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小学生の頃に度々聞かれた地元のうわさ

作者: きつねあるき

 このお話は、1980年(昭和55年)の春から秋にかけての事になります。


 その当時、自分は小学3年生だったと思います。


 今では、廃校になってしまったのですが、東京都港区内のとある学校にいた時のお話になります。


 僕は、子供の頃から霊感(れいかん)がある方だったのですが、周りの人から気味悪がられるので口にしないようにしていました。


 どうやら、僕にこの世の物とは思えないあれこれを見せているのは、父親からの遺伝(いでん)のようでした。


 僕の父親は、そういう類の物をちょくちょく見るので、僕の兄弟にもいろいろな話をしてくれました。


 それでも、見えない人にとっては、“ふ~ん”位の反応しかありませんでした。


 それでも、僕だけは共感する部分があったのです。


 なので、僕が心霊の話をするのは父親だけと決めていました。


 この時代は、テレビはあったものの、パソコンや携帯電話なんて無かったので、情報を得るのに苦労しました。


 ただ、今では考えられない話なのですが、昭和時代には粗大(そだい)ゴミの回収が無料だった時期があるのです。


 とはいえ、その時代はそれほど裕福ではありませんでした。


 なので、あれやこれやと欲しい物はあるものの、なかなか手に入らないという背景がありました。


 当時は、子沢山の家庭が多かったので、誰かさんの家の前を通ると、元気いっぱいの子供の声が(ひび)いていたものでした。


 家の中が(にぎ)やかなのはいいのですが、子供の進学の度に金欠になる状態が慢性化(まんせいか)していました。


 なので、末っ子には物が行き渡らない事もしばしばありました。


 ご近所の方から、使い古したおもちゃ、学校の制服や体操着等のお下がりを(もら)えたら幸運なのですが、なかなかそう都合よく事は運びません。


 今では当たり前になっている、制服リユースなんてのも一切ありませんでした。


 だから、ご近所に卒業を控えたお子さんがいると、1つでも学用品を頂けないかと声を掛けてくる親御さんも多数いました。


 そんな時代だからこそ、1ヵ月に1回の粗大ゴミの日は地域の人にとって一大イベントでした。


 何せ、物が無い時代に高価な物がタダで手に入るチャンスなのですから。


 とはいえ、捨てられるからにはどこそこが(こわ)れていたり、汚れていたりとそんなには甘い話ではありません。


 家電製品の場合は、分解して直せないかと試みる訳です。


 人気の品ではないものの、書棚を直すくらいならそれほど難しくはありません。


 というのも、捨てられている棚はどこかしらの棚板が折れていたりするので、同じような部品と交換すれば済むからです。(多少の加工は伴いますが)


 物が無い時代は、こうして家具や家電を収集していたのです。


 ガラス引き戸が割れているならば、それを同じサイズのベニヤ板と取り替えれば、使えない事もありませんでした。


 なので、あちこちに工夫を()らした品々が散見されていました。


 僕の生まれ育った地域では、粗大ゴミの回収は月に1度で最終週の金曜日でした。


 粗大ゴミを回収に来る時間帯は、15時30分~17時30分位といった感じでした。


 中型平ボディのトラックがゴミの集積所に来ると、作業員の方が既に回収した粗大ゴミの中から欲しい物はないかと尋ねてくれます。


 目ぼしい物がなくなったところで、粗大ゴミの回収が始まるのです。


 粗大ゴミの回収時間は16時と決まっていましたが、他の集積所の関係で時間が前後するようでした。


 集積所のルールとして、粗大ゴミは12時を過ぎてからでないと出してはいけないというのがありました。


 それは、集積所が粗大ゴミでいっぱいになってしまうと、交通の(さまた)げになってしまうからです。


 なので、粗大ゴミの日の午前中は、そのルールが守られるように自治会のお(ばあ)さん達が見張っていました。


 それと、今で言う便利屋なんてものは存在しなかったので、高齢者宅の粗大ゴミだけは前日の夜に家の前に置く事が許されていました。(大雨の時は翌月回しにしていましたが)


 その搬出(はんしゅつ)作業をするのが、近隣の若者達の役目でした。


 なので、会社勤めをしている若者達は、昼休みになると高齢者宅の粗大ゴミを集積所に運ぶのに()り出されるのが慣例になっていました。


 粗大ゴミが出るとはいえ、最終週の金曜日の早朝は静かなものでした。


 何故なら、高齢者宅の粗大ゴミが必要な人は、前日の夜に引き取りに来る方がいたからです。(当時は粗大ゴミの利用券なんてありませんでした)


 それに、搬出で駆り出される若者達をタダで使えるので、それを逃す手はありませんでした。


 よって、最後まで引き取られなかった物だけが、高齢者宅の前に残っていたからでした。


 僕の寝床は、ゴミの集積所から程近い2階部分の窓際にありました。


 なので、窓を開けると飲食店から出た残飯も視界に入ってしまうのです。


 それでも、夏場以外はゴミの異臭に悩まされる事はありませんでした。


 この年の夏休みが終わったある日、僕は早朝から目覚めてしまいました。


 それは、窓際から複数の人が話している声が聞こえたからです。


「何だろう、こんな朝早くから」(ガヤガヤガヤ…)


「う~んと、話しているのは2人…、いや3人か…」


「それにしても、聞き覚えの無い声だなあ」


「一体、あの人達は何者なんだろう…」


 僕は、寝惚(ねぼ)けながらもそんな事を考えていました。


「そうだ、今日は粗大ゴミの日じゃないか」


「どうせ、分け前か何かで揉めているんだろう」


「どれどれ、僕が様子を見に行ってあげよう」


 寝惚け(まなこ)で目覚まし時計を見ると、まだ6時前でした。


 いつもは、7時に目覚まし時計をセットしていますが、1時間も早く起きてしまいました。


「何だよ~、ここはバシッと注意しなくては!」


 僕はパジャマを脱ぎ捨て、急いで普段着に着替えました。


 そして、ゴミの集積所に向かって歩いて行きました。


 ただ、この日は朝から(もや)がかかっていて、視界が悪い状態でした。


 それでも、ゴミの集積所付近にいる人影は確認出来ました。


「1、2、3人、うん、確かに3人いるな」(ごにょごにょごにょ)


 僕は、少しずつ近付いて行きました。


「3人共40歳位の女性かな?」


「何だろう?粗大ゴミを物色しているのかな?」


 僕は、数メートル先の集積所を凝視(ぎょうし)しましたが、そこに粗大ゴミはありませんでした。


「えっ…、この人達は何を話しているんだろう?」


「それも、こんな早朝に…」


()め事ではないにせよ、こう五月蠅(うるさ)くっちゃ寝られないじゃないか」


 迷いはしたものの、思い切って声を掛けてみる事にしました。


「あの」


 ぼくは、その一言だけしか発していないのに、数メートル先の3人の女性は水を打ったように静かになりました。


 そして、逃げるように去って行きました。


「何だよ、あの人達は…」


「でもまあ、いなくなったから良かったけどさ」


 その日は、今朝の事が気になって授業中でさえモヤモヤしていました。


 それからは、粗大ゴミの日になる度に早朝から集積所でワイワイと話す中年女性が確認されました。


 早朝の井戸端会議をするのは一向に構わないのですが、場所を考えてやって欲しいところでした。


 それでも、会話の最初だけは小さめな声なんですが、徐々(じょじょ)に音量が大きくなっていくのです。


 よって、安眠妨害(あんみんぼうがい)にも程があるので、その都度注意するようにしていました。


 しかし、僕がゴミの集積所に近付いて行くと、3人の女性はサッと逃げて行くのです。


 こんな事が何度かあるうちに、意外な事が分かりました。


 女性達が逃げ出すポイントがあったのです。


 それは、彼女達から2メートル以内に近付いた時でした。


 それと、3人の女性は逃げ出したら最後、僕の足では到底追い付けませんでした。


 なので、それからは彼女らに近付くのは(あきら)めました。


 そんな時、僕が次に興味を持った事は、“一体彼女らは何を話しているのだろうか?”という事でした。


 僕は、翌月の粗大ゴミの日に、早朝から彼女達を張り込んでいました。


「何処から来るのか分からないなら、集まって来る時を狙えばいいじゃないか」


「それに、この場所はあの場所から2メートル以上はあるからね」


 僕は、眠い目を(こす)りながら待っていると、いつの間にゴミ集積所には3人の中年女性が(たたず)んでいました。


「あれ?いつの間にここに来たんだろう?」


「でも、まあいいや」


「それよりも、何を話しているのか聞いてやろう」


 僕は、息を(ひそ)めて自転車の後ろに隠れていました。


(ここからは、彼女達の会話になります)


 最初の方こそは、他愛ない会話でした。


 お宅のご主人元気にしている?とか、あのお店は閉店時間より早く閉まった、とかでした。


 それが、あれよこれよという間にこんな話になっていきました。


「そういえばあんたさ~、またあのお婆さんが来るんだって」


「え~、また来るの~」


「この前は田村町にいたんだってね」(田村町→現在の新橋)


性懲(しょうこ)りもなくよく探すよね~」


「あの人さ~、今何歳になるの?」


「さ~、私らよりはかなり上だよね」


「プッ、そんなの当たり前でしょ」


「そろそろ止めとけばいいのにね」


「でも、残りの人生を()けて行ってみたいんだってさ」


「あの人の故郷(こきょう)なんでしょう?」


「でも、()っすらとした記憶だけが頼りなんでしょう」


「そうらしいわね」


「それにしても、ドウニワなんて何処(どこ)にあるのよ?」


「さあ、知らないわ」


「ドウニワってどんな字を書くのかしら?」


「同じっていう漢字に庭かなあ?」


「ニワは庭よね」


「ドウっていうと北海道の道かなあ?」


「だったら、北海道にあるんじゃない?」


「さすがに、北海道と本州は間違えないでしょう」


「それもそうね」


 そこで、僕の足が段々と(しび)れてきたので、蹌踉(よろ)けた際に自転車にぶつかってしまいました…。


「ガ、ガッシャー」


「マズい、足を引っ掛けてしまった…」


「近くに誰かいるわ」


「じゃあ、今日はこの辺で」


「また来月会いましょう」


 3人の女性は、(またた)く間に散り散りになりました。


「ふ~、やっと行ったか…」


「早朝から何を話しているかと思ったら、訳の分からない内容だったな~」


「まあいいや、月に1回位早く起こされたって」


 その時は、それくらいにしか思っていませんでした。


 ただ、その日を境に小学校ではある(うわさ)で持ちきりになりました。


 それは、小学校の上級生を中心に道を(たず)ね歩いているお婆さんがいるという事でした。


 行商人の様な格好をしたお婆さんが、子供達の下校時刻に現れては同じ事を聞いてくるのです。


「なあなあ、そこのあんちゃん」


「何でしょうか」


「ドウニワって知っとるか?」


「さあ、この辺でそんな地名は聞いた事ないですが」


「そうか、わたしゃドウニワに行きたいんだがね、どうすればいいかの~」


「その地名はどんな字を書くんですか?」


「それがよく分からんのじゃよ」


「じゃあ、交番で聞いてみたら?」


「交番で聞いても誰も分かりゃあしなかったわい」


「なら、僕らも分かりません」


「そうかぁ、引き止めて悪かったのぅ」


「いえ、ドウニワが見付かるといいですね」


「ほんなら、もう行くわ~」


 声を掛けられる児童は毎回違うものの、そんなやり取りが断続的に続きました。


 お婆さんが道を尋ねる時には、黄ばんだボロボロの地図を持っているのですが、そこに書かれている文字は、(かす)れていてほとんど判読出来なかったそうです。


 それでも、ドウニワという文字だけは(かろ)うじて見る事が出来ました。


 不思議なことに、お婆さんは何処からやって来るのかも分かりませんでした。


 効率よく情報を集めたいのなら、子供より大人に聞いた方が断然いいと思うでしょう。


 しかし、それを言うと、


「あぁ、大人はダメじゃわい、警察ならともかくわたしゃを(いじ)めてくるんやから」


 と、返答するんだとか。


 それで、言いたい事だけを言ってさっさと行ってしまうのです。


 お婆さんは、日頃から歩き回っているのでしょう。


 とにかく、年齢を感じさせない健脚(けんきゃく)ぶりでした。


 いつしか、そのお婆さんの事はあだ名で呼ばれるようになりました。


 その名も、ドウニワ婆さんでした。(以後、ドウニワ婆さんと表記します)


 ドウニワ婆さんから道を尋ねられた児童は、不気味だとは思いながらも歯痒(はがゆ)さを感じていました。


「ボクだってこの辺の地名くらい分かるよ」


 という、思いからなのでしょう。


 好奇心旺盛(おうせい)な児童は、親御さんからドウニワの情報を引き出そうとしましたが、誰1人として答えられる人はいませんでした。


 同級生の中には、地元にある図書館に行って旧町名を調べていた人もいました。


 しかし、それらしき地名は見当たりませんでした。


 それでも、ドウニワ婆さんが目撃(もくげき)されたのは数日だけだったので、地域住民からはこんな事が(ささや)かれました。


「あの婆さん最近見ないな」


「うちの子供もそう言っていたよ」


「どっかで死んでるんじゃないの?」


「バカを言うなよ、縁起(えんぎ)でもない」


「そうだよ、我々は会った事もないのにさ」


「もしかして、幽霊(ゆうれい)って事はないのかな?」


「幽霊が白昼堂々道を聞く訳がないだろ」


「そうだけど、幽霊説が出回っているのも事実なんだよ」


「それなんだけどさ、ドウニワ婆さんは大人の目撃談が無いそうじゃないか」


「誰か大人で見た奴はいないのかよ?」


「俺が聞いた限りではいないみたいだよ」


「ご近所の奥様方でさえ、会った事はないっていう話じゃないか」


「そんなんだから幽霊説がでたんじゃないかな?」


「ふ~ん、そんなもんなのかね」


「別に事件性もなさそうだし、気にする必要はないんじゃないかな?」


「それもそうだな」


 それから、あれよあれよという間に1ヵ月が経ってしまいました。


 翌日は、地域住民待望の粗大ゴミの日でした。


 その頃になると、僕は粗大ゴミの中にある掘り出し物よりも、早朝に3人の女性達が何を話しているのかに関心を持つようになりました。


 それに、ドウニワに関しての事は彼女達しか知り得ない情報だと思ったからでした。


 僕は、早朝からゴミの集積所から3メートルは離れた自転車の後ろに隠れると、3人の女性が来るのを待ちました。


 今度ばかりは、自転車にぶつからないようにして潜んでいました。


 すると、彼女達はバラバラに集まってきたのです。


 そして、いきなりドウニワについて話し出しました。


「ねえ、あんたさ~、あのお婆さんが今何処にいるのか知ってる?」


「ああ、確か飯倉町の方だったかな」(飯倉町→現在の麻布)


「じゃあ、そろそろこの辺に来るのね」


「同じ所を何回通るのかしらね~」


「いいのいいの、好きにさせてあげればさ~」


「それであんたさ~、ドウニワって何処だか知ってるの?」


「そんな場所ここら辺には無いわよ」


「じゃあ、何でそんなに躍起(やっき)になって探しているの?」


「ああ、あれは地名じゃなくて人の名前なんだよ」


「えっ、人を探していたの?」


「そうとも言えるし、違うとも言えるかな」


「どういう事なのよ?」


「それはね、ドウニワっていう男の人がお婆さんの故郷を知ってるって話だったのよ」


「それじゃあ、お婆さんの故郷はドウニワじゃないの?」


「全然違うわ」


「だったら何処にあるのよ?」


「そんなの、ドウニワさんに聞かないと分からないわよ」


「そうなんだ」


「そうそう、それが証拠にお婆さんは男の人の写真を持っている(はず)だから」


「へ~、話が混同しちゃたまま迷走しているのね」


「でも、あのお婆さんは、いつも地図を持ち歩いているじゃないの」


「ああ、あれはドウニワさん家が書いてある地図なんだって」


「そういう事ね」


「だけど、何で地図があっても分からないだろうね?」


「ああ、あれはお婆さんを困らせる為に書かれた意地悪な地図なのさ」


「あれは地図じゃないって事?」


「いいや、一応地図ではあるんだけどね」


「だったら、どうやって見るのさ」


「ああ、あの地図は輪郭(りんかく)を見るのさ」


「輪郭って言ってもね」


「あれよあれ、あの地図は高い所を示しているのよ」


「地図で高い低いなんて分かったっけ?」


「あんたも習ったろ、山の高さを表す時のあれだよ」


「あ~、成程(なるほど)ね、何となく分かったような気がするわ~」


「その家が分かったところで故郷に帰れるのかね~?」


「さあねぇ~、でも、誰しも死ぬ前にやっておきたい事はあるんじゃないの」


「それもそうね」


「それにしても、何であんたはそんな事まで知ってんのよ」


「ふっふっふ、私の情報網をなめんじゃないわよ」


「はっ…」


「どうしたの?」


「しー、誰か来たわ」


「あら、今回は向こうからなのね」


「そろそろ戻らないとね」


「じゃあ、今日はここまでね」


 道路の向こうから近付いて来たのは、いつも早起きな僕の父親でした。


「あれ、何であんな所にいるんだろう?」


「もしかしたら、道路の向こう側から3人の女性を監視していたのかな?」


「このところ、粗大ゴミを荒らした人がいたからね」


 僕は、父親に見付からないようにして急いで家に戻りました。


 数日後、僕が1人で下校していると、行商人のような格好をしたお婆さんとすれ違いました。


「もしや、あの人がドウニワ婆さんなのか?」


 そっと振り返ると、お婆さんは僕に向かってこう言いました。


「なあなあ、ドウニワって何処にあるか知っとるか?」


 (つい)に、僕の前にもドウニワ婆さんがやって来ました。


「ドウニワですか?」


「そうじゃ」


 僕が声を掛けられたのは、広域地図看板の前でした。


 なので、その返答をするには最適な場所でした。


 僕は、それを見ながら、


「この辺じゃないと思いますけどね」


 と、言うと、ドウニワ婆さんは黄ばんだ地図を見せてきました。


 ですが、明らかにこの辺の地形ではありませんでした。


 その時に、一番最初に思った事が、


「何だこの地図…、めちゃくちゃ臭い」


 という事でした。


 ただ、何かを(しゃべ)らないと地図を引っ込めようとはしないので、そんな事で引き下がれませんでした…。


 ドウニワ婆さんは、


「近くで見た方が分かるかもしれんしな」


 と、言ってその地図を僕に手渡ししてきました。


 その時、お互いの手が少しだけ()れたのですが、血が通ったしっかりとした手の甲でした。


 ドウニワ婆さんには、幽霊説まで出回っていましたが、確実に生身の人間という事だけは分かりました。


 僕は、気を取り直して地図を(なが)めました。


 その時、3人の中年女性の会話を思い出しました。


 僕は、地図に書かれている文字よりも輪郭に注目しました。


「こ、これは…」


「あの女性が言っていた通りじゃないか」


 地図をよく見ると、上から見たものではなくて横からの視点で書かれているではありませんか。


 そうか、この地図は高さだけを示した物なんだ。


 という事は、左側に書かれているドウニワという表記は男性の自宅って事か。


 ぼくが地図を(のぞ)きこんでいると、ドウニワ婆さんが、


「この地図は大事な物だから返してくれんかのう」


「分からんかったらそれでええわい」


 と、言ってきました。


「あの~、お婆さん、1つ聞いてもいいですか?」


「別に構わんが」


「地図と一緒に男の人の写真を持ち歩いていませんか?」


「持っとるよ」


「僕に見せてもらえませんか?」


「見るって言ってもこれしかないわい」


「それで構いません」


「あ~、これかい」(白黒の写真を取り出す)


「お婆さん、この人がドウニワさんなんじゃないですか?」


「こりゃおったまげたわい!そうじゃったそうじゃった」


「お婆さんは、この人のお家に行くんですよね?」


 それを言うと、お婆さんはしばらく(だま)り込みました。


 気まずい雰囲気になったので、今度は僕から話し掛けました。


「あっ、それとお婆さん、この地図は輪郭を見るんですよ」


「はて、輪郭とは何ぞや?」


「この地図は、左から右に向かって書かれている地形なんですよ、だから、低い土地から高台にある家に行くんじゃないですかね?」


「ほ~、それは気付かんかった」


「この地図が正しいのなら、ここのお家はもっと高い位置にあるんじゃないですか?」


「あ~、この私とした事が~」


 ドウニワ婆さんの顔には、大量の汗が()き出していました。


「なあ、あんたこの地図要らんか?」


「いえ、要らないです」


「ほな、急いで戻らないと~」


 ドウニワ婆さんは、それだけ言い残すと僕の前を通り過ぎて行きました。


 それからは、僕の街でドウニワ婆さんが姿を見せる事はありませんでした。


 僕の同級生も、あの一件は解決したんだと言って胸を()で下ろしていました。


 しかし、僕には気になっていた事がありました。


 それは、早朝にゴミの集積所で話していた3人の中年女性の事でした。


 奥様方は噂好きとは言いますが、あんなにもドウニワ婆さんの事に詳しいなんて不可解でした。


 僕は、翌月の粗大ゴミの日にも張り込みをしようかと思っていました。


 その時、不意に名案が浮かんできました。


「そうだ、そういえば先月の早朝は道路の反対側に父親がいたんだった」


「だったら、あの女性達がが何者なのか知っているんじゃないかな?」


 僕は、父親の帰りを待ってその事を聞こうと思いました。


 夜になると、父親が疲れた顔をして帰宅しました。


「おかえりなさい、お酒を飲む前にちょっと聞きたい事があるんだけれど」


「おお、どうした、難しい話じゃなきゃ何でも聞いてくれや」


「あのさ、先月の粗大ゴミの日の事なんだけどさぁ」


「先月っていうと4日前か」


「そうそう、その時の事を覚えてる?」


「そりゃあ覚えているさ、掘り出し物はなかったけどな」


「そうじゃなくて、その日の朝早くにお父さんは粗大ゴミを見に行ったでしょう?」


「ああ、あれはいつもの散歩だよ、人がいない時間帯は歩きやすいからな」


「その時の事なんだけど、ゴミの集積所に3人の女の人がいたと思うんだけど、あの人達は一体誰なの?」


「何を言ってんだ?ゴミの集積所には誰もいなかったぞ」


「そんなバカな、僕は女の人達の話し声で目が覚めてしまったのに」


「何だって!でも、俺はそいつらの近くにはいなかっただろ?」


「それがいたんだよ、道路の反対側だったけどね」


「それで、そいつらは何を喋っていたんだよ?」


「ドウニワ婆さんの居場所や地図の見方とかかな」


「確か、ドウニワ婆さんって幽霊説が出回ってなかったっけ?」


「実際に会ったけど、幽霊なんかじゃなかったよ」


「俺も、交番にいるところを見たから幽霊じゃないよ」


「じゃあ、僕が見た3人の女性は何者なんだろう?」


「だったら、その女性達が幽霊だよ!」


「えっ…、あんなにデカい声で喋っていたのに?」


「そうさ、そいつらはお前に何かを伝えたかったからなんじゃないのか」


「でも、お父さんにも見えないなんて…」


「いや、俺の視界に入らなくても、お前の年齢だったら見えていても不思議じゃないからな」


 僕はその話を聞いてゾッとしました。


「まあ安心しろ!そいつらが次に来る時には盛り塩しといてやるから」


「うん…」


「なあに、幽霊なんていつ来るのか分かったら、いくらでも対応出来るんだからさ」


 そう言うと、父親は冷蔵庫にあったサッポロの黒ラベルを取り出し、勢いよく飲み干しました。

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