2.リデイラ・ボールドウィンの訪問
次の日は学校を休んで、母と一緒に二人分の侍女と護衛を引き連れて、貴族街を散策した。
この国の貴族街は貴族の邸宅の他、商店も貴族専用で立ち入るにも門番への身分証の提示が必要になる安心設計となっている。
貧民は勿論おらず、平民も貴族向けの店の店員なので、騒ぎが起こることも殆ど無い。
昨日は父は帰宅しなかったらしい。
王城で何があったのかはお察しである。
喫茶室で侍女達にも菓子と紅茶を相伴させて、土産に焼き菓子や生菓子を思い切り買って意気揚々と帰る。
のんびりと刺繍や読書を楽しんで、学園が終わる時間になると友人が訪れた。
「大変な事になりましてよ、うふふ」
楽しそうに話し始めたのは、リデイラ・ボールドウィン侯爵令嬢である。
家格や派閥、寄親寄子とは異なる、本当の友人だ。
過去に王太子の婚約者候補だった事もある。
金の髪に、紫水晶のような落ち着いた瞳の色の、美しい令嬢だ。
「何がございましたの?」
私が目指すのは自分の婚約解消だけだったので、その他は知らん。
とばかりに、周囲の取り巻きには手を触れていない。
調査上で情報は集まったけれど、叩き潰すのは自分の役割ではないからだ。
「アリス・ピロウ男爵令嬢の周囲に侍っていた殿方、いますでしょう?」
「ええ、昨日もぴったりくっついていましたわねえ」
まるで姫を守る騎士だとでもいうように、こちらを威嚇していたのをうっすら思い出す。
くすくすとリデイラが笑った。
「オリゼー様の雄姿をご覧になったご令嬢方が、婚約解消に乗り出されましてよ。あの大商会の子息は、地面に額まで突けて謝罪されたとか……見たかったですわあ」
「マクラウド商会、でしたかしら?お相手は伯爵家の?」
「ええ、エリンギル伯爵の、イライザ様。今まで何度も苦言を呈されていたというのは、皆様も目撃しておりますし。エリンギル家の寄親であるローザンヌ公爵家共々、御用商人の契約は破棄されるようですわ」
まあ、それは大打撃ね。
というか、今までよく我慢してたわね。
「そういう事でしたら、ローザンヌ公爵家の寄子の皆様も後に続くでしょうし、わたくしの家は元々縁が無いですけれど、公爵家が契約を打ち切った商会と懇意にしていたら、お茶会でも何かと話題に上りそうですもの。同じ派閥でなくても関わりを避けるでしょうね」
つまり、マクラウド商会は今後、貴族相手の商売がこの国では出来ないと言う事だ。
多分同程度の商会、若しくは貴族からの求婚がエリンギル伯爵家に持ち込まれるだろう。
大商会が享受していた旨味を、得られるかもしれないのだから。
逆にマクラウド商会は元々が平民だ。
例えば件の息子が家を追い出され、慰謝料を支払ったとしても切られた契約は元には戻る事はない。
「自らの命綱に刃を入れるなんて、わたくしには考えられない苦行ですこと」
「まったくですわね。何故、令息達が選ぶ側で、令嬢達が選ばれる立場だと勘違いなさっているなのかしら。家同士の力関係や繋がりが重要ですのに」
柔らかく微笑むリデイラは少女らしいあどけなさと美しさを持っている。
彼女は同じ年齢で領地も隣り合っている伯爵家に嫁ぐ事が決まっていて、二人の仲は睦まじい。
「リディは羨ましいことね。幼い頃から愛し愛される仲なのですもの」
「嫌ですわオリー、人生はこれからの方が長いのですから、早めに手を打った貴方も、その行為に勇気を貰って行動された方々も皆様賞賛に値しましてよ」
愛称を口にすれば、応じるように愛称で返される。
彼女の機転も礼儀も、私には心地よい。
「もし手助けが必要な方がいたら、お声をかけて差し上げてね。腐るほど証拠はございますの」
「ええ、喜んで。それに本日は良い物をお持ち致しましたのよ」
リデイラの報告はそれで終わり、後は彼女が持ってきた来月から王都で行われる観劇についての話題へと移っていった。
親友が帰ってから改めて、鍵付きの引き出しに入れた資料を取り出して読んでみる。
騎士団長の息子グラッドは、幼馴染のミラディ・オレリア伯爵令嬢と婚約している。
紅い薔薇の様な美しさの女性ながら、騎士科に進むほど剣が強い。
なのに、たおやかな女性らしさを失わないところが、私の心を掴んでいた。
将来的に王室入りするなら、護衛として側に置きたい女性の一人だったのだ。
美しく装いながらも、戦えるなんて、素敵じゃない?
あんなに羨望を集めている女性が側にいながら、アレに心を囚われるなんて、殿方は分からないわ。
マクラウド商会のマーティンについては、リデイラと会話した通りだ。
異国の踊り子との庶子だったのを、エリンギル伯爵家の寄子のレシータ男爵の養子に迎え、婚約となった。
形式だけなので、その養子縁組も今回の事で解消されるだろう。
イライザがその異国的な美貌に惹かれたとはいえ、その為に次期女伯爵として厳しい後継教育を受けたのは。
彼を愛し、生涯を捧げる心算だったのだろう。
うん、でももう終わりね。
何だか親近感の湧く話だわ。
宰相の息子、ヘルハイド侯爵家のエルリックは、同じ家格のエリンと婚約していた。
可も無く不可も無いといった感じの政略結婚だ。
次期侯爵予定だったけれど、宰相はかなりのやり手だから、相手が動いたらすぐさまエルリックを切り離すだろう。
身内に癌を抱えるとは思えない。
何しろ彼は末娘を溺愛しているのだから。
恋愛結婚したいのなら、それでも良いけれど手順を踏まないとね。
オクレール公爵家のカミーユは、その美貌で有名な貴公子だ。
白銀の髪に紫の瞳の、中性的な美貌で、同じく美貌の令嬢バシュラール公爵家のブランシュと婚約中。
彼女は今帝国に留学中で、どうやら皇子に見初められているらしい。
カミーユの行状も問題だが、それを理由に解消して帝国の皇子と婚約を結び直すだろう。
バシュラール家にとっては、嬉しい誤算かもしれない。
ブランシュ嬢の人となりは知らないけれど、カミーユ様は美貌に根こそぎ色々吸い取られたと言われるくらい、考えの足りない方なので、結婚していたら別の意味で苦労していたでしょうね。
最後の一人、魔術師長の息子、アンブロワーズ。
彼だけは謎だ。
婚約者もおらず、いつの間にかあの取り巻きの中にいたのだが、存在感が薄い。
中庭に居た時の状況を思い出してみても、あの砂糖菓子…アリスに傾倒しているようには見えなかった。
王家の監視、かしら?
魔術師長の息子と出自を明らかにしているのだから、彼がアリス嬢に手を貸している線は無いわね。
手を貸すなら秘密裏に行うもの。
どちらにしても、今の私が手を出す案件ではなさそうだわ。
その日の夜、晩餐の席に漸く父の公爵がヨレヨレと帰ってきた。
「はあ……疲れた。婚約解消、成ったぞ、二人とも」
草臥れながらも嬉しそうに、父が書類を片手に高く掲げる。
私と母は思わず拍手で迎えた。
「王家から無理難題を吹っ掛けられたのではなくて?」
母が心配そうに父の肩を優しく撫でると、父は微笑を浮かべる。
「お互いが望むのだから致し方ないと、陛下もお認めになったし、ましてや素行の悪さは調査済だからな。これ以上言うのなら王家有責の婚約破棄も辞さない、慰謝料も発生すると言えば、まあ受け入れるしかないだろうよ。昨日の内に陛下とは話が済んでいたのだが、他の事で忙しくて帰れなかったのだ。王太子が悪手を打っていたからな」
あら、と母が目を輝かせた。
もしかして、またあの馬鹿王太子がいらん事をしたのかしら?
「ローザンヌ公爵の令嬢はオーレンス国の王子に正妃として嫁入り予定だったが、故に王子妃教育も終えている。その結婚を取りやめて、側妃に迎えたいと馬……王太子が仰せになって、それはそれはローザンヌ殿がお怒りになってな」
今、馬鹿と言いかけましたわね?
確かに馬鹿ですけれども。
何故、自分の首を絞めるのかしら。
被虐趣味がお有りなのかと勘ぐりたくなるわ。
「それは、何とも素晴らしく甘いお考えですわね」
私の言葉に父母共に頷いた。
婉曲的に言ったが、要するに超がつくほどの馬鹿野郎という事である。
そんな暴挙があったからこそ余計に、ローザンヌ公爵のマクラウド商会への当たりも強かったのかもしれない。
でも何て浅はかなのかしらね。
確かにレンダー王太子にとっては都合がいいけれど、そこまでの価値が自分にあると思っているのかしら?
思っているから言ったのでしょうけど。
オーレンス王国は大国で、しかも次期国王の正妃にと望まれている。
片や中堅国の我が国の、男爵令嬢を正妃にと望む馬鹿王子の側妃。
どちらに娘を嫁がせたいかなんて分かりきっているのにね。
「中立派だったローザンヌ公爵も、王妃ともども距離を置くだろうな。第一第二王子共に王妃の腹だ。外国に出された第三王子が呼び戻される可能性が高い」
「……あの、もしかして、第二王子の婚約者のロージー様を第一王子の側妃に、と言い出したりは……」
ピンと来た私が聞くと、父は泣き笑いの表情を浮かべた。
ああ、やっぱり。
「スティーダ侯爵家からは、今朝早く第二王子の婚約者を辞退すると連絡があったよ。王子はこれで側妃に出来ると喜んでいたが、既に昼過ぎには帝国へと出立したそうだ」
まあ、素早い。
「決断が早くて宜しいわね。これで第二王子の婚約者も空席になってしまって、どうするのかしら?」
これだけ混沌とした状況では、伯爵家以上の家格からの王室入りは難しいだろう。
他国から正妃を迎えて、アリス・ピロウ男爵令嬢を側妃にする位しか手はないと思うのだが。
「さあ。どうするのか。他国から迎えるなら正妃以外にないし、既に側妃が決まっている状態で嫁ぐ王族がいるかどうか。我が国が強国なら未だしも……王子はそれすら分かっているのか怪しいところだ。……将来に不安しかないな」
確かに。
言われてみればそうだ。
結婚前から側妃が居るという事は、愛する人がいるから、お前は仕事してねって事である。
子供を産んだとして、王妃は自らの子供を育てられない。
床上げしたら、溜まっていた執務や公務が始まるからだ。
乳母に任せるか、下手したら側妃や王太后が母親面して、母子を引き裂いたという話も歴史上無くはない。
しかもそれを咎めたら、お前が仕事ばかりして子供の面倒をみないからだ!とか言われるのだ。
ああ、言いそう。
あの男なら言うだろうな。
「そうですわね。他にもアリス・ピロウ男爵令嬢の周囲の殿方は婚約解消が進んでいるらしいですし」
「やはりか。間者ではないようだが、一体何故こんな事になったのか。まあいい、とりあえずお前はゆっくり休養しなさい。何も思い悩む事はない」
父と母に優しい笑顔を向けられて、私は微笑を返した。
読みにくくしてしまったひよこです。すみません。報告してくれた方ありがとうございました。
今執筆優先で、感想等に返信出来ていませんが、感謝しております。
ひよこは改行ミスをよくやるので、報告者は親切で教えてくれたけど、報告の仕方が間違ってた可能性もあり、悪戯とも何とも言えませんが、消すのに協力(誤字報告にて)してくれた方々に感謝を。
一番悪いのは手間を惜しんだひよこです……気をつけます:;(∩´﹏`∩);: