188.おうちに帰らせていただきます
やってしまいました。
お屋敷のひとたちがバタバタとそれはせわしなく動いている。
シーナは中庭のテーブルにヤハトと一緒に突っ伏していた。
ヤハトは半日寝たら歩けるくらいにはなったようだ。ただ、顔色はまだ悪い。一度枯渇した魔力が全部回復しないと不調は治らないそうだ。今は、大人しくしているしかないという。しかもポーションで無理やり魔力を回復させたあとの枯渇なので、ダメージとしては最悪の部類だとか。
「神官の方々が到着なさいました」
シシリアドの神官たちもだが、一緒に見知らぬ神官服を着た者たちもいた。ソワーズの神殿の神官だろう。
「シーナさん! よかったぁ……」
駆け寄ってきたのはセサパラだ。目尻に溜まる涙に、ずいぶんと心配をかけたのだと申し訳なく思う。
「まあ大した怪我もなく生きてます」
「ほんとに、あまりに急なことで私たちもパニックになってしまって……」
幸いなことに、神官たちが乗っていた荷馬車までは大穴は広がらなかった。とはいえ、突然の事態にどうすべきか意見が固まるまでかなり時間がかかったそうだ。なにせ護衛が全員落ちてしまった。夜になる前にソワーズへなら引き返せると、全員荷馬車に乗りかなり急ぎで来た道を戻ったという。
そして途中でテレーリア率いる騎士、そして冒険者たちと行き合った。
トールナーグだけが現場にテレーリアたちと向かい、冒険者二名に保護されてセサパラは明るいうちにソワーズへ戻ることができたらしい。
「子爵様が屋敷へと言ってくださったのですが、流石にご迷惑ですので、神殿に身を寄せていました」
子爵から、神殿を通して各方面へ新しいダンジョン生成と、フェナたちが巻き込まれた話は伝えられたそうだ。今は巡礼中なので、こちら方面の街道を通る人もいるということで、仕方なくはあったが、正直今後の反応が怖い。
「ところで、皆様何を準備されているのですか?」
セサパラの無邪気な問いに、シーナは目元を覆う。
「ごめんね。私のせい」
首を傾げるセサパラと、テーブルに顎を乗せてじと目でシーナを見つめるヤハト。
すべてはシーナの不用意な一言であった。
何度目かになる声にならない叫びとともに起き上がり、周囲を見渡し、現在の状況確認をして大きく息を吐く。
「大丈夫。生きてる。皆生きて、ソワーズのお屋敷にいる」
ベッドの上で膝を抱えながら何度も自分に言い聞かせる。
明け方近く、アルバートにベッドに運ばれ、かろうじて洗浄だけはして眠ると言うより落ちた。
だがそれもすぐ、悪夢によって中断される。
去年の、結婚式の披露宴の後と同じだ。
ひんやりとした空気、光の届かない、薄暗い通路。突然襲いかかる魔物たち。
結果、皆死なずに生還した。とても幸運なことだと思う。世界樹様のお導きだ。
もし、アルバートが落ちる寸前シーナを抱きとめていなければ。もし、アルバートの剣がなかったら。もし、フェナたちとの合流がままならなければ。もし、リュウと話せなければ。
いくつものもしも、が夢の中でシーナを襲った。どれか一つでも歯車が噛み合わなければ、こうやって無事に生き残れてはいない。
もし、の生み出す悪夢に、何度も何度も起こされ、そのたびに今の自分を確認する。
何度目か、もう忘れてしまうほどの覚醒に、泣きながらまた己に言い聞かせていた。
そこへ、ノックの音が聞こえた。
返事をする前にドアを開けるのは、フェナだ。
「シーナ、眠れたか?」
眠れるわけがない。
短い細切れの睡眠と、襲いかかる悪夢に、かなりやられていたのだ。
「フェナ様……おうちに帰りたいです」
半べそをかきながら、つい、言ってしまった。
フェナは一瞬キョトンとしたが、すぐに良い笑顔になる。
「そうだね、もう、真っ直ぐ帰ろうか」
そしてこの事態なのである。
「それじゃあ行こうか。皆こちらへ」
神官たちを促し、庭に広げられたソレへ誘う。
彼らはとてつもなく戸惑っていた。
「うう……お代は私が払いますからぁ」
「いいえ、古くなってもう使っていなかった物ですのよ? 倉庫にしまい込んでいたのですからお気になさらず。替わりに荷馬車二台と馬四頭を置いていってくださるそうですし。十分ですわ」
ソワーズ夫人はニコニコと笑顔だ。
ちなみにおチビさんたちは、邪魔になると部屋に留めて置かれている。
「シーナ! ヤハト!」
呼ばれて渋々立ち上がる。
中庭には、大きな絨毯が広げられていた。
ヤハトがよろめきながら歩いていて、手を貸そうとしたら、反対からバルが腕を取った。
「せっかくだから寝てろ」
「そうする」
ヤハトは真ん中にごろりと転がる。
神官たちは何が起こるのだと絨毯の端に五人まとまって座っていた。
「真ん中の方に座ったほうがいいですよ。落とされはしないでしょうけど、途中で場所移動は、なかなか難しいし」
彼らを中央の、ヤハトの隣まで動かした。
「それじゃあ行こうか」
アルバートも乗り込み、シーナは中央前よりに座った。
「領主様から話は聞いていたが、実際見ることになるとは」
「むしろ、乗ることになってますよ」
「確かに」
前回はバルが屋敷にお小言を聞きに出向いている。
フェナが腕をひらりひらりと動かすと、ゆっくり絨毯が浮かび上がる。
「わっ!」
「えっ!?」
「や、やぁ……!?」
神官たちが思い思いに驚きの声をあげた。
「変な感じだね」
絨毯は柔らかいままなのに、まるで一枚の板のように宙を漂っているのだ。
「アルにぃ!」
「シーナ!!」
部屋に留められていた双子とシャーロットが窓からこちらへ手を降っている。
「またね! あそびにきてね!」
子どもたちに手を振り返す暇もなく、絨毯は上昇していく。
やがて、上昇を止め、前進を始める。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ! スピードが異常!! 慣性の法則どこに置いてきた!!」
前に進む時、まったくといって圧がかからないのが、何をどうしてるのかわからなくて怖い。
もちろん風圧もなしだ。
「これは、高さへの恐怖さえ克服すればかなり快適ですね」
とはアルバート。
「でも、柔らかいどんな形にでもなる絨毯をこんな風に動かせるのはフェナ様だけだよ」
ヤハトが言うと、神官たちはたいそう感心した様子で流石フェナ様と褒め称えていた。
午後もお昼を回ってから出発したので、さすがに荷馬車で一ヶ月の道のりは無理だった。一度野宿となる。その日の見張りはアルバートとバルが交代で務めた。
翌朝早くから出発し、昼前には見たことのある街が現れた。
「シシリアドだ!」
前に絨毯の上から見た町並みが眼前にある。
こうして長い長い聖地巡礼の旅は幕を閉じたのだった。
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これにて聖地巡礼編+α無事終了です。
帰ったあとの後始末からの、シシリアドの日常がしばらく続きます。




