対向派閥排除の方法その一、まずは婚約破棄されます
私が我が国の第一王子と婚約関係にある事は、周辺諸国にはあまり知られた事ではない。
あまり国力のある国というわけではないので関心が薄く、そもそも大きく喧伝していたわけではないためである。
一国の王子の婚姻が、大きく喧伝されない。本来ならばあるはずのない事ではあるが、当然それには理由があった。
そして、その理由はこの日に達せられる。
「アイリーン・グレース・ファローマイアー! 此度の貴様の行動は目に余る! 第一王子グレンヴィル・ジョイ・ハルスマン・リーデルランドの名の下に沙汰を言い渡す!!」
「…………」
時は、王城で行われる夜会の一席。年に一度の豊穣を願う祭日の夜であり、我が国には珍しく他国から来賓を招くほどの規模で行われる。
一年で最も大きな祭事である。
「殿下、失礼ながら……」
「貴様に発言など認めていない!!」
王子殿下は一人の女性を引き連れ、私を厳しく怒鳴りつける。
女性はグラッドストーン男爵家の御令嬢の、名前はマリーローズ。殿下はマリーローズの腰に手を回し、肩が触れ合うほどに抱き寄せている。
当たり前だが、婚姻関係にある女性がいながら別の女性にそのような行動をとるのは非常に不誠実な事である。
「アイリーンよ! 貴様は誇り高き公爵家の出自でありながら、このマリーローズに度重なる嫌がらせ行為をしていた! マリーローズ自身が証言している! それは貴族として恥ずべき行為であり、我が国の品位を貶めるものだ! よって、貴様はこの場で身分を剥奪する事とする! 婚約も破棄だ! 代わりとして、私はこのマリーローズを妻として迎える!!」
「…………」
ああ、目眩がしそう。
まさかこんな事になるなんて夢にも思わなかった。
まさか、王子が私との婚約を破棄するだなんて。
まさか、自分から言い出すなんて。
「この場で謝罪の言葉があるのなら聞こう、アイリーン!」
「……では幾つか」
貴族として培われた対人術は、このような場面でも遺憾なく発揮された。頭が痛くなっても、笑い出しそうになっても、私は平然と話をする事ができるのだ。
「まずはマリーローズさん、これまで苦労をかけました」
「いえ、アイリーン様。私はこの国のために当然の事をしたまでで御座います」
「……?」
私がマリーローズを労うと、王子は疑問符を浮かべて私たちの顔を交互に見る。
意味など分かるはずもない。色にボケて短絡的な行動をとっただけの御坊ちゃまになど。
「そして王子殿下——いえ、グレンヴィル様。今日までのお務めお疲れ様で御座いました」
「お、おう……ん?」
流石のグレンヴィルも、私の言葉に違和感を持ったようだ。
当然である。私の言葉をそのままに受け取れば、『グレンヴィルはもうお務めをしない』かのように思えるのだから。
「では……衛兵! その男を連れて行きなさい」
「はぁ!?」
その男とは、言うまでもなくグレンヴィルの事である。
私の指示を受けた衛兵は、グレンヴィルを拘束して連行しようとする。
「ま、待て! 何故私が連れられるのだ!? 衛兵! 衛兵!! そこの女を拘束しろ!!」
グレンヴィルに従う者はただの一人もいない。
「何が起こっている!? アイリーン、貴様の差金か!!」
「イヤですわ、グレンヴィル様。彼らは不義を働いた不届き者を連行しようとしているだけですわ」
「な、なにを……?」
グレンヴィルの元を離れ、マリーローズが私の元に来る。
私から半歩後ろに立つ姿を見れば、マリーローズが私と不仲ではないという事が理解できるだろう。
「では、マリーローズさん。貴女はこの男から言い寄られたという事を認めますか?」
「はい、アイリーン様。グレンヴィル様は私との関係を望まれておりました」
「何を言っているんだマリーローズ!? 君はアイリーンから酷いイジメを受けていたんだろう??」
「そのような事実はありません。アイリーン様は私にイジメ行為どころか、カトラリーより重い物を持たされた事もありませんわ」
「なんだって!?」
マリーローズは恭しく礼をして、貴族令嬢らしい優雅な歩みでその場を後にした。
彼女はよく働いてくれたので、それ相応の褒美が必要だろう。
そもそもマリーローズは、初めからそのつもりで近づいたのだ。
この国では、第一王子派閥と第二王子派閥が存在する。第一子に継がせるべきであるとする保守派と、優秀な者が継ぐべきであるとする実力主義。
私とマリーローズは、第二王子派閥として動いていたのである。
第一王子であるグレンヴィルは、とてもではないが優秀な人間ではない。楽観的であり、短絡的であり、他人の言葉にすぐ影響されてしまう優柔不断な男。およそ、一国の王の器ではない。
それでも後ろ盾があったのは、傀儡の王を欲していた勢力がいるからだ。無能の王を裏から操る黒幕を気取りたい老骨など、歴史を紐解けば枚挙にいとまがない。
私達が必死に王子の廃嫡のために動いた理由がそれである。この国は愛すべき故郷ではあるものの、国力という面から見ればやはり小国。周辺国との国交には、強い王が必要なのだ。
「ま、待て! 私を嵌めたのか!? 衛兵、この賊を捕らえよ! 王族を欺いた国賊である! 衛兵!」
グレンヴィルはまだ喚くが、耳を貸す兵はいない。既に多くの兵は、私達第二王子派閥の息がかかっているからだ。
なにより、そうでなくとも、この状況下で誰に非があるのかなど明白であり、愚かな第一王子に肩入れする事の無意味さは説明するまでもないだろう。
「衛兵! 聞いているのか……!」
「止めよ、兄上」
「!? アイザックか! ちょうどよかった、この者どもをなんとかしてくれ!」
現れたのは、アイザック・ジェーン・オルステッド・リーデルランド。この国の第二王子である。グレンヴィルの一つ下の弟である彼は才気に溢れ、次期国王に最も相応しい人物であると慕う人間も多い。
私とマリーローズもその内の一人である。
派閥の関係性など全く理解していないグレンヴィルは、自らを陥れた弟から助けがあるものであると疑っていない。懇願するわけでもなく、ごく当たり前に話しかけているのだ。
自らは助かったのだと。
しかし、そんな間抜けはグレンヴィルだけである。この夜会に参加した中で最も若い者でも、国外からの客人でも、この状況下で理解できない者などいない。
グレンヴィルは、すでにその地位を追われたのだ。
「聞くに耐えん。衛兵、連れて行け」
「はい」
「なに!? ちょっと待て! どういう……っ!」
ようやく、グレンヴィルが夜会の席から姿を消す。
勝手な言い分で会場の空気を乱し、国王陛下がお決めになった婚姻を勝手に破棄しようとする愚か者である。
「皆様、大変失礼致しました。代わりと言ってはなんですが、一つめでたいお話をさせて下さい」
アイザック殿下は、隣に立った私の手を取る。
「私、アイザック・ジェーン・オルステッド・リーデルランドは、こちらアイリーン・グレース・ファローマイアー公爵令嬢と婚約致します」
「ええ、謹んでお受け致しますわ」
アイザックの抑揚をつけた大袈裟な話し方は芝居がかっているが、祝いの席である事を思えばロマンチックに思えるだろう。
会場内は瞬く間に拍手に包まれ、つい先ほどまでそこにいた不届き者の事など全ての人間が忘れてしまっていた。
本当ならば、もう少しゆっくりと事を進めるつもりだった。マリーローズがグレンヴィルから言い寄られた証拠を集め、それを突きつける形で排除する。
それが、まさか自ら婚約破棄をしようとは、思ってもみなかった。マリーローズと私は不仲であると思わせるために流していた印象付けが、思わぬところで働いたという事だ。
といっても、これほど考えなしだなどと思ってもみなかったが。
多少の想定外は起こっても、最後には私達の思っていたところに収まった。
愚かな第一王子に傷つけられた私を、お優しい第二王子が受け入れる。その際に弄ばれた男爵令嬢は、城勤として高待遇を与えられた。一般にはそのように周知され、アイザック様は立派な国王となられた。
「アイリーン、マリーローズ。少し側に来てくれ」
「はい、陛下。ただいま」
陛下は、時折何も用がないのに私達を呼ぶ。本人が言うには、側にいられると落ち着くのだと。
「すまなかった、二人とも。其方らに間者の真似事などさせてしまって。余がそれを悔いぬ日はない」
陛下は、いつもそんな事を言う。
仕事の合間に、寝る前に、起きた時に、食事の最中に、彼はいつも悩み続けているのだ。
「陛下、およしになって。私はほんの少しも苦ではありませんでしたわ」
「私もアイリーン様と同じ気持ちで御座います」
「其方らは優しい故、そう言うだろう」
「いいえ、陛下。祖国のためを想えばこそ」
マリーローズは三ヶ月、私は十年に届こうかというほどグレンヴィルと交際を続けてきた。ほんの一瞬も彼を好いていた事などありはしないが、それでも私の言葉に嘘はなかった。
国のためならば、何も苦ではなかったのだ。
そして、私の場合は……
「陛下、一度しか言いませんからお聞き流しのないように」
「? 一体何を……」
「好いた殿方のためならば、あんなのちっとも辛くありませんわ……っ」
「まぁ、アイリーン様!」
自分で自分の顔が赤くなっていると分かる。恥ずかしさのあまり茹でタコになりそうだ。
しかし、陛下の方を見れば同じように真っ赤になっていた。今では立派な国王として君臨しているアイザック国王が、まさか照れているのだ。
「私はお邪魔ですわね。失礼致しますわ」
「お待ちなさい、マリーローズ。まだお話ししましょう」
「退出は許さん。国王命令だ」
「……初心にも程がありますわ」
我が国の王と王妃の仲は、周辺諸国に轟くほど非常に有名である。
それはこの国がここ数年で飛躍的に国力を伸ばした事とも、文化水準を向上させた事とも全く関係がない。
私自身の事なのでイマイチよく分からないが、聞くところによると『一目ですぐラブラブなのが分かる』のだという。