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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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仲裁

 チッカの街を出て、次の領境近くの町を目指す。

 もうそこまでラースラ教信者に囲まれる心配はしていない。信者自体はいるかもしれないが、私を見た目で特定できるような人間はそうそういないだろう。

 

今日は時間も無いため、堂々と広めの街道を進んでいる。サカシータ領へ近付くにつれすれ違う人もかなり減った。


「タイタ君、さっきからずっと黙ってるけど大丈夫? いや、無理に喋る必要はないんだけど」

 エビーと反対側を並走するタイタに声をかける。上司でもないのに朝から叱ってしまったし、嫌な気持ちになっているのかと気になっていた。

「心配ご無用です! お二人の会話を聴くだけで心浮き立つ思いです!」

 元気な返事が返ってくる。

「タイさんはこのバカップルの会話をオリヴァー様に報告しなきゃいけねえからって、一言一句聴き漏らすまいと集中してるだけでしょうが」

「バカップルとはなにようエビー」

「そうだぞエビー、神聖なる方々をそのような俗語で汚すなど!」

「ガチ勢こっわ。自重しやがりくださいマジで」


 この国では、日本で使われているものと意味が共通するオタク用語や俗語が結構存在しているようだ。

 相変わらず平和なんだか平和でないんだかよく分からない国だ。


「タイタ君、ザコルはともかく、私の何があなた達に気に入られたのか知らないけど、あんまり恥ずかしい発言とか広めないでよ。気軽に話せなくなっちゃうじゃん」

 さっきザコルとエビーに笑われたようなことも報告されてしまうんだろうか。

 歳の割に経験が浅くて幼稚だというのは自覚している。好きで心神喪失してる訳じゃないと、自分でも気にしていたのでヘコむ。

「ミカ、気にしていたんですか、すみません。徐々に慣れればいいかと。僕だって、そんなに…」

「そんなに?」

「そんなに、自分から女性と距離を詰めたことは、ない……ので…」

 後ろを振り向くと顔を逸らされる。だよね。ザコルの手の甲をべしんと叩く。

「停めませんからね!」

 少し機嫌を持ち直した私は手をカゴに戻す。このカゴとも長い付き合いになってきた。

「神よ…俺は死ぬかもしれない…」

「タイさん、馬上で心神喪失とかやめてくださいよ」


 タイタの様子を見る限り、猟犬ファンクラブは、忍で超人のザコルのみならず、人間不信を拗らせているザコルをも慕っているらしい。どういう解釈をしているのか気になるところだ。

 会長たるオリヴァーは最近までザコルの情けない姿が気に入らなかったようだし、もしかするとクラブ内でも意見が分かれているのかもしれない。


 手元のカゴに目を戻す。

 ロビーで余らせたサンドイッチや焼き菓子はカゴにも入っている。モナ領特産の加工肉やチーズも常温で持ち歩けるものは宿の売店で買った。

 エビーやタイタにも手分けして食糧を持ってもらっている。人数が増えたので食糧の確保はしっかり行わないといけない。


 ◇ ◇ ◇


 日が傾く頃、目的地の街を示す看板が目に入った。冷えてきたので先程の休憩でコートを羽織り直した。

 ロング丈なので、民族衣装のスカートは裾のポンポンが少し覗く程度にすっぽりと隠れる。町の状況が分からないので、同じく民族衣装の頭巾は取ってストールを髪に巻いた。


「頭巾、可愛いのに取っちゃうんすか」

「もしもだけど、次の町で行き交う人が山岳民族ばかりだった場合、明らかに山岳民族じゃない私が彼らの服を中途半端に着ていたら良く思わない人もいるかもしれないでしょ。なのでとりあえずは様子を見ようかなと。スカートはコートに隠れるから、頭巾だけでもね」

「なるほど。ミカらしい配慮ですね」

「高貴な人は自治区の人間の感情なんて興味ねえすからね」

「そうかな、少なくともモナ領では重要な存在だと思うけどな。あの前男爵様ならきっと軽んじたりしないよ。失礼があっては申し訳ないでしょ」


 昨日カオラがしていた耳飾りは、恐らくだが山岳民族の手による工芸品だった。

 デザインが控えめなので準正装にも馴染んでいて素敵だった。前男爵夫人が身に付けているという事は、何らかの意思表示でもあるだろう。


「僕らも子供の頃から山の民には親切にしてもらっていますから、そう言ってくれるのは嬉しいですよ」

「そう、それなら良かったです。ツルギ山を遊び場にしていたくらいですもんね」

「弟が衣装を借りてきたこともありました。上の兄弟への闇討ち成功率を上げるために」

「そう…。まあ、地元の子と、まぎれもない余所者の私じゃ立場が違うからね。気遣って無駄な事なんてない。さあ、もうすぐ町ですよ」

 ちょいちょい目の端でコソコソとメモを取っているタイタが気になるが、あまりうるさく言いたくないのでとりあえずはスルーすることにする。あのメモ、絶対に後で検閲しよう。



 サカシータ領と接する領境の町は、関所があるもののこじんまりとした町で、商売のために訪れる山岳民族もあまりいないようだった。そうなると民族衣装は余計に浮くに違いない。この人通りの少なさでは変装の意味もそれほどない。明日はワイドパンツとニットの組み合わせで行こう。


 この町には酒場を兼ねる宿が一軒のみしかない。エビーとタイタが確認し、今夜は他に宿泊客がいないという事なので、五室を全て貸し切る事になった。

 

 食事は五室のうち一室に運び入れてもらい、四人でテーブルを囲んだ。


「現御当主であるサカシータ子爵様はアカイシの番犬という二つ名で知られる剣豪です。第一夫人であるイーリア様は、隣国であるサイカ国で女だてらに騎士団を率いていた方と聞いております。子爵オーレン様の腕に惚れ込んで半ば押しかける形で輿入れなさったそうですが、ご実家であるサイカ国の伯爵家は勘当になり、今は逆にサイカ国側からの侵攻を退ける大きな戦力となられているそうです。合っておりますか、ザコル殿」


 タイタが澱みなく語る。ファンクラブ工作員によるサカシータ家講義の始まりだ。


「本当によく知っていますね、タイタ。特に第一夫人の出生は、君の世代ではあまり知られていないでしょう」

「そうですね。しかしファンの間では有名なことです。しかし、そこまでの情熱を持たれて輿入れしたというのに、ザラミーア様を第二夫人に迎え入れるよう子爵様に進言したのはイーリア様なのですよね、その事についてはファンの集いでも詳細を知る者がおらず議論の種になっています」


 なぜ本人達が生きているのに不在の場で議論が行われているんだろう。相手は子爵夫人なのでおいそれとは訊けないかもしれないが。


 ザコルはというと、ファンが多いと言われて戸惑ってはいたようだが、それ以後タイタの態度を気にする素振りはない。タイタはザコルと話すのに慣れてきたようだ。

 何はともあれ、ザコルが普通に話せる人が増えたのはいい事だと勝手に思う事にする。


「第二夫人を迎えた経緯は僕もよく分かりませんが、人手が足りないとか何とか言っていた気がします」

「そんな江戸時代以前の農家みたいな理由で側室を…」

「農家…まあ、そうですね。実際、そんな理由だった可能性が高いです。広大な辺境を守るのに、イーリア母様…義母と騎士団だけでは充分とは言えなかったのでしょう。父には領政の仕事もありましたし、当時の騎士団長もまあまあいい歳でしたしね。なるべく父の子供を増やして、将となる人材を育てたかったのかもしれません」


 辺境とはかくも過酷な地なのか。だが、確かに産めば産むほど最強戦闘民族サカシータ人が産まれてくるのなら、第二夫人を迎えてでも増やしたいと思うものなのかもしれない。


「僕の実母、第二夫人ザラミーアは、サイカ国から義母に身一つで付いてきた侍女だったそうです。出生は同国の男爵家と聞いています。義母は実母を溺愛しているので、実母の子の顔が見たかっただけかもしれませんが…」


 第一夫人が第二夫人を溺愛している…。また斬新な関係性だ。夫は一体どのような扱いをされているかが気になる。


「真意はともかく、結果的に彼女らは見事に男児ばかり九人も産み出しました。王家の求めに応じて魔法陣技師を輩出し、辺境の守りを手分けさせつつ、出稼ぎにも行かせていますし、人手の増強という点では成功したと言えるのではないでしょうか」


 長男は王宮で魔法陣技師として働き、三男は長男の補佐、五男と七男は他領の騎士団、次男と四男と六男と九男は辺境の守護、八男は国家直属の特殊部隊へ、か。


「血筋としては一、二、三、六男が第一夫人イーリアの子で、四、五、七、八、九が第二夫人ザラミーアの子。子爵を継がなかった者は平民階級になり、領に残る者は配下に降る予定です。うちの血筋は特殊ですので、他の貴族家へ婿入りする事はほぼあり得ません」


「ザコル。失礼になるかもしれませんが、ご兄弟で家督を争う事はないんですか?」

 戦闘民族サカシータ人が九人も集まって争ったら被害が甚大になりそうだ。


「正直な所、兄弟のほとんどが継ぎたがっていないように思います。子爵位だけなら今のところ王宮勤めで所帯のある長兄か三兄が継ぐのではと思いますが、夫人や子が王都から出たくないと言っているらしいので…。僕はあまり領に帰ってないので、現状どういう話になっているのか実はよく知らないんですよね。他領に出た五兄や七兄も戻ってくる気はないようですし、領に残っている者は誰も結婚しておらず…」


「あのー、さっきから思ってたんすけど、何で他人事なんすか。ザコル殿は隠棲したかったんでしょ? いっそあんたが名乗り上げて継ぎゃいいじゃないすか。名声も動機も充分すよね。よっ、領主様!」

「や、やめてください! 僕みたいなタイプに領主なんて務まるとでも思っているんですか? 政治に向いてない人間代表みたいな僕が!」

「そこは実務が得意そうな人と一緒にやればいいでしょうよ」

 エビーがこちらを見た。

「ん? 何が得意って…」

 向かいに座るタイタが急にブレて…いや、震え始めた。

「タイタ君、どうしたの? 体調悪い?」

「深緑の猟犬ファンの集いは全力で最高の式…いや式場を建てる…? 俺は…出家する!? 今から教会に行って参ります!!」

「は、何言ってんの!?」

 急に立ち上がったタイタを止めようと腰を浮かす。

 エビーも咄嗟にタイタを掴む。

「ちょ、タイさん! 止まって止まって! くっ、強…! 無駄に強えんだから…っ! ザコル殿、助けてください!」

 エビーが必死でタイタを抑えながらザコルに助けを求める。

 そのザコルがまるで料理に塩でも撒くような仕草をしたと思ったら、タイタの身体がずるりと傾きエビーに倒れかかった。

「…………え?」

 助けを乞うたはずのエビーが呆然としつつタイタの体を支える。

「ザコル、い、今、何か刺しました…?」

 タイタの方へ腰を浮かしかけていた私はそのままの体勢でザコルに訊いた。


「すみません、囁くのはもう嫌だったので…。ああ、軽い痺れ薬と鎮静剤ですよ。朝までぐっすり眠れると思います」

「………………」

 エビーも私も言葉をなくした。


「…ええと、僕が運びますね」

 ザコルは倒れたタイタをエビーから受け取り、針を回収した後、まるで手頃なクッションでも扱うようにタイタを肩に乗せて部屋を出ていった。


 エビーと二人、部屋に取り残される。

「あの人、恐怖政治でもすればいいんじゃないすかねえ…。領主ってか魔王って感じすけど」

「ブッフ…! 深緑の魔王…!! マントの肩にトゲトゲを付けてあげなきゃ!」

「あの二人もミカさんもマイペースすよねえ…」

「酔っ払いエビーには言われたくないよ!」

 私達も食卓を適当に片付けて席を立ち、それぞれの部屋へと戻ることにした。



 ◇ ◇ ◇



「タイさん、いい加減にしてくださいよ」

「ああ、迷惑をかけた…」


 翌日の早朝、タイタは宿の外で、軽くキレ気味なエビーによって説教されていた。

 それが丁度私が寝ていた部屋の真下で、身支度が済んだ私はそっと窓を開けて覗いてみる。


「俺もこんな事言うの嫌なんすけど、もうテイラー帰ってくれません? 正直邪魔なんで」

「そんなわけには! あと少しでサカシータ領なのに…!」

「そうやってカニさんに頼み込んでこっちに残ったんじゃないすか? カニさん甘そうですもんねえ…。俺はもう我慢ならねえっす。これ以上迷惑かけんならマジで容赦しねえから」

「エビー、俺はそんなつもりでは。謝っているだろう。ほら、この通りだ!」


 タイタは必死で謝っているつもりのようだが、あの衝動的な行動はすぐに直るものでもないだろう。エビーが言いたい事もさして伝わっていないように見える。

 この旅に出るまで、私の護衛隊のメンバー個々人について深くは知らなかったのだが、こんなにクセの強い人がいたとはついぞ知らなかった。

 思い起こせば、タイタが単独で私の護衛に当たっていたことはない。一番多かったのはエビーだ。タイタは必ず誰かと、というかほとんどカニタと二人行動だった気がする。



「うーん、どうしたもんかな」

 コンコン、と部屋の扉がノックされたので応じると、ザコルが扉を開いた。マントや革ベルトはまだ着けておらず、身軽な格好だ。


「何がどうしたもの、なんですか」

「タイタ君がね、怒られてるんです」

「そうですね、聴こえています」

「あの子、どうしたもんかなって」

 ザコルが扉を少し開けたままで部屋に入ってくる。

「ミカ、ちょっと抱き締めてもいいですか?」

「えっ……」

「締め上げたりはしませんから」

「はい……」


 窓をそっと閉め、窓際から離れて部屋の中央へ行くと、ザコルが手を広げて私を受け止めた。


「ザコル、どうしたんですか?」

「ミカを補給しに来ました」

「なにそれ、ふふ」


 私がザコルの背中に手を回すと、ザコルは私の頭に手をやり、自分の頬に髪を押し付ける。

「ミカの髪は肌触りがいい」

「ザコルは温かいですね。安心して、眠たくなりそう」

 顔を押し付けた胸からトクトクと鼓動を感じる。幸せな気分だ。

「僕も幸せですよ。このまま…」

「このまま?」

「このまま、しばらくいてもいいですか」

「はい」

 エビーの説教が一段落するまで、私達はお互いの温もりを確かめ合うことにした。




「それでタイさんの処遇なんですが、ミカさんの意見を伺おうと思いまして」

 エビーが珍しく真面目な調子で話している。

「ふゃい…ぐふっ」

 対する私はパンを口に詰めすぎていた。

「真面目に聴いてくれません?」

「げふっ、けふっ……ごめんごめん」

「ミカ、大丈夫ですか、ミルクをどうぞ」


 ザコルから搾りたての牛乳を受け取って喉に流す。

 この町は畜産で生計を立てている人が多いようで、宿でも新鮮な牛乳が飲めるのだ。町のすぐ外には広い放牧地があるらしい。


「えっと、エビー。私って護衛隊の人事に口を出す権利はあるの?」

「本当なら団長に決定権があるんですが、ここにはいません。もちろん俺達一人一人にも裁量権はありますが、他隊員の行動を制限する程の権利ではないです。ですが、これ以上タイさんを連れて行ってもトラブルにしかならないと思うんで、ご意見を伺いたいんです」

「ふーん、エビーは私に嫌な役をやらせようって訳だね?」

「そ……っ、そういう訳ではないんですが…いえ。俺だと、タイさんに命令はできないんで! すみません! お願いします!」

 エビーが勢いよく頭を下げた。余程タイタをテイラーへ強制送還したいようだ。


「実はさっき聴こえちゃったんだけどさ。多分、タイタはエビーに怒られてる理由もよく解ってないよ。オリヴァーからの指令? に忠実であろうとしてるのかもね。私の憶測だけど、これまでタイタって単独で任務に当たった事って無いんじゃない?」

「その通りです。必ず二人以上で行動していました」

「私はこう思うんだよ。カニタさんは、タイタに頼まれたから残して行った訳ではなく、タイタ一人に急ぎの報告を託せなかったんじゃないのかなって。こっちに残ればエビーと二人行動が可能だからね。そうすると、残された彼の面倒…いや、連携はエビーに託されていると考えるのが妥当かと思う」

「ええー…。俺にすか…。確かにカニさんから軽く『後は頼んだ』とは言われましたけど、あんな調子じゃ正直面倒見切れるか自信無いすよ。無茶振りすぎんだろ…」


 確かにエビーの言葉はタイタに響いていないし、止める事さえできていない。このままではエビーも不憫だ。


「そうね。だから私からタイタにお願いするとしたら、今後は必ずエビーの指示や指導に従うようにって伝えるのがいいかなと思います。どうですか? エビー」

「…分かりました。すみませんが、よろしくお願いします、ミカさん」

 エビーが苦虫を噛み潰したような表情で頷き、再び頭を下げた。さて、どういう風に伝えるのがいいだろうか。


「エビー、僕には意見を仰がないんですか」

「深緑のエロ魔王には訊いてません」

「何ですかそれは」

「そのふざけた体勢こそ何なんすか!」


 ザコルはなんと、私を膝に乗せて朝食の席についていた。何なのかは私が一番聞きたい。座り心地が悪いわけではないが、居心地はすこぶる悪くて食事に集中できない。


「あっ、エビー。先に食べててごめんね」

「それは別にどうでもいーっす」

 だよねー。

「今更エビー達に遠慮する事はないなと思い始めまして」

 ザコルがしれっと答える。エビーがわなわなとし始めた。

「あーもう! どいつもこいつも自重しやがれくださいよ!」

 エビーが本格的にプンスカしている。


「ザコル、降ろしてください。エビーが気の毒です。せめて私達だけでも普通に振る舞いましょうよ」

「何故です。せっかくミカが抱き締めて欲しいと言ってくれたのに」

 後ろをちらっと見たら目が据わっていた。これは恐らく完全に開き直った顔だ。

「今は言ってませんよね。この腕を外して。どうせまた一緒に馬に乗るでしょう?」

「なるほど、馬上でなら好きにしていいという事ですか」

「何言ってるんですか! ほらもう離して…っ、ぐっ」

 腰に回された腕を外そうとしたがビクともしない。

「うう、エビー助けて…」

 エビーに視線を送るが、溜め息をつかれただけだった。

「なんか、悩んでる俺が馬鹿みたいに思えてきましたわ…。ちょっとタイさん連れてくるんで、マジでその体勢はやめてくださいよ。ミカさんが格好付かねえんで!」

 そう言うとエビーは食堂代わりの一室をズンズンと出ていった。


「ザコル。腕、外さないと今日はエビーの馬に乗りますよ」

「僕の正気を失わせたいんですか?」

「そんな事で失わないでください。あの痛みに耐えきった私が馬鹿みたいでしょうが」

 そう言うとザコルは渋々腕の力を緩めてくれたので、やっと膝上から抜け出すことができた。




「タイタ君。今後も護衛につきたいのなら、私から条件を出します。その条件が飲めないなら、エビーだけ連れてサカシータ子爵邸まで行ってくるので、エビーが引き返してくるまでここで待機をお願いします」

「そんな…! そ、その、じょ、条件とは何でしょうか?」


 座っている私の前で、タイタが叱られる生徒のように立っている。

 ザコルは私の横で姿勢を正し、上品にスープを啜っている。説教に加わる気はないようだ。


「結論から言うと、これ以降はエビーの指示と指導に従って。タイタ君、エビーに色々言われて謝ってはいたけどさ、エビーが何に怒ってるか解ってる?」

「それは、俺が失神したりしてエビーに迷惑をかけたから…」

 やはり何か勘違いしているようだ。

「違います。タイタ君が護衛任務に集中していないからでしょ。昨日も持ち場を急に離れようとしたし。そうだよねエビー」

「はい。てか俺は、このお二人に迷惑かけんなっつってんすよ」

「そ、そうか……はい。ようやく、理解できました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 タイタは素直に頭を下げる。

 ここで言い訳したり、機嫌悪く言い返したりするようならまた対応を考えるところだったが…。根は素直で真面目、反省もできる人だと私は見ている。


「うん、今のところはいいよ。君ね、オリヴァーから何の指令を受けているか知らないけど、あなたの雇い主はセオドア様で、あなたの第一級の優先事項は私の安全の確保。決して私達の会話を盗み聞きして馬上でメモを取ったりする事じゃありません」


 仕事中にスマホ見てるみたいなノリで、任務に関係ない馬上メモをするのは良くない。


「あと、少しくらいのおふざけはいいけれど、あまりプライベートな集まりのルールや主張を仕事に持ち込まないように。ファンの集いとやらが私達についてどういう解釈をしてるか知らないけどね、私は君の護衛対象で独身女性なの。私が言うのもなんだけど、君は護衛として私の無事や貞操なんかには人一倍気を配らないといけないんだよ」

「そ、それは分かっているつもりなのですが…」

「つもり、ではダメなの。エビーはこう見えて、私達に軽口を叩く事はあってもきちんと線引きできているからね。彼の言動をよく見ているといいよ」


 私にザコルとの同室を勧めるのは論外として、私の怪我よりザコルを優先する発言も本当は良くなかったと思う。今回はそれに救われた部分もあるので言及するつもりはないが。


「エビーに自重しろとか、いい加減にしろって、昨日だけでも何度か言われてるでしょ。私も見てたけど、エビーが注意してる時は大概タイタ君が職務を逸脱してる時だからね?」

「は。以後気を付けます」

「今後はエビーの注意を聞いて、しっかりその場で考えること。持ち場を勝手に離れないこと。護衛任務中は任務に関係ない行動は控えること。あと反省文も禁止。いい?」

「は、反省文も…。あ、き、肝に命じます」

「よし。では朝食にして。エビー、運んでもらって」

「了解す。ありがとうございますミカさん。タイさん、本当にそれでいいすか」

「ああもちろんだ。すまない、よろしくなエビー」



 エビーとタイタの二人が朝食を摂っている間、私はザコルについて馬達の様子を見に行った。

 世話は既にエビーがしてくれてある。私は干し草を食べるクリナの横で、汲んできた井戸水で小さな氷塊を作っては茂みに投げるという作業に従事する。


「氷が作れて、自分の身体が癒せる、魔力?を消費しないと機嫌が悪くなって、酷くなると酔ったみたいに気持ちが悪くなる、それから泣くと魔力を消費する? 涙に魔力でもこもってんのかな。はー、ちべたい…」

 氷を何度も手に持つので、手があっという間に冷える。


「ミカはストレスが溜まっていたりしませんか」

 ザコルが私の手を自分の手で挟んで温めながら言う。

「ストレス? 何に?」

「あの二人の間に入る事になって、負担に思っていないのかと」

 エビーとタイタか。

「んー、そうですねえ。でも、何とかしないといけないのは彼ら自身ですし。私は上司でも何でもないですから。私はストレスなんて言うほど気負ってませんよ」


 ここでタイタを無理に帰還させるなりして職務を放棄させてしまうと、タイタだけでなくエビーにまで咎が及ぶかもしれない。

 彼らの任務は私達の護衛であり監視でもあるのだ。タイタが頼りになるかはともかく、エビー一人では何かあった時に対応しきれない可能性もある。


「タイタが素直に聞いてくれて良かったです。まあ、すぐ全てが改善されるわけではないでしょうけど…」

 結局はエビーがタイタの特性を理解してうまくやるしかない。相談には乗ろう。

「僕にも何か思う事があれば言ってくださいね」

「ザコルには割と率直に伝えているつもりですよ。さっき膝に乗せて離してくれなかったのは、どういうつもりだったのかは訊いておきたいです」

「それは…」

 ザコルは私の手を揉みながら視線を逸らした。

「ミカが、あの二人の世話ばかり焼くから…」

「なっ、何ですかそれ…っ、もう…!」

 私は空いた手の方でザコルの頬をムニっと摘んだ。

「あにふるんえふ」

「可愛い事言わないでくださいよ! もう!!」

 意外に柔らかく、よく伸びる頬だった。


 ◇ ◇ ◇


「ミカさん、これ、預けます」


 出発前、ザコルとタイタが荷物を馬達に括り付けている間、エビーがこっそり紙の束を差し出してきた。

 確認すると、タイタが持っていたらしい深緑の猟犬に関する資料やメモだった。


「ほう、工作員の極秘資料ですか。検閲しようと思っていたので助かりますエビー隊員」

 額にビシッと手をかざして敬礼する。


「ミカさん、さっきは本当にありがとうございました。結局タイさんの事しっかり叱ってくれましたね」

 エビーは改めて頭を下げた。

「いいえー。出しゃばり過ぎちゃったね。タイタは怒ってない?」

「そんな事はないです。言葉少なにはなってるんで、落ち込んではいるかもしれませんけど」


 人を叱ると、叱った後ではどうしようもないのだが気を遣ってしまう。

 受け入れられなくて怒ったり、切り替えられずに引きずる人もいるからだ。私自身、仕事のことで指摘されるとヘコむ方なのでよく分かる。


「上司でもないのにズケズケ言われたらいい気持ちはしないよね」

「いえ、前にも言いましたが、身分が全てなんで」

「そっか、じゃあ、私も発言には気を付けないといけないね」


 言葉に気を付けないと、身分を笠に着たただの押し付けになってしまうということだ。

 これでも伯爵家縁者という平民よりやや上の身分をもらっている立場なので、私が強く言ってしまえば、彼らでは反論さえできなくなってしまうかもしれない。


「それはこっちの台詞すよ。俺も軽口叩き過ぎだって自覚はあるんです。思う事があればちゃんと伝えてくださいよ」

「何なの? エビーまで私に叱られたいわけ?」

「いえ全然」

 悪びれもせず首を横に振るエビーに、思わず吹き出す。

「ふふっ、それでこそエビーだよ。エビーの事は信頼してるし、線引きはしても今までみたいに気さくに接してくれると嬉しいかな。距離取られたら逆にヘコむかも」

 エビーがジッと私の顔を覗き込んでくる。

「あの、やっぱ、叱ったミカさんの方が落ち込んでません? 大丈夫すか?」

「大丈夫。全然、大したことじゃないからね」

 私はにこりと笑ってみせた。



 今朝はこの旅で初めての曇天だった。この旅に出てもう十日になるが、日差しを感じられないのは初めてだ。馬を三頭横並びにし、街道へと進める。


 昨日タイタにルートを考えるよう言ったものの、タイタは昨日早々に眠らされた挙句、今朝は説教三昧だったので当然何もできていないだろう。しかし一応は確認だ。


「タイタ君。確認だけど、今日は、昨日の資料に手を加えたルートでいいかな。もし意見があれば遠慮なく言ってね」

 努めて普段の口調で言う。

「はい。次はいよいよサカシータ領の入り口となる関所町ですが、このモナ側の町とそう規模は変わらないはずです。目的地としてはその次の集落を目指すつもりで進みます。アカイシ山脈寄りの険しい道は避けて、ツルギ山沿いの比較的平坦な道を使うと。合っておりますでしょうか」

「はい。分かりました。よろしくお願いしますね」

 タイタから目線を外し、前に向き直る。


「あっ、あの、ミカ殿」

「どうしたのタイタ君」

 再びタイタに視線を戻す。

「色々とご指摘頂き、ありがとうございました」

 タイタが馬上で頭を下げた。

「ううん。強く言ってしまってごめんね」

 私は手を振って制しつつ返す。

「いいえ。俺は遠回しな言い方だとあまり理解ができないのです。何が駄目だったのか、具体的に言っていただかないと察せない事が多く…」


 そうか、そこまでしっかり自分の事を知っているのならきっと大丈夫だ。自覚があれば対策もできる。


「うん。いいんだよ、解らない時は些細な事でも訊いてくれていいからね。私もできる限り説明するし、エビーもその都度フォローしてくれると思うから」

「承知いたしました。反省文も、自分なりに何かが悪いとは思って書いたのですが、あれもあの場では間違いなのですね…。お手数ばかりかけてしまい、申し訳ありませんでした。エビー、この通り俺はあまり察しがよくない。しかし、とりあえず謝るというような事はよそうと思う。ミカ殿のおっしゃるように、些細な事でもお前の教えを乞うてもいいだろうか」


 タイタは、同じ階級、しかも歳下のエビーに従えと言われた事自体は特に気にしていないようだ。真摯に頭まで下げている。これは、なかなかできる事ではないと思う。エビーも驚いたようで、すぐにタイタの頭を上げさせた。

「あの、俺、タイさんの事ちょっと誤解してたかもしれないです。俺の言葉も足りなかったんすね。こっちこそ嫌な言い方して、すいませんでした」

「いや、エビーは悪くない。俺は、どんな人でもよく分からないうちに怒らせてしまう事が多いんだ。ミカ殿は特によく解ってくださるだけだろう」

 タイタがこちらを見て自嘲気味に笑った。

 こちらの世界には、発達うんたらなどという言葉や考え方は無いのかもしれない。私もそれほど詳しくはないが、たまに「そういう特性」の人がいて、伝え方を工夫すればいいという事を経験上知っているだけだ。


 するり、私のお腹に腕が回ってきた。

「ザコルはまた…」

 腕を外そうと手をかける。

「これくらいいいでしょう、僕は叱って貰えないんですから」

「何て?」

 思わずザコルの方を振り返ろうとしたが、がっちりホールドされていて身動き取れなかった。


「流石は変態エロ魔王。何拗ねてんすか」

「流石は我らコミュ障の星。拗らせを堂々と貫くその姿! 憧れます!」


 え? とエビーとタイタがお互いを見つめあった。


「…あー、エビー、今のは注意しなくていいから」

 ザコルがファンクラブの一部にどういう解釈されてるのか分かったし。とりあえずタイタが元気そうで良かった。

「ねえ、ミカさん。つらくなったらこっちの馬乗ってもいいすよ。この馬、キントっていいます」

「そうなんだ。考えとくわ」


 ザコルの腕を外そうとしたが当然外れなかったし、それどころか力が強まってお腹が苦しくなってきたので、バシバシと叩いて怒ったらようやく緩めて貰えた。



つづく

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