするし」
「母上、少しよろしいでしょうか」
気配を消していたザコルがササッとザラミーアの横に移動し、コソコソと耳打ちする。
「…シュウ。ホッタ様のご指示で試作していた風呂を、勝手に豪華なものに作り替えたのは本当かしら」
「え、あ、いや」
「ザラミーア様、そちらに関しては私の責任です。ザッシュ様と穴熊の皆さんは短期間でしっかり成果をあげてくださいました。その後の工事が進みすぎていたのは私の管理不足です。子爵家所蔵の貴重な資材を使い込む結果となり、大変申し訳ありませんでした」
謝罪会見よろしく腰を折れば、ザッシュとザラミーアが同時に慌て出した。
「ややややめろどうしてあなたが謝る!?」
「その通りですわどうしてホッタ様の責任に」
「ザッシュ様は今私の指示下におられますので」
「シュウ兄様を手駒につけると、ミカの意思を確認もせず勝手に決めたのも義母上です。同志村との交渉を押し付けたのも」
ザコルがすかさずチクる。
「リア様!?」
「ちょっとザコル、私は私の意思で引き受けたんですから! イーリア様のせいにしないでくださいよ」
「そうだぞザコル、お前だってミカを騙し討ちするような形で婚約を迫ったろうが」
イーリアがしれっと乗ってくる。
「はあ!? ザコルアンタそんなことしてたわけ!? あたしのこと何にも言えないじゃないのよ!! よくも言葉足らずだとか!!」
「ですから僕は反省しているんです! …ロット兄様やナカタや民には、そんな思いをしてほしくありません」
「ザコル…っ」
噛みついたロットがあっという間に絆される。
「おい騙されるなよロット。それでザコル、極めて事務的な承諾を得てはいたが、姫の真の心は得られたのか? ん?」
「腹立たしい顔を…」
すすっとうちの妹が間に入る。
「それにつきましてはイーリア様、ミカお姉様も今はきちんと納得なさっておりますわ。ザコルがあまりに駄々をこねるものですから、仕方なく」
「アメリアお嬢様!」
「ミカを好くものは自分一人で充分、有象無象は下がれと言われたこと忘れておりませんわよ」
「コリー!! あなた主家の、伯爵家のお嬢様に向かってなんて口を!!」
わーわーわー。
どうしよう、大暴露大会になってしまった。
「あのー、麻袋が逃げそーなんすけどお」
「あっ」
エビーの指摘に、玄関扉のわずかな隙間をすり抜けようとしていた麻袋が飛び上がる。
ザコルが無言で瞬間移動し、麻袋をガッと掴んだ。
つづく




