殿下、これって契約違反では?
「呪いの現場を押さえた! 観念するんだ、エリシア!!」
バーンと扉が開いて。
夜、小屋でひとり作業に没頭してる私のもとに、婚約者殿が飛び込んで来た。
「お前がミュゼットを呪っていると聞いた。我が国で"呪い"は禁じられている! 公爵令嬢と言えど厳罰を逃れることは出来んぞ!」
「は?」
大きな声と言葉の内容に驚いて、手に持つ壺を危うく落としそうになる。
「こんな小屋に潜んでいたとは……」
唖然とする私を無視し、ひとり室内を観察しているのは同い年のロデイル殿下。
今年十六というのに馬鹿っぽいのは、うん、まあ置いておこうか。顔はいいのに、残念。
「ええと。ロデイル殿下? 夜に突然、公爵家の森にお越しになるというのは、一体どういったご了見です?」
「お前が呪いの儀式を行っていると聞き及んでな。その壺がそうだな? 浅ましい──。壺に憎い相手の名と呪い文を一緒に入れて、土に埋める。呪いの常套手段だ。小屋の周囲にもいくつか埋めた跡があった。あれらも全てそうなのだろう」
「何か誤解があるようですが、これ、漬物ですよ?」
「すぐバレる嘘をつくな。どこの世界に、自分で漬物を作る公爵令嬢がいるというのだ」
「ほら」
壺の蓋を開けると、のぞき込んだ殿下は驚いた。
「……ひどい、色だが。うっ、ニオイもすごい。なんだこれ」
「ニンニクの塩漬けです。なぜか青緑色になっちゃうんです」
「ニンニク? 悪魔が逃げてしまうぞ? 悪魔に祈祷文を捧げてるんじゃないのか?」
「なぜ私がそんなことを?」
「えっ? それは……。俺がミュゼットと仲良くしてるのが気に入らなくて……。ミュゼットを呪うために?」
首を傾げながら言われても。
男爵家のミュゼット嬢は、ロデイル殿下のお気に入りの娘だ。
「しませんが。殿下、それ浮気っていいません?」
「断じて浮気ではない。ミュゼットが俺の本命だ。お前は親同士が決めた婚約相手に過ぎない。俺の愛はミュゼットにのみ捧げられている」
まるで決めてあったセリフみたいに、きっぱりと言う。
(臆面なく言い放つことじゃないんだけどな──)
我が婚約者ロデイル様は、この国の第一王子だ。
彼はれっきとした正妃腹だが、父である国王陛下には、長年の愛妾がいる。
王妃殿下が隣国から嫁ぐ前から、恋仲だったヘルガ・バネスト。
愛妾ということで、現在、伯爵位を賜っている女性。
"バネスト伯爵夫人"と呼ばれているのは、未婚なのに、これいかに。女伯爵って意味だ。同じ単語。
ロデイル殿下の母君は、宮廷で幅を利かせるこの愛妾に、長年苦しめられてきた。
王の寵愛が愛妾にある以上、王妃と言えど我慢や屈辱を強いられる日々なのだ。
幼い頃からその様子を間近で見て来た殿下は、自分の妻にはそんな苦労をさせたくないと考えた。そして、正妃ひとりを愛し抜こうと心に誓ったらしい。
それは立派なんだけど、その愛しい相手が政略で決まった婚約相手ではなく、自分で見染めた恋人というあたりに、いまの問題がある。
ミュゼット可愛し、エリシア憎し。
いやん、迷惑。
「まあ、お掛けになりませんか、殿下。せっかく来られたのだし、お茶をお淹れします。ついでに漬物の試食もご一緒にどうです?」
小屋の椅子を促すと、ブツブツ言いながら腰かけている。
無骨な木の椅子なのに、素直だわ。
「漬物は要らん。それより呪いは!」
「呪いなんて、かけてませんてば。どうぞ外の壺もお確かめください。熟成中の漬物ですから」
土に埋めると温度が安定して、熟成がはかどるのだ。
ニンニクの塩漬けを豆皿に取り分け、テーブルに置く。
「それよりこんな夜遅くに、レディを訪ねる非常識さを反省してくださいよ。あと言いがかりを謝ってください」
「レディが雑木林の小屋でひとり、怪しい事をしている不自然さをまず問いたい。……危ないだろ」
追い詰めに来たのに、心配してるの?
「ここはウチの屋敷裏。私の勝手です。──まったく。王城の方たちは、殿下の夜間外出を止めなかったのかしら」
「ウェルテネス公爵邸に行くと言ったからな。婚約相手の家だぞ。咎められたりはしない」
「都合の良い時だけ、婚約者という名を使わないでください。使用料をいただきますよ?」
お茶を注いだティーカップを殿下に出すと、断りを入れつつ私も対面に座す。
雑木林の物置を改築してもらい、半年前から私が秘密基地として使っている小屋。
中央には、優美さはなくも頑丈なテーブルがあり、端にはたくさんの小瓶や容器を積み上げている。
おまけのように育てているハーブたちも、鉢を根城に好き放題に伸びていた。
物珍しそうに殿下が小屋の中を見ながら、お茶を口につけた。
「ここはなんだ?」
今頃聞くの?
「私の秘密基地です」
「秘密基地ぃ?!」
「と、呼べばカッコイイでしょ? 作業部屋より憧れるでしょ? ここでは、いろんな食べ物を作っているのです。私が食べたいと思うものを。品格重視の公爵家では出してくれないので」
殿下が驚いたように目を丸くしながら、ぽつりと呟いた。
「──変わったな、エリシア。以前はこんなこと、興味が無かったろう?」
「殿下が私を知らなかっただけですわ」
しれっと答えるが、実際、エルシア・ウェルテネスは変わったのだ。
前世を、思い出してしまったから。
それは、半年前の朝。
(うわああああ。私の平坦な顔が! めっちゃ美人になっている!! 何が起こったの──???)
起きて、鏡を見た時の驚きと言ったらなかった。
仕事に疲れて自室に倒れ込んだ私は、意識を失うようにそのまま眠り込んで……。
次に目覚めたら、貴族令嬢。環境も、容姿も、身上も年齢も! 何もかもが変わっていた。
艶めく金髪に、透き通るような白い肌。有り得ないくらいバランスの良い目鼻立ちと、魅惑的な青い瞳。
どこの神絵師がキャラデザをしたのかと聞きたくなるほど、美麗な少女。
(これって憑依? それとも転生?)
真っ先に思い浮かんだのは、よく読むラノベの設定で。
私が公爵令嬢、さらに婚約相手が王子殿下ということで、憶測はほぼ確信に変わった。
私、悪役令嬢ポジションだ。
知らない小説かゲーム。あるいは漫画。
何が起こったのかはわからないけど、殿下にはお約束、男爵令嬢の恋人あり。
少し前まではうろつく令嬢を気にしてなかったふうなのに、このところ二人の距離は一気に縮まった。
もう間違いない!!
このままいくと、何らかの展開で私は将来断罪される。
断罪された後ハピエンというのもテンプレだけど、その前の不遇さはイヤだ。
放逐されたらその場で被害に遭いそうだし、運よく隣国の王子に出会ったとしても、見初められて救済されるとは限らない。
こんなときお話での憑依者の対処方法は、お金を貯めて逃げ出す。
──のを、よく見るけど、あれが成功した事例はない。
大抵、見つけ出されて、ヤンデレに溺愛されている。
逃げるのは無しだ。
私が目指す路線としては、円満な婚約解消アンド安泰な結婚生活。
よし。ロデイル殿下に婚約解消を持ち掛け、かつ、自国でイイカンジの相手に嫁ぐ。
この計画で行こう。
二十四歳の元の私がどうなったのか。知る方法はないし、私は現状を最善に生きるしかない。随分若返っちゃったから、やっと抜いた親知らずがまた心配。
でもその前に。
(和食が食べたいよう~~。ジャンクも恋しい……)
私は、食文化が変わると慣れないタチだった。
はじめは感動していた公爵家の豪華な食事も、数日で辛く変わった。
私が前世を思い出したきっかけは、階段から落ちたのが原因だったようだ。
王城に出向いた日、高い階段から転がり落ちたのだとか。
詳しい経緯は知らない。
昏睡したまま公爵邸に運ばれ、目を覚ました私は、混乱のあまり挙動不審。
公爵家でエリシアは、とても大切にされていたらしい。
周囲は戸惑いながらも、私を第一にと労わってくれた。事故のショックが大きかったのだろうと受け取って。
食欲も落ちて塞ぎ込んでた私を気遣って、お屋敷の人たちはいろいろ奔走してくれた。
だけど当然、日本食はなく。
異世界モノでは転生者自ら、お米をはじめ、現代の食べ物を再現している。
なのに作り方を知らない。
検索頼みだった生活は、私にレシピという知識を貯蔵しなかった。
(とりあえず漬物くらいなら、イケるんじゃない……?)
かくしていろんな食材を、塩やらお酒やらお酢やらに漬け込み始めて、早半年。
作業用にと小屋も用意して貰い、空いた時間はここに詰めた。
うっかり夢中になって、殿下と婚活を放り出してたら、今日いきなり押しかけられたというわけだ。
すっかり忘れてた婚約者殿に。
ちなみに以前のエルシア・ウェルテネス公爵令嬢は、宝石やドレスやお花が大好きな、ちょっぴりワガママなお嬢様だったらしい。
ごめんね私、お花は好きでも、食べれるお花の方が好きで。
「それ、美味いのか?」
私がかじる塩ニンニク、殿下も気になるみたい。
「まだ漬けて数日ですから、完成まで一か月はかかるかと。熟成したら、赤茶色になるはずなんですが……」
「じゃなんで開けたんだ」
「小腹が空いたから」
「…………。お前は本当にエリシアなのか? 俺の前でニンニクを食べるなんて」
旧エリシアは、殿下には飾った自分だけを見せてきたらしい。臭いニンニクなんて、有り得ないわよね。一応紅茶を飲むことで、ニンニクのにおい成分を減らしてるものの。
ニンニクには紅茶。これは、ニンニクの翌日も出社という夜に使ってた対策方法だった。
そんな平凡な私が、よりによって悪役令嬢……。むむぅ。
「エリシアでなければ、こんなに困りはしなかったのですが……」
「???」
ほうっ、とため息をつく私に、殿下が何とも言えない目を向けて来てるんだけど……。
あっ、そうだ! いま良い機会じゃない?
「殿下! 殿下はミュゼット嬢を将来のお妃に、お望みなんですよね?」
「ん? あ、ああ。──周りが何と言おうとも、こればかりは譲れない。自由でおおらかなミュゼットは、俺の心の安らぎなんだ」
婚約破棄物語の王子は、大抵そういうよね。貴族社会の型にはまらない令嬢が新鮮だって。
公爵令嬢としての素養をみっちり叩き込まれている私は、範疇外なのだ。
記憶は混ざっても、身体は礼法を覚えてる。
「なら私との婚約は解消しましょう! 穏便に!!」
「なっ!? 何を言い出すんだ! 家同士が決めた約束だぞ」
そこはわかっているらしい。
「私に家格が釣り合う恋人が出来れば、父も納得すると思うんです。だって殿下にも恋人がいるんですもの。殿下も"真実の愛"を無理やり押し通そうとすれば、きっと王子としての自覚を問われて破滅するから、そこを私が協力します。殿下は、私の新しい婚約者探しにご協力ください」
「ふむ……」
腕組みしてしばらく考えていたロデイル殿下は、最終的に私の案に乗ってくれることになった。
ふたりで契約のための項目を、紙に落とし込んでいく。
契約書の完成だ。
期間は、私が良い夫を見つけられそうな時間を考慮して設けた。
「では、半年後に円満な婚約解消をいたしましょう。殿下、ここに署名を」
殿下がちらちらと私を見ながら、名前を書く。
こうして。公爵家長女である私、エリシア・ウェルテネスは今日、婚約相手である第一王子ロデイル殿下と秘密の契約を結んだ。
月のきれいな夜だった──。
◇
「エリシア! ミュゼットから聞いたぞ! 藁を集めて呪いの人形を作っているそうだな!!」
「殿下っ、せめてノックぐらいなさいませ!」
ロデイル殿下は、すっかり秘密基地の常連になっていた。
王子業は暇なんだろうか。
私はそれなりに忙しい。ほぼ終わっているけれど、王子妃教育も組み込まれている。これ、早くミュゼットに施さないとヤバイんじゃないかなぁと思う濃厚さなんだけど……。
礼儀作法はともかく、貴族の序列とか、挨拶の順とかが紛らわしい。人の顔と名前覚えるの苦手なのに。
「ああ、悪い」
パタン、と閉じてノックからやり直してる。
開けた後で遅いわ!!
「──どうぞ」
「エリシア。ミュゼットから呪いの人形を作っていると聞いた」
「ミュゼット嬢は呪いの嫌疑がお好きですね……。人形は作っていませんが、燻製を作ろうとは思っています」
「燻製?」
「そう。桜によく似た木を見つけたので、チップを作らせたのです。ナッツやチーズに香りをつけて楽しもうと思って」
「ほう? で、いまやっているのは何だ」
「バターを作っています」
会話しながら、小瓶を限りなく振り続けている。
テーブルの上にはパン。
これに出来たてフレッシュ・バターを乗せて食べるのだ、お夜食に。
そう、またも夜。
夜しか時間が空いてないんだから、仕方ない。
そして毎夜のように訪ねてくる王子殿下。
もう世間の噂を聞くのが怖い。すごい親密なように囁かれている。
ミュゼット嬢、怒らん? 恋人にもっと気を遣ったほうが良くない?
「それを振るとバターが出来るのか? 棒でかき混ぜるのではなく?」
「そうです。密閉した容器に動物由来の生クリームを入れて振り続けると、バタ―が作れます。寒いと時間がかかりますが、今日はあたたかいので、わりとすぐ出来るかと。召し上がります?」
切ったパンを先に出すと、感慨深げに殿下が眺める。
「──パンを見ると、ミュゼットを思い出すな」
「彼女とパンの思い出があるのですか?」
「俺たちの出会いがパンだった……。朝急いでいたミュゼットは、朝食のパンを咥えたまま角を曲がり、俺とぶつかったんだ……」
「いや、昭和か!!」
反射的にツッコんでしまった。
そんな古い少女漫画なシチュエーション、リアルで聞くとは思わなかったわ。
なんでそれで惚れたの? 逆にすごい。
「ショーワカ?」
「こほん。お気になさらず。あ、バター固まりましたね」
「こんなに小さいのか?」
器に出した白い塊に、殿下が目を見張る。
そうなのよ。労力のわりに少しだから大変なの。
「貴重なので、味わって食べてください」
言いながら、分離した液体をコップに移すと、くいっとあおった。
「あっ!!」
「っ。何か?」
「俺はそっちを貰ってないぞ」
(ええ~……)
「これは別に、美味しくはないですよ……? 美容には良いですが……」
「美味しいかどうかは俺が決める。飲んでもないのに、判断は出来ん」
駄々っ子なの?
コップに注いだので自分が貰えると思ったのね。
(全く王子様育ちなんだから)
私は再び新たなバターを作り始める。
もともと一人用だったし、少なかったから。
(くぅぅ、殿下のせいで私が腱鞘炎になってしまうわ)
無言で瓶を殿下に渡すと、彼は大人しく振り始めた。瓶振り役、交代だ。
シャカシャカしながら話題が移る。
「──燻製は、いつ作るんだ?」
「まあ! また来るおつもりですか? なら条件があります」
「! 本性を現したな。何を要求するつもりだ」
「ベーコンを持ってきてください」
「ベーコン??」
「燻製して食べたいです。王室で育成してる、特別な豚がいますでしょう?」
「あ、ああ、そういえば」
王家直属の広い牧場で飼育している豚。
脂肪の融点が低いので、焼いて旨味が広がると、ジュワッと国宝級の美味しさがする。
もともと燻製なベーコンをさらに蒸し焼くことで、その味は更なる高みに上るのだ。それを、高級ベーコンでやる! 天元突破の味に違いない。
「……良いな」
「良いでしょう」
ふっふっふ、と、私たちは笑いあう。
こういう時、育ち盛りの殿下はノリが良くて好きだ。
藁は燻製の時に使うのだと話すと、殿下はあっさり疑念を解いた。
小屋の隅に買い付けた、良い藁を積んである。
「でも……。ミュゼット嬢はどうして私が藁を買ったことをご存知なのでしょう?」
「確かにそうだな。ミュゼットは、お前の動向に詳しいようだった……」
やだ、ストーカー?
余計な恨みを買う前に、さっさと婚約解消しなくちゃ。
「そうだ。殿下、今度の夜会では、お約束通りお願いしますね!」
「約束?」
「ほら。私の新しい婚約相手を見つけてくださるという」
「あ……! ああ、そうだったな」
「忘れてましたね? 契約なんですから、果たしてくださいね」
私も殿下とミュゼット嬢が結ばれるよう、バックアップしなくちゃ。
(……どんなことをしたら良いのかしら……)
私はミュゼット嬢について、何も知らない。
さる高貴な方の口利きで、男爵家の養女になったということくらいしか……。
(高貴な方って誰だろう?)
サポートのためにも、彼女について調べてみたほうが良いのかも。
そう思っていると、殿下が声をあげた。
「エリシア! この水、すごくマズイぞ!!」
いつの間にかふたつめのバターを作り終え、残った水を飲んだらしい。
「だから美味しくはないと申し上げたではないですか! ちょっと待っててください。ハチミツとレモン汁を足せば、マシになりますから──」
ロデイル殿下の世話を焼きつつ、その夜も更けたのだった。
◇
──今夜の宴席で、新しい夫候補を探す!!──
決意を胸に挑んだ夜会で、私はエスコート役のロデイル殿下と囁き合っていた。
意外にも、殿下はミュゼット嬢を誘わなかった。
今夜は上位貴族の集まりだから、男爵家では資格がない、というのがその理由だそうだけど、王子が同伴すればゴリ押せるんじゃないの?
先ほどから他の貴族たちに、殿下と肩を寄せて会話してる姿を見られている。
扇で口元を隠してヒソヒソ話をしているだけだけど、端からみたら親密そうに……誤解されたら困るなぁ。
まさか私が現婚約者に、新しい夫候補を相談してるなんて想像もしてないだろうから。
ううっ、早く見つけるに限る。
もしかしたら殿下も今夜はそのつもりで、ミュゼット嬢ではなく私にしてくれたのかもしれないし。
「あの方はいかがでしょうか? ほら、窓際でグラスを持ってらっしゃる……」
「あれの爵位は一時的なものだ。親が複数爵位を持っているからと次男にも分け与えたが、入り婿になれば領地を本家に戻す予定と聞く。公爵家には嫡男がいるから、入り婿は無理だろう」
それは確かに、父である公爵が許可しない。
「では、あの方は?」
「──あれはラント侯爵家の長男だが……。女癖が悪いと評判だ。あんなのが好みなのか」
「黒髪の殿方が好きなのです」
日本を思い出すから。
なにげに応えたのに、ロデイル殿下が急に身を固くした。
(あ、そういえばロデイルも黒髪だっけ)
私が殿下に気があると、引いたのかな?
「ご安心ください。殿下は対象外です」
「そ、うか」
気遣って言い添えると、何やら喉につかえてるような返事をされた。
(疑ってるの? なら……)
次々に"どうだろう"と人物を挙げていくが、すげなく却下されていく。
だけど殿下からの推薦はなく。
(ちょっ、やる気あるの?)
さすがに抗議したくなった。
「殿下! 契約では、私の夫探しに協力してくれる約束でしょう?」
「──俺はいま、自分がとてもバカげたことをしていると思えてきている」
「なっ……」
"それは契約違反というものだわ!!"
問い詰めようとした時、物々しい様子の兵たちが宴席を割って押し入ってきた。
宴席の真っただ中に侵入してくるなんて、尋常じゃない。
(えっ、なに?)
「なんだ」
「どうした」
広間の貴族たちも兵を避けながら、口々に騒ぎを不審がる。
隊長格である兵は、殿下の前まで来ると慇懃な礼をとった。
城の警備兵だ。
「……これはなんの騒ぎだ?」
ロデイル殿下が、不機嫌に低い声を作って下問した。
「恐れ入ります、殿下。エリシア・ウェルテネス公爵令嬢をお引き渡し下さい。先ほど公爵並びにその家族を、王命のもとに捕らえました。エリシア様も拘束させていただきます」
(私────?!)
◇
思いがけない言葉に、息を飲んだ。
(まさかこれ、殿下が私を強引に排除しようとしたわけじゃないよね? 違うよね?)
うかがうように彼を見ると、殿下の目に怒りが見える。
彼にも想定外のことだったようで、裏で策略を練ったようには思えなかった。
「"王命"とはどういうことか。父上は長期の狩りに赴かれて、今頃はエスナス城にご滞在。国の重鎮であるウェルテネス公爵を片手間に捕縛されるようなことはないはず。経緯を説明しろ」
さすが、落ち着いてる。
警備隊長を昂然と問い質した。
「はっ。命を下されたのは、バネスト伯爵夫人です」
(バネスト伯爵夫人?! 国王陛下の愛妾だわ!!)
ずっとロデイル殿下と王妃殿下を苦しめて来た女性が、なんで??
「──陛下が城を出られる前、"バネスト伯爵夫人の言葉を王命と心得よ"と言い置かれ、"権威の指輪"を預けられていたのです。その強権でもって命令されますと、職務上、我らでは逆らうことが出来ず……」
自分でもしたくないことをしている、という姿勢をアピールしながら、警備隊長がしどろもどろに答える。
殿下の声が、険を孕んで圧を持つ。
「それはバネスト伯爵夫人の便宜を図ってやれと言うだけの意味だろう! たかだか愛妾が、我が国きっての公爵家に捕縛命令など、もってのほか。公爵家に何の罪状を掲げて、そんな身の程知らずの暴挙に出た!?」
「罪状は、その……"自分を不興にしたから"、と……」
「ふざけた私憤だ!」
今度こそ、怒声が弾けた。
ロデイル殿下が、即座に他に命令を出す。
「すぐに父上に連絡して、この越権行為をお伝えしろ! もちろんエリシアへの手出しは禁じる。彼女は私の婚約者で、未来の王子妃だ。愛妾ごときが手を出して良い存在ではない! これは王命を騙る、反逆罪だ!!」
毅然と言い切って、殿下は公爵家への通達も急いだ。
"早急に事態を収拾するから、決して動くな"と。
"権威の指輪"で下された命令ゆえ、王子といえど既に捕まった父たちを、勝手に釈放出来ないらしい。
ウェルテネス公爵家の私兵が主不在でも集結し、いたずらに旗を挙げると大事になる。
本当の反乱と見なされてしまうのだ。
行き違いでは、済まなくなること。
もしくはそれが真の狙いだったのかもしれない。
バネスト伯爵夫人は、王妃殿下とロデイル殿下を支援していたウェルテネス公爵家を、常々邪魔に思っていたのだろう。
国王不在の隙をついて、我が家を削ごうとした。
なぜ今この時に、と思うけれど、私と殿下が結婚したら、ますます結びつきが強固になる。
毎晩通う殿下に、結婚も秒読みと誤解したのかも知れない。
殿下の母君を苦しめていた自覚もあるだろうし。
やがて殿下が即位した後の、自分の扱いも危惧してたはずで、殿下の後ろ盾たる大貴族を潰せば、懐柔した貴族で対抗出来ると考えたとしてもおかしくない。
とにかくバネスト伯爵夫人は賭けに出た。
ロデイル殿下に睥睨され、警備隊長以下、兵たちは大慌てで広間を出る。
この騒ぎで夜会は当然、散会。
緊張のただなかで夜を明かすうち、狩場から王が駆け戻り、私の家族はすぐに捕縛を解かれた。
王の権威を脅かしたバネスト伯爵夫人は地位を剥奪の上、重罪人として牢に繋がれた。
王は今回の暴走事件を重く受け止め、金輪際、妾を持たないと王妃殿下たちに誓約したらしい。
何気ない一夜は、王家転覆と国内騒乱の危機だったのだ。
第一王子が公爵家長女エリシア・ウェルテネスを庇って守ったため、宮廷の秩序は維持された。
が、一歩間違えば王家に対する不信から、公爵家に与する貴族たちの離脱、蜂起さえ有り得たということで、ロデイル殿下の対処には、彼の評価が高まったらしい。
起こる事態をすぐに読み取り、防ぐための手を打ったとして。
なんのかんの、次代の王として育っていたのだ、彼は。
ま、まあ、実際。事件の間、蒼白な私をずっと支えてくれたのは、心強くて見直した。
熱愛の噂がさらに広まってしまったのは、余分だったけど。
ウェルテネス家は力のある家だから。
だから私が殿下の婚約者として選ばれていたことが、よくわかった。
家の力で、愛のない婚約を強いられようとしている殿下の反発も頷ける。
(私たちはやっぱり別れた方がいい──)
ズキンと胸が痛んだ。
「こんな話をすると、エリシアは驚くかも知れないが……」
日を変えて、私たちは会っていた。
殿下が淡々と語る。
「ミュゼットは、ヘルガが用意した娘だったらしい。俺が好みそうな娘を男爵家に迎え入れさせ、俺に近づけた」
「なんと!」
ヘルガというのは、バネスト元伯爵夫人のファースト・ネームだ。
「驚かないのか?」
「今、驚いたじゃないですか。それで"さる高貴な方の口利きで養女になった"という噂が出ていたのですね」
高貴な方=伯爵夫人というわけだ。
よほどウェルテネス家と殿下を切り離したかったらしい。
そんなことしなくても、私は殿下と別れるつもりだったのに。
「じゃあ、ミュゼット嬢はいまどうしてるのですか?」
「彼女は、牢の中だ」
「!?! な、なんで??」
王子を誘惑しようとしただけで、捕らえられるの?
それともバネスト伯爵夫人の関係者だから? そんなシビアな。
「ウェルテネス公爵から……、父君から聞かなかったのか? エリシア。王城の階段でお前を突き落としたのは、ミュゼット。彼女だったらしい」
ギリ、と殿下が奥歯を噛む。
「!!」
「バネスト伯爵夫人からは俺の陥落を急ぐように命じられ、けれど成果が上がらない。王城に呼び出され叱責を受けた日、お前が目の前に居たから、思わず犯行に及んだと……。そう自白した」
うわぁあぁ……。
一歩間違えれば、大怪我か死んでたよね、私。
事実、一度死んだのかもしれない。それで前世を思い出したのだから。
ん? 成果が上がらない?
殿下はミュゼット嬢にベタ惚れで、十分すぎるくらい骨抜きにしてたのに?
「ウェルテネス公爵は激怒していて、しかもミュゼットはお前を呪っていたもんだから"絶対に許さない"と息巻いている。俺も同じだ。彼女に未来はないだろう」
「の、呪い……!!」
「おい、大丈夫か?!」
「呪いはご法度じゃないですか」
「その通りだ。エリシアが藁を買ったことを知っていたのも、自分が使うつもりで業者を利用したからで──」
「!! じゃあこの藁は、呪い専用の──?!」
(もう燻製、作っちゃったけどぉぉぉ?!!)
私はパチパチと燃える藁に目を落として、急いで腰を浮かす。
「慌てるな、エリシア! ただの藁に罪はないし、効力もない。ほら、燻製はこんなに美味しい!!」
「あっ、殿下! ベーコンはまだ食べちゃダメなのに!」
私たちは珍しくお日様の輝く昼に、焚火をしていた。
約束の、燻製デーだったから。
「ぐすっ。私のベーコンまで……。殿下の馬鹿……」
「す、すまない。つい」
「ついじゃないですよ、この食欲魔人。だけど、そんな裏があったなんて……。殿下にはお気の毒でしたね。生涯愛する女性を見つけたと思ったのに……」
敵の陣営で、しかも呪い師とは。失恋確定だ。
「!! お、俺は──」
「まあ、またきっと素敵な出会いがありますよ。でも、私の夫探しは協力してくださいね」
契約期間は半年。
婚約から解き放てば、殿下も良い人を見つけるだろう。若いんだし。
(ん? あれ? 殿下、何か言いかけてた?)
と、思ったら、彼が口を開いた。
「いや。あの契約は無効だ。新しい契約を結び直そう」
「どんな契約です?」
「その……。俺と結婚するという契約は、どうだろうか?」
「っはあああ???」
「なっ、なんだ、その反応は! 不服なのか?! お前の好きな黒髪だぞ」
黒髪というだけで結婚出来るなら、日本人に独りモンなど存在せんわ!!
「嫌ですよ! 殿下、約束守らないじゃないですか! 私の夫探しを手伝うはずだったのに、夜会では却下してばかりで!」
「あ、あれは! お前を他の男にやるなんて、考えられんと思ったからだ」
「生涯ひとりを愛し抜くんでしょう? 今からそんなことでどうするのです! あの時殿下はミュゼット嬢ラブだったはずなのに、気の多いことを!!」
「っつ! どうしてそんなに鈍いんだ! お前だって、恋しい相手がいるはずだろう? なんで夫探しなんかした! 当てつけか?!」
「恋しい相手ですって? どこから出た冗談ですか?」
「お前が言ったんだ! ジャンクが恋しいと!! どこの誰だ、ジャンクって。調べたけど、見つけられなかった!!」
「…………え?」
「階段から落ちたと聞いて気が気じゃなくて。落ち着いた頃合いを見計らって会いに行ったんだ。なのにお前は俺が来たことにも気づかず、窓を見ながら物憂げに"ジャンクが恋しい"と……。言ってたから、悔しくて……。それなら俺もと、ミュゼットに釣られたふりをしただけなのに……契約書に署名までさせられるし。夫探しを手伝ったら、ジャンクの正体がわかるかと思いきや、関係ないし」
待って、待って。
納得のいかない書類にサインしちゃダメでしょ? 仮にも王族が。
でも。
まさか聞いてた? 私のカップ麺への慕情を?
「ジャンクとはもしや、食べ物の……ジャンク・フードのことでは……?」
確かめるための声が震える。
「食べ物の、ジャンク・フード? なんだ?」
「そういう概念の食べ物があるのです……。異国に」
「ま──った、また食べ物なのかぁぁぁ、エリシアぁぁぁ。じゃあ、ジャンクというのは男の名前ではないんだな?」
「人ですらありませんよ。そ、そんな食い意地が張ってるみたいに言わないでください! 殿下だって私のベーコン食べたくせに」
「ぐっ! 公爵令嬢がベーコンごときをいつまでも」
「それを言うなら、王子殿下がベーコンを掠め取るってどうなのでしょうか!?」
真っ赤になりながら口論を続けた私の頭の中は、別のことがぐるぐると回っていた。
つまりロデイル殿下はエリシアが──私のことがずっと好きで、生涯愛し抜きたいと言っていた相手は……!
燻製の香り燻る空の下。
私たちは新しい契約書を取り交わした。
──二年以内に(甲)殿下が(乙)私を振り向かせなければ、円満な婚約解消。でも、振り向いたなら(乙)は(甲)に嫁ぐこと。──
男爵令嬢がメインストーリーから外れたし、愛もあったから、解消理由はなくなったんだけど。
契約を守らない相手だと困るから、吟味期間は必要よね?
……十六歳だと犯罪意識を感じるから、殿下が育つまで少し待って貰うというのは、私の中だけの秘密。
お読みいただき、ありがとうございました! 早速ですが、補足です(笑)
◎ニンニクは鉄分と混ざると青や緑になるらしい。
◎ニンニク食べた後は、紅茶飲むとがニオイ消しやすい。
◎バターの残り水は酸っぱくないけど、チーズの残り水は乳液で酸っぱい。
◎ハンガリーには"マンガリッツァ豚"という国宝な豚がいる。
◎壺の呪いはヨーロッパ古来の方法、あちらの藁人形は釘じゃなくて燃やされる。
今回やたら食べるシーンが多く、もしかして気づかれた方もいるかもなのですが…(笑)。
こちら、知様の個人企画『ぺこりんグルメ祭り』にと用意した作品でした!(>□<;)
でも企画開催は5月後半から。待てなくてフライング投稿。企画参加は新作のみなので、本作は対象外となってしまいます。…また書く…何か思いついたら…。
※「食べ物のジャンクフード」という重語表現は故意です。ジャンク・フード、名前っぽい(笑)。
【汐の音様(ID:1476257)からイラストいただきました!】
バター作ってるシーンです。うわあああ、すごい素敵! 有難うございます!
夜な夜なこんな美味しいデートしてるなんて。城に帰るたびにご機嫌な殿下。
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【私のラフ絵】
2枚同じ構図で芸がないのですが、壺を持ったエリシア絵を没にしたので、あわててコレ。
珍しくファンタジータグ無しの世界。楽しんでいただけましたら幸いです♪
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【2023.05.25.追記】ミゼットのその後を短編にしました。
『声なし聖女は、自由を望む。』https://ncode.syosetu.com/n9814if/