おばけが見えるようになりました。
僕は大学三年生、ひとり暮らしです。
ひと付き合いが苦手で、話していて楽しいというタイプではありません。特にかっこいい訳でも、賢い訳でも、スポーツができる訳でもありません。のめり込んでいる趣味もなく、音楽やファッション、映画や小説、おいしいものや美術なんかにもくわしくありません。仕送りは充分にあって、バイトとも無縁です。影がうすいので、喋るまで誰にも気付かれないことさえあります。
僕はつまらない人間なのです。
だから、僕には知り合いは居ても友達は居ないし、学校に行っても授業を聴いてご飯を食べて帰るだけです。つまらない、どこにでも居る、淋しい大学生です。
僕には友達は居ませんが、会話をするひとは居ます。
ノートの貸し借りをしてくれる眼鏡の男子学生や、いつも話しかけてくれる近所のスーパーの店員のおばさん、学食でおまけしてくれるふとったおじさん、何故か挨拶を交わすようになった、大学にはいっている掃除の業者さん。
なかでも、スーパーのおばさんは、年齢がもっと近かったら友達になっていたかもしれません。たまに、「今日中に食べてね。」といって、廃棄予定のお菓子をくれたりします。僕は食い意地が汚いほうなので、お礼をいってもらって帰ります。おばさんからもらったお菓子は、買うよりもおいしい気がするから不思議です。
どうして僕に優しくしてくれるのかと思っていたら、ある日おばさんが話してくれました。制服のエプロンの胸許についた名札を弾きながら(おばさんの癖です)。
子どもが三人居たけれど、下の男の子が五歳で亡くなったのだそうです。川遊び中に溺れたのだということでした。生きていたら、僕くらいの歳だそうです。僕はなんといったらいいか解らず、その後は、おばさんの旦那さんが、糖尿病が悪化して、今は三日に一回人工透析をしているのだという話になりました。僕は反射神経の鈍い人間なので、その日の夜に、お気の毒でしたねといえばよかったなと思いました。
おばけが見えるようになりました。
その日僕は、いつもつかっているノートが購買に置いていなくて、それでないと据わりが悪くてつかえないので、いつもは足を向けない市内の西側にある文房具屋さんまで行きました。大学の帰りにです。徒歩で通っているので、勿論徒歩で行って、徒歩で帰りました。
思ったよりも遅い時間になってしまい、僕は街灯がぽつぽつと点る道を、怖々歩いていました。日が暮れてからは出歩かないので、そんなにくらい、淋しい道だとは知りませんでした。街灯から少し離れると真っ暗です。それなのに、街灯は数える程しかないのです。
僕がこわがっていたのは、どちらかというと人間でした。体格がいい訳でもなく、スポーツをやっている訳でもない僕は、非力です。ナイフで脅されたら、お財布でもなんでも渡すでしょう。僕は、ばかみたいに、その時の全財産を持っていました。
藪のなかから暴漢が出てくるのじゃないか、不良に絡まれるのじゃないか、と怯えながら、自宅のアパートへ向かっていると、前方に女のひとの姿が見えました。脇道から出てきたのか、突然あらわれたのです。
そのひとは赤いジャケットとタイトスカートで、白っぽい靴を履いていました。髪は背中のまんなかくらいまで、染めている様子はなく、まっすぐで、おろしています。手には、書類のはみ出た、大きな黒い鞄をさげていました。
女のひとが街灯の下を通る度に、そういったことが解りました。勝手に、パンプスを履いていると思い込んでいましたが途中、パンプスじゃなくてスニーカーだな、と気付きました。なんとなく、保険の外交員さんのような雰囲気です。くらくなるまで営業にまわっていたのかな、それとも帰るところなのかな、と、思いました。
でも安心していた覚えがあります。もし僕が、暴漢に襲われても、悲鳴をあげれば届く距離にそのひとは居るのです。だから、なにかあったら110番してもらえる、と安心しました。
それに、あのひとになにかあっても、僕が通報できるな、とも思いました。僕は臆病な人間です。
ほっとしていると、距離がつづまってきました。やっぱりスニーカーです。
ふと、鞄から一枚、書類が落ちました。僕はあっと、それを拾おうとして、こんなにくらい人気のない道で、突然近寄ったら、痴漢と間違われるかもしれない、とためらいました。そこで、拾う動作にはいりながら、いいました。
「落としましたよ。」
でもおかしなことに、一瞬躊躇した間に、書類は消えていました。しゃがみこんだ僕が顔を上げると、女のひとがたちどまってこちらを向いていました。きっちりと隙のない化粧をした、三十前後の女のひとでした。
女のひとが急速に色を失い、モノクロになりました。それから、かすかに笑みをうかべて、砂でできた像みたいに崩れていきました。
悲鳴をあげたかというと、あげませんでした。あんまり吃驚すると、声も出ないみたいです。僕はただ、ひゅっと息を喉の奥へ吸いこんで、その後暫くかたまっていました。
くらくらしてきて、はっと我に返り、息をしながら立ち上がりました。そして、きょろきょろと辺りをうかがって、突然恐怖が襲ってきて走って帰りました。
家に辿りつくと、内側からしっかり錠をかけて、点けられる灯はすべて点けました。それから押し入れは全部開けて、トイレやなんかもドアを開け放ちました。なにかが居るような気がしてこわかったからです。
それから、猛烈に気持ちが悪くなって、二回吐きました。その夜は、洗面器を抱えて、布団をかぶって、がたがた震えていました。
僕は次の日、学校を休みました。
その次の日には、あれはなにかの見間違いか、疲れていて幻覚が見えたのだということにして、学校へ行きました。すぐに後悔しました。あの女のひとのようなひとは至るところに居ました。みんな、僕がある程度よりも近付くと、さらさらと消えてなくなります。人間だけでなく、動物の場合もありました。
おばけを消してしまう、というのは変な感覚です。なにしろ、僕には人間に――――生きた人間に見えているのです。それが、すっと色を失ってモノクロになり、ざらざらとした質感の紙に印刷されたようにぼやけて、砂のように消えてしまう。一瞬のうちに。
たまに、なにかいうおばけも居ます。なにかを僕に伝えてくるのです。それは、気持ちのいいものではありません。お化けだから死んでいるのだろうと思っても、目の前でひとが死んでいくようで、僕は毎日吐いていました。
僕はおばけと生きた人間を見分けることができません。だから、どれだけ気を遣っても、一日に何回も、おばけが崩れる瞬間を見てしまいます。
体重が減りました。自分がおばけを見ていると認めたくないので、神社だとか、霊媒師だとか、そういうものに頼る気も起こりませんでした。
スーパーのおばさんは僕を心配してくれて、お弁当やお惣菜もくれました。ありがたく食べても、すぐに吐いてしまいます。
僕は困っていました。そして、彼が助けてくれました。
おばけが見えるようになって、一週間目です。いつもノートを貸し借りしている、眼鏡の男子学生が、帰ろうとする僕をひきとめました。
「飯でもくわないか。」
ノートの話ではなくて、僕は戸惑いました。でも、ひとりで居るのは不安だったし、友情というものに飢えていたので、承諾しました。
大学近くのラーメン屋さんへ行ったようです。手帳にはそう書いてありました。でも、覚えていません。
テーブル席で、向かい合ってなにかしらのものを食べると、彼はアイスだったかプリンだったかを注文しました。僕はお冷やを飲んでいました。彼は、綺麗な、銀色のコインをテーブルへ置きました。外国のものかな、どこだろう、と思いました。
「突然、飯に誘ったから、変に思われたかもしれないけれど。君、最近困ってるのじゃないかい。」
なんの話だというようなことをいいました。彼は信じられない話をしてくれました。
彼はある組織に所属していて、その組織は、おばけを退治しているのだそうです。僕はただただ圧倒されていました。彼の話はそれらしいし、銀色のコインは構成員の証で、それを僕にくれると云うことでした。組織の偉いひとが、僕にはおばけが見えると知って、彼がスカウトに来たそうです。
「凄くあたる占い師のようなひとさ。」彼はなんだか得意げでした。
「君には、あれが見えるのかい。」
「見えるよ。勿論。それに僕はあれをはらえる。」
はらえる? と首を傾げると、彼はなんだかむずかしいことをいっていました。おばけは、きちんとはらわないと、土地やそこを通るひとに悪影響だし、おばけの為にもならないのだそうです。
彼はもともと、おばけをはらう家系のひとだそうです。そういうひとでなくても、おばけが見えて、はらえるひとは沢山居て、色んな場所でおばけをはらっているのです。
「僕もはらえるようになるのかな。」
「君はほとんどはらっているようなものさ。実際、弱いものははらわれてる。強いのは暫くすると、また、わだかまってるけれどね。」
よく解りませんが、話を聴いていると、なんだか気が楽になりました。
それから、たまに、彼と一緒に出かけました。僕は居るだけでいいそうで、僕が黙って突っ立っていると、彼がなにかして、おばけをはらっているのです。彼がはらうと、砂のように崩れることはありませんでした。
彼はおばけと生きた人間の違いが解ります。違いは、段々解るようになると、彼はいいました。
その日も、彼と一緒に、おばけをはらいに行きました。公園です。彼は苦戦していて、普通のひとが近寄ったら危ないから見張っていてほしいと頼まれました。
僕は、すぐ傍に、幼稚園児がかたまっているのに気付きました。黄色い帽子と水色のスモックで、小さな鞄を斜めにかけています。
危ないから、離れたところへ行ってもらおうと思って、近付いていきました。
その子達はおばけでした。
僕の目の前で崩れました。
僕は動揺して動けませんでした。じっと見ていました。そのうちのひとりが、やわらかそうなふっくらしたほっぺの男の子が、消える瞬間、帽子の影が何故かサングラスのような形になりました。そして、いったのです。苦しそうな声で、「××団地の307号室。」と。
僕は気絶していたみたいです。彼が負ぶって家までつれて帰ってくれました。彼は僕が居るとおばけをはらうのが楽だからと、優しくしてくれます。
僕は考えていました。あの制服は、見たことがあります。××団地も聴いたことがありました。スーパーのおばさんの住んでいるところです。
名札を見てもいました。「せきや なおと」。おばさんの名札には、「わたしは 青果担当 関谷 です」と書いてあります。
あの子はおばさんの、亡くなった息子さんでしょうか。
僕は翌々日、スーパーでおばさんと話しました。
「おばさん、××団地に住んでますよね。」
「ああ、前話したわね。」
「はい。307号室でしたよね?」
おばさんは笑いました。
「ううん。304号」
違いました。それじゃあ、あの子は、おばさんとは関わりがないのでしょうか。
でも、おばさんはいいました。
「なおととおんなじこというのね。あの子、いつも七と四を間違えて、何度か307号室へ押しかけてたの。当時、主人の、今の主治医の先生が住んでてね。まだ研修医だったんだけど、よくなおとと遊んでくれてたわ。休みの日には、こんなサングラスしてジョギングしてて、なおとは先生のことヒーローみたいに思ってたの。」
おばけが消える直前にいったのだから、どうしても伝えたかったことなのでしょう。
サングラスや、住んでいる場所をしらせてきたのです。
なにかの意味があると考えるのは当然だと思います。
僕は思い出しました。なおとくんは川で溺れた、と。それが、事故ではない可能性はないのでしょうか。
なおとくんの大体の年齢は解っています。僕は図書館で、古い新聞を調べました。
記事はすぐに見付かりました。「不明男児 ○○川で遺体発見 溺死か」。なおとくんは、幼稚園から帰って来た形跡がなく、お兄さんとお姉さんがさがしても、共働きだった両親が戻る時間になっても見付からず、捜索願が出された。その四日後、川で遺体で見付かった。そういうことでした。
続報もありました。事件か事故か、判断がつかない。ひき続き、情報提供を呼びかけている。
司書さんに頼んでさがしてもらっても、それ以上の記事はありませんでした。
僕は警察へ行って、事件のことを聴きました。担当だった刑事さんはお茶を出してくれて、掻い摘まんで話してくれました。僕は影がうすくて目立ちませんが、だからこそ、こういう時には怪しまれずに話を聴けます。
遺体の損傷が激しく、死因は断定できなかったこと。
なおとくんはお兄さんお姉さんと比べて大人しく、ひとりで川遊びに行くような子ではなかったこと。
お兄さんお姉さんとそりが合わず、また幼稚園でも仲間外れにされていて、ひとりでいなくなることが何度かあったこと。
男性と一緒に居るところが何度か目撃されているが、父親、もしくはなおとくんに似た子どもとその父親、と判断されたこと。
でも、刑事さんは、父親に似た背格好の男がなおとくんをつれさり、殺して川へ捨てたのだと思っていました。なおとくんによからぬことをやろうとして、抵抗されるか泣かれるかして、殺してしまったのだと。
犯人ではないかと疑っているひとは、今もこの市に暮らしているそうです。
おばさんは今日も、お菓子をくれました。旦那さんは今日も透析に行っているそうです。頼りになる先生で、主治医がそのひとになってから、病状はとてもよくなったそうです。僕の脳裏には、なおとくんが崩れるみたいにして消える瞬間が焼き付いています。
僕はどうしたらいいのでしょう。
加筆修正しての再投稿です。
©2021 弓良 十矢