216.チュンはなかったよ
ガバっと跳ね起きて、状況を理解するのに軽く一分はかかった。
「ぁぁぁぁぁ……」
やってしまった。
いや違う、やってない。ぐぬ。
起き上がると全身に洗浄をかける。クローゼットを開けて新しい服に着替えた。いつもならスリッパの音を気にせず歩き回るが、そっと、パタパタ音をさせないよう移動する。
客室を覗くが誰もいない。
階段を下りて応接室を覗くと、ソファで眠るアルバートがいた。
美人の寝顔とか、久しぶりの尊死である。
キッチンに置いてあったストールを上掛けにしてぐっすり眠っている。
目覚ましが鳴るずっと前だった。一の鐘すら鳴っていない。
ズシェの作ってくれた目覚まし時計は一日を等分に刻んで、鐘の時間まで示してくれるすぐれものだ。シーナの時間の話から作ってくれたそうだ。ありがたい。
アルバートは今までも二日連続で休みを取っていたことはなさそうなので、今日は仕事だろう。朝ご飯を作ることにする。
寒いから、キリツアスープにしよう。雑炊はさすがに無理だろうから。
オニオンもとい、キリツアをバターで炒めて昨日作った鶏ガラスープを入れる。そして固いパンにチーズを乗せて、オーブンへINだ。
さらにソーセージを炒めてスクランブルエッグを作る。味付けは塩コショウ。パンが足りなかったらジャムで食べてもらおう。
作りながらも時々昨日の夜のことを思い出して身悶えする。
なんとか自分を落ち着かせながら、あとはお湯を沸かして紅茶を入れれば出来上がりだ。そろそろ一の鐘が鳴る。
カタンと人の動く気配がしたので、紅茶の準備を始める。
少しして、まだ眠気の残った表情のアルバートが現れた。
「おはようシーナ」
「おはよう……昨日、ごめんね」
あの後、指輪を改めてと思ったが、キッチンのテーブルに置いて来てしまったので、アルバートが取りに行った。
少し気が抜けて、ふんわりとした眠気に、ソファへ身を寄せたところまでは覚えている。
「結構飲んでいたしね」
一分くらいの間に熟睡したシーナを見て何を思ったのかはわからない。ベッドで寝ていたということは、アルバートが運んでくれたのだ。
「風邪引いてない?」
椅子を進めて紅茶を淹れる。オーブンへ再び入れて温め直したスープをアルバートの前に置いた。
「暖炉で部屋は十分温まっていたから大丈夫だよ」
「よかった」
この世界は風邪だって油断がならない。
「このスープ美味しいね」
「あったまるでしょう」
食べ終わってもまだ二の鐘は鳴らない。あの時間に起きることができれば、色々なことがゆったり進む。まあ、なかなか現実的ではない。
「シーナ」
「は、はい」
「昨日の続きをいいかな?」
指輪の入った木箱だ。
「まず、この防護の指輪を移動しようかなぁ。右手につけてもいいかい?」
「移動しちゃうの?」
「せっかくの、君にプレゼントする指輪が目立たないだろ? 同じ緑の石が嵌っているし」
そう言ってシーナの左手を取り、人差し指のそれに手をかざすとすっと外れる。
「どの指にする?」
「じゃぁ、目立たないように小指に」
石もさほど大きなものじゃない。言うほど邪魔にはならないだろう。
「では改めてこちらを」
左手の薬指に、こちらもいたってシンプルなシルバーのリングだ。緑とさらに小さい黄色の石が嵌っていた。
なんとも照れくさくてこそばゆい。
そこでふと思いつく。
「アルにはないんですか?」
「私に?」
言ってから、そんな慣習はないのだと気付いた。
「あ、いや……私の故郷では、その、婚約指輪とか、結婚指輪とかがあって、結婚指輪は同じ意匠のものをしてて……」
「そろいの指輪をするのか……いいね。私も同じものを作ってもらうよ。大至急だな」
自分で言っておいてなんだが、朝から血圧が上がる。
「流石に今日は休めないから……また夜話をしに来てもいいかな? 確か今日までガラのお店はお休みだよね」
「わかりました、お待ちしてます」
「シーナ、二人きりの時は敬語やめよ?」
「努力する」
玄関まで送って、一応パスを返してもらった。渡したままでよかったのだが、落としたらダメだから、と言われた。
「それじゃあまた夜」
そう言って、アルバートはシーナの額に軽く口付けをして、朝の冷たい風が吹く中、出て行った。その背を見えなくなるまで見送っていたかったが、すぐ扉を閉める。
ギルド前の広場なのだ。
冬と言えども人通りは多い。
間違いない。
「全員が全員こっち見てたぁぁぁぁぁぁ!!!!」
昼になる前に確実に噂になっている。
「ぁぁぁぁぁ……」
プライバシーゼロの街シシリアドにおける恋愛はフルオープンスタイル。こんなの、いつ入っていって出て行ったとか逐一共有される。
「恥ずかしくて悶え死ねるぅぅぅ」
とにかく今日は絶対に家を出ない。
それだけは決意した。出たら最後だ。
夕飯何にするかを考えながら、こたつでグダグダしてると扉をノックする音がした。
覗き窓からシアの姿が見える。そして手には風呂敷に包まれた塊。パンだ!
「今開けるね」
ノブを回して扉を開けて、絶望する。
「やあ、シーナ。遊びに来たよ。シアは寒いから帰りなさい」
ごめんね、と小さく呟いたシアは踵を返して駆け出す。
「コタツに入れてよ。お茶も」
「ヤダヤダヤダヤダぁぁ!! 出てってくださいぃぃぃぃ!!」
「五の鐘には帰るからさ」
「やだぁ……」
「ほら、頼まれてたうちの鍵。チャーム? だっけ? 作ってきたよ」
「それだけ置いて出ていってくださいよぉ」
「家の警備の魔導具壊されるのと素直に入れるのどっちが良い?」
もおおおおおお!! とシーナの叫び声が辺り一面に響き渡った。
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