珍客乱入③ 逆に編み物とかやってる場合じゃなくない?
「誰がペットだ!」
「アンタすよアンタ」
ギャイギャイギャイ。町長屋敷に戻ってからもずっと喧嘩している二人だ。
「言っておくけれど、あなたも充分飼い慣らされていてよエビー」
「ぐっ」
ぶふ、カッツォとコタが吹き出す。
「それを言ったらおれもだろうな。最近、いや最初から、ミカ殿にはいいように転がされている気がしてならんのでな…」
「はは、俺もですザッシュ殿。しかしミカ殿の崇高なるお考えに俺ごときが及べるとも思えませんので、きっと今の状態こそが最善なのでしょう」
「タイさんは悟り過ぎじゃないですか?」
ラーゲが珍しくツッコんだ。タイタは最初からあんな風だ。
「ザコル、ほら、こっちにきてください」
「僕はあの無礼な従者の頭に風穴を開けるので忙しいんですが!」
「そうですか、編みぐるみ作りを手伝って欲しかったのに。しょうがないですね」
くるり。私は座り直し、目の前の毛糸玉とかぎ針を手に取った。
ガタ。隣の椅子が引かれ、深緑マントの人がどっかりと座る。そして無言でかぎ針と毛糸玉を手に取った。
「手伝ってくれるんですか」
「…あの羊のようで羊じゃないものを作ればいいんでしょう」
ザコルはチャカチャカと『羊のようで羊じゃない、少し羊っぽい編みぐるみ』を作り始めた。私が作っていたのをチラッと見たことがあるだけだろうに、よく正確に再現できるものだ。
「完璧にしなくていいですよ。寸法もあえて適当にしてください。出来がまちまちなくらいが味が出て可愛いと思ってるんです」
「完璧でない方がいいとは…。また哲学的な事を言いますね」
「真理でしょう?」
「僕の方を見て言うな」
プイッとそっぽを向きつつ編む手は止めない。
うへぇー…。
視線を感じる。
「何ですかコマさん」
「ますます鬱陶しいだとか思ってねえから安心しろ。どっちも悟り切った顔しやがって。俺のいねえ間に戦があったそうだな。まんまと姫を拐われたらしいじゃねえか、お前はマジで何やってんだクソ犬」
「…それについては返す言葉もない」
渋面。
「番犬の自覚あんのかてめえ。専属だの僕だけで充分だのとのたまってたくせにこの体たらくか坊ちゃんはよお」
余計なこととは理解しつつザコルとコマの間に身を割り込ませる。
「コマさん、あれは私が悪かったんですから」
「まさか、僕が悪いに決まって」
じろ、エメラルドの瞳が私の方にも向く。
「姫よう、何コイツ飼い慣らして満足してんだ。この状態でてめえがどうにかなってみろ、そいつがご乱心してマジに国どころか近隣諸国まで更地になっかもしれねえんだぞ。腑抜けたこと言って甘やかす前にきっちり躾けろ。最後まで面倒見んのが飼い主の責任だぞボケ」
「…えっと、返す言葉もございません。ごめんなさい、私、本当に調子に乗ってて…」
「やめろ、ミカに謝られる方が堪える削られる…!! 全部僕が悪いと言っているだろうが!!」
「ハッ、だったら番犬は番犬らしく姫は姫らしく自分の立場を見つめ直せバカどもめ」
『はい、すみません』
私達は揃って頭を下げるしかなかった。他領の工作員に説教される私達って一体…。
「あのー…あれは俺も悪いんすけど」
「うるせえ金髪。てめえは自分で反省しろ。こいつらほど言葉が通じねえタイプじゃねえだろ」
コマは面倒くさい、と言わんばかりにエビーを切り捨てる。
…私達、言葉が通じないタイプだと思われてる…?
「えー、飼い主ってタイヘーン、代わりに怒られないといけないのぉ?」
「おっしゃる通りですわカズ様、大体、毎日毎日当然のような顔をして世話を焼きにくるからってミカお姉様も仕方なく飼うことにしたようなものですのに、お優しいお姉様が叱られるだなんて理不尽とは思いませんこと?」
コソコソ。女子の内緒話に耳のいいザコルが机に顔を突っ伏した。目が塞がってるのに編む手が止まらないのはすごい。
「てゆーか野生の人マジ器用。編みぐるみ作れるとか笑えるー」
「あちらもザコル殿の作品ですよ。本当に器用でいらして、何でも極めてしまわれるのです」
タイタがトルソーに掛けられた精緻の極みみたいなウールストールを指し示す。
「え、どれどれ…コレ!? 何コレやっば、コレ手編みとかガチ!? てか職人!? もう最終兵器とかやってる場合じゃなくない!?」
「ぐううううう」
逆に編み物とかやってる場合じゃなくない? と気づいてしまったのか、ザコルがついに唸り出した。
大変いびつで味のある羊っぽいものが出来上がったところで、編み物部屋、もとい元食堂の扉が叩かれる。
扉の脇に立っていたタイタとラーゲが扉を開くと、ワゴンを引いたメイド長とニコニコ顔のイリヤが入ってきた。
「あ、イリヤくん。ミリナ様は元気だった?」
「はい! りんごジャムのヨーグルトと、スープをちょっとずつ食べてました!」
くふふっ、と面白そうに笑うのでどうしたのかと聞いてみる。
「あのね、僕がつぶしちゃったりんごのジャムだったの。母さまが『やさしいあじ』だって言ってました。ミカさまはすごいですね、僕がこわしたものを、やさしいものに変えちゃった!」
「ふへへ、そんな風に言ってくれたら私も嬉しいよ。イリヤくんこそ、優しい言葉を使う天才だねえ」
まるで絵本の世界から出てきたような言い方をする。皆が天使と言いたくなるのも分かる。
「イリヤぁー、ザッシュ様の隣空いてるよー」
「カズさま!」
カズがザッシュの隣の椅子を引いて手招きすると、イリヤは嬉しそうにパタパタと駆け寄って座った。
「カズさまもおとなりにすわって」
カズがイリヤの言う通りに椅子を持ってきて隣に座ってやると、イリヤはますます嬉しそうににこーっと笑った。
「はぁー、マジ癒しだわ。何この天使」
いーこいーこ、ぐーりぐり。
「ははっ、カズ殿が子供好きとは初めて知った」
ザッシュが微笑ましげな顔で二人を眺める。
「ウチ、育った道場でちっちゃい門下生の相手もしてたんで、慣れてるだけっていうかー。でもこの子みたいに、大人顔負けの強さなのに心は天使みたいな子は初めてみましたぁ。さっきは意地悪言ってごめんね、イリヤ」
「カズさまはちっともいじわるじゃないよ、おけいこ楽しかったもの。僕もくるくるって回して投げるのできるようになったし! カズさまって、こんなにふわふわでかわいい女の人なのに、ザコル先生やシュウおじさまみたいにつよいんですね!」
イリヤはカズに頭を抱かれて心地よさそうにしている。
男性陣の一部がチラチラと彼女の胸の辺りに目を泳がせている気もするが、見なかったことにしてあげよう。イリヤにはまだそんな下心はなさそうだ。
「ふふふー、合気道はねぇ、女や老人でも強くなれるんだよ。ヨボヨボのじーさんにでっかい兄ちゃんが投げ飛ばされるとかも普通にあるしぃ。柔よく剛を制すってやつぅ? いわゆる柔道とはちょっと違うけどねぇ」
「ふーん?」
「柔よく剛を…なるほど、興味深い考えだな。確かに、柔軟性や巧みな受け流しは強さに通じる」
イリヤには少し難しかったようだが、ハコネはカズの話を感心したように聴いている。
「女性に向いた武術なんですの? わたくしにもできるかしら…」
「アメリアちゃんもやるぅ? ウチにはちょっとチートがあって膂力も強化できちゃうけど、本来、相手の力を利用して制するのがメインだから非力な人でも挑戦できるし、護身術としてやってる女の人も多いよぉ。実は合気道には試合とか無いんだー。争う事が目的じゃなくてー、心身を高める事が目的だからねー、自分の敵は自分て感じぃ」
「素晴らしい。自己の研鑽そのものを目的とするような、そんな崇高な理念を持つ武術が存在するとは」
ザコルはどうしてそう満足そうなんだ。尊師を称える弟子がごとく手を叩いている。
「カズ様、もしお時間があればぜひご教授いただきたいですわ」
「僕もお願いします!」
アメリアとザコルに続き、俺も俺も、と騎士達が次々に手を挙げる。
「もちろんいいよぉー。みんなも色々教えてよねぇ」
わいわいわい。
…むう。うちの可愛い妹とワンコが取られた。
「あっは、何その顔。ちゃんと先輩にも教えてあげるから安心してくださいよぉー」
「むう、それはお願いします!」
「先輩のその、めっちゃ不機嫌でも頭下げられるところ、マジで懐深いなって思いますよぉ」
「ちっとも深くないよ。懐の深い人はそもそも嫉妬とかしないから」
「…いーな、先輩に嫉妬してもらえて。あーやっぱロット様のペット辞めて先輩のワンコ部隊に入ろっかなぁー」
バン!!
勢いよく扉が開き、アメリアとイリヤがビクッとする。ハコネとメイド長が二人をサッと立たせて部屋の奥へやって背に庇い、騎士達は一斉に剣の柄に手をかけた。
「カズ!! あたしのペット辞めるって本当なの!?」
白金の鎧に身を包んだその人は、見た目とは少々ギャップのある口調で叫んだ。
◇ ◇ ◇
いかにも重そうな鎧をガッチャガッチャいわせながらズンズンと部屋に入ってくるロットの前に、ザッシュが立ちはだかる。
ロットも長身で筋肉質に見えるが、それでもザッシュの方が縦にも横にも大きい。仁王像の如しである。
「なあに、シュウ兄様ったら怖いお顔」
「黙れ。ご令嬢や子供もいるのに驚かせるな。大体、カズ殿はお前の過干渉に耐えかねて出てきたのだ。少しは放っておいてやるという事ができんのかこの元凶め」
ザッシュのそんな言葉に、ロットはケラケラと笑って手をはたく真似をした。
「嫌だわぁ、カズが本気で嫌がってるわけないじゃなーい。あの娘ったら、気がついたらソファで寝ちゃうような子なのよ? あたしがお世話してあげなきゃすぐダメダメになっちゃうんだから」
くる、ザッシュがカズを振り返る。
「カズ殿、どうなのだ。この変態に物申してやれ」
「え? えっと…、だらしないのは否定しませんけどぉ、最近はむしろ団長…ロット様に構われすぎてるせいでガチのダメダメ人間、てか人間以下になっちゃいそうな自分がいてぇ…」
「それの何がダメなのよ! いいじゃない、あたしがぜーんぶお世話してあげるから! ね?」
「団長ってほーんとウチのことペットとしか思ってませんよねぇ…?」
「もー、ペットだなんて言わないで。家族よ。か・ぞ・く」
指を一本出してクネクネとするロット。たった今ペット辞める気かと言って叫んで入ってきたのは誰だったろうか。
そんなふざけたポーズのロットだが、こちらの事は一瞥しただけで挨拶をする気もないようだった。
カズは意を決したように首を振ってロットを見据えた。
そういえば、普段からふざけた口調で散々無礼な事は言っているものの、意外に本気の口喧嘩というか、酷い罵倒を口にしている彼女は見たことがないな、と私は思い至った。
「ロット団長、ウチ、モナ姓になったんでぇ。団長は上司ってだけの他人ですぅ!」
そんなカズは頑張って喧嘩しようとしているらしい。両拳を握った内股ポーズでは迫力は皆無だが。
「何言ってんのよ、山犬卿の籍を選んだのだって、実はあたしの所にお嫁にくるためにわざわざ貴族の養子に入ったみたいなものなんでしょっ、もう、いじらしい真似するんだから!」
ぶち。何かがキレる幻聴がする。あ、目が据わっちゃった…。
「……マジで、そういう勝手なこと言うのやめてほしいんですけどぉ……てかウチぃ、もっと無骨でバッキバキのデッカい人が好きなんですよねぇ。格ゲーで言うとザン○エフみたいな」
「ザ○ギエフ…?」
ガタ。カズは席を立ってザッシュの隣に立った。
「だからぁ、団長よりザッシュ様の方が断然好みって言ってんですよぉ。中身も硬派だし!」
『はああああああ!?』
ロットとザッシュが同時に叫ぶ。アメリアも叫んでいたようだが屈強な男共にかき消された。
「な、なな、ななななん」
ザッシュが混乱して使い物にならなくなった。
「カカカカカズ、嘘よね、ずっとサカシータ領にいたいって言ってたじゃない、だからあたし」
「確かに言いましたけどぉ、それが何で自分と結婚みたいな話になるのか全っ然わかんなーい。大体、ウチら付き合ってもなくないですかぁ? まさか、部隊まで引き連れて追っかけてくるとかあり得ないし…ってか、なに前線離れてんの団長」
ピリ。
カズのまとう空気が変わる。
「えっ、そ、それは、カズが」
「ウチ、部隊抜けた後、オーレン様には一言伝えてからこっちに来てますよぉ? 聞いてますよねぇ、流石に」
「当たり前じゃない、あたしだって一応」
ちら、再び一瞬、ロットの視線が私の方に向いた。
カズはそれを見逃さなかったのか、私とロットの間に立ち直した。
「ウチには前線の戦力が減ると困るとか言ってずーっと引き留めてたくせに。やっぱ、ウチと堀田先輩と会わせたくなかっただけですよねぇ。妨害工作、気づいてなかったとでも思ってるんですかぁ?」
ふい、ロットの視線が泳ぐ。
「ねえ、こっち見てくださいよロット団長ー。いつからでしょうかねー、堀田先輩の情報、全然聞かなくなっちゃった。最初は同じ渡り人らしいのがテイラーにいるってちょくちょく動向も聞いてたのに、その人がサカシータに向かってるって事も、シータイで災害ボランティアしてた事も、何もかもウチに話すなって周りに命令してたらしいじゃないですかぁ。オーレン様の部隊とも不自然なくらい行き会えなくなったしぃ…」
「何でそれを、まさかあいつら」
「正直見損ないました。そーいうの、職権濫用っていうんですよ?」
ピシャ。
ふざけた口調も引っ込め、カズは冷ややかな声音を真正面からぶつけた。
「あ、あたしはカズの、部下のためを思ってそうしたのよ! 正直言うと、あたしはそのお方が、ザコル…最終兵器を引き連れて何のためにここにやってくるのか正確には知らされてなかった。それが、水害に巻き込まれたって聞いた翌日にはもう聖女って祭り上げられて、シータイの町長だった男も追い出して完全に我が物顔で居座ってるって話よ。重要な戦力でもあるアンタを近づけていいものか躊躇する気持ちくらい、解ってくれたっていいじゃない!?」
おお、客観的に聞くとすごいヤバそうな詐欺師か何かみたいに聞こえるな…。いや、侵略者か?
「あは、全然解んない。先輩がその辺の人を騙したり脅したりできるよーな人じゃないって、ウチが一番よく知ってるもん。先輩は、たくさんの人を救ったってイーリア様から聞きました。カリューの人達からも聞きました。先輩とザコル様が来てくれたからみんな助かったんだって……ウチなんて、カリューが水害でぐちゃぐちゃになった事すら知ったのは五日か六日も経った頃で。もし知ってたらすぐにでも助けに行ったのに…!」
水害発生から五日か六日後、丁度私がカリューへ行くと決めたあたりだ。
そうか、それでカズもあの時カリューに駆けつけていたのか。私に会うためだけにゲリラ訪問した訳じゃなかったって事だ。それは、出会い頭で一方的に叱って悪かったな…。
「そ、それは、黙っていたのは申し訳なかったけれど、ザハリとシュウ兄にも連絡したし、こっちからも救援部隊を組んで出したし、充分に手は尽くしたわ。現に、カリューでは誰も」
「誰も死ななかった。そう、それこそ、堀田先輩とザコル様がいたからでしょぉ!? 先輩がザコル様にすぐ助けに行ってって頼んだからなんでしょ!? 先輩がシータイであれこれ指示して、カリューの人達を真っ先に受け入れてくれたからなんでしょぉ!?」
「……っ」
急に声を荒らげたカズに、ロットが怯んだように言葉を引っ込める。
「マジあり得ない、そんな二人によくもそんな態度…っ!! てゆーか、あの城壁の中の三分の二が水に浸かって何百人も死ぬとこだったって、よりによってそんなヤバい状況で、よりによってこのウチを出し渋りするとか! あの時はザハリ様もザッシュ様もツルギ山の方にいたとか聞ーたんですけど!? 比較的近場にいたウチが行ってたら、それこそすぐにでも助けに入れたかもしれないのに!! 先輩ほどじゃないけど、ちょっとくらいなら知識もあったのに!! 優しくしてくれたカリューの人達がみんな死ぬところだったって、後から知ったウチの気持ちなんて団長には解んないですよねぇ!?」
「落ち着いてちょうだいカズ。あんな混乱した場所にアンタを遣れるわけないじゃない、いくら強くたってアンタは」
パシッ、ロットが差し伸べた手をカズは勢いよく払う。
「ウチが! 何のために戦ってると思ってんのぉ!? ここで拾ってもらった命返すためだし! それを大事に大事に守られたって何にも嬉しくない、それってただの飼い殺しじゃん。何度も言うけど、ウチはアンタのペットじゃ…!!」
とん、私はカズの肩を叩いた。華奢な肩が僅かに震える。興奮が指先に伝わってくるようだった。
「カズ。その辺にしときなよ」
「何? 今カズはあたしと話を」
「団長は黙ってて!!」
私に抗議しかけたロットをカズが押しのける。
「えっと、横からすみません。あのねカズ、ロット様の事、心底嫌なわけじゃないんでしょ。直してほしいところ、不満なことは伝えた方がいいと思うけど、言い過ぎたらきっと後悔するよ。カズは根が優しいみたいだからさ」
「違う、優しくなんてない…っ、だって、ロット様が堀田先輩の事、敵みたいな目で見るからぁ…!」
ひぐっ、カズの肩が上がる。
私はその肩にそっと両手を置いた。
「まあ、そりゃね、私達今まで顔も見たことなかったんだもん、騎士団長として警戒するのは当たり前でしょ。水害の混乱に乗じて重要な関所町に入り込んで、しかも町の一員みたいな顔して居座ってる、どこの馬の骨ともわからない怪しい女ってのはただの事実なんだし」
私自身ですらそう思っていたのだ。最近居心地が良すぎて忘れていたが。
「素性が怪しいのなんてウチも一緒じゃん…! ウチ、ウチね、ずっと、先輩に会いたくて、日本での事も、いっぱい謝りたくて、お礼も何も言えないまま、いなくなっちゃったから…!」
「うんうん、客先プレゼンすっぽかしちゃったもんねえ。その節はごめんだったよ中田」
ブンブン、中田…いや、カズは首を振る。
「違う、無茶な仕事あんなに持ってきたせいでついに先輩に愛想尽かされたのかもって……違う、どこかで事故に遭ったとか、過労で倒れちゃったとかじゃないかって、そうじゃなきゃあの先輩が何の連絡もなしに姿消すわけないって、探しに行きたいって会社でも言ったのに、許してもらえなくて…!」
「うんうん、そっか、心配かけてごめんね…」
「ねえ何で謝るのぉ…! あのクソ支部長、あんなに先輩のお世話になったのに、全部お前のせいだろってシラけた顔して…っ、ひぐっ、ウチ、キレちゃって、辞表殴り書きして叩きつけて出てきてやったけどっ、ひぐっ、でもウチのせいなのは絶対だから、もう消えちゃいたくって、本当はあの日、ウチ、死のーかと思ってたの…っ、シケた店でお酒片っ端から頼んで飲んでやってぇ…!」
「中田…」
「何余計な口挟んで興奮させてんのよ…! ね、落ち着きましょ、カズ、ズ?」
ロットが嗜めようとするが、カズは無視して続けた。
「ウチぃ、先輩に会ったらもう絶対離れずに守るって決めてたのぉ。でも再会した時にはもう、ウチなんかより強い人見つけて仲良くなってて、エビくんもタイくんも先輩の事大好きだし、イーリア様がザッシュ様のことも先輩につけるって言うし、ウチみたいのなんかいない方が先輩のためかもって思った。でも、やっぱり、ちゃんと謝りたくって、話がしたくって、ちゃんと、今度こそ大事にしたかったからぁ……!!」
わあああ、とついにカズが泣き崩れ、床にへたり込んだ。
「大丈夫よカズ。そんなに泣かないでちょうだい。可愛いお顔が台無しだわ。あたしはね、カズがあまりにその方に対して思い詰めているようだから、忘れた方があなたのためだと思ったのよ。そんな女の代わりに、あたしがずっと側で支えてあげるか」
「さっきから何言ってんのぉ!? 忘れられる訳ないじゃん、誰も代わりなんてできるわけない!! ウチの堀田先輩にそんな事言うロット様なんて、ロット様なんて、もう大ッ嫌い!! どっか行ってよぉ…!!」
「だ、だいきら…………」
ロットが呆然と立ち尽くす。
トントン、ガチャ。
ノックとともに扉が開く。ロットのフルプレートアーマーに比べればいくらか軽装備の鎧を身につけた屈強な男達だった。
「団長、そこまでだ」
「アンタ達どうして…! 母達を抑えろって命令したわよね!?」
「どうして俺らが女帝や元団長とやり合わなきゃなんねえんだ。いくらアンタの命令でも聞けねえよ。ここまで言われても解らねえのか、カズを思い詰めさせたのは聖女様じゃねえ、アンタだぞ」
「違うわ、あたし、カズのためを思って…!」
「いーや、早え話、アンタはそこの聖女様に嫉妬してんだよ。聖女様は元々、渡り人の召喚や送還について調べに来られたそうだな。アンタは、カズが聖女様とどっかに行っちまうのを恐れただけだ」
「違うって言ってんでしょうが!! あたしは…!!」
「なんにしろもう詰んでんだろが、退くぞ団長。ザッシュの旦那、ザコル坊ちゃん、団長は預かります。離してやってくだせえ」
尚も言い募ろうとするロットを制し、いくらか年配の男が頭を下げる。
「タムラ、義母はどうした」
「すぐそこに。まず俺らだけで迎えに行かせてくれと頼みました」
「そうか」
ザッシュがロットを阻むように押し付けていた鉄槌を下ろす。しかし、ザコルはロットの首元に突きつけた手を引っ込めない。
「ザコル。離してあげてくださいよ」
「嫌です。ミカに無礼を働く者は兄だろうが何だろうが全員敵です」
どうしよう、番犬が言う事を聞いてくれない。
「ザコル。お姉様が離せとおっしゃったのよ。聞き分けなさい」
アメリアの言葉に、ザコルが渋々といった様子で手を引っ込める。同時にハコネの指示で騎士達も剣の柄から手を離した。
「ほら、エビーとタイタも剣から手を離して。サゴシも殺気引っ込めて。吹き矢も!」
天井にまで呼びかけると、張り詰めた空気がやっと少し和らいだ。
「…えっと、あと、イリヤくんも」
「ミカさまとカズさまはやさしい人です。やさしい人にいじわるする人はてきです」
イリヤは音も気配もなくロットの後ろに回り、ワゴンに備えてあったフルーツナイフを鎧の隙間に突き立てていた。
…カズが教えた反骨精神とやらが早速仕事を始めてしまった。眠れる獅子を起こしたかもしれない。
「…イリヤぁ、その人、ウチの、いちお大事な人なんだ」
カズがぐしぐしと目元をこすりながら立ち上がる。
「だいじ、ですか?」
「そう。一応ね」
カズの言葉に、イリヤはナイフを引っ込めた。
「カズ…」
「勘違いしないで団長。ウチ、当分許せそうにないんで」
少しだけ救われたような顔をしたロットに、カズが釘を刺す。
「しばらく顔見せないでくれますかぁ」
「そんな…!」
カズは目元を赤くしたまま、不器用に微笑む。
「お願い。本気で嫌いになる前に頭冷やしたいんで」
青ざめたロットの脇を男達が数人がかりで押さえる。
「安心しろカズ、俺らが見張っとく」
「迷惑かけてごめんね、タムじい」
「いや、俺らの言葉じゃ聞く耳持たねえもんで、止められずに悪かった。酷な言葉吐かせちまったな」
「いーの。はっきり言えなかったウチが悪いって解ってる」
タムラと呼ばれた男は、俯いたカズの頭にポンと大きな手を置いた。
「お前さんは悪くねえさ。ずっと俺らと前線守ってくれてありがとうな。今年は情勢も不安定な上、一連の水害であちこちに人割いてたからな、とびきり強えお前がいてくれたのは正直助かったぜ。お前に抜けられると困るってのは、あながち嘘でもなかったんだ」
カズが顔を上げる。
「ねえ、ウチ、ここの人達の、役に立てた…?」
「役に立ったに決まってんだろが。お前に感謝してねえ奴なんざ、うちの部隊には一人もいねえよ。カリューの奴らだって解ってるさ。まあ、アカイシの国境も雪に閉ざされつつあっから、俺らの仕事もしばらくは開店休業だ。お前も好きに羽を伸ばせ。聖女様と積もる話もあるだろうしな」
タムラと男達は、その場の全員に礼を尽くし、一言も発さなくなったロットを引きずって退室していった。
つづく




