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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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医者の秘密③ モンペ合戦

 ラーマが土下座している。何でみんな日本式の土下座をするんだろう。


「あの、何で」

「申し訳ございませんでした…!!」

「ちょ、頭あげてくれませんか。ラーマさんは知らなかったんですよね?」

 私はその土下座をやめさせようと立ったものの、ただうろうろしているだけになっている。

「知らなかったでは済まされません!! よりによって、我が一族の者が医師を装ってあなた様の情報を搾取していようとは…!! これではあなた様の不信を買って当然というものです!!」


 どうやら、ラーマは本気でシシの事を知らなかったらしい。

 ラーマの年齢は三十代前半から半ばといったところだ。シシが出奔した時にはまだ産まれていなかった可能性すらある。


「だから言いましたでしょうに、その神官は本当に何も知りませんよ。私が間諜と知るのは長老と、その世話係の数人くらいでしょうからな」

「そうなんですねえ、てことは、あの巫女祀り上げ事件は完全にラーマさんとシリルくんの独断だったんですね。チベト様は私の性格をよく理解してらっしゃいますよ。ああやって派手に祀り上げても私が拒否するって解ってたから止めたんですね」


 私に対しては、頼りにしてくれて嬉しかったとか、ずっと味方だとか、そういうシンプルな言葉で私が自然に納得するのを待ってくれた。しかし同時にテイラー伯爵家に直接恩返しを申し出てもいて、それとなく外堀を埋めてもきている。


「ラーマさん、私の力についてチベト様からどのようにお聞きですか」

「お、多くの民をお救いになる、類まれなる力の持ち主、と。私が長老から聞いているのはそれだけでございます」


 おそらく、チベトは本当にそれ以上は話していなかったのだろう。そこから私の能力がどんなものか、状況などから推測して断じたのはラーマ個人、という事か。


「そうですか。まあ、山の民の皆さんなら別に」

 義理堅い彼らなら、治癒能力と聞いたところで私の扱いをあからさまに変えたり、下衆な考えを起こしそうにも思えない。あくまでシリル父子の恩人として扱い続けてくれる気がする。

「ミカ様、軽々しく組織を信用なさってはなりません。どんな組織も、複数人で構成される以上、必ずどこかにほつれが生じます」

「それはそうでしょうが…。シシ先生は私を自治区で匿えって命じられてたんでしょ。信用しなくてどうするんです」

 私は、手足を拘束されたまま再びソファに座らせられたシシを振り返る。

「その神官のやり方は、思慮深いミカ様相手には悪手だったかもしれませんが、個人的には悪くないと思っておりましたよ。神にも近い存在に祀り上げてしまえば信者は誰も裏切れない。神から受けた力を失いつつある山の民としても、あなた様を信仰に取り込むメリットは大きいでしょうしな」


 シシは、ひれ伏したまま脂汗をかくラーマを一瞥してそう言った。まさに組織のほつれでも見るような顔だ。


「ふむ、確かに根っから小市民な私には悪手ですねえ。いきなり準神様役だなんて三日ともたず裸足で逃げ出しますよ」

「小市民…かはともかく、追いかける僕らの身にもなってほしいですね」

 私の後ろに立つザコルの言葉に、エビーとタイタがこくこく頷く。


 イーリアが頭を上げようとしないラーマの首根っこを掴み、強引に体を起こさせた。

 …あの熊のような人をよくぞ片手で。流石はサカシータの子息を九人も面倒見ただけはある。母の力は偉大だ。


「おい、ラーマ。謝らせるために連れてきたのではない。仕事をしろ」

「は、私にできる償いがありますれば何なりと」

「だから償いではない。要請だ。このシシにはまだ利用価値がある。ここに留まるよう命令を下せ」

「私の立場で、長老直属の影に命を下す事は…」

「だったら長老の命をもらってこい」


 イーリアが命令するのでは駄目なんだろうか。…多分駄目なんだろうな。

 シシはオースト王家と旧ツルギ王朝のトップ直属の駒だ。身分的には王族より下になる貴族が命令しても、王族への忠義を盾にすればいくらでも逃れられる。


 私達には身分をかさに上手に質問しろなどと言っていたらしいが、例え身分を振りかざしたところで大人しく全てを教えてくれる気はなかったという事だ。

 いくら私が渡り人で治外法権でも、シシが主である王族の意向を無視して我が儘を聞く理由にはならない。

 …何故なら、私に何がしかの地位を与えるのは結局この国の王族の役目だから。


 全く、相変わらず回りくどい嫌味ばっかりかましてくるオジンだ。

 王族ねえ…。はて、王族……?


「イーリア様、どのみち今からツルギ山へ使いを出したのでは時間がかかりますわ。その間彼を拘束するとしても、医者の不在が何日も続いては町民に不安が広がります。わたくしによい考えがあるのですが」

「そうかマージ。可愛いお前の言う通りにしよう」

 即答。

「もう、お話を聞いてからにしてくださいませイーリア様。メリタ、聞いているのでしょう、メリタ」


 ガチャ。執務室の扉が僅かに開く。

 …メリーはいつから影に転身したんだろう。ただの従僕になったんじゃなかったっけ。

「お呼びでございましょうか町長様」

「子犬をここに」

「承知いたしました」


 メリーはサッと引っ込むと、しばらくしてオレンジ頭の従僕見習いを連れて戻ってきた。

 ただの従僕見習いサモンは、メリーに躾けられた通りに一礼して顔を上げた。

 そして、シシの顔を見るなり挙動不審になった。


「な、なな、なななななぜここにシーシがいる!?」

 シシは、手足を拘束された状態でも器用にソファから立ち上がると、深々と頭を下げた。

「お久方ぶりにお目にかかります、サーマル第二王子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」

「そ、その名で呼ぶなシーシ! 今の私はただの従僕見習いサモンなのだ!」

「失礼いたしましたサモン様。それにしても、シーシとは懐かしい響きですな。…私を、まだその愛称でお呼びくださるとは」


 シシ、と幼子がうまく言えずにシィシ、シーシ、と呼んだのが定着したんだろうか。お爺ちゃんをジージと呼ぶみたいでちょっと可愛いな。


「何を言っている、シーシはシーシだろう。それより、どうしてここにいる? 私を連れ戻しに来たか!? か、帰らんぞ私は!!」

「いいえ、私は既に王宮を去った身でございます。サモン様にご意見するような立場にはございません」

「…? その手や足の縄は何だ、お前も何かして捕まったのか?」


 ただの従僕見習いサモンはシシの拘束に目をとめ、そしてぐるりと部屋を見回してイーリアの姿を見つけるとビクッとした。


「ザ、ザコル殿! 子爵夫人がいるではないか! まさかこのシーシを殺す気なのか!?」

「いえ、まだそんな話には」

「まだという事はいずれという事か!? やめさせてくれ、お願いだ!」


 サモンはザコルに駆け寄り、何故か背中のマントを掴んで揺さぶり始めた。

 最終兵器を相手に全力でシシの命乞いを始めたサモンを、シシは少々呆けたような顔で見つめている。


「サモン、落ち着いてください。君はシシに生きてほしいのですね」


「当たり前だろう! シーシが殺されていいような事をするわけない。シーシは優しいんだ、物覚えの悪い私にも溜め息をつかず、ちゃんと遊んでくれた大人はシーシだけだった。勉強から逃げ出すと必ず探しにきてクッキーをわけて励ましてくれるんだ。たまに叱られたけど、それでも私はシーシが大好きだった。でも、でも、シーシだって兄上の方が大事だろうと思って、嫌なことをたくさん言ったんだ、だからシーシはいなくなってしまった。そんなシーシがここに捕らわれているのもきっと私のせいなんだろう!? これ以上、私のためにシーシを酷い目に遭わせないでくれ、お願いだ…!」


 わあああ、と子供のように泣き出したサモンに、しょうがねえなとばかりに背中をさすってやるお兄ちゃん属性のエビー。


「留学から帰ったら、一番にシーシに会いに行ったんだ、でもいなかった。何でって聞いても父上も母上も知らないって言うし、兄上もどこかに行っていていないし、寂しくて、寂しくて、そう言ったら貴族達がお慰みにって代わる代わる娘をよこしてきたけれど、シーシみたいに楽しく遊んでくれないんだ、言う通りにしないと遊んでやらないって意地悪を言うんだ、そんな貴族や女共もいつの間にか私を相手にしなくなった。父上はもうお部屋にも入れてくれないし、母上は怒ってばかりだし、兄上はいないし、アメリアも私を迷惑だと言うし、優しいと思っていた叔父上はイアンに言って私をここに捨てさせた! それもこれもシーシに酷い事を言った罰なんだ、すまないシーシ、私が愚かなばっかりに、どうかシーシを殺さないで、何でも言う事を聞くから、ザコル殿、ザコルどの…っ」


 完全に五歳児のようになって言い募るサモンに、マントを掴まれたままのザコルもどうしていいか分からなくなったらしく、とりあえずハンカチを差し出している。


「サーマル、さま…」

 呆然と名を呟くシシをチラッと横目に見たザコルは私に目配せした。私はシシに近づくと、短刀を出して彼の縄を切った。

 シシは前に倒れ込むようにしてサーマルに駆け寄る。


「お一人にして、申し訳ありませんでしたサーマル様…! 兄上様も、あなた様も、立派に成人なさり、陛下も私を必要となさらなくなった。お役目ももはやこれまでかと悟って王宮を去ったのでございます。決して、あなた様のせいではございません。このシーシに会いにきてくださったというのに、黙って去ってしまったおのれの身勝手さを悔しく思います。私にとって、王子殿下方はお二人とも、可愛い、可愛い本当の子や甥のような存在でありましたとも。まさかこんなにお寂しい思いをさせていたなどと、私は…っ」

「シーシぃ…!」

 シシとサーマルはそのまま二人で泣き崩れた。




 若くして一人故郷を出る事になったシシにとって、オースト王家は第二の家族とも呼べる存在だったのだろう。

 三つ下の手のかかる王子に寄り添い、即位や結婚を見届け、子が生まれれば親よりも近い場所で手をかけて可愛がった。自分と同じ能力を得たばかりに悩み苦しむ彼らを、それこそ本当の兄弟や子供のように思って愛情を注いできたのだ。


 年月が経ち、引きこもりをさらに拗らせた弟からは拒絶されるようになり、子供達も手を離れていった。

 居場所をなくしたシシは、三十年以上を過ごした王宮を去る事しかできなかった。



「馬鹿なシーシだ、私が成人したくらいで立派になるわけがないだろう、私は、私はずっと子供のままなのだ。ここにいるとそれを強く感じるんだ」


 そりゃ、使用人全員から小動物を眺める目で見られていればな…。


「でも、ここにいる限り、ただのサモンでいていい、忖度しなくていいとザコル殿が言ってくれたのだ。ほら、ザコル殿が言ってくれて嬉しかった言葉はみんなここに書いてある」

「これを、ザコル様が?」

 サーマルにメモを押し付けられたシシは、パラパラとめくる。

「ザコル殿はあんなに強いのに、面倒だから全員を尊重して敬語を使うのだ。その方が味方が増えると教わった。黒水晶殿は少し怖いが、私のために煮林檎をとっておいてくれるのだ。でも、黒水晶殿から直接施しを受けるとあのメリタに殺される! ザコル殿が一旦自分のものにしてから私に煮林檎を分けてくれて、それで、それで」


 サーマルはこれまでにあった事を必死になってシシに語る。支離滅裂なところもあるが、シシはそうでしたか、それはようございましたねと相槌を打ちながら聞いている。その表情はとても優しげで、言ってしまえばデレデレである。

 私達には近所の不良を見るような顔をするくせに…。


「それでな、昨日は、黒水晶殿が子供らに私が優秀なのだと紹介したから大忙しだったのだ! 子供らが文字や数字の手本をねだるから私が美しく書いてやった。私の字は好きだと黒水晶殿も褒めてくれたのだ」

「そうですか。幼い頃、一緒に特訓した甲斐がありましたなあ。私もあれで字が上達したのですよ」

「そうだ、シーシもあまり字が上手じゃなかった。兄上が手本を書いてくれて、シーシと私が書き取りをしたのだ。とてもよく覚えている。兄上は、私が上手に書けるととても喜んでくれて…………なあ、シーシ。どうして、私は兄上を嫌いになってしまったんだろう? 兄上はあんなに優しくしてくれたのに。施されたら礼をしなければならないと黒水晶殿が言うのだ。私は兄上にたくさんのことを施していただいた。それなのに、どうして私は…」


 サーマルは急に自分の記憶に不信を持ったか、頭を押さえるようにしてぶつぶつと呟き始めた。そんなサーマルの背をシシがそっと撫でる。


「もしや、兄上様がご不在のうちに城を出入りした貴族や、叔父上様に何か言われておりましたかな。例え事実でないと分かっているはずの事でも、何度も何度も言われるうちに心が騙されてしまう事がございます。私から見たあなた様方お二人は、いつだって仲睦まじく同じ色の煌めきで繋がった素敵なご兄弟でしたとも。兄上様はサーマル様がご帰国後はほとんどご不在だったという事ですが、サーマル様に何かご伝言か何かをお残しになっておりませんでしたか。良ろしければこのシーシと一緒に、一つずつ思い出してまいりましょう」


 シシは、あの第一王子がこのアホ可愛い弟を何もせずに見捨てるわけがないと考えているようだ。

 私はまだそこまで第一王子を信用できていない。ザコルを正当に評価しているらしい貴重な人物だというのは理解したが、所詮は『この第二王子を放置した側の一人』という事実が頭に引っかかってしまうのだ。第一王子もそうだが、現王妃エレミリアについても同じくである。


 話が長くなりそうだから、という理由でイーリアは側近を一人だけ残して部屋に戻ってしまった。サーマルが委縮するから遠慮してくれただけかもしれない。ラーマは一旦帰され、マージはサーマルとシシの監視のためか一応残っている。


「あの、そろそろ僕のマントを離してくれませんかサモン。どうして掴んだままソファに座るんです」

「あ、すまない、ザコル殿…」

 ぱ、と握りしめていたマントの端を離すサーマル。その隣で何故かムッと眉を寄せるシシ。

「そんなボロ布くらい、手慰みに持たせて差し上げればいいではありませんか。いちいち細かい事を」

「…………」


 つまり可愛い王子のためにマントがシワクチャになるくらいは容認しろと…。モンペか?


「大体、他の使用人や部外者の目もないのにサーマル様を偽名で、しかも呼び捨てにし続けるとは」

「僕はそこのサモンと同じで、あまり器用な方ではないんです。だから基本的には全員に敬語ですし、この屋敷の中ではサモンと決めたらサモンなのです。使い分けは面倒だから滅多にしません」


 マントを解放されたザコルは、やれやれと言わんばかりに私の側に戻ってきた。


「シーシ、私はそれで構わないぞ! 私も使い分けなんて上手にできる気がしない! この屋敷で会う者には『殿』をつけて呼ぶ事にした! 分かりやすくていいでしょうとザコル殿が提案してくれたのだ。この領では、あの新聞のせいで第二王子と判ったら私刑に遭うかもしれないというし、私もなるべくバレないように工夫はすべきだろう。まあ、ただの従僕見習いもやってみると意外にいいぞ! 何せ勝手に会話するだけで怒られるのでな、逆に考える事が少なくて楽な気がしてきた!」

「そ、そうですか、サーマル様は実にお心広く成長なさったのですね。王族としても素晴らしい事かと」

「文句を言ってもフォークが飛んでくるだけだからな! だったらいい方に考えた方が身のためだ!」

「ぐ…っ、おいたわしや…っ」


 メリーの調教は確実に性格にまで及んできているようだ。変わった思考回路の楽観主義者になりつつあるが、どこでもしぶとく生きていけそうな性格にしてもらえているなら何よりである。


「町長様! このかわい…いえ、一国の王子に対して、文句の一つも許さずフォークを投げさせるなどあんまりな仕打ちではありませんか! あなたが悪いようにはしないとおっしゃるから、私は…!」


 マージに矛先が向く。彼女は執務机の椅子でゆったりと背もたれに背を預けた。


「まあシシったら。衣食住の不自由はさせておりませんのに一体何の不満が? それに、わたくしはコリー坊っちゃまが飼いたいとおっしゃるから、その子犬の躾を兼ねて面倒をみて差し上げているだけですわ。可愛いコリー坊っちゃまの手を噛むような事があってはいけませんからね」

「サーマル様を犬扱いするのもおやめくださいますかな。大体、そんな兵器のような男がまともな痛覚など持ち合わせるわけないでしょう。いちいち過保護な」

「コリー坊っちゃまは人並み以上にお強くあられますけれど繊細でお優しいお方でもありますのよ。そのような暴言は差し控えてくださるかしらシシ」


 モンペ合戦が始まってしまった。もちろん私はザコル側のモンペなのでアップを始める。


「大体、なぜあのメリーが教育係になどついているのです! 今や罪人の身ではありませんか!」

「そのメリーをつけるとご判断なさったのはミカですわ。わたくしが自ら躾けて差し上げるつもりでしたのに。全く甘くていらっしゃるんだから」

「えっ、お姉様はメリー以上に厳しくなさるつもりだったんですか?」

「わたくしとメリーでは、持っている手札の数からして違いますのよ。フォーク一本で済むとお思いにならない方がよろしいわ。わたくし、坊っちゃまを一度でも侮辱した方を許すほど寛大ではございませんの」

「ひっ」


 マージの威圧にサーマルがビクッとして跳ねる。そしてシシではなくザコルに駆け寄ってその背中に隠れた。

 自分ではなくザコルを頼られ、シシが明らかにショックを受けた顔をしている。


「ミカもミカよ、どうしてその子犬に同情などなさっているの」

「はあ、私も別に同情している訳ではないですよ。お姉様と一緒で、ザコルが優しくしているから付き合っているだけです。あとザコルやコマさんが第一王子殿下と親しいのが妬ましいので、サモンくんを躾け直して王位にぶち込むのも一興かと思い始めたところです」


 アメリアの名前は出さない。おそらくサーマルもシシも知らない機密に抵触する。


「わ、私を王位に…!? だが私はもう、王になど」

 ザコルの後ろからサーマルが声を上げる。

「ええ、サモンくんはちっとも王位になどつきたくない気がしてきたと言ってましたね。これは君とそのご家族への嫌がらせなので、君の意志は関係ありません。ふふっ、せいぜい生き地獄を見せてあげましょう」

「ひいいい、意味の分からない事を言って私をいじめるな!! あなたは何だかんだ味方をしてくれるものと思っていたのに!!」

「だから、ザコルが君を生かすというから付き合っているだけです。それ以上でもそれ以下でもありません」


 わあああん、とサーマルがまた幼児化した。

 ほほ、流石はわたくしの妹ですわね、と溜飲を下げたらしいマージは笑っている。


「おやめくださいミカ様。前々から思っておりましたが、あなた様はどうしてそこまでザコル様を盲信しておられるのです。私の前でさえあのように泣かされたり、屈辱的な目にさえ遭わされているというのに」

 泣かされた、屈辱的な目に遭わされた…!? と、サーマルが驚いてザコルの顔を覗き込む。


「シシ先生ったら、それはザコルの方も同じだと何度も言っているでしょう。最近ではより酷い目に遭っているのは彼の方ですしね。でも、サモンくんが能力者でよかったですよ。シシ先生がここを去るというのなら、このサモンくんを便利に使う事にします」

「は!? サーマル様にあなた様の診察をさせようと!? そんな無茶な」

「医師の真似事をさせるつもりはありません。ただ魔力の流れや色味を視てもらおうというだけですよ。まだ試してない、あーんな事やこーんな事の検証に立ち会って感想をもらえたら充分ですので」


 ザコルがそっと自分の耳を塞ぐ。


「こっ、このエセ聖女め…!! 純粋なサーマル様にどんな不埒な場面を見せるおつもりか!! 悪影響にも程がある!!」

「その純粋なサーマル様は王都で女を取っ替え引っ替えしていたんでしょう。だったら別に問題ないのでは」

「取っ替え引っ替えなどと、下品な物言いは避けていただけますかな。貴族に女をあてがわれて仕方なく相手をしてやっただけでしょう。お優しいサーマル様が断れるわけがない。むしろ暴行罪で引っ捕らえてもいいくらいかと!」


 清々しいくらいのモンペだ…。

 いつの間にかシシの隣に戻ったサーマルがシシの袖を引く。


「シーシ、やはり女をあのように相手にするのは良くないのか? 女達は遊んでくれる代わりに王子たる私の部屋を見せろと言ったし、貴族達は大人の男なら女に恥をかかさないのがマナーだと言うから…。だがやはり、私は愚かな子供同然なのだな。何も知らないで罪を重ねるばかりだ。あの新聞には全て私が悪いのだと書かれていたし」

「あなた様が全てお悪いなどと…! あれは大衆向けの、しかも明確に王族を貶める意図をもって書かれた新聞でございますから、何もかも鵜呑みになさる必要はございません。それにあなた様の交友関係は、あなた様につけられた側近、執事や従者が見定め、時にお諌めするべき事でございます。彼らは何をしていたのですか」

「いや、やはり私が悪いのだ」


 サーマルは首を振る。


「私が、文句を言うなと剣を振り回した。公国にいる間、寄宿舎と学舎の往復しか認めてくれず、私を四六時中監視していた執事に嫌気がさして…。執事の方もきっと私が嫌いだったろうし、怖い思いもしたからだろう、その後すぐに母上に辞めると告げて出て行ってしまった。従者は…グレイ兄弟達は元から私に意見など言わない。それだってきっと、私がいつも偉そうにして怖がらせているからだ。何も言えるわけがなかったのだ…」


 灰色従者コンビの正式名称はグレイ兄弟…。ギャグか?


「だが、ここの者達は駄目なものは駄目と臆さず言ってくれる。私が剣など振り回したってにこにこと笑って指先で止められるだけだしな。皆、私の事が怖くないから諌めてくれるのだと思う。だからこそやはり、弱い者を怖がらせて言う事を聞かせようとした私がみんな悪かったのだ。諌める機会すら与えてやらなかった、私が」

「サーマル様…」


 トンチキ王子が意外にきちんと反省できている。ちょっとびっくり。

 それにしても、屋敷の使用人の皆さんは素人が振り回す短剣をにこにこしながら指先で止めちゃうのか…。やばすぎるな…。


「私はちっとも優しくないぞシーシ。心広くもないようだ。以前、黒水晶殿は私を寛大と言ってくれたがあれも本心ではないのだろう。寛大なのはそこのザコル殿だ。ザコル殿が生かしてくれるから皆弱っちい私にも優しくしてくれるし、施してもくれる。…だが、私は、施されたのに礼も言わず、文句ばかりを言った。メリタにフォークを投げられても仕方のない事だったのだ」


 決して誰かの受け売りではなく、彼なりに私達が言った言葉をしっかり反芻し、自分でもよく考えての結論らしい。偉いぞトンチキ王子!


「先程黒水晶殿が言っていたが、ザコル殿は兄上と親しいのか?」

 サーマルがふと話を振ったので、ザコルがそっと耳から手を離す。まだ塞いでいたのか。


「親しいと言うと語弊がある気がしますが、兄上様は僕が所属する暗部の管理者でもありますので、上司と部下の関係というのが正しいです。数年前まではよく『宝探し』にも連れて行かれましたよ。というかガラクタと引き換えという条件で国外の戦に年に何度も駆り出され、帰国後はガラクタの目録作りや整理を延々とさせられ、その合間合間、僕にしかできない類の暗部仕事を何とか詰め込んで…。それなのに『ザコルはもっとゆっくりすればいいのに』とおっしゃるから誰のせいでと言いかけた事は数知れず…。まあ、ガラクタ探しの報酬が良かった事だけは感謝しております」


 不敬な、眉を寄せるシシを手で制して、サーマルがにこりと笑った。彼がそんな風に静かに微笑むのは初めて見たかもしれない。


「ザコル殿。私は、兄上を建前でも褒め称えない者には初めて会ったように思う。父上も母上も、当然城の者達も、兄上を素晴らしい王太子だと褒めていたのでな。あの叔父上さえも」

「そうですか。サモンもあの方を聖人君子だとでも思っているんですか」

「いや…」


 サーマルは首を振った。


「兄上は自由なお方だった。私には優しかったが、すぐに城をあけてどこかへ行ってしまうし、たまにくれる土産はいつもヘンテコな物ばかりだった。…それでも、そんな面白い兄上が私は大好きだった。そうだ。どうして、忘れていたんだろう」


 再び涙を落としたサーマルに、ザコルが黙ってハンカチを差し出す。

 シシはその様子を、真剣な面差しで見つめていた。



 ◇ ◇ ◇



「町には、今しばらく留まらせていただきます」

「まあ。それはよかったわ」


 シシが非常に嫌そうな顔でそうのたまい、マージは何事もなかったかのように微笑んだ。


「行き過ぎた躾をしようとする女や、猥褻物を見せようとする女が跋扈する場所に、可愛い甥を一人置けませぬからな」

 猥褻物を見せようとする女…。とんでもないまとめ方をされてしまった。


「シシ。あまりその二人を侮辱すると寛大な僕とて怒りますよ」

「そうだぞシーシ、その二人はたまに意地悪だが、私の我が儘を聞いてくれる事もあるんだ! それに美人だからいいのだ!」

「見た目に騙されてはなりません!!」


 まだ言い足りない事がありそうなシシだったが、イーリアの側近に半ば連行されるような形で診療所近くの自宅に送られていった。見張りもつくようだが、当分出奔を考える事もないだろう。



「サモンくん、シシ先生を引き留めてくれてありがとうね。助かったよ」

「よく分からんが流石は私だな! 呼ばれてシーシがいたのには驚いたが、会えて嬉しかった。それに、シーシが殺されるのでなくて、本当によかった…」

 サーマルは恐怖を思い出したのか、そっと自分の腕を抱いた。


「驚かせてごめんなさいね。彼のような優秀な医師にいなくなられて困るのはこちらですのよ。あなた様なら止められると思ってお呼びしたのです。ご助力に感謝いたしますわ、殿下」

「で、でで殿下と呼ばないでくれ! 私はまだただのサモンでいたいのだ。…せめて、従僕見習いから、従僕になれるくらいまでは」


 ぶふっ、と小さく吹き出す声がしてサーマルが顔を上げる。

「や、すんません、目標小さすぎんだろって…っ、だめだ……へへへっ」

「おい、エビー」

 口を押さえて震えるエビーを、タイタが嗜めようとしている。


「エビー…殿。黒水晶殿の護衛か、さっき私の背を撫でた…」

「へへっ、俺はエビーでいいすよ。あんまり子供みたいに泣くから大丈夫かと思いましてね。よっぽどシシ先生の事が大事なんすねえ」

 サーマルはこくりと頷いた。今更恥ずかしくなったのか、少しだけ顔が赤い。


「まさかあのジジイがあんなにデレデレしやがるとは。そんなに大事なら黙って去るなって感じすよねえ」

「それはそうだ! エビーはいいことを言う! シーシめ、せめて手紙の一つも残してくれたらよかったのに。母上も、行方は兄上しか知らないのだと言うし。それで、やっぱりシーシも兄上しか愛していなかったのかと」

「はあ、そりゃ誤解しちまってもしょーがないすね。でも、あのジジイも『私の顔を見ても喜びますまい』とか言って拗ねてたんすよ。よかったすね、仲直りができて」

「ああ。ありがとう、エビー」


 サーマルからすんなりこぼれたお礼の言葉に、エビーがぱちくりとし、そしてまたあっけらかんと笑った。




つづく

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