80.お嬢様の暇つぶし
起きられなかった。
鐘は、シーナの心には響かないのだ。
朝ご飯どころか昼近くになってしまった。昨日は大活躍で疲れたのねとか思われていたらしいが、違うのだ。起こされないと延々と寝てしまうのだ。
ご褒美に、目覚ましの魔導具でも作ってもらおうか?
午後からにしてもらうかと衣服を整え、部屋を出ようとしたところでノックがした。
「はい、どうぞ」
シーナが入室を許可すると、現れたのはマリーアンヌだった。
「シーナ、お昼は私の宮で一緒に食べましょう」
イエスしか認められないやつだ。側仕えたちに目をやるが、みな一様に視線をすいと下げたまま、視線を合わせようとしない。
御主人様の暴走列車に相乗りさせようとしないでくれ。
「行くわよ、シーナ」
東の宮は、本館よりは小さいが、二階建てでエントランスも大きいし、普通に貴族のお屋敷である。全てのものが揃っている。足りないとすれば娯楽なのだろう。シシリアドにいることを知っているのは、屋敷の者を除けばほんの少数らしい。つまり、どんなに暇でも街をうろつくことも出来ないのだ。
未婚の貴族に傷があってはならないので、結婚式まで屋敷の外にでられないのは当たり前だが、衣装や宝石などを見るために商人を呼ぶことすらできないので、シーナを逃す手はないということだろう。側仕えたちも、主人がひとときでも退屈をしのげるならば、人身御供にするつもりだ。
食事にはまだ早く、座り心地のよいソファがある応接室に通された。
「昨晩のお夕食のステーキソースはとても美味しかったわ。エドワール様もたいそう気に入ってらっしゃた。あれは、シーナの故郷の味なの?」
「お口にあって光栄です。故郷に同じような物があったので、試してみたのですが、こちらでも受け入れられて良かったです」
「シーナの故郷は美味しいものがたくさんありそうね」
「そうですね。美味しいものを追求する人種ではあったと思います」
日本、グルメの国だと、ここに来て改めて思い知らされました。まあ、地球規模でもあったか。
「私が作るのは自宅レベルの物です。食事を提供する店もたくさんあって、そういった場所の料理人はもっと腕が良いので私が作るようなものよりずっと美味しかったですね。仕事として料理をしてましたから」
「つまり、ここの料理人は職務怠慢ということね」
側仕えたちがマリーアンヌの言葉に動揺している。極端すぎるよお嬢様。
「それはどうでしょう。あと百年、戦争も天災もなく平和な時代が続けば、変わっていっていたと思いますよ。そういった進歩は、余裕がないと無理ですから」
暮らし向きが悪い状態で食事なぞ最低限になるのは当然のことだ。
お菓子なんてものがその最たるものだろう。パンを食べる余裕がないのにお菓子を作ってはいられない。
「物流が安定し、平民の暮らしが向上しないとなかなか難しいでしょうね」
日本の食文化において、江戸時代という安定した時期はかなりでかいものだったと思う。終戦後の急成長は技術の革新が著しかったのもあるだろうなと改めて思った。
シシリアドはわりと平和らしいが、魔物という不安要素が常にあるし、魔法があるせいか、技術的な飛躍が難しそうだ。誰もが使えるクリーンなエネルギーがあればいいのだが、そう上手くはいかない。
「魔物の有無など根本的な違いが著しいので、比べることは難しいですが、私の故郷とここでは技術的な面で数百年違っているようにも思えます」
料理人がクビになったら可哀想だから少しオーバーに言っておく。
一週間分の食費を払って、美味いものを食べようという気持ちが生まれないと、食の進化は難しい。一週間分の食費を一食に使うくらいなら、残りを冬の支度に取っておかねばと思っているうちは無理だ。
「でも今回新しい調理法を提案しましたから、ここの料理人たちは数十年先の料理を垣間見たことになります。みんな昨日はかなり興奮されていたので、やる気に満ち溢れていると思います。ここからの創意工夫に期待されたらよいのではないですか?」
シーナの言葉にマリーアンヌはニコリと微笑んだ。
「そうね、楽しみにするわ」
側仕えたちがあからさまにホッとしている。
教育係とかはいないのだろうか。ちょっと裏で話し合いたい。マリーアンヌが不安で仕方ない。
「魔物の有無と言っていたじゃない? シーナの故郷には魔物はいないの?」
「大きな動物はいましたし、対面すれば襲ってくるような動物はいましたが、ここのような街の直ぐ側に野放しになっているところはそうありません。魔物はいませんでした」
「魔物がいなくて、お肉はどうするの?」
「飼育します。食用の動物を育てる仕事がありました。魔物は出ないので、作物もかなり大きな面積で育てていましたね。動物はまあ狙いにきますけど、ここの魔物のような凶暴さはないので」
いや、イノシシは怖いけど。猿も。それでも魔物に比べたら可愛いものだろう。
「魔物のいない世界……どんな場所なのかしら」
「魔物はいないですけど、精霊もいませんからね。魔法や魔導具もないです。陣もありません。もちろん組み紐も紋様も。そこら辺が今の私からしたら楽しいですけど」
「それでどうやって暮らすの!?」
「うーん、精霊石で、火の代わりにしたりしてましたよね。そういったものの代わりになる電気の発明が大きかったですね。電気のお陰で夜も明るいんです。蝋燭の代わりに各家庭に電気を送るシステムを作って……これもだいぶ昔の話ですけどね」
「何から何まで違うのね」
「そうですね。だから一概に私の故郷を真似するということは難しいんです。根本が違うので」
それに、シーナはシシリアドしか知らない。王都はまた違うのではないかななどと考えている。
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貴族らしいマリーアンヌの登場です。




