皇帝陛下の御失言
そこからは話が早かった。
威厳溢れる表情に戻ったマリアは、衛兵と同じくスマホにしか見えない石板でどこかと連絡を取り、それが終わると、冒険者ギルド長を名乗る壮年の男性に案内されて、僕たちは皇宮へと向かうことになった。
ギルド長曰く「勇者は、皇帝陛下が直々に認可を下すことになっており、その受付は最優先事項でありますので」と言う事らしい。衛兵達に簡単な挨拶をして、僕たちは白亜の宮殿へと立ち入っていく。
「へぇ~、立派な建物だねえ。こんな凄い建物、初めて見るよ」
「……ミカさんって、出身どこだっけ?」
「……北関東の方かな」
「いや、別にバカにしてないよ」
僕は都内なので、不機嫌さを隠そうともせず、唇を尖らせながらもごもごと答えるミカに、内心でマウントを取った。
とは言え、確かにこの建物は壮観だ。都心のビルに比べても、美しく滑らかな建材で作られており、近くで見ると一層、この世界の技術の高さに驚かされる。
「ハハハ、勇者の方たちはこれを見ると驚かれることが多いですね。なんでも、皇帝陛下が賢者ギルドと協力し、異世界の知識と魔法技術を用いて創られた、多少の破損を自己再生する素材が使われているようですよ」
自慢げに胸を張るギルド長の気持ちも分かる。これだけの技術を見せられては、並の地球知識では、皇帝に太刀打ちできないと思うだろう。
正直、僕の知識はサブカルやネットで集めたものが大半だ。本物の専門家には敵わない。
遊園地に来た子供のように、はしゃぐミカとは裏腹に、僕の心は、割と沈み込んでいた。が、沈み込んでばかりもいられない。皇帝とどのような交渉が出来るか、脳裏でシミュレートを繰り返す――
「トーマ様、ひざまずいて下さい。早く」
――耳打ちするような小さい声で、ギルド長が僕を叱咤する。
いつの間にか、白き王宮の腹の中、白壁に荘厳な赤と金の装飾が似合う謁見の間に、僕たち一行は辿り着いていたようだ。
少し距離を置いて、周りには衛兵が立ち並び、僕は慌てて緋絨毯の上に膝を着く。
真紅の背もたれが目立つ玉座には、まだ、誰も座ってはいなかった。
「神聖セレニア帝国皇帝、セレニア=レン・ラヴァロニア陛下であらせられます」
玉座の隣に立っていた女性らしき声が頭上に降り注ぐ。ややあって。
「――苦しゅうない。面を上げい」
ん? 凄く聞き覚えのある声。滅茶苦茶聞いたことのあるような、えらいアニメ声の女性……いや、少女だな。
視線を上げると、声の主らしい少女が、足を組んで玉座に座っていた。
部屋と同じく、白と赤、そしてポイントポイントに金の刺繡が入った、いかにも宮廷衣装でございと言わんばかりの豪奢な軍服を身に纏い、鋭く吊り上がった眼差しで、こちらを見下ろしている。
髪を側頭部で結い、亜麻色の前髪を切り揃えたその風体は、衣装も相まって、随分と中性的な印象を僕に与えた。
「きゃあ、可愛い!」
「ん? 予の事か。フフ、そうであろ、そうであろ。もっと華麗で可愛いドレスもあるのだが、なにぶんこのような御時世故、斯様に無作法な格好、赦されよ」
満更でもなさそうに、椅子に腰かけたまま髪をかき上げるその姿に、僕は確信した。
こいつの一人称は、絶対に己と書いてオレとか読むとか、そう言う奴だ。心の目でルビが見えた。
……まあ、悪い奴ではないのだろう。だが油断はできない。ここまで帝都を見てきただけでも、なかなかの遣り手なのは間違いないのだから。
「ヒトミ=トーマ……お、お前、日本人か。ちと全体ステータスは低めだが、勇者になるには申し分ないな。異能はS……おぉ、やるじゃないか。どんな異能なんだ?」
「恐れながら陛下。陛下ほど賢明な方なら御存知だと思いますが、異能は異世界における生命線。幾ら陛下といえど、そう易々と明かす訳には……」
「ふぅん……何? お前、予に敵対するつもり?」
先程まで僕の冒険者査定に落とされていた視線が、こちらに向かう。
人間と言うより、等身大のドールに例える方がより近いとさえ思わせる、美しい造形。翠玉の瞳が鋭く僕を射抜く。
美しさも過ぎると、それに対する感嘆より、異形の恐怖の方を強く感じると言うことを、僕は初めて知った……
ふ、と逃げるように隣のミカに視線を逸らす。彼女は、相変わらずのマイペースさで、皇帝や周りの衛兵を見渡していた。なんか、このやり取りに綱渡りをするような緊張感を覚えている自分がバカらしくなってきて、美少女皇帝の眉間に視線を戻す。
「恐れながら陛下。僕はまだこの世界に来たばかりで、知るべき事を何も知らない、ゲームで例えるなら、初期導入もなしに、オープンワールドに放り込まれたような状態です。その状態で、他人に命綱を預ける危険性は、ご理解いただけるかと……」
僅かの間、僕を測るように向けられた皇帝の眼差し。それが閉じる。白亜の宮殿と同じく、透き通るような白い肌に、長い亜麻色の睫毛が被さる。
「切り札は……とも言いますし」
ダメ押しに一言。それを聞いて、眉目秀麗な顔に、優しい微笑が浮かぶ。
「……愚問だったな、赦せ。お前は予の部下ではない。勿論まだ帝国の臣民でもない。今は勇者として好きに生きるが好い。そして、魔王に脅かされる此の世界の為に、何事か為そうと決心したなら、いつでも予の下に来るがよい。お前には優れた力と知恵があり、それをこの世界の為に振う義務がある。何故なら――君は勇者だから、な」
僕は発言に「帝都を見ただけでも、その程度の事は判りますが、僕もお仲間ですよ」と言う意味を込めたつもりだったが、その意図は通じたようだ。
少年王とでもいうべき、凛とした雰囲気は崩れないものの、全体的な雰囲気はかなり和らいだ気がする。と言うか、ちょっとこのレベルの美少女に微笑みかけられる体験自体がなんか気恥ずかしくて、つい俯き加減に目を逸らしてしまう。
「寛大なお言葉に感謝します。必ずや、この世界を照らす光になりましょう」
「いいな、トーマ。お前の事は気に入った。いつでも遊びに来い。冒険の合間には、地球の話に付き合え」
声を押し殺してほくそ笑む皇帝。やっぱりこいつ、悪い奴じゃないな。
「で、隣が? ああ、そっちは勇者じゃないのか」
「ハイ、津守ミカです」
敬礼するように元気よく片手を挙げて、よく通る声で答えるミカとは裏腹に、美しい顔に訝し気な表情を浮かべる皇帝へと、玉座の側に佇む美女が近寄り、耳打ちする。
「成程、トーマの仲間で、A級冒険者。しかも異能S……で、勇者でないなら、お主の職階は?」
「ハイ、プロレスラーです!」
「はぁ? プロレスラあァ?」
流石の皇帝陛下が、ミカの答えにその表情を崩した。端麗な顔が、有り得ないほど歪む。
まるで、最新話が思ってもなかった方向―勿論、悪い意味で―に転がった漫画読みのように、
「何かおかしいですか?」
「いや、だってプロレスって、八百長じゃろ? その職階で冒険者は無理筋じゃあるまいか」
「ハァ?」
次は、ミカの顔が、人喰いパンダの如く歪む番だった。
勿論、僕の顔も、セーブデータを上書きされた時のように歪んだ。