89.雫葬
夕暮れが迫り、兄姉弟子が屋敷に料理をとりにきた。運ばれた辺りから、雫葬が終わるまでは食べるのは禁忌なのだそうで、先にがっつかれる心配はない。
「じゃあいこう! 特等席に来ていいって言われてるし。早くいかないと入れなくなっちまう」
「特等席?」
「フェナ様が儀式をする祈りの間だ」
神殿の周囲は人でごった返していた。夕暮れ時、闇に魔物が現れる時間なので、魔除けの組み紐をしていない者は、家でベラージの冥福を祈るのだ。
ヤハトに連れられて、人の波を掻き分け神殿の中へと向かう。カバンは危ないから置いておけと言われていた。ソニアたちは振る舞いのときには広場へ行くが、儀式のときは人の波に耐えられないので屋敷で祈ると送り出された。
神殿前の長い階段にも人がごった返している。
人にぶつかるのをものともせずに進むヤハトがすごいなぁと思っていたが、違う。これは、わざとぶつかっている。
わざとぶつかって相手に引かせて、シーナがその瞬間に通り抜けて歩きやすくしてるのだ。
ヤハト、地球ならマジモテるなあ、と内心ニヤニヤしながらその後を追っていた。
神殿内部にも人はいる。だが、祈りの間の前まで来ると、人だかりはなくなった。ここから先には入ってはいけないのだろう。
だが、ヤハトは更に奥へ向かった。
祈りの間はかなり広いホールになっている。東京ドームとまでは言わないが、小学校の体育館より広い。天井が丸く高く、その一番上にはガラスがはまっていて、昼間は光がまっすぐ中央に降り、中央の祭壇の分枝を照らしていた。今は夕暮れなのでそのような光の道筋はない。
だがそれ以上に目を引いたのは祭壇の下にある物だった。
それは、キラキラと色とりどりの何かを纏い、あわく揺らめいている。
年の瀬に来た時にはなかったそれを横目に、左の隅に立つバルのもとへ手を引かれ連れて行かれる。
祈りの間にはガラもいた。兄姉弟子たちはおらず、ベラージ翁の訃報をもたらしたゼガナと並んで立っている。
丸いホールの壁際に、ずらりと並ぶ中には、エドワールやアルバート、ギルド長たちの姿もあった。
「準備は終わったかい?」
「はい。みんなが運んでくれました」
「そうか。もう少ししたら始まるよ。儀式中は静かにね」
今はまだ、みんなそれぞれ周囲の人と話をしているので、ホール内にガヤガヤと話し声が反響していた。
「分枝の下にある光っているのって何ですか?」
シーナの言葉にバルが驚き、ヤハトがえっ? と声を漏らす。
「ベラージ翁だけど……」
「えっ?」
今度はシーナが驚く番だ。振り向いて確認するが、光でそんなものは見えない。
「何色に見える?」
低く声を落とすバルにつられて、シーナもヒソヒソ声で報告する。
「基本的に黄色というか金色と言うか光の色? ですけど、青と赤と緑も見えますね」
瞬くように。
あれがご遺体?
「落とし子だからか?」
「そう言えばシーナ、フェナ様の魔力の塊よく目で追ってるよな?」
三人に降りる沈黙。
「後でフェナ様に要相談かな」
「とりあえず黙ってます」
シーナの宣言に二人は頷いた。
鈴の音が聞こえてくると、皆のおしゃべりがピタリと止んだ。
シーナたちが入ってきた正面の入口の真反対。神殿の奥から鈴の音がシャン、シャンと一定のリズムで鳴り響く。小さな音だが、建物の構造のせいか、まるで自分の耳元で鳴っているような錯覚に陥る。
そして、その鈴の音に導かれるかのように奥からフェナが現れた。
神官たちと同じような真っ白い衣装だ。首まである、ワンピースのような衣装だが、ガラに借りたものや自分で買ったものとは違った、すべてがゆったりとした真っ白い衣装。何枚もの布が肩から掛けられ、それを引きずりながら祭壇の周りをゆっくりと移動する。何度目かの周回のときに、ベラージ翁の前で足を止める。指先が見えないほど長い袖を持ち上げるとふわりと世界樹の分枝がフェナの元へゆっくりと落ちてきた。
フェナの口が少しだけ尖ると、口笛ではないが歌でもない、音が吐き出された。一音一音が長い、不思議な音程に合わせて、フェナは淡い光の塊に向かって分枝をゆるゆると、撫でるように振るう。
「ああ……」
声を上げないよう言われていたのに、すっかり忘れて溜め息をついてしまった。
それほどに、美しい光景だったのだ。
分枝は手の平から肘くらいまでの大きさだ。榊によく似た葉の付け方をしている。葉は濃い緑色だった。
それが、フェナが腕を振るうごとにベラージ翁の光を巻き上げる。指先でくるくると枝を回すので、空中に光の残滓が零れ落ちる。
それをまた、フェナがゆっくりと腕を振るい巻き取っていく。
何度も何度もベラージ翁の体から光の粒が分枝にうつる。
フェナの口から溢れる音に合わせて、光が震える。
やがてフェナの腕の動きに変化が現れた。
光に溢れた分枝を下から上へと勢いよく振り上げだした。
すると、淡い光たちが天井へと向かう。ちょうどガラス部分へ光が昇っていくのだ。
ガラスの向こうの空高く、光の渦が伸び上がって行くのがみえた。
空いっぱいの星々と、その星に負けぬほどキラキラ輝く光が、空に広がりゆくのがみえた。
フェナの音とともに瞬く煌めきがみえた。
キレイだなぁとうっとりしていたシーナだが、静かだった衆人が、おお、と声を上げる。
光の粒が消えたベラージ翁の遺体に緑色の炎が灯っていた。
焼ける匂いなどは一切ない。
暫くそのままだったが、少し炎の勢いが弱まると、フェナが分枝で緑の炎を払う。
すると、炎は消え失せ、一瞬にして台の上からベラージの姿も無くなっていたのだった。
あの独特の歌声が終わり、高く分枝を投げると、祭壇の定位置に、すとんと納まった。まるで今起きたことは夢だったかのよう、いつもの分枝の姿と変わらない物に戻った。
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フェナ様、壁ドンはできなかった。




