猛吹雪③ 妹がしごできすぎてつらい
四兄が六兄を引きずるようにして部屋を出ていく。
ゴオオオ、外の吹雪は未だ止む様子がない。僕は、ぼんやりと窓を眺めるミカの白い顔を伺った。
「疲れたでしょう、少し眠ってはどうですか」
「いえ、昨日早く寝たせいか眠くはなくて。元気ですよ」
…嘘だ。兄がきちんと『やり直し』できたかどうか、報告を待つつもりでいるのに違いない。
「姐さん、眠くなくても目え閉じて休んでくださいよ。俺ら、お嬢の部屋でロット様を待ちます。何かあったらフォローしときますよ。ね、タイさん」
「ええ、エビーの案に乗ることにいたします。とはいえ、ザッシュ殿がおられればフォローなど不要でしょうが、万が一の場合は弁護もさせていただきましょう」
「そっか…。二人がそう言ってくれるなら安心だね」
にこ、ミカが微笑う。
「また後で来ます」
エビーとタイタの二人も部屋から出ていく。
そういえば、リス型魔獣のミイはずっとタイタの頭上に乗ったままだ。この部屋に残らなくていいんだろうか。
部屋には僕とミカだけが残された。
「ロット様も、いい大人ですもんね…」
まだ心配しているのか…。
「あまり過保護にしないでください。ミカが面倒を見てやる義理は、今度こそこれっぽっちもないんですよ」
「ふふっ、これっぽっちも、かあ。ふふっ」
「何を笑っているんです」
こんな青白い顔になってさえ他人のことばかり考えている人間なんて、この世にミカくらいなのではと思えてくる。
あの兄もなぜミカの世話になろうなどとしているんだ。図々しいにも程があるだろ、腹立たしい。
「…そういえば、邪教徒のジミーくんは満身創痍でこの屋敷に入り込んだんでしたねえ。こんな体調になって思いますが、ほんと凄いなって」
「何の話ですか…。敵に感心するなとあれほど」
ミカは背に当てたクッションをどかし、もぞもぞと布団に入り直す。
「手、貸してください」
「はい」
ミカは僕の差し出した右の手の平を両手で掴むと、頬に寄せるようにして目を閉じた。ふうー、と深く息を吐き出す。
やっぱり、疲れていたんじゃないか。
脱力したように寝息を立て始めたミカの肩に、僕は左手で布団をかけ直してやった。
◇ ◇ ◇
すう、すう。
規則正しい寝息が聴こえる。
目を開くと、ベッドサイドに腰掛けたまま、私の傍らに突っ伏す人が目に入る。私の手には彼の右手が重ねられたままだった。
外は相変わらず風の音がしているが、少し音が和らいだような気もする。
「…ミカ…まだ、昼過ぎですよ…」
「ええー…もう昼過ぎってことじゃないですか。何時間寝ちゃったの私」
突っ伏した人がむくりと頭を起こす。前髪には変な寝癖がつき、頬にはシーツのシワがついている。
「かわ…」
「…相変わらず僕の醜態が好きですね」
ザコルは、あふ、と軽くあくびをし、左手で目をこすった。
「ふへ、眠そうかわいい…」
「パンとスープがあります。冷めていますが…」
「もちろん、自分で温め直すから大丈夫ですよ。というか、そろそろ魔法を使わないとマズい気がします」
「後で浴室にでも連れて行きます。それか、前にも借りたヤカンを」
じわ。
「あ」
「やかん……ちょっと前のことなのに、懐かしいなって。マージお姉様の執務を代わった時に、用意してくれましたね」
「そ、そうでしたね、あの時は魔法を使わせる手段が他になく」
じわじわ。
「そうだ、あの時、なんか妙にザコルに避けられて…さみしくて…」
「あの時は、すみません、色々と事情が」
「解ってます、でも、思い出しちゃって……」
「ですからすみませんと」
「ふべえ」
あっという間に決壊した。
ガチャ。
私を抱えたザコルが廊下に躍り出る。
「ザコルが買ってくれた腕輪、なくしちゃって、うええ」
「分かりましたから! そんなものいくらでも買ってやるからこれ以上何も思い出すんじゃない!!」
「ふべええ」
何も思い出さなくても勝手に涙は出る。すれ違う使用人が心配そうに振り返った。
「ユキ、入浴小屋の残り湯はそのままですか」
「あ、は、はい! ですが、小屋は雪に埋もれているかと」
声をかけられたメイドのユキが慌ててついてくる。
「ミカ、小屋の雪ごと溶かせますか。今なら少し止んでいますから」
「ザコル様、庭に出る扉も開かないかもしれません!」
「うええ、小屋のも扉の外のも溶かせますたぶんえええぇぇー」
一階の庭に通じる扉の前で降ろしてもらう。
室内から扉の外の雪に念じ、その動きを阻む雪を全て液体にする。ぬるま湯くらいの温度にとどめたはずだが、それでも外にぼふんと湯気が立つ。
「完璧なコントロールだ…流石、泣いていても冷静ですね」
「ふべええ足りないいい」
私は扉を勢いよく開ける。
「待って、そんな格好で出てはお身体を冷やします!」
ユキが慌てて自分のケープを脱ぎ、私の肩にかけてくれた。この時期、室内でも廊下や物置はかなり寒いので、メイドも従僕も動きやすい外套を身につけて仕事している。
白い息を吐きながら、雪に埋もれてどこが入り口かすら分からない入浴小屋に目を走らせる。
「足が濡れますよ、ほら、僕が運びますから」
ザコルは私をサッと抱え直し、扉の前の雪が溶けてぐずぐずになった箇所をピョンと飛び越える。
彼はそのまま新雪にズボッとはまったものの、まるで浅瀬でも歩くようにザカザカと無理矢理脚を前に出して進んでいく。
「この積雪をものともせず前に進めるのすごい…!」
まるで見たことのない歩き方をする人を見て、ちょっとだけ涙が引っ込んだ。
いくら雪国出身でも、こんな力技というか、人間除雪車みたいな歩き方のできる人はそうそういまい。筋肉の前では積雪などただのワタアメだ。
小屋…いや、もはやただの白い山にしか見えないが、適当にあたりをつけて魔法をかけてみる。ぼたぼたと雪が溶け落ち、中から見慣れた竹の壁が現れた。何度かトライして、やっと入り口を探し当てる。
いつもなら隙間から光が入っていた小屋の中は、雪に覆われているせいで暗い。ザコルが私を降ろし、備え付けられたランプに火を入れた。
「わ、蓋が取れない」
湯船にピッタリと置かれた蓋が完全に凍りついている。
蓋の板を割らないよう慎重に魔法をかけて外すと、中の残り湯にも氷が張っていた。
「すごい。湯船凍っちゃうとか、東北とか北海道の人がたまにSNSに上げてるやつ」
「物珍しいですか」
「はい、ちょっと感動してます。わあ、カチコチだ」
氷面を叩いてみたがペチペチという音がするだけだ。表面のみならず中まで凍っているらしい。
「ふふ、何だか溶かすのが勿体無いですねえ」
「冬の間に何度でも見られますよ。というか、こんなに凍っていたら普通、春まで溶けませんが」
そんな自然の摂理を私の魔法がぶち壊す。
湯船の氷はあっという間に溶け、小屋の中に大量の湯気が立ち込めた。
湯船に続き、差し湯用の樽や体を洗うための水路も加熱して溶かす。それを男湯、女湯ともに行えば、無駄に湧いていた涙も完全に止まった。
「ついでだから小屋の周りの雪も溶かしちゃいますね。というか、外を溶かしておかないと排水もできなさそうですし」
前に、一度に雪を溶かすと洪水になるぞとコマに脅されたこともあるが、この小屋に積もった雪くらいなら恐らく大丈夫だろう。
「ミカ、魔法はいいですが、あまり動き回らないでください」
大丈夫、と言って振り返ろうとして、ふいに平衡感覚がなくなる。
倒れるかと思ったが、サッとザコルの腕が伸びてきて私を支えた。
「言ったそばから…」
「ふへ、すみません」
「機嫌はよくなりましたね」
不謹慎だが、ザコルが甲斐甲斐しく世話をしてくれるのでつい嬉しくなってしまう。
ザコルに抱かれたまま、小屋の周りを一周するように魔法をかけていく。中も側面も温度が上がったせいか、屋根に積もった雪も勝手に落ちてきた。
雪でいっぱいの庭の中で、入浴小屋だけが洗われたように姿を現す。
ついでに井戸の周りも同じように溶かしてやれば、助かりますとユキに感謝された。
「冬の間は井戸が使えない日も多くて。明日の朝、雪が止んでいれば総出で雪かきする予定でした」
「うーん、雪国って大変だ…。でも井戸水自体は凍らないんだね、地下水だからそりゃそうか」
地下水は一定の温度を保っているはずなので、凍らない道理は解る。
「あ、薪ボイラー! 大丈夫かな、管とか破裂してないといいけど」
ザッシュと穴熊達が作っていた薪ボイラー試作品は入浴小屋のすぐ隣に建てられた小屋の中だ。確認すると、しっかりと水は抜かれていてホッと胸を撫で下ろす。
「さっすがお兄様」
「ミカ様! もう中にお入りください! お身体に障りますから…!」
ユキの心配そうな声が届く。彼女のケープを借りたままだった。室内に入って返そうとしたが、お部屋までそのまま着ていてくださいと首を横に振られた。
「屋敷の浴室にも水が用意してあります。よろしければお世話いたしますので、魔法を使っていただきつつそのままご入浴なさってはいかがでしょう。身体も温まりますし」
そういえば、使用人達に不調を隠さなくていいのだろうかと今更思い至ったが、ザコルは大丈夫、と言わんばかりに頷いて見せる。
「ユキ、この通りミカは体調が良くありません。お願いできますか」
「はい。心得ております。もしお食事がまだのようでしたら、その後の方がよろしいでしょう」
血糖値が下がったまま熱い湯に入ると立ちくらみや失神などを起こす恐れがある。そうだ、温泉宿の部屋に置かれた菓子はそのためにあるとか何とか。
祖母と行った伊豆旅行の宿で、女将さんがそんな説明をしてくれた思い出が蘇った。
せっかく一階に降りたのでトイレにも行かせてもらう。朝のように限界まで我慢した挙句、失神しかけるのだけは絶対に避けたい。耳のいいザコルに音を聴かれるだとかは完全にどうでもよくなった。
ザコルに抱えられたまま、そしてユキにも付き添われて三階に上がると、フワフワの金髪が目に飛び込んできた。
「あ」
「ミカお姉様…!」
廊下でアメリアが待ち受けていた。
「あの、アメリア…」
アメリアはすぐにこちらに駆け寄ってくる。その後ろを彼女の侍女や護衛もついてくる。皆一様に心配そうな顔をしていた。
「ああ、お姉様。また急いで部屋を出て行ったと聞いて、もう、わたくし…」
「心配させて本当にごめんなさい」
アメリアはふるふると横に首を振る。
「どうか謝らないでくださいまし。それに、もう何も心配なさらなくてよろしいのですわ。妹たるこのわたくしがきちんとお姉様の望む結果に収めておきますから!」
アメリアは任せろとばかりに胸を叩いた。
いつもの完璧な淑女然とした彼女らしからぬ、勇ましい仕草だ。
「アメリア、私から話を」
「いいのですわ。大方の話はマージ町長とザッシュ様、それに、ハコネ、エビー、タイタからも聞いております。コマ様からも貧血だけと伺っておりますわ。ロット様とも無事にご挨拶を交わせましたからどうかご心配なさらないで。お姉様はとにかくお身体を」
彼女は気遣わしげに私の手を取り、びっくりしたように目を丸くした。
「なっ、何ですのこのお手の冷たさ! 冷え切っているではありませんの!!」
「アメリアお嬢様、今しがた魔力過多を起こしまして、一階で魔法を使わせたところなのです。部屋に戻らせてもよろしいでしょうか。事情は後で僕からも報告いたしますので」
「もちろんよザコル、すぐに温めて差し上げてちょうだい!」
「アメリア、報告が遅れて」
「いいのです! 遅れた理由も存じておりますから!! 早くお部屋へ!!」
ぐいぐい、アメリアはザコルの背を押すようにして私の部屋へ行くよう促した。
「いいことお姉様。何もお気になさらないで。お姉様のお望み通りにするのがわたくしの本望です。とにかくいいように収めておきますから、お身体の回復だけに集中してくださいませ」
扉の前でそう早口で捲し立てると、彼女はザコルと私、そして付き添ってきたユキもろとも部屋に押し込めて去っていった。
「妹がしごできすぎてつらい」
「何が辛いんですか、気にするなと念押しされたでしょう。お嬢様もあんなに生き生きとして…」
本当に辛いという意味で使ったのではないのだが、気にするなと言われても気になってしまうのは本音だ。
アメリアが何やら生き生きとしていたのには私も驚いた。もっとショックを受けているかと思ったのに…。
「僭越ながら、アメリア様の、ミカ様のお役に立てるのが嬉しいというお気持ちは私にも解ります」
「ユキも? …そうね、心配かけちゃったよね…」
ユキは、暖炉の前に座った私のために、薪をくべて火を強めてくれていた。
「もちろん御身を心配申し上げておりましたわ。ですが、今お困りであろうミカ様のお力になれないことこそが辛い、それはこの屋敷にいる使用人の総意でございます」
三週間ちょっと前、戦の最中で接した頃のユキはまだメイド見習いだった。
その頃は、まだ少し頼りない、気弱な少女という印象もあった彼女だが、人員の穴を埋めるために正式なメイドに昇格し、戦の片付けや怪我人の世話、客人のもてなしなど、忙しくするようになって随分としっかりした気がする。
しっかりした、だなんて彼女の上司でもないのに我ながら烏滸がましい気もするが、ユキはまだ十三か十四かそこらの少女だ。その年齢を思えば、元の優秀さは言わずもがな、様々な困難を成長の糧にした強かさ、柔軟さは称賛されるべきである。
「ユキ、そんな風に言ってくれてありがとう。皆の心遣いには今も充分感謝してるよ。この食事も、私の体調に合わせた内容にしてくれてあるでしょう」
ザコルが私の口に運んでくるスープは、柔らかく煮た根菜類と肉団子のスープだ。朝はあっさりとした塩味だったが、これはシチュー仕立てになっている。
あの料理長が貧血に配慮しつつ、食べやすく消化に良いものをと考えてくれたのだろう。
「布団の毛布が一枚増えてるのもそう、廊下で会えばみんなそれとなく見守ってくれてるし。でも、何も詮索してこないでもくれて…。本当にありがたくて…」
彼女達がどこまで聞いているかは分からない。だが、彼らの厚意は痛いほどに感じていた。
「…っ、いいえ、いいえ。お礼を言いたいのはこちらですわ! いつもいつも、我が町の、私達のことを考えて尽くしてくださり、本当に、本当にありがとうございます、ミカ様」
お世話になっているのはこちらだというのに…。涙を浮かべてお礼を言ってくれるユキに言い返してもイタチごっこになりそうなので、私は黙って彼女の手を握った。
入浴の用意をしてまいります、とユキが退室していく。
「数分でも、横になっては」
「じゃあ、お膝に入れてほしいなー、なんて」
茶化すなと怒られるかと思ったが、ザコルは黙って私を椅子から抱き上げ、ソファの方へと移動させた。
ブランケットを巻かれ、よいしょと膝に乗せられる。ザコルは私を包み込むほど体躯が大きいわけではないが、何をしてもびくともしない太い腕や胸には安心して体重を預けられた。
「あったかいなあ…。やらかしておいて不謹慎ですが、ザコルと二人で過ごせるのが嬉しいです」
「やらかしたのは僕ですが?」
「違いますって、私ですよ」
「僕に決まっているでしょう」
「私です」
「僕です」
「私で」
ガコッ。
天井に穴が開く。
「えっ」
「やらかしやがったのはアイツですから!!」
………………。
………………。
「…………覗き見はよくないよ、サゴちゃん」
「にっ、任務中です!!」
ガポッ。
天井の穴はすぐに塞がった。
つづく




