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ソーダー

作者: 夏旗 二鹿
掲載日:2021/07/30

 気がついたらまた、白けた朝になっていた。

 不健康な色の空き缶が足元に転がっているのを()って立ち上がると、夜に()いた蚊取り線香の煙に()せる。

 ああ、今日は休みの日か、と気づく。

 枕元に置いておいたスマホの画面が度々LINEの返信が来たことを通知するが、放って置いたまま立ち上がり、汗でしめったTシャツを脱ぐと、外し忘れたペンダントが不意に肌に触れて冷たかった。

 適当な部屋着に着替え、カーテンと網戸をあけてベランダに出ると、やや涼しい風が吹いていて、ぼんやりと痛む頭はともかくとして、少し目が覚める気がした。

 ふと、隣のベランダで隣人が何かをつまんで覗き込んでいるのが見えた。視線に気づいたのか、隣人はこちらを見て

「おはよう」

と微笑んだ。

「おはようございます」

形式的にこちらも微笑んで言う。何となく邪魔したかなと思って部屋に戻ろうとすると

「これ、(のぞ)いて見ますか?」

と隣人は手に持っていた何かをこちらに差し出した。

 透明のビー玉だった。

「…え?」

隣人がなぜそんなことを言うのか分からずに、聞き返すと、隣人はもう一度言った。

「覗いてご覧なさいよ」

なんのために、と聞きたかったが、隣人は手を伸ばしたままこちらがビー玉を受け取るのをじっと待っているので、仕方なく受け取った。

 人差し指と親指でつまんで、隣人がしていたように覗くと、逆さになって少し歪んだ景色が見えた。少し気泡の入ったビー玉だった。

「面白いでしょう、今どき珍しいですけどね、ソーダーグラスのビー玉。」

と隣人が言う。

「はぁ」

ソーダーグラスの意味も、なんと答えればいいのかも分からずにうなずいて、ビー玉を返そうとすると

「あげますよそれ」

と隣人は言う。あわてて

「でも、珍しいものなんじゃ」

と言うと

「まだ持ってますから。」

隣人はそう言って微笑んだ。


 忘れて2、3日経って、仕事から帰ると、冷蔵庫からペットボトルの紅茶を出して飲んだ。

 ふと、小さいテーブルの上に置いたソーダーグラスのビー玉を見た。椅子の背もたれにもたれかかって、ビー玉を覗いた。

 部屋の中を見た。逆さまになったビールの缶、散らかった書類、捨てられずに取ってあった、彼が置いていったマグカップすらいつもと違って見えた。まるで水の中から逆さに景色を見ているようだった。

 そのまま窓の外を眺めると、夜の街が小さく、逆さに(きら)めいていた。

 小さい頃にもこんなことをしたような、ふと懐かしい気持ちになった。母が()れてくれた紅茶の味すら思い出した気がして、口角がいつの間に上がっているのに気づいた。


 隣人に会えないかと、次の日の朝にベランダに出たが、隣人の気配は無かった。もしや、と、玄関から出て隣のポストを見ると、既にドアポストにはテープが貼られていた。いつ引っ越したのだろう。

 何となく、寂しい気がした。隣人に会ったのは、夢だったのかもしれない、とも思ったが、握りしめていたソーダーグラスのビー玉は確かにそこにあった。

 夏の朝の風が吹いていた。

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