珍客乱入① じゃんじゃじゃーん
翌朝の鍛錬は賑やかだった。
まず、参加する人間達と魔獣達双方の了解を取り、在町の魔獣達も放牧場に出られるようにした。
魔獣達の先頭にはミリナの代理としてイリヤが立った。まるでお遊戯会のパレードの先頭を歩くように、カチコチと緊張しながら歩くイリヤを皆で見守る。
「可愛らしいなあ、流石は女帝の孫だ」
「可愛らしくてもサカシータ一族だ、きっととんでもねえ力秘めてっぞ」
「ありゃ、魔獣も子守り気分だな、イアン様の奥方様は、相当な魔獣使いらしい」
「まだお疲れが取れてねえらしいが、ご本人の登場が待ち遠しいぜ」
みんなソワソワとして期待を隠しきれていない。今日は鍛錬に参加しない観客もいつもより多い。
「イリヤ様、ご挨拶をお願いいたします」
マージに促されてイリヤがりんご箱のステージに登壇する。
「え、え、えっと! イアン・サカシータと、ミリナ・サカシータの子、イリヤ・サカシータ、です! きのう、この子たちといっしょに、ここにやってきました! しばらくおせわになります! よろしくおねがいします!」
イリヤを囲む魔獣達も一斉に鳴く。盛大な歓声と拍手でもって彼らは迎えられた。
「それから、もう一人ご紹介する方がいますわ。さあどうぞ」
大柄なイーリアの側近の後ろからヒョコ、と小柄な人影が現れる。
「なか…っ!?」
私はすんでのところで自分の口を押さえた。エビーとタイタも同じように口を押さえている。ザコルはニヤリと口角を上げた。ザッシュは知っていたらしく特に反応がない。
くるり、シュタッ。
「じゃんじゃじゃーん。おひさー」
中田はふざけたポーズを壇上で決めた。
「あっ、カズちゃん!? カズちゃんじゃねーか!!」
「本当だわ!」
カリューから来た避難民達がどよめく。カリューは中田を最初に受け入れた町だ。
「そうでーす、みんなのカズでぇーす。ウチ…じゃなかった、私ぃ、この度ぃ、峠の山犬様の隠し子だった事が判明したのでー、えっと、何だっけ、カズ・モナになりましたぁー」
『えええええええええええええええええ!?』
今度こそ堪えれずに叫んでしまったが、私達の叫びはカリュー勢の叫びにかき消された。
「なか…っ、いや、カズ・モナ、さん!? 何がどうしてそうなって」
がくがくがくがく。
「せんぱーい、落ち着いてくださいよぉ首が取れますぅ。前から話はあったんですよー。どっかの貴族家の隠し子説でいこーかって。オーレン様か山犬様か選べって言われたからあの酔っ払いおじさんにしときましたぁ。カオラ様も近所のおばちゃんて感じで話しやすいし、なんかカズモナってモナリザみたいで笑えるし」
「アンタはもうホント何失礼な事ばっか言ってんのよおおおおお」
「あは、あの夫婦そんなの気にする人達じゃないですってぇ。こないだはぁ、山犬のおじさんとワインしこたま飲んでべろべろになって一緒にカオラ様に叱られたんですよー。マジウケましたぁ」
「あのお二人こないだこっちに来てくれた時はそんな事言ってなかったのにぃぃぃ」
「手続き済んでなかったからでしょぉ。機密ですよ機密ぅ」
そんな機密を堂々と話しているが、周りを囲んでいるカリュー町民もシータイ町民も特に気にした様子がない。私以外の渡り人らしいのが領内にいる事は皆知っていて黙っていたらしい。流石は秘密を守れるサカシータ領民である。
「ようやくカズちゃんの話をミカ様とできるなあ」
「二人はあっちでも知り合いだったんだろ、良かったなあ、一人じゃなくて」
「山犬殿の隠し子って事は、男爵令嬢? 令妹? って事になるのかしらね。いよいよカズ様ってお呼びしなきゃ」
「やめてくださいよー、隠し子になったけどサカシータ騎士団の一兵卒なのは変わらないんでぇ」
「何が一兵卒だ。カズちゃんの実力じゃあ控えめに言っても将軍クラスだろが」
どっ。あははははははは。
……全く和やかなものだ。
「ギャル様あ、雪合戦やらねーんすかあ」
「あっ、エビ君! やるやるぅ!」
「え、ちょっとアメリアにも紹介を」
「わたくしは後でいいですわお姉様。イリヤさんもお待ちですし。カズ様、どうぞお行きになって」
「何この子、めっちゃ可愛いしやさしー! 後でねぇー」
中田はバビュン、という効果音が似合うスピードで駆けて行った。
「すみません、うちの中田が」
「ふふっ、あの方がミカお姉様のおっしゃっていたカズ・ナカタ様ですのね。お姉様に仕事を押し付けただなんて聞いておりましたから、どんな方かと思っておりましたけれど、とっても可憐で魅力的なお方だわ。あれでザコルが認める実力を秘めていらっしゃるなんて、とても信じられませんけれど…」
「あの雪合戦を見てたらすぐ納得できますよ。あの子こそ本物の最強チート娘ですから」
中田、もといカズはイリヤと一緒にハコネ率いるテイラー騎士団のチームに入った。対するはザコルとザッシュ、そして野次三人衆らシータイ町民で組まれたチームだ。それはもう、世界頂上決戦みたいな壮絶な戦いとなったのは言うまでもない。
審判にはイーリア、最前列には目を輝かせる幼児軍団と同志達。あちこちに散らばっていた人も魔獣もどんどん集まってくる。彼らは生まれも種族も超え、熱狂的にその試合に見入った。
「コマ様、という方は今日もミリナ様のお部屋で監視なさっているのかしら」
私とアメリアはイーリアの近くにりんご箱の椅子を用意してもらって観戦している。来賓気分だ。
「そうみたいですね。あっちはもー、この世のものとは思えないくらい可愛いので、紹介したいというかぜひアメリアと並んでるところが見たいんですけど…。もう、私に稽古つけてくれるって言ってたのにー」
「あら。わたくしではご不満かしら?」
来賓にお茶を配るPTAよろしく、マージが温かい牛乳と軽食を手渡してくれた。
彼女の他にも、同志村の部下達と町長屋敷の使用人達が手分けして他の観客達に軽食や牛乳を配り歩いているのが目に入った。
「マージお姉様、今日も手合わせしてくださるんですか!?」
「ええ。鍛錬にも参加するつもりでこの格好ですもの。この試合を見届けたらぜひ手合わせいたしましょう」
「やったー」
昨日、夜まで屋敷に帰ってこなかったマージは、モリヤ達衛士や町民の一部と共に町周辺に集まってきた外部からの偵察を掃討していたそうだ。多くの魔獣が飛来したせいで、コース上にあったモナ領も大騒ぎだったらしい。駆けつけた野次馬に紛れて曲者も増えたというわけだ。
そんなわけで、今日も忙しくなりそうな彼女は戦闘服姿である。
「昨日は、ミリナ様とイリヤ様のために鹿も仕留めて参りましたのに。ミリナ様はまだ固いお肉はお召し上がりにはなれそうにありませんわね…」
「曲者の掃討ついでに鹿を…。そうだ、私が魔法で圧力鍋よろしくほろほろに煮込んでみましょうか。うまくいくかは分からないので、期待はしないでほしいですが」
「まあ、ぜひ試してちょうだい。あなたはお料理上手だもの、期待するなという方が無理よ」
「ミカお姉様、新しいお料理に挑戦なさるのね! 素敵、きっとミリナ様もお喜びになりますわ」
うーん期待値が高い…。
アメリアいわく、私の作ったコンポートはよそで食べたものよりもずっと美味しいらしい。それはただこの土地の林檎が美味しいだけではと思わなくもないのだが、魔法で一気に加熱する関係で水分が飛びすぎず、よりジューシーに仕上がっているみたいな可能性はある。
鹿肉を調理するのは初めてなので、プレッシャーもあるが楽しみだ。
「おい姫」
「ひい!! 出た!?」
急に背後から声をかけられて飛び上がった。
「さっきからずっとお前の後ろにいたぞボケ。気配感知はまだまだだな」
ふんっ、と腕を組んで顎を上げる美少女風の人、コマだ。
「まあああ!? もしかしなくともこの方がコマ様ですの? なんて、なんて可愛らしいの、本当にこの世のものとは思えませんわ!」
感嘆の声を上げるアメリアに対し、コマはスッと胸に手を当て、黙って顔を下げた。
本来、貴族の間には身分の低い人から話しかけてはいけないと言うルールがあるので、初対面の貴族であるアメリア相手にはそれを守ってみせているのだ。この場合、私が双方を紹介しないと話が始まらない。
「アメリア、こちら、ザコルと暗部で一緒だったというコマさんです。今はジーク伯に仕えていらっしゃって、魔の森の出口辺りでは一宿一飯のおせわになりました。コマさん、こちらテイラー伯のご息女、アメリア・テイラー様です」
「紹介に預かりました、アメリア・テイラーですわ。ジーク伯には父母もわたくしも大変お世話になっております。どうぞお楽になさって、コマ様」
「どうも、お目汚しをすみませんご令嬢。挨拶だけさせていただきにきました。俺は卑賤の生まれですんで様付けは似合いません。こちらからはなるべく接触を控えますんで、あなた様もどうぞ俺の事は空気とでも思って」
「ふふっ。嫌ですわ」
ピシッ。空気が凍りつく。
「嫌…?」
コマが目だけをチラッと上げる。
「だって、ミカお姉様が師と仰いでおられるのでしょう? でしたらわたくしも相応のお付き合いをさせていただきたいの。空気だなんてとんでもないですわ。さあ、諦めてこの我が儘娘ともお付き合いくださるかしら、コマ様」
「………………」
コマがあからさまに眉を寄せる。
「コマさんコマさん、うちの妹はあのザコルとも思いっきり張り合うお転婆ですよ。我が儘は聞いといた方がいいです」
「そうですわよコマ様。アメリア様はこの辺境のいち役人でしかないわたくしの事まで様付けすると言って聞いてくださらないの。諦めた方がよろしいですわ」
コソコソ。私とマージでコマに耳打ちする。
「………………」
関わり合いになりたくない、とはっきり顔に書いてある。
「そんな顔しなくたっていいじゃないですか。そりゃ彼女も色々あってここに滞在してますけど、私に比べたら至極真っ当なご令嬢ですよ?」
「お前は真っ当どころか魔獣枠だろが。人と比べんな」
「ひどっ」
「大体な、俺は工作員だぞ工作員。それも他領のだ。関わって不利益被んのは真っ当なご令嬢の方なんだぞ」
くすくす、アメリアが口元を緩ませる。
「お優しいのね。見た目は少女のようですのに、お心は紳士でいらっしゃるわ」
「ただの事実ですんで」
にこやかな美少女に、慇懃無礼な美少女風の人。美少女頂上決戦だ。これはもう、どっちも優勝である。
コマがアメリアの出自について把握しているかは定かではないが、辺境まで騎士を引き連れて『疎開』している時点で明らかに訳アリ令嬢ではある。彼も一応工作員なので、任務外の面倒事に首を突っ込むのは極力避けたいのだろう。
まあ、ここを離脱して魔獣とミリナを助け出しに行った時点で、完全に任務を外れている気もするが…。
「不利益になるのが事実としても、関わると決めるのは真っ当な貴族令嬢であるわたくしの方、という事でよろしいかしら? よろしいわよね」
圧。
むう、とコマが押し黙る。そして承諾代わりに一礼だけした。
「はあ。この押しの強さ、あの変態王子を思い出すぜ」
「へえ…」
…これは出自も知ってるな。第一王子のラボで見かけたりしたんだろうか。
こんな事を言えば甘いとコマ自身に怒られそうだが、コマならアメリアを悪いようにはしないだろう、という勘めいたものがある。彼の主であるジーク伯兄弟もアメリアのサカシータ行きには協力的だったそうだし。
「とりあえず、紹介も済んだ事だし今度山の民の衣装お揃いで着てくださいね」
トップスは避難民にあげてしまったが、スカートはちゃんと二着残してある。そうだ、刺繍入りのポンチョも山の民のお姉さんに頼んで貸してもらおう。山の民の女子供が山に帰った後も、彼女と数人の若手女性は町に残って私達の様子を伺ってくれている。
「何がとりあえずだこのイカレ女。今そんなもん着てられっかよ、俺は忙しいんだ」
「私の国には、固い塊肉を柔らかく煮込んだ角煮という料理があってですね。砂糖や蜂蜜を入れて甘辛い味に仕上げるんです。丁度新鮮な鹿肉が入ったそうなので熟成が済み次第ぜひ挑戦してみたいなと」
「………………」
醤油はないが、まあ何とかなるだろう。塩はあるし、日本酒の代わりにはワインを使うとして、すりおろした林檎や玉葱なんかも入れたら美味しくなりそうだ。よし、鹿の洋風角煮と洒落込もうじゃないか。
「コマさんのいない間に作った林檎ヨーグルトフラッペも人気を博したんですよ。あれを作ると毎回ザコルの語彙が『おいしい』以外なくなっちゃうんです。もう、ほんと可愛くないですかあの人」
うんうん、マージが強めに首肯している。コートの中でザコルがすっ転んだ。
「あの筋肉ダルマがアホになったって可愛いわけねえだろボケ」
うんうん、今度はアメリアが首肯している。そんなアメリアをチラッと見たコマは、はあ、と小さくため息をついた。
「フン、このお嬢様を俺様の引き立て役にでもする気か?」
「ふっ、まさか。コマさんに張り合えるのは正直アメリアくらいだと思ってるんですよね。国宝級美少女頂上決戦…!!」
「相変わらずだなお前…。少なくとも俺は少女じゃねえぞ」
「……わたくしも一応『大人』ですわよ? お姉様」
「いいんです! お二人は永遠の美少女だから!!」
「まあ、ミカは着ませんの? とっても似合っておりましたのに。わたくし、ミカにも一緒に着て並んでほしいわ。さぞお可愛らしいでしょうね」
マージも含む四人でわちゃわちゃしていたら、いつの間にか審判であるはずのイーリアがこちらを凝視していたし、試合に参加しているはずのサゴシも場外からこっちを凝視していてエビーにはたかれていた。
雪合戦は最後、ザコルとカズの一騎打ちで大変に盛り上がったが、やはり投擲ではザコルに分があり、先程やっと決着がついた。
無表情がデフォの猟犬殿はそれはもういい笑顔で雪まみれになっていて、今日も同志の半分以上が心身喪失状態になった。
最近のザコルは、前にも増して毎日が楽しそうである。
「で、何だこいつ。今度こそ隠密だろ」
「ええ、同志ではなく普通にテイラー家の隠密でサゴシといいます。私の護衛に加わってます」
「てめえ、影のくせに昨日も今日も何普通に遊んでんだ。隠密の自覚あんのか?」
「ふへへええ…」
コマに首根っこを掴まれたサゴシが非常に満足そうな顔をしている…。手袋越しなので、コマが『体温を持たない』事はバレてはいまい。
「その子、普通に見えてかなりの変態ですよ。顔のいい人がとにかく大好きで、今もただただ喜んでます」
「…また変態が増えやがったのか。しかもお前…」
ぱ、とサゴシの襟首を離し、コマは気持ち悪いものでも見るような顔をする。
「失礼、貴殿がコマ殿か、俺はハコネ。テイラー家の第二騎士団長を務めるものだ。挨拶が遅くなってすまない」
汗だくのハコネがやってきて、コマに軽く一礼した。
「…いえ、俺もただの影なんで。本来お嬢サマや騎士団長サマの前に出るようなもんじゃありません」
「はは、俺も今は護衛の一人に過ぎない。そう警戒せずとも『適当』に付き合ってくれればいい。よろしくな、コマ殿」
ハコネが握手のために手を差し出すと、コマは手袋のまま応じた。
「コマ殿。義姉上の容態はどうだ」
「今度は金槌か。まだ何とも言えねえが、今朝はよく眠れてるようだったんでな、今はメイドに監視させてる」
コマは、面識のあるザッシュには淡々と返した。
コマもこれで結構な人見知りだ。初対面の人間を警戒するのは普通かもしれないが、生まれや身分を盾に壁を作るあたり、過去に嫌な思いをたくさんしてきたのかもしれない。
「シュウおじさま、僕がんばりました! ごほうびにだっこしてください!」
「ザッシュ様ぁ、ウチと手合わせしましょーよぉ」
左右から同時にザッシュに飛びついたイリヤとカズが顔を見合わせる。
「えー、ザッシュ様ってば何お子ちゃまに懐かれてんのぉ?」
「ふぇ…」
「おい、カズ殿。イリヤが怖がるだろう、威圧はやめろ」
ザッシュがサッとイリヤを庇う。
「はあー? 何これしきの事で泣きそうになってんのー、睨まれたら睨み返しなよぉ」
「ちょっと中田…じゃなかった、カズ、その子も色々あるんだよ。優しくしてあげて」
私もカズをたしなめようとしたが、彼女は不満そうに首を振っただけだった。
「その色々ってのは聞いてますけどー、その子に足りないのは反骨精神だと思うんですよねぇ。ねえお子ちゃま? ザッシュ様を賭けておねーさんと戦おっか」
「おい、なぜおれを賭ける必要が」
ザッシュが抗議しかけるが、カズはそれをも手で制す。
「で、でも、僕、ケガさせるかもしれないし」
「へーえ、君、もしかしてビビってんのぉ? そんな事じゃあザッシュ様はウチのものになっちゃうなぁー」
「だ、だめ、シュウおじさまをとらないで!」
「だったら根性見せなよぉ。そうだなー、ウチに一撃でも入れられたら今回だけザッシュ様を譲ってあげるぅ」
「おい、さっきからおれを物のように」
「よぉーしかかってこいお子ちゃまぁ!」
「わ、わあああああ!!」
ヤケになったイリヤがカズに飛びかかる。カズが軽く受け流すように手を出すと、イリヤの体がくるっと回転して雪の上にドサっと落ちた。
「イリヤ!」
ザッシュと駆け寄ろうとするので今度は私が止めた。魔獣達まで反応していたので目線で制す。カズにも考えがありそうだ。
「え? え? 僕、今、まわった?」
合気道の技だ。相手が回されるように投げられるところはテレビなどでも何度か見た事があるが、実戦でもあんな風に回されるものなのか。すごい。
「下は雪だし、大して痛くないでしょ。立ちな、お子ちゃま。そんな雑に飛びかかったって全然当たんないよぉ。ちゃんと構えなぁ! もっと腰落としてぇ!」
「は、はい、こう?」
カズがやってみせた構えをイリヤも真似してみせる。
「お、いーじゃん。相手との間合いをよく見て、感じて。ここにいんのはぁ、君の何百倍も鍛錬を重ねてきた強敵だよぉ、やらなきゃやられると思って気を張りなぁ。返事はぁ!?」
「はいっ!!」
イリヤの顔つきが変わった。素直な子だ。
よっこらせ、と私の座るりんご箱の横に腰を下ろす人がいる。
「よっこらせ、は行儀が悪いんじゃなかったんですか」
「ああ、ミカのせいでうつりました。アイキドーの指南が始まったようなので見物に来たんです。…アメリアお嬢様はどうされたんですか、その顔」
「……わたくしも飛びかかった方がいいのかしら」
むうう、と真剣な顔をしてカズを睨むアメリアだ。なんて可愛いんだろう。
「今ちょうどお兄様が空いてるじゃないですか。飛びかかってみましょうよ」
「ザッシュ様に!? そんなはしたない真似は…!」
「いつでも側に寄っていいってお許しもらったでしょ。さあさあさあ」
ぐいぐいぐい。
「な、なな、何だミカ殿、どうしてアメリア嬢をこちらに押してくる!?」
「空いてるかなと思って」
「やめてくださいましお姉様…!!」
ぐいぐいぐいぐいぐい。
「あの、お話中にすみません。ザッシュ様、軽食を受け取られてませんよね、これで最後になりますからどうぞ」
「あ、ああ、ユーカ、ありがとう、ちょっ、ミカ殿は止まれ」
ザッシュは、同志村女子の一人、ユーカが差し出すホットドッグを受け取る。そして二口くらいで飲み込んだ。
二週間も頻繁に顔を合わせていたので、ザッシュも同志村女子には慣れてきたところだ。彼女らもザッシュを始め、野次三人衆などの荒くれ者が相手でも全く恐れている様子がないし、距離感に配慮がいらない相手として認識できたようである。順調だ。
「今日も薄着でいらっしゃいますね。お寒くはないんですか」
ユーカの言う通り、ザッシュは晩秋に出会った時からほとんど格好が変わらない。長袖の簡素なシャツに下はサカシータ領の軍服のズボン、首元にはザコルがやたらにたくさん編んだマフラーの一つが巻かれている。
今日も弟の手作りマフラーしてるな、と毎日ちょっとだけ萌えているのは内緒だ。
「ああ、この体格のせいか寒さは感じにくくてな。軍服も、上着は特におれの体に合うものがないし…」
この人、領主のご子息なのにどうして既製の軍服で間に合わせようとしてるんだろう。いくら何でも普段着くらい普通に作ってもらえばいいのに。服装に脳のソースを割こうとしないところは八男そっくりだ。
「良かったら上着だけでもお縫いいたしましょうか。裁縫には自信がありますよ」
「いや、そこまでしてもらうわけには」
「ザッシュ様もいつも平民である私達によくしてくださるではないですか。カモミとも協力すればすぐに縫い上がりますからぜひ」
お、結構ぐいぐいいってる。まさかユーカ、ザッシュを狙うつもりなんだろうか。
そんなユーカはチラリと私の方を見て、アメリアに一瞬だけ視線をやり、ニヤリとした。ほう、なるほど。
「アメリア、どうしましょう。ザッシュお兄様には私達もお世話になってるじゃないですか。私達も何か作って差し上げた方がいいんじゃないでしょうか」
「…えっ、はっ、そ、そうですわね!? な、何かって何を!?」
ユーカまで参戦してきたかと呆然としていたアメリアが我に返る。
「そうですねえ、アメリアは確か、刺繍が得意じゃなかったでしたっけ」
編み物はまだまだ初心者の域を抜けないが、刺繍の腕は中級以上だと聞いている。令嬢の嗜みというやつだ。
「まあ、素晴らしいです! でしたら、私達が縫った上着に何か素敵な刺繍でも施してくださいませんか。うーん、そうですね、胸ポケットの生地を先にお渡ししておきますから、同時進行でいかがでしょう」
「いいね。ザコルが大量に持ってる白いハンカチもひと束渡しておきましょう。ポケットの刺繍とお揃いになっていい感じになるのでは?」
そうしようそうしよう。私とユーカはたたみかけるようにして話を進めていく。
「では、生地やボタンなどの材料は早急にチッカで買い付けて参ります!」
「よろしくねユーカ!」
私はザコルにお小遣いからいくらか出してもらい、ユーカに預けた。
私達が作る、と言いつつ私はお金とザコルのハンカチしか出さない予定だ。後は以前ユーカとカモミにもらった刺繍糸のセットと裁縫箱をアメリアに丸々貸し出そう。
「おい、おれは置き去りか…? アメリア嬢も、何やら勝手に話が進んでいるが大丈夫なのか」
「だっ、大丈夫ですわ! 心を込めて刺繍させていただきますので、あの、その、どうか、お受け取りになってくださいますか…」
アメリアは威勢よく返事をしたものの最後は尻すぼみになった。だが、伝えるべきことは言えた。えらい。
「…そ、その、あなたが無理をしないと言うなら、おれは、もちろん、いいというか…」
ぱっ、アメリアが顔を上げた。瞳がきらめいている。
「ありがとうございますザッシュ様! わたくし、きっといいものに仕上げてみせますわ! ユーカ、頑張りましょうね!」
「ええ、もちろんですアメリ様!」
ちなみにだが、同志村スタッフやシータイの町民達は、未だにアメリアが最初に偽名として名乗ったアメリの名で呼んでいる人が多い。
本名で呼ぶのが恐れ多いだけかもしれないが、アメリと呼ぶとアメリアが嬉しそうにするので、きっと理由は後者だろう。
「どんな図案がいいかしら、勇壮なザッシュ様にお似合いになるモチーフ…ああ、決められるかしら」
ウキウキと悩み始めたアメリアの後ろで、ザッシュが顔を覆って蹲り、何やらブツブツと呟いている。
「あれはファン行動あれはファン行動あれはファン行動あれはファン…」
よし、一石投じた。私はユーカと顔を見合わせ、パーンとハイタッチを決めた。
アメリアのお目付役である騎士団長が胡乱な瞳でこっちを見ているが無視だ。
「今の技は何だ!? なんという洗練された動きだ、やはりナカタは素晴らしい!」
そして、そんなやり取りには全く構わず、合気道の技や構えを真似てみてははしゃいでいる人が一人。
モヤ…。
モヤりとはしたものの、合気道の指南などそう何度も見られるものではないだろうし、これでカズがザコルに直接指南などしていたらもっとモヤる事は目に見えているので、私は大人しく席に座り直した。
カズとイリヤの合気道教室は、いつの間にかザコル以外にもギャラリーがたくさん集まって見物していた。しばらくは合気道もブームになりそうだ。
つづく




