王子と猟犬
「ザコル、僕と一緒に巻き込まれてくれるかい」
その問いに、僕はいつものように「報酬の発生する任務としてならばお引き受けします」とだけ返した。
彼は「言うと思った」と笑った。
オースト国第一王子殿下、王太子殿下。
身分ゆえに本名で呼ばれることが極端に少ない彼は、意図的になのか、貴族年鑑にもほとんど自分の情報を載せていない。理由は訊いた事がないので知らない。どうせ知らない方がいい理由なんだろう。
「ザコルって、本当にお金でしか動いてくれないよね。僕の事、友人だと思ってくれてないの」
「そのような恐れ多い感情は持ち合わせておりません」
「暗部辞めて側近になってよ」
「なりません」
ちぇ、と彼は口を尖らせる。
「じゃあ何ならお願い聞いてくれるんだい」
「王都を消し炭にするという任務要請ならば喜んで引き受けます」
「僕だってそうしたいのは山々だけどさあ、君を大量虐殺犯で国賊にするなんて、最終兵器の無駄遣いにも程があるだろ」
「こうしてガラクタを整理させられている状況だって、充分僕の無駄遣いなのでは?」
国外の有力貴族の蔵の奥で眠っていたらしい、古びた剣の鞘を抜いて改める。一応魔剣と聞いたが、魔法効果があるかどうかはともかく腐食が酷すぎる。当主さえもその存在を忘れて手入れを怠っていたのだろう。
…これは素人の手には負えない。ムツ工房のミツジにでも相談するか。彼なら機密に関する約定にも判を押してくれるだろうし、どうせ武器を新調しに行かねばならないので丁度いい。
「だって、コマはこういうのは苦手だって言うからさ。最近魔獣舎に入った世話係の娘に懸想してるって噂、本当かな」
「さあ。興味はありません。噂を流される程、奴の存在が知られているとも思えませんが」
僕は彼を軽く睨む。
「そりゃ、僕が噂してるだけだもの」
全く趣味の悪い。コマが人に興味を持つ基準など、魔力が高いか『伸びしろ』があるかどうかしかない。大方その世話係の娘に何かしら使えそうな才があるとか、魔力目当てで魔獣舎に通う内に多少会話するようになったとか、その程度の事だろう。
「コマはほとんどの女性を小娘って言うから、その女性が本当に娘っていう年齢なのかは判らないんだけどね」
「そうですか」
集中できないので話しかけないでほしいのだが、相手は王族なので最低限の返答くらいはしなければならないのが腹立たしい。
「ねえ、見てよこのレイピア! あしらわれてるのはでっかい紅玉だけど、ただの紅玉じゃないよ。宝石の裏に仕込まれてるのは、小さな魔法陣? いつの時代のものなんだろう。何したら魔法が発動するんだろうねえ。ほらほら、こないだ君がコメリ邸から巻き上げてきた一振りじゃないか。何か聞いていないの?」
「そうですか」
この石板は一体なんだ、書かれた文字が何語なのか、この図が何を表しているのか僕にはちっとも解らない。そもそも何の素材でできているのか…。これはメイヤー公国の属国から持ち出した品だったか。物品が多すぎて記憶が曖昧だ。
「ちょっと、聞いてるのザコル」
「そうですか」
とりあえず覚えている限りでも記録してしまわないと。僕は本来そう記憶力がいい方じゃないんだ。興味のない事は特に覚えられない。大体、巻き上げた時点でメモの一つでも残しておけばいいのでは? どうして僕が殿下のずぼらさの後始末なんてしなくちゃならないんだ。
「…はあ、いつどこで拾ったものかくらい自分で書けないのか」
「それ、僕に言ってるの」
「独り言です」
この作業は夕方までに終わるだろうか。今日こそはさっさと休みたい。宿舎ではどうせ碌に眠れないだろうが、いい加減一人になりたい。明日からは溜まりに溜まった指名付きの任務を片付けなきゃならないんだ。こんなガラクタのために貴重な時間を費やしている場合ではない。面倒だが体も清めないと…。
「殿下」
「何だい」
「国外のものからさっさと仕分けしてください。僕は忙しいんです」
さっきからホムセン侯爵一派の家々から没収した国内の宝にばかり構っている男に声をかける。
「もう、戦から帰ってきたばかりだよ? ザコルはもっとゆっくりしたらいいのに」
「誰のせ…いえ、もう一度言いますが僕は忙しいんです。突然戦が入ったせいで通常業務が滞っています。いくら緊急性の低いものでもこれ以上放置したら」
「分かった分かった、しょうがないなあ、ディナーを奢ってあげるから。お風呂も用意しようか?」
「要りません」
結局、ガラクタの整理は夕方までには終わらず、明け方まで拘束される羽目になった。
わざとらしくコースで出てきた夕食は立ったまま口にかき込んでやった。座って優雅になど食べていたら終わるものも終わらない。
「それじゃ味も分からないじゃないか」
「僕は食事に味の違いなど求めていません」
王都の食べ物は正直苦手だ。故郷で食べていたものに比べると、何というか、みな一様に死んだような味がする。
王都ではとある事情で農業や畜産を営むのを禁止されている。よって食材は全て王都の塀の外から運ばれてくるので、新鮮なものは一握り、しかも高い。そんな貴重な生鮮食品さえ、悪趣味な貴族達が争奪戦を繰り広げたのち、高価な調味料まみれにして息の根を止めてしまう。
彼らが特にこだわるのは塩と砂糖だ。塩なんてサカシータ領では割と安く手に入るものだったが、ここ王都では高価な部類に入る。塩加減は一歩間違えば身体を蝕む毒にもなるのに、王都に住まう貴族達はそれを知っていながらも見栄のために塩を濃くする事をやめない。正気の沙汰とは思えない。
この王宮で出てくるものは宮廷医の進言があったとかで塩加減はまだマシだが、食材が新鮮かどうか以前に作りたてですらない。広い敷地のどこかにある調理室から運ばれ、毒味などの過程を経てここに並べられている。
手間はかかっているのかもしれないが、これなら手を加えない獲れたての林檎や搾りたての牛乳の方がはるかに味気があるというものだ。
「その辺の草よりはマシだろう?」
「その辺の草の方が新鮮なだけマシです」
僕は王都に来てからというもの、食べる事への興味をどんどん失いつつあった。
◆ ◆ ◆
「消息確認」
朝日が目にしみる。そんな朝日を背に、まるで軍の点呼でも取るように僕を指さす人がいる。
「…サンド兄様。こんな早朝の街道で何をしているのですか」
「お前こそ。やっと国に戻ってきたと思ったら早々に朝帰りか。隅におけんな」
「……仕事です。今日も一日仕事します。では」
「待て。そろそろ十九になるだろう。祝いだ」
そう言って三兄は手にしていたものを僕に投げた。逆光なので見えづらいが、僕は飛んできたものを受け取る。
「…林檎」
「うちの庭で獲れた」
そういえば、前に領から苗を持ち込み、庭木として育てていると聞いた。ようやく実をつけたのか。
「ありがとうございます。誕生日はまだ相当先ですが」
「次の消息確認の頃には過ぎているだろうが。ではな」
そう言って三兄は踵を返し、高く跳び上がり、民家の屋根を走って消えた。
「街道をまっすぐに行けば屋敷に着くのに、どうして屋根を走る必要があるんだ…」
王宮魔法陣技師である長兄の屋敷も、その補佐である三兄の屋敷も王宮からほど近い街道沿いにある。
役職があって妻もいれば屋敷を構える必要がある。それくらいは僕も理解しているし、現状に何の不満もないのだが、王都に出てきた兄弟の内で僕だけが宿舎暮らしなのを三兄は気にしているようだ。何度か敷地内に家を建ててやるから住めと言われたが、独身で宿舎にさえほとんど帰らない僕に家など必要ない。
会うたびに嫌味しか言ってこない長兄の屋敷近くに住むのも御免だ。
三兄がくれた小ぶりな林檎をかじる。新鮮な果汁が死にかけた僕の味覚を叩き起こす。故郷で食べた味には及ばないが、やはり獲れたての林檎に勝る食べ物なんて存在しない。
…三兄の屋敷に行けばもう一つくれるだろうか。
◇ ◇ ◇
「おいしい…」
「ふふっ、またアップルパイが食べられて良かったですねえ」
語彙を失ったザコルをいーこいーこする。
「イリヤ様もおかわりどーぞ」
エビーが切り分けたパイを差し出すと、イリヤが瞳を輝かせて受け取った。
「ありがとうエビー! こんなにおいしいものが作れるなんて、エビーはやっぱりてんさいなの!?」
「そうすよお、何を隠そう天才なんすよ」
「これ、母さまにも食べてもらいたいなあ…」
「夫人はお腹壊してますからねえ、ひとくちくらいならいけっかな…」
遡る事数時間前。
お風呂から上がってきたイリヤはミリナがいない事に動揺したが、彼女が横になっている部屋に連れて行って一目だけ会わせるとすぐに落ち着いた。元々、ミリナが王宮に行っている間は部屋で一人過ごしていたらしいので、留守番は得意だと言っていた。
留守番か…。屋敷の中には大人の使用人がいただろうに、七歳の子を部屋に一人放置というのもどうかと思うのだが。たまに三男のサンドが窓から侵入してきては様子を見ていたようだ。
午後からは真のガチ勢による編み物クラブ上級者編の開催が決まっていたため、アメリア御一行を含む私達は邪魔をしないように元食堂を出て、イリヤと屋敷の庭で雪だるまを作ったりして遊んだ。
私がちょくちょく入浴小屋を世話しに行くので、イリヤも興味津々で覗きにきた。領民達も、そんなイリヤを微笑ましく眺めていた。
一時間も遊んで体が冷えてきた頃、エビーが「一緒にアップルパイ作りましょーよ!」と言ったら「なにそれー!?」とイリヤが大興奮してその気になった。料理長はこれから夕飯の仕込みで忙しくなる時間帯にも関わらず「喜んで!」と厨房の一角を貸してくれた。
エビーが捏ねているパイ生地をキラキラした目で見つめるイリヤ。
を、微笑ましく見つめるサゴシとザッシュ。
イリヤと同じ期待の眼差しでパイ生地を見つめているザコル。
を、ほっこり見つめるタイタと私。
「…これはどういう空気ですの。ザコルはもしやイリヤさんと同じ七歳なんですの?」
部屋に入りきれなかったアメリアが扉から覗き込んで呆れている。
「どうせ僕は情緒が幼児です。この小麦粉とバターの塊が林檎を包むあのパイになるんですよ。エビーは天才なんです」
「へへっ、兄貴が俺を手放しで褒めんのはアップルパイ作ってる時だけだなあ…」
「てんさい!? エビーはてんさいなの!?」
興奮したイリヤが調理台の端を持ってぴょんぴょんする。調理台が大きく揺れかけたので、ザッシュがさりげなく少年の肩に手を置いて止め、サゴシは調理台を押さえた。この二人はイリヤが物を壊す前に止める係をしている。
エビーは揺れる台から持ち上げて避難させていた生地を再び台に乗せ、作業を再開した。
「俺のねーちゃんの方がもっと天才なんすよ。パイもパンも何一つ勝てねえ」
「エビーは充分天才です。ですが、エビーの実家のパン屋には必ず行かなければなりませんね」
大真面目にのたまうザコルを見て、ぶは、あんたもかよ、とエビーが吹き出した。
生地を冷暗所で寝かせているうちに林檎のコンポートを作る。
ザコルが早回しのような手腕で林檎を捌けば、イリヤもやってみたいとナイフを持った。私が遅回しで皮剥きをして見せると、危なっかしい手つきながらなんとか皮を剥いて…と、次の瞬間林檎が爆散した。力を入れすぎて林檎を握りつぶしてしまったらしい。
「ご、ごめんなさい、りんごが」
「大丈夫大丈夫、バットの上で剥いてくれてたから全部キャッチできてるよ。潰れた林檎はこのままジャムにしちゃうね」
「次は完遂しましょう、イリヤ」
「は、はい! 先生!」
イリヤはその後三つほど林檎を爆散させたものの、四つ目は不恰好ながら全部剥ききることができた。
私はイリヤが砕いた林檎を加熱し、ザルで皮や種などを濾して滑らかなジャムを作った。その辺の瓶を勝手に煮沸して詰め、そして勝手にストック棚に並べる。その内ヨーグルトか肉団子の添え物あたりに使ってもらえるだろう。
よく冷えて水分が均一になった生地を、エビーがたたんでは延ばし、たたんでは延ばしとしていく。
延ばす作業は一度でも力加減を誤ったら調理台が無事で済まなさそうなので、イリヤには生地をたたんだり、出来上がった生地をローラーカッターで切ったりするお手伝いをしてもらった。
十人前以上のホールができる大きな型に生地をはめ込み、貴重な砂糖も少しだけ使って軽くキャラメリゼしたコンポートをたっぷり並べ、その上に生地の短冊を芸術的に編み込みながらかぶせ、卵液を表面に塗ったらよく熱されたオーブンへ。
ザコルとイリヤは四十分間、オーブンの前から離れなかった。
つづく




