267.呼ぶ組み紐
お茶のおかわりをいただいて、ラーリャとの話が一段落したところでずっと気になっていたことを聞く。
『あの、背中がすごくヒリヒリするんですけど、擦りむいたのかな……服って破れたりしてません?』
『ああ、隠蔽陣を刻んだのよ。皮膚を傷つけたのだから、しばらくは仕方ないわね』
『そう言えばなんかそんなお話をしていたような……正直気持ち悪くて何も聞けてなかったです』
皮膚を傷つけたなら、ヒリヒリ痛むわけだ。隠蔽陣はヤハトが展開したのを見たことがある。丸い中に色々と書いてあった。精霊のシンボルがどうのと説明されたが、もう少し聞いておけばよかった。
「火傷のようなものだから、触らない方がいいわよ。化膿してもここに治癒士はいない」
『はい……』
あとどのくらいの情報が必要だろうか?
『そう言えば、あの、魔物の子……あれって突然現れるのはなんで?』
『ああ、それはあの深淵の組み紐を作った髪の持ち主が呼び出せるようになっているから。普段は闇の中に潜んで自分の髪の組み紐の側にいるらしいわ』
つまり、あのおぞましい組み紐は、既存の魔物を操り、特別な魔物を呼び寄せることができる。シーナが気持ち悪く思ってるのは、組み紐というよりも、そのそばの闇に潜んでいるもののせいかもしれない。
そして、近くに道中出くわしたものを操る人間がいたということか。
索敵に引っかからなかったのなら、彼らもまた隠蔽陣を背負っているのかもしれない。
しかし、少し気になる。
呼び寄せる、というワードだ。
『あの、深淵の組み紐の、紋様ってどんなものですか?』
『興味あるの?』
『組み紐師として……やっぱり気になります。操る能力と、呼び寄せる能力があるということですよね』
ラーシャはふぅんと言って微笑みながらこちらを見ている。
これは警戒されたかなと、仕方ないのでこちらから手の内を明かすことにした。
『組み紐ギルドで見たことがあるんです。用途も目的もわからない、失われてしまった紋様で、【呼ぶ】というものがあって、こんな、花びらみたいな形の……』
テーブルの上に例のラコが召喚されたであろう桜の花びらのような形を描くと、ラーシャの瞳が一瞬揺らいだ。
本当にもう、どこでどう何が繋がるか分からなくて怖い。
ラコの組み紐はもう失われてしまった。でも声を掛けると意思疎通は出来ている。気づけば側にいて、頬を擦り寄せてくるし、シーナが主であることは明らかだ。
あの組み紐は二種類、糸と髪を使うと言っていたから、きっとどちらかでこの紋様を編んでいるのだろう。
「ラコ」
『何?』
『いえ……なかなか、思い通りにいかないなと』
呼んでみたが現れない。それとも今必死に宙を泳いでいるのか? とも思ったが、たぶん隠蔽陣のせいだ。
色々考えるがまとまらない。もしももしもの考えが頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
はあ、と大きなため息をついて腕を動かしたとき、お茶のカップに当たって落としてしまった。
『あっ! ご、ごめんなさい』
慌てて拾おうとしたが、割れてしまった破片で手を切った。
『っつ!』
『危ないわよ。離れて』
『あ、はい……』
残ってたお茶の雫が寄り集まって欠片を一箇所に集めた。さらに、床となっていた土に沈んでいく。
『すみません、カップを割ってしまって……』
『仕方ないわ。まだあるし、気にしないで』
ドォンと地響きが聞こえる。
『今日は相手も必死ね。なんとしても炙り出そうとしてる』
そうラーシャが呟いたところで、ぶわっと気分が悪くなり、反射的に出入り口の反対へ逃げた。
『何……』
『ラーシャ、すまないが伝令を……』
シーナが部屋の隅で必死に目を逸らしている姿を見て、ルーはラーシャを手招きする。部屋を出て少し離れたところで話を再開する。この距離でも、ないよりはましだ。
ドアのない部屋は、身体強化に魔力を通せば話し声は余裕で聞ける。
『上の攻撃が激しさを増してる。軍勢が来ているあたりまで戦線を後退させたい。上の奴らと祠へ伝令を頼む。祠は二日間待機してくれと言ってくれ』
『わかった』
少しの間がありラーシャが、悲鳴を上げる。
『地上の指令頭が一人もいない!』
『は?』
『指令頭たちが全滅してるのよ! 精霊の使いが辿れない!』
『……まさか』
『彼らとは事前にマークを結んでいるから、隠蔽陣があっても問題ないの。現に今まできちんと連絡取れてたでしょ!?』
『祠は!』
これはバレる。
深淵の組み紐が魔物を操る役目を果たしているのだろうと、そういった情報が相手方にあるのだろうということがバレる。
祠の中に大切な組み紐の材料があるということを知っていることがバレる。
そして、そのバレた原因もすぐにバレる。
『おい! お前らはどこまで知っているんだ』
近づかれるだけで立っているのが辛くなるその組み紐をつけたまま、ルーが迫る。
「痛いのは嫌い」
だが、自分にできる可能性が一つでもあるならば、試したい。
深淵の組み紐は魔物を呼ぶ事ができた。
シーナの手元には召喚の組み紐はもうない。
だけど、試してみる価値はあるはずだ。
上着の裾を引っ張り出して、背中に手を回す。そして、先程割ったカップの欠片を思い切り背中に突き立て横へ引く。
こんな風に自分で自分を傷つけたことはない。そんな趣味はないのだ。痛いのは嫌い。剣も怖い。
だがとにかく、このヒリヒリと痛む背中のあとのどこかでも途切れればいい。
陣はとても複雑に作られているから、大切に扱うように、再三言われた。保存の陣なんかはその上にものを置くので刺繍で作るのだ。
「痛いぃぃぃぃ」
自業自得のことをして、涙が溢れてくる。さらに迫りくるあの組み紐の気持ち悪さに立っていられなくて膝をつく。握り締めていた右手の平も切れて血に濡れていた。
『何を?』
「ラコ、ラコ! 私の可愛いラコ! こっちに来て!」
隠蔽陣を途切れさせれば、もしかすると組み紐がなくともラコを喚ぶことができるかもしれない。
そして、賭けに勝った。
目の前にあの愛らしいフォルムを持ったラコが、首を傾げながら現れる。本当に空中に突然。ポンっと現れる。
「ラコちゃん、可愛い。ああ、これで――」
夜目にラコの神秘的で近寄りがたいと言われた光は、さぞ目につくだろう。
『お前、何を抱えている?』
ドォンと、地鳴りが近づく。
なんて肌触りのいい毛皮だろう。
シーナはラコを抱えたままその時を待った。
ブックマーク、評価、いいねをしていただけると嬉しいです。
ブックマーク!いいねありがとうございます。




