長周期彗星と廻る二人
大陸には小国が乱立し、部族の長が好き勝手に王を名乗っていた。エストレヤは王の娘だ。十七人の兄弟がいる。母の身分が低い彼女は、羊二頭と同じ価値しかない。
「何しに来た」
夜更けに現れたエストレヤに、ソルは苦い顔をした。窓から月明かりがさしている。奴婢から戦士に成り上がったソルの家だ。寡黙な彼が懸命に生きる姿は、エストレヤの希望だった。
「じき嫁ぐ女のすることじゃない。帰れ」
エストレヤは耳を貸さず、ソルの寝床へ潜り込む。強靭な体にすがり、早口で囁いた。
「お願い」
密やかな声は切実だった。
「きっと二度と戻れない。今夜だけでいいの、貴方の妻にして。ソルが好きなの」
嫁入りが迫っている。相手は大勢の妻がいる北の国の王だ。ソルの顔が苦悩で歪む。彼女の痩身が逞しい腕に包まれた。
「俺のエストレヤ……」
「ソル」
幸せな夢は一夜で終わり、彼女は他国へ送られた。
北の国に到着し、婚礼が開かれる。祝宴の最中、ほうき星が流れた。凶兆にどよめきがおこる。供物を捧げなければ災いがあると、呪い師が叫んだ。凶星はその娘を欲していると、エストレヤを指し示す。
広場へ引摺り出されたエストレヤ。寒さと恐怖に震えた彼女は、空を仰いだ。この空は故郷と繋がっている。ソルもあの星を見ただろうか。
「これで良かったのかもしれない」
ソルの妻のまま死ねるのだ。彼女の顔に淡い笑みが滲む。頬を濡らす涙が、流れた先から冷えていき、凍りついてしまいそうだ。
王が躊躇なく剣を抜いた。もう一度ソルに逢いたいと、彼女は願った。
「やめろ! ああっ、エストレヤ!」
幻聴だろうか。愛しい男の声が聞こえる。無情な刃がエストレヤへ振り下ろされた。
□
囚人の名はエトワール。小柄で痩せた若い女。絶望するのに疲れたらしく、無関心な目をしていた。
客を殺めて荷を盗む宿屋の夫婦、それが彼女の両親だ。人でなし夫婦は縛り首。明日、彼女も処刑される。
「可哀想にな。後始末を手伝わされたくらいだろうに」
ため息をついた同僚へ、看守のフラムは適当に相槌を打った。牢の前を通り過ぎる時、大切な名前を呟くと、エトワールが驚きに目を見張る。
「ソル?」
姿形が変わっても、互いに相手を認識した。きっと魂に刻まれているのだろう。小さく頷いたフラムは「後で」と唇だけ動かした。
フラムには前世の記憶がある。ソルという戦士だ。好きな女の死と悔恨を鮮明に憶えている。
ほうき星が流れた夜、ソルは北の国にいた。エストレヤを追った彼は、閨の天井に潜み機を伺った。無防備な王を殺め、彼女を取り戻す算段だった。
屋外から騒ぎが聞こえ、様子を確認しに行くと、エストレヤへ剣が振り下ろされたのだ。
「お前の体は冷えきっていた。俺は、お前を暖める火にさえなれず、斬り殺された」
深夜の牢獄でフラムが言った。薬入りの酒で警備を眠らせ、くすねた鍵で扉を開ける。
「やめて、ソル。もういいの」
「今はフラムだ、エトワール。俺の願いは、お前の死じゃない」
彼女の手を引きフラムは逃げた。杜撰な脱獄に、領主の私兵隊が差し向けられる。他領へ続く河へ着き、嫌がるエトワールを木船へ乗せた。
「先に行け」
「フラム、待って!」
「お前の元へ飛んでいくよ。鷹のようにな」
船縁を蹴る。遠ざかるエトワールを目に焼き付けると、来た道を駆け戻った。蹄の音が近付いてくる。陽動で河とは逆に走ったが、すぐ騎兵に囲まれた。馬上から受けた槍の一突き。腹を貫かれた彼の目に、ほうき星が映った。
「エトワール……」
それから、何も見えなくなった。
□
蒸気機関車が活躍する時代でも、富裕層の宴好きは変わらない。長周期彗星の接近にかこつけてパーティーが開かれていた。
「僕とエイミーは運命の相手なんだ。君の父さんから婚約解消の許可も得てる」
「ごめんね、ステラ姉さん」
優越感を隠し切れない妹が、腹に手を添え眉尻を下げた。
「どうか祝福して。この子のために」
どうでもいいとステラは思う。責める資格はない。自分こそ、唯一無二の男性を想い続けているのだから。
実業家の息子に棄てられたステラへ、好奇の視線が集中する。目を伏せた彼女に、切迫した叫びが聞こえた。
「エトワール!」
心臓が早鐘を打つ。身なりのいい長身の紳士が、人混みを掻き分けて近付いてくる姿が見えた。
「フラムなの?」
掠れた呟き。驚きと歓喜にステラは震え、彼の元へ駆け出した。迷いのない仕草で、掬うように抱きしめられる。
「ここにいたのか。違う国に。待たせて悪かった。今の俺はヴァルクという。隣国の人間だ。お前の名前は?」
「ステラ」
額を触れあわせて名乗りを交わす。突然の事に、父が決めた元婚約者と妹が唖然としていた。
「こちらはヴァルク。私の運命の人」
「ステラの家族か? こんばんは」
「あなた達も幸せになって。おめでとう」
心から妹を祝福した。その時、窓辺から歓声が上がる。数百年ぶりに訪れたほうき星。
長周期彗星と廻る二人は再会し、今度こそ共に生きようと誓い合った。