地下牢④ 全て暖炉にくべました
やっちまった…。
私は深く嘆息した。
誰か気づいただろうか。ザコルとエビーには探りを入れられそうになったが、威圧を放ったりして無理矢理黙らせてしまった。
というかその他全員も謎の令嬢ムーヴで黙らせた。怪しさ満点だ。…後で尋問でもされないことを祈る。
湯浴みのために全員を脱衣所から追い出した後、私は腕に抱えていた上着をそっと離し、自分の左胸の辺りを見た。
見事に穴が開いている。厚地のセーターと、その下に着込んだシャツや肌着など、全てを貫通する血まみれの穴だ。もちろんその下の肌は何事もなかったかのように真っさらである。自己治癒能力の賜物だ。
それにしても、肺に穴が開くと痛い上にあんなに苦しいものなのか…。ミステリーで嫌な刺され方をした人の気持ちを身をもって知る日が来ようとは。
ザハリは自分の舌を噛む直前、私の胸に手刀をねじ込んでいたのだ。
避けられなかった。今度こそ予備動作はおろか殺気の一欠片も感じられなかった。ザコルも動揺していたのか気づけていなかった。流石はサカシータ一族の本気だ。以前短剣を向けてきた時の彼は、やはり本気で私を刺す気などなかったのだろう。
地下牢自体が暗かったのとコートが濃色だったことから、私の胸に誰の血がどれだけ付いていたかなどの判別はつきにくかったはず。さも、血が付いて汚れたわー、みたいな顔で自然に上着を脱ぎ、前を隠した自分の機転を褒めたい。
派手に吐血などしなかったのは、ただの幸運だった。
さて、何はともあれこの服だ。どうやって誤魔化そうか。
私が浴室に入った隙に、使用人にでも持って行かれたらアウトだ。穴の開いた服は浴室に持って入るしかないか?
テイラー邸から送られてきた、ホノルが選んでくれたであろう濃紺のコート…。お気に入りだったのにな。
洗濯マスターの使用人マダムに染み抜きをお願いして、穴をカケツギでもして塞げば直らなくもないんだろうが、少なくとも使用人マダムにはザハリに刺されたことがバレてしまう。却下だ。
「いっそ全部細切れに…」
うっかり独り言が出て慌てて口を押さえる。どこで耳の良すぎるザコルが聴いているか分からない。湯浴みの時はできる限り距離を取ってくれているのが常だが、一応事件のあった直後だ。近くに控えている可能性が高い。
謎の令嬢、いや例えば悪役令嬢ならこんな時にどうするだろうか。
……罪人の血とにおいが染み付いた服だなんて穢らわしいわ。全て暖炉にくべてしまったの。悪く思わないでちょうだい。
よし、コレだ。というかコレしかない。
誰かに理由を問われたら、先程のセリフを高笑い付きで言うしかないだろう。
◇ ◇ ◇
「ミカ様。お脱ぎになったお召し物は」
「全て暖炉にくべました」
「えっ」
脱衣所を訪れた若いメイドちゃんが目を丸くする。私はマージが用意してくれた部屋着らしい一式に身を包み、髪を拭いていた。
「あ、そ、そうで、ございましたか…」
困らせてごめん。私は彼女に心の中で謝る。
結局、朝から穿きっぱなしだった鍛錬用の黒いズボンや防寒用のタイツ、下穿きにまで血が垂れてじっとりと濡れていたため、脱いだものは本当に全て暖炉にくべる羽目になった。
血を流しすぎたか少々クラクラする。何となく熱い湯船に浸かったらマズい気がしたので、湯温はぬるめにして少しずつ流しながらゆっくりと入った。
…どうやら、傷の治癒はされても、失われた血まではすぐに回復しないようだ。
ということは、どこか身体の一部が千切れて無くなったら、いきなり生えてくるなどということもないのかもしれない。覚えておこう。
脳内悪役令嬢のセリフをフルで言うまでもなく、メイドの彼女は何も詮索せず一礼して引き下がった。
…我ながら不自然さ、怪しさ満点だ。これは、全部バレているのを前提に開き直っていくしかないかもしれない。
脱衣所を出れば、護衛三人に隠密一人、騎士団長二人にお兄ちゃんが一人、そして従僕約一名がワッと集まってきた。
「まさか、皆ここで待ってたんですか?」
つくづく余計な独り言など言わなくて正解だった。内心冷や汗ダラダラだ。
ズザアッ。一人がスライディング土下座を決めた。
「…何のつもりですかザコル」
「あなたの護衛中に、気を抜きました。処分は如何様にも」
「何言ってるんですか、処分なんてするわけないでしょう。ほら、ここ廊下ですよ。目立ちますから立って」
手を差し伸べたが立ってくれない。
す、とザコルの横にザッシュが座った。
「弟の不始末は、おれの不始末だ」
ザッシュの隣にロットが座る。
「そうね。何もかもあたし達の責任よ」
屈強なサカシータ一族三人が一斉に床に手と頭をつける。
…壮観だ。
「いや、そうじゃない。目立つって言ってるじゃないですか。立ってください。ああ、そんなに私と追いかけっこしたいんですか?」
シュバ、ザコルが立った。
「ザコル。後で髪を整えてくれますか」
「御意に」
タイタの真似だろうか。他人行儀でちょっと寂しいのだが、まあ、仕方ない。彼の気の済むまでの我慢と思おう。
「ペータくん、蜂蜜と牛乳、林檎とヨーグルトをお願いできるかな」
「かしこまりました」
ペータは一礼して速やかに下がっていった。頬の湿布が剥がれかけているが指摘しそびれた。
「ミカさん、部屋を用意してもらいました」
「ありがとうエビー。じゃあ、ゆっくりしましょうか」
ザコルがどこか畏まった様子でエスコートの手を差し出す。
私達の後ろにはゾロゾロと先程のメンバーがついてきた。目立つというに…。案内された先はマージの執務室だった。
ズザァッ。
「マージお姉様までスライディング土下座を…」
「あなた様に、姉と呼んでいただく資格などございません」
「寂しいこと言わないでくださいよう…。あ、そうだ。教科書貸してください」
「あちらに全てございます。元はコリ…ザコル様のものでございますが、どうぞご自由になさってくださいませ」
マージが指し示したのは、執務机の隣にある大きめの扉付き書棚だった。
…あれ、町の帳簿とかそういうものが入ってるんじゃないんだ。普段から坊っちゃまが使った教科書が一番手に届きやすいところにおいてあるとか、この人本当に町長として執務しているんだろうか。
「ミカ、コートと、それに着ていたものは…」
「全て暖炉にくべました」
ザコルが、というかその場にいた全員が絶句した。
「あ、これは無事ですよ」
ザコルが編んでくれたマフラーをモフモフしてみせる。その場を和ませるつもりだったのだが、ザコルは泣きそうな顔になり、他のメンバーもどこか表情を翳らせた。
先程の悪役令嬢のセリフを高らかにのたまうしかないかと思っていたら、トントン、とノック音が鳴り、ペータがワゴンを引いて入ってきた。
そういえば、もう夕食の時間だ。蜂蜜牛乳やフラッペの用意を頼んでいる場合ではなかったかもしれない。
「ホッター殿。その、だな。怪我は」
「怪我? 何のことでしょう」
にこ。ハコネがうっとたじろいだ。
これは絶対にバレている。牢にいるうちに『命令』しておいてよかった。権力は使い所が大事だ。
ソファに誘導されて座る。目の前に置かれた牛乳は既に温まって蜂蜜も入っていた。
「温めてくれたの、ペータくん。夕飯時の忙しい時間なのに、ありがとうね」
「いえ、お疲れでしょうから」
林檎も既にカットまでされてボウルに入っていた。これはフラッペ作りがはかどる。
「はい、どうぞ」
「ミカが飲んでください」
蜂蜜牛乳はザコルに差し出したが差し戻された。
「ザコルを労うつもりで持ってきてもらったんですけど。私の我が儘に付き合わせましたから」
「僕やザハリのためでしょう」
「いえ。私が勝手に推しの自己肯定感高めたかっただけですので。……ごめんなさい、無理に、過去に向き合わせるような真似をして」
「謝らないでください」
また泣きそうな顔をされてしまった。
仕方ない、この蜂蜜牛乳は私が飲もう。血も足りないし、水分とカロリーとタンパク質は摂っておいた方がいい。
ザコルは私の隣には座らず、後ろに回って髪に櫛を入れ始めた。私はフラッペ作りに取りかかる。
「ミカ様、新しい外套は早急に用意させますわ」
「ミカって呼んでくれないとお返事しませんからね、マージお姉様」
「ですが…」
「外套は別に何でもいいですよ。救援物資の中に余ったのがないか訊いてみます」
「そんなわけにはいきませんわ!」
本当にいいんだけどなあ…。
わざとらしく独り言を言って後ろを振り返ってみたが、首を振られてしまった。まあ、あれはテイラー家が用意したものでもあるので、弁償に応じないと角が立つのかもしれない。
「いや、ダメですよ。私が勝手に暖炉に入れちゃったんですから。弁償なんて」
「当屋敷内でお召し物が損なわれたのですからこちらでご用意するのが筋ですわ。あなた様の格に合うものを一式」
「私に格とか存在しませんから。その辺の余った服で充分ですって」
押し問答。
その後もしばらくマージと言い合っていたが、結局…
「もう! ミカは強情っ張りなんですから! 大人しくわたくしに全身コーディネートなされませ!」
「ええー、そんなこと言われたら断れないじゃないですかあ…」
言い合って興奮したせいか目がチカチカする。完全に貧血だ。
気づかれないようにソファに背をつけてやり過ごそうとしたが、スッと蜂蜜牛乳のおかわりが差し出された。見計らって用意したのはペータとエビーだ。
エビーは預かっていた私の鞄の中から、ホノルが編んだ紺色のストールも出して渡してくれた。さっきから身体が冷え始めていたのでありがたく肩に掛ける。
「あたしだけ、マージに叱られそびれちゃったわね」
ロットが両手を挙げておどけたポーズを取る。もしかしたらマージの気を逸らそうとしてくれたのかもしれない。
「ロット坊っちゃまは後で続きをいたしましょう」
ニコォ。
あ、ロットが苦々しい顔に。気持ちは解る。マージの『お説教のお時間ですわ』の迫力は凄まじかった。
彼の親切には報いねばなるまい。
「マージお姉様、ロット様のお叱りポイントを当ててみましょうか」
「え」
「あら。ミカが叱ってくださるのかしら」
「ふふ、ご指摘申し上げるだけですよ」
気になっていたことがあるので丁度いい。何、少し思い出話を聴かせてもらうだけだ。
「ザハリ様は、ザコルに自分の宿題を肩代わりさせていることを、周りにはほとんど悟らせていなかっただろうと推測できます。ですが、ロット様はザコルが勤勉なことも、ザハリ様の所業もご存じでした」
ぎく。ロットの視線が泳ぐ。流石は豆腐メンタル、分かりやすいな…。
「当時、どうしてそれを大人に相談しなかったんでしょう。大人に相談しないまでも、ザッシュお兄様にくらいは相談くらいしてもおかしくありませんよね。仲も悪くなさそうですし」
ザッシュは、双子の間に何かあったことまでは察していたが、ザコルがザハリに色々と押し付けられていることまでは知らなかった様子だった。
「状況だけを見れば、こう考えられます。ロット様も、ザコルに宿題を肩代わりしてもらったことがあるのではないか、とね」
「お前…」
ザッシュがじろ、とロットを睨む。
「…っ、あ、あたしだけじゃないわよっ、ザイーゴ兄様も、ザナンだって」
ザイーゴは五男、ザナンは七男で、二人とも違う領の騎士団長を務めているはずだ。
「なるほど。歳の近いご兄弟でザコルを便利に使っていらしたわけですねえ」
むぐぐう、とロットは肩をいからせたものの、すぐに観念したように脱力した。
「…そうよ、ザコルが、何でもない顔で全部引き受けてくれちゃうもんだから。…あ、だからって、宿題やらせてたのがバレそうだから敵視してたわけじゃないわよ!?」
「ふふ、ザコルは宿題に関しては本当に気にしてなさそうですもんね」
後ろを振り返ると、キョトンとした顔で見返された。
「兄様方は、親切で僕に課題をくれるのかと思っていたのですが」
「そんなわけないでしょっ! どんだけ鈍いのよ!!」
むう、とザコルが顎に手をやる。
「なるほど、ただやりたくないから僕に…。ザハリはともかく、兄様達は課題をするまでもないくらい習得しているものと勘違いしていました」
「アンタって、頭は悪くないくせに変なとこで察しが悪いわよね…アダッ、何すんのよシュウ兄様!!」
ザッシュの鎚が某シティ○ンターのようにロットの頭に落ちた。あれをリアルに食らって無事なのはこの兄弟だけだ。
「お前、バカだバカだとは思っていたが、二つも下の弟よりバカだったのか。何か他に言ってやることはないのかバカめ」
バカと四度も連呼されてとロットがよろめく。数秒かかったが何とか持ち直した。
「…わ…っ、悪かったわね。それからあの頃は助かったわよっ、でもアンタの字が綺麗すぎて結局書き直す羽目になったんだけど!?」
「それは申し訳ありませんでした。筆跡まで気が回らず」
「アンタが謝るんじゃないわよ!! 言い返しなさいよもう!!」
ムキーッ、ロットおねえが拳を振る。
ぶふっ、と思わず吹き出すと、何笑ってんのよ! ともれなく絡まれた。私はそんな彼に、林檎ヨーグルトフラッペを差し出した。
マージお姉様とお兄ちゃん達にはとにかくイーリアには何も言うなと圧を込めて念押しし、夕食を用意してくれたという一階の部屋に移動した。ロットとザッシュは別で食べるからと丁寧に一礼して去っていった。
アメリアがいたらどう誤魔化したものかと考えていたが、彼女は自室で食事しているとのことで、内心ホッとしてしまった。
「ザコル、別に自分で食べられるんですけど」
私の皿とカトラリーを持って離さない人に文句を言ってみる。
「…何度か足をもつれさせかけましたね。階段でも息が乱れていました。血が足りないのでは?」
ぎくー。
「ソファに深く腰かけていてください。身を起こさずとも僕が食べさせますので」
皿とカトラリーの触れ合う音、私の咀嚼音だけが部屋に響く。
もぐもぐ、ごくん。
「なんでみんな一緒に食べてくれないんですかあ…」
しくしくしく。ちら。
「そんな泣き真似が俺らに通じるとでも思ってん…っ、つ、通じませんからね!?」
「そうですとも!! そ、そんな青白い顔色の方を差し置いて食事など…っ」
バレてるなあ…。そしてエビーは何をビクついているんだろう。
エビーとタイタが助けてくれなかったのでサゴシやハコネの方を見てみたが、彼らも首を振る。誰もこの過干渉魔王にはツッコんでくれないらしい。
仕方なく一人、介助を受けながら食べる。正直、普通に座っているのも少し辛かったので、もたれていていいと言われて助かった部分もある。
「ホッター殿。牢の床に、血溜まりができていたことに気づいたか?」
「えっ」
そんなものができていたのか。もしや、床に座り込んでいた時か…?
ショーツやズボンにまで血が染みていた割にブーツの中にはあまり血が入っていなかったので、床には血を落とさず済んだと思っていたのだが。
「ザハリ様、かなり血を吐いてましたもんね」
「貴殿が座っていた場所だ」
バレてるなあ…。
そっ、私は自分の耳を塞ぐ。
「私は何も知りません」
「そうかそうか、認めたも同然だな? ホッター殿、いや、テイラー伯爵家のミカ殿か」
「何も聴こえません」
「よく聴こえているようじゃないか。どんな傷だったか知るよしもないが、あの出血だ。それはもう深い傷だったことだろうな」
「………………」
喋れば喋るほど墓穴を掘りそうなので、私は黙秘を貫くことにした。
「ミカ」
カチャ。皿とカトラリーが机に置かれる。
「……痛く、苦しかったでしょう。僕達には、心配さえさせてくれないんですか」
ぐう、そんな泣きそうな顔されたらこっちが辛い。
「だ、大丈夫ですよ。まあ、痛みとか呼吸困難には慣れて…あーうそうそうそ! 嘘ですから!!」
ザコルがまた土下座しそうになったので思わず身を起こして止める。急に起きたせいか視界が銀色に染まりかけて目を押さえる。
「ミカ!」
マズい、眩む頭をコントロールできない、思考もままならなくなってきた。
「…あの、だから、だい、じょぶ……おねがい、おおごとに、しないで…おね、がい…!」
「分かりました、分かりましたから! 落ち着いて、ゆっくり横になってください」
ザコルがソファを退き、私の身体を支えながら横たえる。
「すまない、今追い詰めるべきではなかった。だっ、おいっ、蹴るなお前ら!」
何やらハコネが蹴られているようだ。
「ミカ殿。ご心配なさらないでください。イーリア様にも、お嬢様にも、もちろんカズ殿にもご指示があるまで何も申しません」
タイタが私の膝下にクッションを当てがいながら優しく話してくれる。その落ち着いた声音に私もほっと息を吐く。
「地上最強と謳われるご一族でも、子供時代に宿題をせず叱られるのは他の家庭と同じなのですね。しかし我らが最推しの御仁は、ご兄弟の怠慢さえご自分の成長の糧となさるような、克己心の塊とも言えるお方のようです。領内の評判を差し引いてさえ、歳の近いご兄弟には抜きん出て優れていると昔から思われて」
タイタの言葉に、ザコルは首を振った。
「やめろ、やめてくれ。僕は、自分が他の兄弟より優れているなどと思ったこともないし、思いたいわけでもない。ミカの言う通り、ザハリにはザハリの功績がある。だが、ミカが悲しむなら、僕はもう自分を卑下しない。それでいいでしょう、ミカ」
頷く気力もなく、私は軽く口角を持ち上げた。
「ですからどうか、ミカも自分を雑に差し出すような真似はやめてください。どうか……」
大好きな人の縋るような声を聴きながら、私はまどろみに抗えず、つい目を閉じてしまった。
つづく




