猪なんて雑魚だろチョロイちょ……ちょっと待って!
巨木の森は、大樹の一本一本がまるでローマかギリシャの古代建築物よろしく、巨大な柱のようだった。
林立とはまさにこのことだ。柱状大樹の森はどことなく神秘的だった。
獣道をたどって進むと――
巨大な灰色の猪と出くわした。ライオンみたいなたてがみに、口からナイフのように鋭い牙がはみ出している。
大きさは軽自動車ほどもあった。目は血走り殺気立ち、問答無用で戦闘開始である。
「こっちは神の如きスライムすら倒したんだ。今さらちょっとデカイ猪がなんだって……いやまあ、正面から受け止めることはないよな!」
鼻息荒く突っ込んでくる猪の体当たりをかわしたつもりが、猪もこちらの動きに合わせて軌道を修正してきた。
激突寸前で猪の鼻先に足を掛けて飛ぶ。
と、猪は俺の身体を足下からすくい上げるように放り上げた。
「うおああああああああああ!」
ブンッと空気が振動する音とともに、身体が十メートル近く跳ね上げられる。
幼女神に落とされたり猪に飛ばされたり散々だ。
だが、この上空へかち上げられた位置エネルギーを無駄にする俺ではない。
身体は元いた世界の自分とは別物のように動いた。
オリンピック体操代表選手のような伸身宙返りから、猪の額目がけて着地という名のドロップキック。
が、ダメ。猪はビクともしない。着地した俺の正面に向き直り、前足で地面を穿つように蹴る。
「ウィル! こいつはさっきの白いスライムより強いのか!?」
「すみません。よく解りませんでした」
俺を中心にして、光球が衛星よろしくくるくる回る。
ここは逃げるが勝ちか。しかし……この猪を相手にして思う。あの白いスライムを倒した時のような、手応えが微塵も感じられないのが不思議だった。
俺の運動能力は明らかに向上している。なのにまったく勝てる気がしない。
こんな世界なのか。
俺は生き残れるのだろうか。
「……俺はどうすればいい?」
「すみません。よく解りませんでした」
頼りっぱなしじゃダメってことだな。
目標。この世界で平穏かつ快適な生活環境を得る。
そのためにはこの巨大猪をどうにかしなきゃならん。
俺は大樹の幹を背にした。
巨大猪が口から涎をまき散らしながら突っ込んでくる。
十分に引きつけてから跳ぶ。
右か……左か。
「勝負だコノヤロウッ!」
俺は右に跳んだ。根拠はない。ここで死ぬならそこまでだ。
賭けには……勝った。
猪は俺の罠にはまってまっすぐ木の幹に突っ込んだのである。
右も左も関係なかったが、覚悟が決まった。
「よっし! 逃げるぞウィル!」
その刹那――
メキメキイイイ!
と、軋む音を立てて、猪が頭突きを食らわせた巨木が倒れた。
頭蓋骨が分厚いのか、灰色の巨大猪はまるでダメージを負った様子がない。
「あちゃああ……いけると思ったんだけどなぁ」
避け続けて隙を伺うしかない。
そう思った瞬間――
「そいやあああああああああああああああ!」
頭上の樹上から女の子の声が響いたのと同時に、巨大な刃がギロチンよろしく灰色猪の首を切り落とした。
血しぶきを上げて巨体がドサリと倒れる。
一撃だった。
巨体の後ろから小さな影がひょっこり姿を現した。
「だいじょぶだった?」
「お、おう……ありがとう助かったよ」
メキシコ辺りの民族衣装風の服に身を包んだ、小柄な女の子だ。カフェオレ色のショートボブの髪の上の丸いケモミミがついていた。
身長は150センチくらいだろう。小さい割りに胸は結構な大きさで、小玉スイカくらいある。
お尻も大きくなんというか、小さいながらも骨太な感じだった。
「よっこいしょーっと!」
巨大猪の首を一刀両断したのは、彼女の得物――巨大な斧である。柄の長さだけで彼女の身長の八割程度。銀色の刃もずっしりと重そうだ。
斧を軽々と肩に掛けて少女はニッコリ笑う。
「ここらんじゃ見ない顔だね?」
「き、君は?」
「キーコだよ」
「俺はダイスケだ」
「だいすけべ?」
「違うぞ。断じて違うからな」
「へぇ~すけべーさんなのかぁ」
「ダ イ ス ケだッ!」
「変な名前~」
「そういうお前……キーコだってそうだろ。まさか木こりだからキーコなんて言わないよな?」
「な、なぜバレたし!?」
「いや冗談のつもりだったんだが、木こりのキーコなのかよ」
「すけべのダイスケ!」
「だから違うって」
少女――キーコは兎のようにピョンっと跳ねると、俺の前に立つ。
「なあ、その耳は……本物なのか?」
丸いケモミミがピクピク動いた。
「ほらすごいでしょ。手を使わずに耳を動かせるの。ボクの特技なんだ」
「ぼ、ボク?」
「おかしい?」
「いや、その……おいウィル。こっちの世界じゃ女の子も一人称はボクとかオレなのか?」
呼びかけると光球がふわりと俺とキーコの中間地点に滑り込むようにして浮かんだ。
「うわ! 精霊だ! すっごーい! 初めて見た!」
ウィルがオレンジと赤の中間くらいの色になる。
「はじめまして。私はウィル。ダイスケの守護精霊です」
「しゅ、守護精霊!? じゃあもしかしてダイスケって、女神の加護を受けたの!?」
「私は女神ミーティア様によって使わされました」
「ふええぇ……ダイスケはただのすけべじゃないんだぁ」
キーコのつぶらな黒い瞳が俺の顔をじっと見上げる。
「な、なんだよ。つーか二人とも俺を置いてけぼりにすんなッ!!」
と怒ってみせたものの、内心ほっとしていた。
やっと第一村人発見だ。このままあてどなく森を徘徊せずに済みそうである。