7話 たった一人の家族との死別
男の表面に浮き出る線をなぞらえて、刀を振り下ろした。
俺と男との距離は離れている。
普通であれば、空を斬るだけで意味の無い行動。
だけど。
斬撃は確かに男を捉えた。
「――――が……あああああ……あっ……! な、なんだと……!!」
男の右の肩先に深い刀傷が入る。
だが、思ってた所とは違う。
「ちっ。……失敗した。肩ごと切り落とそうと思ったのに」
無駄な力みが入っていたのか、軌道を逸らしてしまった。
もっと正確に線をなぞらえないと駄目だ。
「でも今ので感覚を掴んだ……次は失敗しない」
一度目の振りの分析と、感覚の誤差を確認していると、地面に倒れ伏すじいちゃんが何かに驚いた後、悟った様に言った。
「…………元服を前に……開眼したか……。それも、十字の紋様まで。ケンシロウよ………お前達の息子は……とんでもない才を引き継いでいたぞ……」
後ろに倒れるじいちゃんを見ると、かなり出血をしていた。
傷口からは次々と赤い血が流れ、地面に染み込んでいく。
早くじいちゃんの傷の手当てをしないといけない。
でもその為には、この男は邪魔だ。
「…………ぐうううっっ……。よもや……その若さで開眼するとは……。やはりあの御方の考え通りだった……。やはり貴様は今ここで、殺しておかねばならない」
左手で右肩を押さえながら男は言う。
あの御方……。
こいつらは、そいつの命令でここまで来たのか?
「あの御方? 誰だそれは。何で俺達を襲う」
「貴様が知る必要はない」
俺の質問に答えるつもりはないらしい。
男は左手一本で刀を構え、俺を睨むが、直ぐには仕掛けてこない。
死剣眼に警戒してか、こっちの様子を伺っているようだ。
「……」
この死剣眼の効果だろうか。
男の呼吸というか、狙いが何となく伝わってきた。
少しでも隙を見つければ、いつでも飛びかかろうとしているのが分かる。
でも俺としては男に近づかれると、まずい。
実際の剣術の腕は、向こうの方が上。
普通の斬り合いになれば俺は負ける。
この不思議な力も、まだ完全に使いこなせていないし、さっきはこの男も油断していたから斬撃が通った。
おそらく次は、対応してくるかもしれない。
勝つためには、さっきよりも鋭く、且つ一撃で仕留めないと。
失敗は許されない。
俺が持つ全ての物をこの一刀に。
「……すぅ……ふうー……」
一つ息をして、集中する。
大丈夫だ。
今日までじいちゃんに教えてもらった事を思い出せ。
毎日怒られながらも、鍛練を頑張ってきたんだろう。
その全てを、この一振りに込めればいい。
向こうもまだどう攻め込むか決めかねているようだ。
互いに数十秒睨み合う時間が続く。
やがて風が強くなり木々を揺らし、その音が大きくなっていく。
木の枝がしなるようになると、枝に止まっていた鳥が翼をバサバサとはためかせ、飛び立つ音が鳴った。
それが合図となり、止まっていた戦いは動き出す。
「貴様はこれで、殺す!!」
男がまた刀を変色させると、足に力を込め、ドンッと一気に駆け出した。
それを見て俺も刀を上段に構え。
「死ぬのはお前だーー!!」
浮かび上がる線に目掛けて、全力で振り下ろした。
この一刀は。
今まで何十万と振り続けたどの素振りよりも速く、完璧に軌道をなぞらえたものだった。
「――――ば、バカ…………な……」
斬撃は男の刀をバキンッとへし折り、更に左肩から胸にかけて両断した。
ぱっくりと開いたその箇所からは、ブシュウウウと、盛大に血が噴き出し地面を赤に染める。
「……き…………さま…………お……の…………れ………………」
男は命が消える瞬間まで俺を睨むと、ドサリッと倒れた。
「……ざまーみろ……」
動かなくなった男を見て集中を解く。
次の瞬間。
「……あっ……」
グニャリと視界が揺れ、足腰に力が入らなくなり盛大に顔面から地面に転けた。
一気に全身の力を使ってしまった様な、脱力感を覚える。
「……はぁ…………はぁ……疲れた…………けど」
今は疲れなんかどうでもいい。
早くじいちゃんを。
もつれる足で立ち上がる。
「じいちゃん!!」
慌てて側に駆け寄り、その体を抱き起こした。
「…………見ていたぞ…………素晴らしい一刀だったな……はぁ……はぁ……」
「しっかりしてくれ。すぐ町に降りて、医者に――」
弱々しく息をするその体を持ち上げ様とすると。
袴の袖を掴まれた。
「…………もうわしは……助からん……自分の……体だからな……分かる……」
「そんな事言うなって! 大丈夫だ……こんな所で死んだりなんてしないさ。だって……だって……俺まだじいちゃんに恩返しを何も……」
俺の言葉を遮る様に、首をふるふると振る。
「……良いのだ。わしはもう…………十分生きた……」
「……何言ってんだよ……じいちゃん……これからも一緒にいるんだろう? ……これからも、剣を教えてくれるんだろう? 強くなった俺を見るのが、楽しみだって……言ってたじゃないか! だから……だから……俺……いつも反抗ばっかりだったけど……本当はじいちゃんの事を尊敬してるんだ……だからさ……死なないで……ううっ……」
涙が出てくる。
ぎゅっと握ったじいちゃんの手の体温は、冷たくなっていた。
段々と冷たくなっていくじいちゃんの体に、もうお別れが近づいて来ているのが嫌でも分かる。
そんな泣きじゃくる俺に。
苦しいだろうに、斬られて痛いだろうにじいちゃんは、優しい笑みを向けてくれる。
「……分かっていたよ……お前がわしをそう思ってくれていたのを……。だから、気にするな……お前がこうして立派に育った……それが……何よりもの……じじい孝行じゃよ……」
「ごめんな……じいちゃん……ぐすっ……俺のせいで……ごめん……ううっ……ごめん……ごめんなさい……」
俺の涙がじいちゃんの顔に落ちる。
「…………はぁ……はぁ……ツルギのせいではない……孫を助けるのは……当たり前の事だ。
だから……気にする必要はない………………ただ、少しだけ欲を言えば……本当はもっとお前に色々と……教えてやりたかった…………お前が成長した姿を見たかったなぁ……」
じいちゃんの目にも涙が浮かび上がる。
「……でも、それは叶いそうにないから……この眼の事、わしらの剣術の事、鍛練方法も全てを……巻物に書き遺しておいた……それを読めば……大体の事は分かるだろう……」
じいちゃんの声は次第に小さくなっていく。
「……だけど……俺。じいちゃんがいないと……どうすればいいか分かんねぇよ……」
「しっかりせよ。お前の芯は……強い……わしが居なくなった所で、決して負けぬ筈だ」
こんな時でも、俺の為にと叱りつけてくれる。
「……俺は強くなんかないよ……」
「……強いさ……哀しみに暮れることは……あるだろうが……本当の最後まで戦い続ける強さが……ツルギにはある」
「…………」
「……だから生き延びろ…………ここは……奴等にばれている可能性がある。
これから暫くは……死剣眼を完璧に身に付けるまでここを離れ……身を隠せ……。
あと……これから必要になるだろう……これを……お前に託す」
「これは……」
じいちゃんが俺の握る刀を指差した。
「……これは死線が見える者のみが扱える……剣だ。……ツルギ……お前は……過去に類を見ないほどに素質に恵まれている……鍛えれば……高みに行けるだろう……。
これからは生き残る為には……どのみち力が必要となろう……だから……鍛練を……怠らず…………頑張るのじゃよ……」
じいちゃんの体温は、もうほとんど感じられない。
右手の力も同様に感じられなくなっていた。
「……じいちゃん!! 逝くな!……逝かないで……ううっ……俺を……一人にしないで……くれよ……ぐすっ……じいちゃん!」
「…………強く……生き……るん……だぞ…………身体には……気を……つ……けて…………な……」
最後に一つ俺の心配をして。
じいちゃんは、俺の腕の中で息を引き取った。
「……ううっ……ぐすっ……じいちゃん!! 頼むよ……目を開けてくれよ……俺を一人にしないでくれよ……じいちゃんがいないなんて……そんなの……耐えられないよ! ……俺……俺……まだ何も返せてないのに……ぐすっ……」
動かなくなったその体を抱きしめ、空を仰ぐ。
溢れる涙と一緒に、今日までじいちゃんと共に生きてきた日々が、たくさんの思い出が、頭の中を流れていく。
もっとしてあげたかった事があった。
もっと素直に気持ちを伝えれば良かった。
もっと。もっと。もっと。
でも。
もうそれを伝える相手は、居ない。
その事に気付いてしまった途端。
哀しみと、喪失感が痛みとなって一気に暴れ出た。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーっっ!!!!!」