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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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大水害の夜

 モナ側の領境の町を出て、体感的に一時間程でサカシータ側の領境、関所町が見えてきた。

 タイタの言う通り、モナ側の町とほとんど規模は一緒だ。


「モナ側とサカシータ側でそれぞれ関所はありますが、町の住民同士は自由に行き来できるようになっているんです。二つの町は畜産や農業を営む上で助け合ってもいるので」

 ザコルがそう説明してくれた。


 サカシータ側の町、シータイに到着し、馬を降りて関所に顔を出すと、守衛らしい年配男性がザコルを見て驚き駆け寄ってきた。


「ザコル坊ちゃん、ザコル坊ちゃんじゃあないですか。何年ぶりだ!? ご立派になりましたねえ!」

「お久しぶりです、モリヤ。変わりないですか」

「変わったに決まってますでしょう、このモリヤはもうじき七十ですよ。最後にここを通ったのは、王都に行くって出てった十六の時でしょうかね。チッカの街へ走ってく姿見てたのがつい最近みたいだってのに…。お帰りなさい、ザコル坊ちゃん」

 守衛のモリヤはザコルの肩を慈しむように叩いた。


「坊ちゃん、こちらのお嬢様と後ろの方々は…」

 モリヤがメンバーを見渡しながらザコルに尋ねる。

「こちらの方は訳あって我が子爵家で春まで過ごされるんです。僕もそうですが、後ろの二人は彼女の護衛ですよ」


「ミカと申します。テイラー伯爵家より参りました。どうぞよろしくお願いいたします、モリヤさん」

 私が一礼すると、エビーとタイタも後ろで一礼する。

 すぐに発たなければならないのが残念だ。ザコルの子供時代の話を聞きたかった。

「そんなに聞きたければ僕が自分で話しますよ」

「もちろん聞きます。ふふ、きっと可愛い子だったでしょうね」

 ちっちゃいザコル。想像するだけでときめく。姿絵はないのか姿絵は。

「ああ、ザコル坊ちゃんの子供時分ですか? そうそう。表情は乏しいが愛らしいお子でしてねえ。菓子なんかを用意しててもね、口に放り込んでペコッとしてすぐ走って行っちまって。領主様のご子息に失礼だが、野生の猫にでも餌やってる気分でしたよ」

 モリヤがしみじみと言う。

「それは申し訳なかったですね…。今更ですが、モリヤがくれるお菓子は楽しみにしていました。うちの母達はおやつがわりに山で獲った動物の肉を焼いてそのまま寄越すような人達でしたから」

「ワイルドですねー。でも、ある意味ヘルシーだし、筋肉も付きそうでいいじゃないですか。私も捌けるようになりたいな」


 モリヤを含む全員が私の顔を覗き込んだ。


「何でしょうか…」

 四人ものガタイのいい男性に囲まれると圧が強く、思わず脚がすくむ。


 ザコルが私の肩を引いてその輪から離した。

「ミカ、以前は熊を怖がっていたのに大丈夫ですか? 捌きたいなら狩り方から教えますが」

「狩り方、えっと、ジビエ料理に挑戦! くらいの軽い気持ちだったんですけど…。私が熊を狩るのは流石に無茶がすぎるのでは」

「そうですね。熊は段階的に挑むとして、まずは小さい獲物から確実に仕留められるようにしましょう。弓の扱いを教えます」

「本当に私を何に仕上げるつもりなんですか? マタギですか? でも、そうですねえ、弓は面白そうなので教えてください」

 エビーがザコルの肩を叩いた。

「ザコル殿、春までにミカさんがムキムキになってたらどうしてくれるんすか」

「これでも体型の変化は最小限で済むよう気を付けていますよ。ドレスが着られなくなったらアメリアお嬢様に叱られますので」

 ドレスの事をすっかり忘れていた。弓もいいが、ダンスの練習もしておかないと。


 ◇ ◇ ◇


 私達は妙にニッコニッコとしているモリヤに林檎やチーズや干し肉などをたくさん渡され、関所の町シータイを通過した。

 モリヤからは、先程ここを通過した商隊がいたという情報と、最近雨が続いていたので道中気をつけるようにとの助言ももらった。


 雲が厚く、どんどんうす暗くなってきている気がする。


「雨が降ってきたらどうするんですか?」

「雨避けの合羽を積んでいます。そうですね、次の休憩ですぐ使えるように出しておきましょうか」

 ザコルも空を見つつそう言った。


 遠くでゴオオン…と雷のような音がした。


「……少し急いでもいいでしょうか。この先雨で水が増えると渡るのが少々危険になる川があります。それと今日は街道から逸れない方がいいです。ミカ、体調はどうですか。クリナを少し急がせても平気ですか?」


「はい。大丈夫です。ザコルの判断に任せます」

 ザコルの言う少々危険とは、かなり危険とでも捉えた方がいいので異論はない。


 ザコルは両隣の二人に目線をやる。

「いいですか、二人とも」

「はい。ミカさんがいいなら。流石に全力疾走じゃないすよね?」

「はい。クリナが全力で走るとそっちの馬達が追い付けませんから。タイタもいいですね」

「はい! 何があろうと食らいついて参ります!」


「では」

 ザコルがクリナの腹を蹴ると、想定の倍くらいの速さで走り出した。

 深緑湖の街から森に突っ込んだ時程のスピードではないが、これはいわゆる襲歩と何が違うのだろう。

 ザコルがお腹をガッチリ押さえてくれていたので落ちる事はなかったが、しばらくして気が付けば隣にいたはずの二人の姿がどこにもなかった。


「ザ、ザコル! 二人がいませんが!」

 私は舌を噛みそうになりながら叫ぶ。

「あ、本当ですね。速すぎましたか」


 手綱を軽く引くとスピードが落ちる。息を付いてふと前を見ると、何だか見覚えのある服装の子供がこちらに走って来ているのが見えた。


「あれは…」

「あれは山の民の子供ですね。昨日ミカが交流したうちの一人です」

「えっ」


 その子供がこちらに気づいて、あと数十メートルという所で倒れ込むようにして止まった。確かに昨日屋台で会った子の一人だ。シリル少年の妹だったか。


「たすけて! たすけてください!…あっ、おねえさん!? おねえさん!! おにいさん!! おねがい、たすけて!!」

 女の子はその場で必死に叫んでいる。

「ザコル、降ろして」

 ザコルはすぐに女の子の近くまで馬を寄せ、手早く私を降ろしてくれた。


「どうしたの、何があった? 落ち着いて話して」

 息を切らした女の子の背中をさすりながら話す。

「…えっと、えっとね、かわにたくさんどろみずとかがながれてきて、ばしゃがながされちゃって、のってたおにいちゃんとおとうさんがながされそうで…っぐ、ふえ…」

 女の子の目からみるみる間に涙が溢れ出す。

「ザコル、ザコル!」

 ザコルを振り返ったら、彼は既にクリナの荷物を降ろして地面に投げていた。


「君はここでこの荷物と一緒に残れ。この後、男性が二人来るから事情を話してください。ミカは一緒に行きますよ。歯をくいしばって絶対に口を開かないでください」

「はい! あっ、このカゴもよろしく。中身は食べちゃっていいからね」

 持っていたカゴを女の子に預ける。

 ザコルがクリナに跨がり、私をヒョイと乗せる。



 クリナの本当の全力疾走がどんなものなのか、私は身を以て知ることになった。



「ミカ、あそこです」

 私は鞍の持ち手を必死で掴みながら前を見た。

 轟々と水の流れる音は聴こえていたが、ついに濁流の川が目に入った。岸にはいくつか荷馬車や人が見える。思ったより大所帯だ。


「手前で停めますので、ミカはあの山の民達と一緒にいてください。恐らく、僕のことは知っているでしょう」

 舌を噛みそうなので黙ってうんうんと首を縦に振るが、揺れが凄すぎて首を振ったのを分かってもらえていないかもしれない。ザコルは何も言わないが通じていると思いたい。


 ザコルは岸の数十メートル手前でクリナを停め、近くにいた山の民達に私を指差しながら何事か伝えると、マントを脱ぎ捨てて濁流の方へと走って行った。

 この旅で、彼が自発的に私から距離を取ったのは初めての事だった。


「あの、ザコル様に、あなた様をよろしくと頼まれたのですけれども…」

 ザコルの背中を呆然と眺めていた私に、民族衣装を着込んだ年配の女性が恐る恐る話し掛けてきた。

「あ、すみません。テイラー領から来ました、ミカと申します。ザコルさんに護衛して貰っている者です。先程シリルくんの妹さんに会って話を聞いたんです。もし良かったら状況を詳しく教えてくださいませんか」

「リラに会われて駆け付けてくださったのですか。シリルとも面識が?」

「はい。昨日屋台で服を売って貰ったというだけなのですが」

「そう、あなた様が…! 私はシリルとリラの祖母です。お礼を、と言いたいところですけど、まずは今の状況ですね」


 この山の民の集団は、チッカの街で大きな商談がまとまった事によりサカシータ領経由で多数の商品をチッカに運び入れ、さらに屋台でも売れるだけ売り捌いて、今まさに帰路についていた所だった。モリヤの言っていた商隊とは彼らのことだろう。


 この先の川には、馬車が一台通れるくらいの木の橋がかかっていたそうだ。

 二日前から山の中腹辺りで雨が断続的に降っていたせいで川は増水気味だったそうだが、商隊が差し掛かった時には丁度水かさが減っていた。


 荷馬車の一台目が橋に差し掛かった所、川の上流から濁流が押し寄せて来るのが見えた。

 御者席にいたシリルの父とシリルは狭い橋の上で真後ろに下がるわけにも行かず、後ろの者達には渡らないよう声をかけて急いで橋を渡り切ろうとした。渡り切れるはずだった。が、山から鳴り響いた突然の轟音に怯えた馬が脚を停めてしまい、すんでの所で間に合わず、荷馬車は濁流の直撃を受けて橋ごと流された。


 流される直前、シリル父はシリルを抱えて御者席を飛び降りて走り、辛うじて対岸の木の根を掴んだ。急流の水に浸かりながら、今もなお対岸で木の根に縋っているという。


「男達や若い女達は何とかあちらに渡ろうと、上流や下流で渡れそうな所が無いかと探したり、大きな木を倒して渡ろうなどと四苦八苦しております。私共老人と幼子は足手まとい故にここに。せめてもと脚の速いリラに助けを呼んでくるよう言いました。息子と、孫を、助けてと…」


 最後は震えながら状況を語ってくれたシリル祖母の肩を抱き、私はお礼を言った。

 辺りを見回すと、屋台で店番をしていたおばあちゃんの姿もある。あのおばあちゃんはシリル祖母よりもずっと歳上だ。小さな子供達がおばあちゃんの左右にくっついて泣いている。


 私は何をすべきか。

 護衛対象としてはここを動くべきではない。ザコルにも待っているようにと言われた。もうすぐエビー達も到着するだろう。だったら…………


 違う。頭の中に、そんな言葉が響いた。


「…違う、そうだよね、違う。私は異分子なんだから。この世界の人を差し置いて第一に守られる筋合いはない」

 頭の中で、カチッとスイッチが入る感覚がする。


「シリルくんのおばあ様、ごめんなさい。今から私が勝手にここを離れます。急な事で私を止められなかったと言ってください」

「えっ、ま、待って、どこへ」

 エビー達が到着したら絶対に止められる。私はコートを脱ぎ捨てて走り出した。




「ミカ! 何で来たんです!」

 ザコルは大きな木を引きずっていた。山の民の男達が手持ちの刃物で何とか切り倒したもののようだ。

「ザコルごめんなさい! 私にはきっと試せる事があるから! ここにいます!」

「くそっ、絶対に水に近づかないでくださいよ!」


 ザコルはそう吐き捨てるように言うと、抱えた木の幹を一人で持ち上げ、振り回すようにして対岸へと渡した。

 大きな木はビタンと水面を叩き、木の先端は辛うじて岸を掠めるようにして届いた。しかしこのままでは水の勢いに押されすぐに流されてしまいそうだ。


「ちっ…こんなものではやはり駄目か」

 ザコルが舌打ちしながら言う。

「ザコル! そのまま木を離さないでください!」

「こっちに来るなと…!!」


 私はザコルの制止を無視して駆け寄る。

 そして木の根元とこちら岸の接地点を凍らせた。そのまま氷をどんどん大きくして固定する。ついでにそこから一メートル程先に大きな杭をイメージして氷を作り始めた。

 川底にしっかり食い込むよう、地中深くまで凍らせるイメージをする。濁流から一本の太い氷の杭が生えた。木はその杭に引っ掛かり、角度を固定されて流れに逆らえるようになった。


「くそっ…いい案です。ならば幹が沈みにくいよう、下から木を支える氷の台も作れますか」

 ザコルは私が水辺に寄ってきた事に対して悪態をつきつつも注文をつける。

「やってみる」

 二メートル先。木の下の川底からステージが生えてくるイメージ。川底から伸びてきた氷の台に持ち上げられ、木の幹が水面から三十センチ程浮き上がった。

「充分です。ミカ、下がってください」

「はい」


 ザコルは片側にしか支えのない丸太橋の上を走り、木の先がしなって水面に付く直前に跳んだ。

 難なく対岸に着地したザコルにより、シリル父とシリルは無事岸へと引き上げられた。


 ◇ ◇ ◇


「ミカ! エビー達が到着したら必ず離れないように! 僕は近くの民家にシリル達を頼んで、子爵家に連絡を入れたらすぐそちら側に向かいます! 山の民よ! 彼女の力を口外しないよう! 彼女をよろしく頼みます!」

 対岸からザコルが叫ぶ。

「ザコル! 分かりましたー!」

「ザコル様の仰せの通りに! 必ずや、必ずやご恩に報いさせていただきます!」

 こちら側でも山の民の男性と私が声を張り上げる。

 ザコルは対岸でそれを聞き届けると、ぐったりとしたシリル父を背負い、シリルを横抱きにして早足で去っていった。


「良かった…。きっと大丈夫、きっと…」

 私は座り込みたい気持ちを抑えて川岸から急いで離れる。すぐに周りを男達や若い女性に固められた。

「お嬢様、いえミカ様。我らが同胞のために秘めた力を使ってくださり、誠に感謝申し上げます。ここにいる者のみで秘密は厳守致しますのでご安心を」

「ありがとうございます。…はあ、居合わせられて本当に良かった」

 今更心臓が痛いほど打っている。胸を押さえて息を吐く。

「また水が増えるかもしれません。お疲れでしょうけれど、すぐに離れましょう」

 若い女性が気遣うように私の背を押す。

「ありがとう。安堵しているだけなの。心配いりません」

 優しい女性に笑ってみせ、私は彼らと一緒にその場を離れた。



「ミカさん!」

「あっ、エビー!」

 到着したばかりらしいエビーが馬を降りて駆け寄ってくる。

「無事で良かった…! ザコル殿は?」

「ザコルは今、対岸で助けた人達を近くの民家に預けに行ってるとこ。あの濁流川をどうやって渡って帰ってくるつもりか分からないけど、子爵家に連絡したらすぐ合流するって言ってたよ」

 先程の丸太橋はそろそろ氷が溶けて流された事だろう。下流の事が心配になってきた。

「この土砂を含む鉄砲水は山の中腹で豪雨があったせいみたいなの。被害範囲が拡がるかもしれない。急いで離れた方がいい。タイタは?」

「タイさんはあの女の子連れてさっきの町、シータイに救援呼びに行きました」

「じゃあ、私達も町の方面に向かいましょう。地図によればあの町は少し高台のはずだから水の影響は少ないはず」

 私は山の民の皆を振り返った。

「リラちゃんは私の護衛と共にシータイに向かったようです。皆さんには道を戻らせる事になりますが、構いませんか」

 先程ザコルと話していた男性が進み出てくる。彼はこの商隊のリーダーらしい。

「もちろんです。あなた様に従います。すぐに出発いたしましょう」

 リーダーが待機している者達も含めて点呼を始める。

 エビーが私の背を押した。

「ミカさんは俺とキントに乗ってください」

「ううん。大丈夫。実は私一人でもクリナに乗れるから」

「そうなんすか!?」

「うん、ザコルに乗馬を習ってる時は必ずクリナと練習してたから。ちょっとした遠乗りくらいはできるよ。全力疾走はちょっとムリだけど…」

「いや、でも…」

「なんせ正気を失うらしいからさ、深緑の魔王が」

「ああ…。まあ、ここで問答してても仕方ないすね。俺から絶対に距離を取らないようにしてくださいよ。無理そうならすぐ停めますから」

「あいあいさー」


 待機していた老人子供組が荷馬車に乗り込む。シリル祖母がザコルのマントと私のコートを畳んで渡しに来た。リーダーはシリル達以外の全員の無事を確認し、単独で馬に乗った。

 私はコートを羽織った。エビーが深緑のマントを片手に見守る中、鞍の持ち手を掴み鐙に足をかけてクリナに跨がる。ザコルのマントを受け取って鞄に引っ掛け手綱を取ると、

「クリナ、よろしくね。ザコルは後で来るから安心して」

 と声をかけた。


 エビーとリーダーの男性が私を挟むように位置取り、前後を山の民の男達が固める。その集団を先頭に、商隊は領境の町シータイへと出発した。


 途中、ザコルが投げ捨てた荷物を見つけて回収した。クリナに再び括り付けるのは山の民達が代わって手早くやってくれる。カゴはなかったので、リラが預かってくれているのだろう。


 ポツポツと雨が振ってくる。合羽を慌てて出しているうちに本降りになった。というか土砂降りだ。

 モナ領側はあんなに晴れていたのに、標高の高い山を挟むとこれだけ天気が違うのか。モリヤは最近雨が続いていたというし、山の地盤も緩んでいたのかもしれない。


 荷馬車を引き連れての移動なのでちょくちょく休憩を挟む。

 今朝はザコルがクリナを急がせたために一瞬だったが、この分では着くのは昼を跨いで夕方近くになるだろう。エビーが手持ちの携帯食糧を私に渡してくれ、雨に濡れながら食べた。


 小雨と土砂降りを繰り返す中進んでいると、町の方からも馬の集団がやってくるのが見えた。先頭にリラを乗せたタイタがいる。

「ご無事ですかぁー!!」

 雨の音をかき分け、タイタのよく通る声が聴こえてきた。


「タイター!! リラー!! みんな無事だよー!!」


 私達はタイタとリラが率いる町の有志による救援隊と合流し、一緒に町へと避難する事になった。


 ◇ ◇ ◇


 シータイの町で広めの集会所を貸してもらい、山の民達を休ませる。

 皆、多かれ少なかれ濡れて身体が冷えている。町の住民達が薪ストーブを焚いて部屋を暖め、スープを炊き出してくれた。


 クリナやキント、そしてタイタが乗っていたワグリの三頭の馬達は、町の牧場が一旦預かってくれる事になった。山の民達の馬も同様だ。かなりの頭数だが、小屋は余っているからと牧畜家の男性達が快く連れて行ってくれた。

 先程までシリルの祖母と母親がやってきて泣きながらお礼を繰り返していた。町の人の手前あまり目立ちたくはないので、何とか宥めてスープ待ちの列に並ばせる。


 私、エビー、タイタの三人も町民の女性からスープを受け取り、一息ついた。


「多分だけど、下流で被害が出てるんじゃないかな。ここに避難者がもっとやってくるかもしれないよ」

 確か、下流近くにある町はここからそう遠くはないはず。川沿いにあって、この町と同じくらいの規模のはずだ。私が持ってきた地図にもしっかり描いてあった。

「それ、確かなんすね? これ飲み終わったら町長に話しに行きますか」

 私はエビーとタイタを伴って町長のもとへと通して貰う。


 町長は集会所の外で山の民のリーダーと話し込んでいた。何やら少し揉めているようだ。

 町長は私が現れると話を切り、すっと礼を取った。

「領境の町シータイを治めるドーランと申します。ご無事で何よりでございます」


 この人は関所町の町長なので、恐らく私とザコルの事情は把握しているだろう。私が渡り人だとまでは聞かされていないかもしれないが、訳あって子爵家に身を寄せにきたテイラー伯爵家縁者というくらいの認識ではいるはずだ。


「テイラー伯爵領から参りました、ミカと申します。お話の途中に申し訳ありません」

「いいえ、お困り事がございましたでしょうか。今、あなた様にはお部屋を用意しております。お荷物も運ばせておりますので今しばらく…」

「そういう話ではありません。差し出がましいようですが、先程の鉄砲水について気になった事をお話しに来ました。下流の被害が気になります。あの川の下流にある町から同じ領内で避難するとしたら、距離的にこの町が一番の候補地になるでしょう。ここに避難者が押し寄せるかもしれません。既に対策なさっているならよろしいのですが…」

「そちらのミカ様のおっしゃる通りです。今まさにその話をしていました。対策が必要だと。私も下流への被害を確信しております」

 山の民のリーダーが言う。共にあの川の勢いを目にしている彼も同じ意見のようだ。

「そう言われましてもねえ…、私共に今できることはさせておりますから」

 町長ドーランは鬱陶しそうな顔を隠さずに言う。

「では町長さん、隣町には既に連絡を?」


 隣町とは、私達が昨夜一泊したモナ側の領境の町、パズータの事だ。

 今いる町から見ると、子爵邸のある町も含め、物資などの支援が受けられそうな領内の町は全て川の向こう側。今日明日ですぐに助けを期待できるのはモナ領の隣町パズータしかない。


「いえ、パズータとは住民同士協力関係にはありますが、一応はモナ男爵領。もしも災害の支援依頼となりますと領主様のご指示を仰ぎませんと…」

 ドーランは管理職らしい事を言って渋る。


「ご子息であるザコル様が子爵家に連絡を入れると言っていました。早く対策しないと手遅れになりますよ。モナ領側は晴れ続きで雨の被害がない事は判っておりますから、隣町にはそのもしもに備えていただくだけでもご協力いただいた方がいいと思います」

「し、しかしねえ…。本当に下流で被害なんて出ているのですか? たかが二人流されかけたくらいで大袈裟な。大体、私の独断で他領に軽々しく借りを作るなど私にも立場というものが…」


 今、たかが二人と言ったか。言ったな。


「…町長。もしもの話です。もしもこの町に身一つで投げ出された方や怪我人が押し寄せれば、物資も食糧も人の手もあっという間に底をついて死人が出るでしょう。あなたには多くの領民を独断で殺す覚悟があるのですか」


 私が口調を強めたためか、町長が押し黙る。


 水害大国日本で得た知識を総動員して想像力を巡らせる。

 直に目の当たりにしたことはないが、こういうのはとにかくスピードが大事なはずだ。冷たい水に濡れたまま食糧もなく一晩過ごすだけでも人は死ねる。無駄なら無駄でいいのだ。備えあれば憂いなし。


「もしもが前提ですが、可能なら下流近くまで被害に遭われた方を迎えに行った方がいいかもしれませんね。もしも被害が無ければそのまま帰ってくるだけです。馬車を借りて私達が行きましょうか」


 山の民のリーダーが一歩進み出た。大きくて熊みたいな人だ。

「ミカ様、私共はザコル様に誓ってあなた様を危険に晒す事はできません。避難民の迎えであれば私共が向かいましょう。幸い我らの荷馬車は納品後でほとんどが空です。私共はザコル様とあなた様に借りがございますから。ぜひともお返しする機会を」

 リーダーは手を胸に当てて恭しく言った。


「分かりました。町長、彼らにお願いしましょう。決して川には近づきすぎないように。まずは高台で様子を見てください。町長はパズータに連絡を。あなたが無理と言うなら私が護衛を伴ってパズータに行きます。私の責任に於いて、直接男爵領に救援を申し込む事にしましょう」

「わ、分かりました。町長として私がすぐパズータに使者を遣りますから…!」

 町長が慌てたように手で制しながら言う。


「それは良かった。では、私はこの集会所を整えるお手伝いをします。私に用意してくださった部屋は、今後もし重傷の方が来たら譲りますのでそのままにしておいてください」

 私がパン、と手を叩くと、山の民リーダーが踵を返して仲間の男性に声を掛けながら集会所を出ていった。町長も複雑な顔をしつつ周囲に指示をし始める。


 ふふ、私の責任で救援なんて呼んだらテイラーにまで借りを作っちゃうかもしれないもんね。権力は正しく使いましょう。


「エビー、後でクリナに乗せていた荷物から出したいものがあります。用意された部屋とやらがどこにあるか聞いてきて。タイタ、あっちで毛布を運んでいるから手伝いましょう」

『了解です』


 ◇ ◇ ◇


 山の民リーダー率いる荷馬車隊がここを発ってから、二時間と経たない内に早くも避難民を乗せた荷馬車が一台戻ってきた。案の定、下流では川の水が溢れ、川沿いの町が被害に遭っているという。


 荷馬車には水浸しで弱り果てた人達が寿司詰めになって乗っていた。怪我人もいる。

 その頃には、町長からの連絡を受け、隣町パズータから様子を見にやってきた人達も到着していた。元気を取り戻した山の民の女性達が立ち上がり、シータイの町の人と一丸となって避難民の世話や手当てを始める。


 私は集会所内に紐を張り巡らせてカーテンで仕切り、まずは男女に分けて世話ができるようにした。

 この町も宿は一軒しかない。持病のある人や怪我の酷い人、小さい子連れの人、妊婦などを優先して宿に案内させる事にする。

 念のため農作業用の小屋も何軒か借り受けて整え、避難民が増えた場合のためにスペースを確保した。



 避難民第一弾の受け入れが一段落したので、私達は町長の屋敷に用意された私の部屋とやらで荷物を解き、使えそうなものを物色していた。


「じゃじゃーん」

「何すか、そのデカい瓶」

「ジーク領のさる集落で押し付けられた滅茶苦茶度数の高い酒ぇ〜」

 度数規制無しの焼酎甲類、ほぼウォッカ。一升瓶から少し手に取って舐めたエビーが盛大に顔を顰めた。

「何すかこの危険物みたいな酒! 燃料かよ!」

「私はこれを水と間違いコップ半分飲んで死にかけました」

「何やってんすか!?」

「ほんとに何やってんだろね。ザコルがいなかったら死んでたよ」

「ミカ殿、これをどうするのですか」

 意外にも下戸で、ほとんど飲めないらしいタイタが聞いてくる。

「怪我の消毒に使うんだよ」

 高濃度アルコールの正しい使い道だ。

「なるほど、滅茶苦茶いい案じゃないすか」

 エビーが首肯する。

「そういうわけでね、そこの上等そうな毛布も頂戴して、いざ宿の方へ行くよ!」

「強奪たぁ痺れるぜ姐さん!」

「続け続けー」

 私達は部屋に用意されていた毛布とリネン類を全て脇に抱え、どやどやと町長の屋敷を出て怪我人のいる宿へと向かった。



 それからすぐ、数台の荷馬車がどんどんと入れ替わり立ち替わりで避難民を運び入れるようになり、小さなシータイの町はてんやわんやとなった。


 集会所では避難民の着替えや汚れ落としを行う事にし、その人の状況に応じて、宿か小屋かと収容先を案内していく。


 パズータからは早速、人と物資を積んだ馬車がやってきた。そうして空になった馬車には比較的動ける避難民に乗ってもらう。パズータでも避難民の世話を引き受けてもらえる事になったのだ。


「お金の問題は追々。それこそ私が王子殿下をネタに脅しに行ってもいいわけだし」

「いきなり物騒な事言うのやめてくれません?」

「権力は正しく使いましょう」

 目の前の患者を安心させるようににっこりと笑って見せる。


 私は宿の食堂に開設した臨時の救護所に詰め、騎士団員として怪我の手当に心得のあるエビーとタイタを補助していた。

 町には診療所もあるがそちらには重傷者を回し、比較的軽傷の人の手当てはこちらで受け入れている。


「そのニコォ…って顔、魔王殿にそっくりっす。ガチ怖なんすけど」

「ええー、安心させようと思って笑ったのに…。それより魔王戻って来ないね。川が渡れなければ山頂経由とかでこっちに回ってくるかと思ってたのに」

「こんな雨の夜に、ツルギ山山頂に一度登って回ってくるとか常人の発想じゃないんすよ。毒されすぎでしょ。あの魔王ならやりそうですけど」

「魔王とは誰の事でしょうか?」

 タイタが気の抜ける質問を投げかけてくる。

「ザコルだよ、魔王ザコル様ー。もしや、山の上の方もかなりヤバい事になってるのかな…」

「ああ、ミカ殿は心配なさっているのですね。あのお方ならばきっとご無事ですよ!」

 タイタは拳を握って明るく励ましてくれた。


 夕飯時をとうに過ぎた頃、同じく食堂に詰めていた山の民の女性が、私達に温かいスープとパンがあるからと休憩を勧めてくれた。

 食堂の厨房は先程まで宿のスタッフが炊き出し用の料理を作っては運び出しを繰り返し、さながら戦場のようになっていた。それが一段落したのでそれぞれ休みに入った所だ。


 お言葉に甘え、静かになった厨房の方で腰を下ろす事にする。


「私もザコルの無事は信じてるよ。サバイバルにかけては第一人者だもん。ね?」

 タイタに笑い掛けると、猟犬ファンは誇らしげに頷いた。

「ザコルの野生の嗅覚? みたいなのも凄いね。今日いきなりクリナを急がせたのは、何か災害を予感してたからじゃないのかな」

 水が増えると渡るのが危険になるかもしれないから急ぎたい。

 だが決して急いで渡り切りたいとは言っていなかった。


「ああ、確かに。俺はてっきり危険になる前にさっさと渡ろうって話かと思ってました」

「私もだよ。多分、先に行った商隊を心配してたんだろうね。それで急いだおかげで二人もの命が助かったんだから凄いと思わない? それからあの時、遠くで大きな音がしたでしょう。雷かと思ってたけど違ったんだね」


 あのゴオオンと言う音、あの音を聴いてザコルは「街道を逸れない方がいい」と言った。

 あれはきっと、土砂崩れか何かの音だったのだ。


「どうか、誰も巻き込まれていませんように…」

 手を合わせてぎゅっと指を組む。

「ミカさんは、人の事ばっかりすね」

 エビーが小さく溜め息をついてそう言った。

「そんなことない、自分勝手に生きてるよ。今日も護衛君達を巻き込んで困らせてるしねえ」

「ミカさんにゃ困ってねーすよ。困ってんのは魔王すよ、魔王! 極端だし変態だし一言足りねえし。ミカさんだって散々振り回されてんでしょーが」

 エビーがスープの残りをあおる。

「ザコルは私を護るという一点に関しては目的と行動が一貫してるから、言葉が少なくても信用できるんだよ。女性の扱いはともかく」

 そう。護る事に関しては絶対にブレなかった。そしてその役を決して人に譲らなかった。

「そのザコルが私を人に任せるなんてね」

「ミカ殿…」

 タイタが複雑な顔をしている。私がザコルを褒めているのか責めているのか、よく分からない言い方をしたせいかもしれない。

「ザコルは任務に関しては極端すぎるくらいに厳しいけど、目の前の人命を優先して走ることもできる。そんなザコルの一面が見られて、私は嬉しいの。まあ、ザコルの方は今頃私に怒ってるかもしれないけどね」

 私もスープでパンを流し込み、グーッと伸びをする。エビーがジロリ、と私の顔を覗き込んできた。…しまった。

「……ミカさん。ザコル殿に怒られるような事、何かしでかしました?」

「おっとー。何もしてない、何もしてないよぉ」

 私は魔法を使って対岸に渡る手伝いをした事を、エビー達にまだ説明していなかった。お叱りは後で受けよう。

 私は逃げるように食堂のフロアへと戻った。



「服が足りない?」


 夜中と言える時間に差し掛かった頃、集会所にいたシータイ町民の女性が宿の方へと回ってきた。水浸しになった人達の着替えが足りず、各家を回って服の供出をお願いしているようだ。


 私は救護所に持ち込んでいた自分の着替え袋を開け、ふと気づいた。


「心当たりがある。エビーはここに残って怪我の手当てを続けて。タイタ、ちょっと集会所へ行くからついてきて」

「は!」


 私はタイタを伴って集会所へ急ぐ。

 雨は降り止まない。合羽を着ていても襟元やボトムの裾を濡らしては体温を奪おうとしてくる。


「おばあちゃーん! リラー! いるー?」


 集会所の入り口で声を掛けると、避難民にスープを渡していたリラがこちらに気づいて手を振った。小さいのに、こんな夜遅くまでよく頑張ってくれている。


「おねえさん、カゴのなかみ、みんなにくばっちゃったの…。ごめんなさい」

「ああ、あのカゴ。忘れてたけど全然いいよ、むしろ配ってくれてありがとう。それよりおばあちゃんは? 屋台にいた方のおばあちゃん」

「ちょーろーのこと? それならあっちでホータイをナベにいれてるよ」

「ちょーろー、むむ、おばあちゃんって長老様だったのか…。ありがとうリラ」

 私がその場を離れようとすると、くん、と服の裾を引っ張られた。

「お、おねえさん! あの! おにいちゃんとおとうさんをたすけてくれて、ありがとうございました!」

 リラが勢いよく頭を下げた。

「リラ、助けを呼ぶためによく頑張ったね。居合わせられて本当に良かった。今も皆のために頑張ってくれてありがとうね」

 そう伝えると、リラの目から大粒の涙がこぼれたので抱きしめた。



 おばあちゃん、もとい長老は、数人の山の民の女性達と一緒に薪ストーブの上で包帯を煮沸消毒していた。


「おばあちゃん! あ、違いました、山の民の長老様。お願いがあって参りました」

 軽く一礼をする。

「ああ、お嬢ちゃん、いいや、我が子らの恩人様だ。かしこまる必要はないよ。おいで」


 おばあちゃん、もとい長老は鷹揚に手招きをした。そして側にいた者達には何かを言って下がらせた。

 …長老って言ってたけど、私が思うよりずっと偉い人な予感がする……ふむ、考えるのはやめよう。


「急にすみません、チッカの屋台で売っていた古着の山、荷馬車に積んでいませんでしたか」

「ああ、あるとも。他の荷物と一緒に一台に詰め込んである」

「そうですか。では、私に売っていただけませんか。これで買えるだけ!」


 私は肩掛け鞄の底に縫い付けてあった、もしもの時の金貨を差し出した。今こそがもしもの時だ。セオドア様には後で説明しよう。きっと解ってくれる。


 その金貨を見た長老がびっくりして私の手を差し戻す。

「あんた、何のつもりだい。こんな大金じゃ古着全部買ってくれたって釣りも出せやしないよ」


 テイラー邸で『一枚だけ』縫い付けておくと聞かされた金貨は…明らかに大きかった。何だこれ、普通の金貨じゃない。大判小判の大判の方だ。大金貨とかいうやつか。


「良かった、これで足りるんですね? 私もこれ以上細かいお金なんてちょっとしか持ってないですし。お釣りは子供達の小遣いにでもしてください。今、その古着が必要なんです」

「…分かった、預かっておくけど、そのうち釣りを返しに行かせるからね」

「ありがとうございます!! お釣りは忘れといてもらっていいです。何となくセオドア様、テイラー伯も受け取ってくれない気がしますし。外の荷馬車ですね。リラに案内してもらいます」



 リラに声をかけて荷馬車の場所を教えてもらう。

 雨足は強くなる一方だ。タイタと周りにいた男性にも声をかけ、荷馬車ごと屋根のある場所近くまで移動してもらった。

 中には大きな風呂敷に包まれた荷物がいくつかある。それらを全て集会所の中へと運び入れた。

 屋台で男物や女物に仕分けた甲斐があり、風呂敷の中身もある程度仕分けてある状態で包まれていた。


「タイタ、服がない人にこれを勧めます。ちょっと、先に着替えてくるから待ってて」

 私は集会所の女性エリアで自分の着替え袋を開け、ワイドパンツを例の民族衣装のスカートに替えた。頭巾もかぶる。手当てするのに髪の毛が落ちなくて丁度いいだろう。


「よーし。タイタは上着をこれに替えて!」

 タイタにも民族衣装の中から大きめの男物の上着を引っ張り出して押し付ける。配る方が着て歩けば、着るのを躊躇う人も減るだろうと考えたのだ。


「さあ、みんなでフォークロアファッションになっちゃうよぉー!!」

 私は風呂敷を担ぎ、薄着で震える避難民に半ば押し付ける形で服を配り歩いた。


 ◇ ◇ ◇



 窓の外がほんのりと明るくなってきた。じきに夜明けだ。

 雨は小雨になったがまだ降っているし、荷馬車はひっきりなしに避難民を連れてくる。

 自力で下流から辿り着いたり、山の方から避難してくる人の姿もある。

 集会所も宿も農作業小屋も、そして町長の屋敷や一般の民家ですら、低体温症や怪我や、怪我に伴う発熱などで弱った人だらけだ。


 救いなのは夜間にもかかわらずモナ男爵領からの支援部隊が途切れずやって来ている事だ。

 パズータでの避難民受け入れも続けてくれており、それもあって何とかパンクせずに済んでいるといった状態だ。そのお陰か、今の所ここで命を落とす人は出ていない。


「ミカ殿、休んでください。もう無理はさせられません。エビーにも止めろと言われました」

 タイタが私の肩を掴んで言った。

「ごめんね、多分休もうと思っても寝られないの。こうしていた方が気が紛れるから」

「しかし…」


 私とタイタは古着で使えそうな物をほぼほぼ配り終えた。

 私は使えなさそうな服を解いて宿の厨房で煮沸し、包帯や清拭布にする作業をずっと続けていた。たまに白湯を持って宿の客室も回る。

 怪我人はもとより、ここには病人や妊婦や赤ちゃん連れの母親がいるので、体調に変化はないかとちょくちょく確かめてもいた。


「困らせてごめんね。私が休まないと二人も休めないのにね」

 私達が古着を配っている間も、エビーは碌に休憩も取らずに手当てし続けていた。今はタイタもそうだ。

「ミカ殿、俺達は大丈夫です。あなた様はよく頑張っておられます。きっとザコル殿も感心なさいますよ」

「ふふ、彼は多分怒るよ、早く寝てください!って言ってさ」

「それは、その通りでございましょう」

 タイタもエビーも私の体を心配している。護衛としての職務責任でもある。

「…申し訳ないけど、後少しだけ付き合って。眠たくなったらすぐに言うから」

「分かりました。エビーにも伝えてきます」


 怪我人は運び込まれて手当てされては別の場所に運ばれていく。宿の中にはもう寝かせる場所がないのだ。

 エビーとタイタ、そして山の民の女性数人は、診療所をあぶれた怪我人をひたすら手当てし続けている。私も疲労はピークだが眠れる気が全くしない。

 周りがこれだけ動いている中で一人寝かされたら発狂しそうだ。…社畜魂、ここに極まれり。


「こればかりは性分だけど、ザコルの事、言えないよなあ…」

 ぐらぐらと沸騰する鍋を見つめながら一人ごちる。

「僕が、何ですって?」

 ずっと聴きたかった声が聴こえる。ついに幻聴がするまでになったようだ。タイタの言葉通り、無理にでも寝た方がいいのかもしれない。

「幻聴じゃありませんから」

 幻聴のくせに会話をしてくる。私の神経もとうとう限界らしい。

「ミカ、こっちを見てください。僕ですよ、僕。相変わらず独り言が大きいですね」


 細く裂いた布をたくさん突っ込んだ鍋から目を離し、厨房の勝手口の方を見る。

 そこには泥だらけになったザコルが扉を開けて立っていた。


「あれ、ザコル。幻覚?」

「ですから幻ではないと何度も言っているでしょう! 疲れ過ぎです。早く寝てください」

「ふぇ、ザコルだあ…」

 目頭が熱くなる。駆け寄ろうとしたら、

「待って、僕は泥まみれです! ここは仮設でも救護所でしょう、僕に触れないで!」

 と、制止されてしまった。

「なんでそんな意地悪言うのお……ひぐっ、うえええー…」

 徹夜のおかしいテンションもあるのか、感情が振り切れて涙が止まらなくなった。

「ちょっ、何でそんなに泣くんですか! 魔法だってちゃんと使っていたのに、あ、それももう、昨日の午前のことか…」

「何言ってんのお…ふぐっ、普通にっ、泣いてるだげだもんぶえええ」


「ミカ殿! どうされました!?」

「ほらあミカさん、やっぱりもう限界なんでしょ、寝ま…あー!! 魔王!!」

 私のみっともない泣き声を聞きつけ、エビーとタイタが厨房に入ってくる。


「魔王とは一体何なんですか…。人聞きの悪い。僕は汚れを落としてきますから、ミカは寝てください。エビー、僕の着替えはどこにありますか?」

「クリナが乗せてた荷物なら町長の屋敷のどこかに置いてありますよ。俺ら、今ちょっと手を離せないんで、ミカさんに案内してもらってもいいですか」

 エビーはそう言って、誰かを呼びに行った。


「お帰りなさい、ザコル殿。ミカ殿はとても頑張っておられましたよ」

 タイタがザコルの代わりに、泣く私の背をポンポンとしてくれた。


「はい。集会所でミカの居場所を聞いたら皆口々にミカの事を教えてくれました。町長をやりこめて救援を呼ばせたとか、避難民の迎えや避難所の設営をアレコレ指示していたとか、山の民の古着を買い取って配っていただとか。そして、今は護衛達と夜通し仮の救護所で働き続けているはずだと…。流石はミカ。想像以上の働きぶりですね。いや、働きすぎでは?」

「ザコルにだけはいわれたくないんでずげどおぉぉ」

 昨日の午前から今日の未明に至るまで泥にまみれていたであろう人に、働きすぎとか絶対に言われたくない。


 エビーが山の民の女性を伴って厨房に戻ってきた。

「ミカさん、その鍋はこの人に任せましょう。ほら、ザコル殿を町長屋敷に連れてって。ついでに少し横になってきてください」

 エビーも私の背を叩いて押した。ここにいると周りが気になって私が寝られないと考えたのだろう。

 私は護衛二人へと向き直る。

「二人ももう休んで。山の民のお姉さんも! 命令だからね!」

 なるべく厳しい顔を作って言ったつもりだが、涙と鼻水で台無しだなと自分でも思った。

「へへっ、ミカさんから命令って言葉初めて聞きましたねえ。分かりましたよ、一段落したら誰かに交代してもらいますから」

「エビー、タイタ。ミカを守ってくれてありがとうございます。それからあなたも」

 ザコルが護衛二人と、山の民の女性へと頭を下げる。彼女も丁寧にお辞儀を返した。

「まあ、俺らがミカさんを守ってたっつーか、ミカさんがここの皆を守るのを側で見てただけっつーか。なあ、タイさん」

「ああ、その通りだなエビー。ミカ殿はこの町に舞い降りた救済の聖女そのものでありました!」

「全くでございますね」

 騎士二人と山の民の女性は徹夜の疲れも見せず、清々しい笑顔を見せた。


「やめてよねえええそんな事言われたら恥ずか死ぬでしょおおぉぉぉおお」

「いやいやいや限界すぎでしょ…。顔がひっでえ事になってますけど」


 ザコルが私の顔を拭こうとして胸ポケットを探り、泥水でぐっしょり濡れたハンカチが出てきたためそっと胸に戻していた。

 その様子を見ていた騎士二人は腹を抱えて笑っていた。


 ◇ ◇ ◇


 小雨降る中、ザコルを伴って町長の屋敷に急ぐ。

 空は大分明るくなったが、曇天なので正確な時間はよく分からない。背中に背負った着替え袋は、必要最低限以外の服を残して人に譲ってしまったため、随分と軽かった。


 屋敷に着くと、中の使用人に清拭の用意をお願いし、一応は町長にザコルの来訪を一言伝えてくれるよう頼んだ。屋敷の中は手当てされた怪我人でいっぱいだ。頭のてっぺんからつま先まで泥だらけの人をそのまま入れるわけにはいかない。


「今こそ一瞬だけ土砂降りになってくれれば…。そうしたら全身が洗えるんですが」

「この冷たい雨の中素っ裸で踊る気ですか? 面白い事考えますね」

「踊りませんから! 僕が変態で何が面白いんですか!」


 町長屋敷のエントランスでくだらない話をしていたら、町長が中から転がり出てきた。あの髪の乱れは寝癖だな。早朝だし、寝てて悪いなんて事はないが。


「これはこれはザコル様! お久しゅうございます。シータイが町の長、ドーランでございます。覚えていらっしゃいますでしょうか。あの可愛らしい坊っちゃまが今や英雄様とは! 大層ご立派になられて」

 ドーランがわざとらしくへり下るのが面白くて、少しだけクスッと笑ってしまった。


「ドーラン、この度は大変な夜でしたね。手を尽くしてくれた事、当主に代わってお礼申し上げます。あなたの事は覚えていますよ。いつだったか子爵邸に訪れた際、第一夫人である義母から拳骨を食らっていましたよね。今回はどうやらミカに対して不遜な物言いをしたとか…。はあ、義母にどんな報告をしたらいいか」

「め、滅相もない! 不遜などと! すぐにご指示に従わせていただきましたとも!」

「へー。ほー。ふーん。まあ、そういう事にしといていただいていいのですが。とりあえず、見ての通りザコル様の汚れ落としがまだです。出迎えありがとうございました。どいていただけます?」

 英雄になったご子息様がびしょ濡れの泥だらけだというのに、いつまで道を塞いでいるつもりなのか。

「ミ、ミカ様! まさかこんな時間まで民の世話をなさっていたのでしょうか!? 町の者はミカ様を差し置いて何をしていたのか! 後で厳しく叱っておきますので」

 ドーランは今私の存在に気付いたというようにペコペコと頭を下げる。

「私が勝手に働いていただけの事です。今もひっきりなしに避難民は運ばれてきております。あなたも、決して休むなとは申しませんが、夜を徹し必死に手を尽くしておられる方々の邪魔をなさるのだけはやめていただけますか。心が痛みます」

「は、はひ……」

「ミカ、お顔が怖いですよ。後は義母か父が処断してくれます。僕が報告しておきますから」

「そうですか。ザコル、どうか心根の美しい方々が正当に評価されるようお願いします」

「もちろんです」


 顔面蒼白になったドーランの後ろで、タライを手に気まずげに立っていた使用人に声をかける。

 ザコルはエントランスで公衆の面前で許される程度に服を脱ぎ、頭から足元まで拭けるだけ拭いて汚れを落とした。汚れた上着と手拭いは使用人が受け取って頭を下げた。



 町長はあんな調子だが、屋敷の中は使用人が走り回り、廊下にまで被災した人が溢れ返ってさながら戦場と化していた。こんな中で外の様子も知らず寝こけているとはなかなかの神経だ。

 結局パズータとの交渉以来、あの町長が活躍する所など一度も見かけていない。


 ちなみに私達の荷物は、重傷者が運び込まれたために部屋から出されたようで、同じフロアのリネン室で預かられていた。せめてもと布を被せて隠してくれていた使用人にはお礼を言った。


「いや、これ領主様のご子息の荷物よ。普通町長が自分で管理するでしょ。あり得なくない…?」

「ミカ、そんな事で心を荒らげないで。眠れなくなりますよ。あなたの荷物が無事でよかったです」

 ザコルが私の両肩をポンポンと叩く。仏か?


 荷物の中でも必要な分だけを引き取り、案内された使用人の仮眠室の一室に運び込む。

 湯浴みの準備をすると申し出られたが丁重にお断りした。代わりに清拭のセットを二つ追加でお願いした。

 他の仮眠室は疲れ果てた使用人達でパンパンなので、荷物から必要な物を出しながら小声で話す。


「ザコル、本当にお疲れ様でした。土砂崩れは大丈夫だったんですか」

「どうして土砂崩れだと…」

 ザコルが驚いたようにこっちを見る。


「あの轟音が聴こえた後、ザコルも街道を逸れない方がいいと言ったでしょ。てっきり山の中腹あたりで鉄砲水を伴う土砂崩れがあったのかと。こちらに渡るためにそこを通ったのでは? 今まで救助か後始末に追われていたんでしょ」


 このザコルが半日以上時間をかけたのだし、さらには泥浸しだし、勝手にそうだろうと思い込んでいたのだが。


「その通りです。ツルギ山であれほどの規模の土砂崩れがあったのは、僕の記憶の限りでは今回が初めてですが、他の地で同じような現象に遭遇した事があるのでもしやと思いまして。山頂経由でこちらに回ろうと思いつつ、様子を見に行ったんです」


 やっぱり山頂経由だ。正解。


「山の民の集落の一部と山沿いの小道が被害に会いましたが、幸い死者は出ていません。怪我をした者を始め集落の住民は川の対岸側にある町に運ばれています。途中で次兄が人を連れて駆けつけたので後は任せました。あなたの元を離れた上、合流するのも遅くなってしまい申し訳ありませんでした。不安にさせましたね」


「ううん。死者が出なかったのは何よりです。…本当に良かった。私は救助を優先したザコルを誇りに思いますよ。でもまだ終わってません。そうでしょう」

 まだ避難民は押し寄せている。まだしばらく続くだろう。その後は復旧と復興も待っている。


「ザコル、一度下流の方へ行ってきてください。私はここで待ちますから」

「え……」

 ザコルはその言葉に一瞬絶句した。

「ミカ、それは流石にいけません。これ以上任務を放棄するわけには」

「私は大丈夫。エビーとタイタもいますし、山の民達もしばらくは守ってくれると思いますから。ザコルが行けば助かる命もあるでしょう?」


 昨日から、私の周り一定の距離に必ず山の民の女性が一人以上いる。恐らく目立たないようにずっと護衛してくれている。

「僕はミカの護衛です、なるべく早く安全な場所に、子爵邸に送り届けるのが仕事です。それに、恐らく他の兄弟だって駆けつけて」

「どうせすぐにはあの川を渡れないでしょ。山頂経由も私には無理ですし。だったら私はここで皆の力になりたい。そうだ、下流で何が起きているのか知っておきたいんです。お願い、見てきて。ついででもいい、一人でも多くの人を助けて、お願い…!」

 ザコルの腕に縋って訴える。また涙が出てきそうだった。


 しばらく沈黙した後、ザコルは口を開いた。

「……分かりました。では明日一日だけ。一日だけください。出来る限りの事をしてきます」

「ありがとうございますザコル。一日でも一週間でも待ちますから!」

「…お礼を言うべきはミカではなく僕、いえサカシータ家の方ですよ。ミカ、その言葉に甘える僕を、どうか許さないでください」

「違います。ザコルは私の我儘で行かされるんですから。そこ間違えないでください。許すも許さないもないです」

 ついに涙がこぼれそうになって顔を逸らした。


 ザコルなら必ず人を救える。私のためにその機会を失わないで欲しい。そのためには足手まといになりかねない私は置いて行った方がいい。だからこれでいい。


「…ああでも、我儘と言えば。僕はあなたに一つだけ物申したい事がありました」

「何ですはぶびっ!?」

 ザコルに頬を顎ごとガッと掴まれて顔の向きを戻される。間抜けな声が出て涙が引っ込む。

「ミカ。何故あの時、大人しく山の民の女性達と待たず、川辺に走って来たんですか?」

「ぐむ…」

 ゴゴゴゴゴゴ…。

 私は顔を掴まれたまま、目が据わったザコルによって静かに静かに説教を食らった。




 延々と続くかと思われた説教は、清拭のセットが届けられた事によって終了した。

 仮眠室を順番に使って清拭と着替えを済ませる。別々の部屋を使いたくとも場所などもう空いていない。今更外聞も何もないが、二人で一室を使えるだけでもありがたい状況だった。


「ミカ、町長の部屋を占拠すればよかったですね」

「町長はさっきとは違うリネン室の隅で寝ているらしいですよ。怪我人に部屋を使わせるために奥様に叩き出されたようですから。診療所のお手伝いに来た町の女性が言っていました。ちなみに、奥様はあちこち奔走なさっているそうです」

「そうですか。現状町長夫人がこの町を執り仕切っているんですね。それもきちんと報告しなければ」

「そうですね。奥様が町を回しているのは普段からのようなので。それはぜひ」


 トントン、仮眠室の扉が控えめにノックされる。噂をすれば町長夫人だった。

 彼女は私に大袈裟な程お礼を述べ、こんな部屋に領主の子息と伯爵家縁者の私を押し込めて申し訳ないと謝り、パンとチーズと牛乳と水差し、それから簡易ベッドをもう一台届けてくれた。


「こんな時でも牛は搾乳しないと乳を詰まらせて体調を崩してしまいますのよ。これは今朝の搾りたてですわ。牛乳だけはお代わりがたくさんありますから。申し付けてくださいませね」


 町長夫人が下がると、私達は簡易ベッドに腰掛けてパンとチーズを牛乳で流し込んだ。

 軽く歯磨きもし、水を口に含んでゆすぎがてら飲み込む。避難所ではそうすると聞いたことがあるのでそうした。綺麗な水も貴重なはずだ。

 私の方はもう正直眠気が限界だった。ザコルが側に戻って来たので気が抜けたんだろう。


「ミカ、ブーツを脱ぎましょう」

 何度目か分からないがザコルにブーツを脱がされ、横に転がされて毛布をかけられた。

 手を握られた覚えはあるのだが、その後いつ寝入ったのかは記憶にない。



つづく


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