8.ポーカー
真美は、タクシーでホテルに戻った。
到着したのは夜中の零時過ぎだった。みんなは既に就寝している時間である。
「あー、夕食食べそこねたぁ。おなか空いたなぁ」
真美のお腹が「グーッ」と鳴り響く。
真美がエレベーターを降りると、フードコーナーがあり、自動販売機にカップ麺が売ってあった。
「アメリカに来たのに、カップ麺かぁ…。侘わびしいなぁ…」
部屋に入り、ベッドの上であぐらをかきながらカップ麺を食べていると、突然、呼び鈴が鳴った。
「こんな時間に誰だろう?」
真美がドアの向こうを覗くと、佐々木かおりが見えた。悲しげな様子である。
すかさずドアを開き、かおりを中に入れた。
「かおり先輩、こんな夜中にどうしたのですか?」
佐々木かおりは、深刻そうな顔をしている。真美は、そんな表情のかおりを心配した。
「真美、お願いがあるの…」
そう言うと、かおりは、いきなり泣き出した。肩を震わせて真美に抱きついた。言葉にならない泣き声が、真美の部屋に静かに響きわたる。
「どうしたのですか」
背中を優しく撫でながら尋ねると、
「お願い…、お金を…貸してほしい。必ず返すから…」と、佐々木かおりは、泣きながら拝むように頼んだ。
「えっ、何に使うんですか?」
「借金を…借金を返すために必要なのよ」
これはただ事ではない、と真美は感じた。
おそらく、かおりは、真美が戻ってくるのを、ずっと一人で寂しく待っていたのだろう。
「かおり先輩、訳を話してください。ゆっくりでいいから」
真美は買ってきたホットココアを、かおりに渡した。ココアの湯気が揺れながら立ち上っている。
「暖まりますよ」
真美が優しくいうと、
「ありがとう」と、つぶやき、かおりはゆっくりとココアを飲んだ。
時計の音が、カツ、カツ、と部屋に響く。真美も、かおりも、無言だ。ココアを飲む音のみが聞こえる。
しばらくココアを飲んでいたかおりは、少しずつ語り始めた。
「あのね…、今日、いや日付が変わったから昨日だね、カジノに行ったのよ。カジノで最初は凄く勝っていたの。一時期は五百ドル稼いだのよ。でも、それからは勝ったり負けたりで、少しずつチップが減っていったの…」
「そう。でも、それじゃ借金にはならないですよね」
「うん。でもね、チップが全て無くなったとき、ディーラーの人が言ったのよ。『クレジットカードがあれば、まだ楽しめるよ。また、さっきみたいに勝ち続けるかもしれない』って……」
「かおり先輩、クレジットカードを持っていたのですか?」
「パパが『もしものときに使え』と言って渡してくれた…」
真美は愕然とした。
おそらく、かおりの父は、盗難や負傷、病気のときを想定し、渡したのだろう。だが、かおりは、意味を履き違えていた。それほどギャンブルにのめり込んでいたのだろう。
普段の状態ならば、借金までして賭けをするものじゃないと気づくはずだ。だが、カジノの雰囲気に舞い上がっていたかおりは、気づく余裕すら無かったのだろう。
よく映画や漫画で、一か八かの賭けに主人公が勝つ場面がある。主人公の気持ちに共感し、我々は映画を見たり漫画を読んだりして、緊迫感と勝利の感動を味わう。だが、それは、あくまでも、映画や漫画の世界だけである。
現実には、ギャンブルで一か八かの賭けに勝つことは、万に一つほどもあり得ない。
なぜならば、賭けは傍目からすれば公平に見えるが、実は公平でない。何の経験もない素人の観光客が、経験豊富な玄人のディーラーと戦うのだ。公平であるはずがない。
余談だが、かつて鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて活躍した楠木正成は、「勝つか負けるかがわからないのであれば、戦をしてはいけない」と、後醍醐天皇に語っている。軍神と呼ばれた楠木正成が言っているのである。間違いない。一か八かの賭けで、勝つことを期待してはいけない。
「それで借金はいくらになったのですか?」
「カードでチッブを買った後は、しばらく勝ち続けていたの。嘘じゃないよ」
かおりは、なかなか借金の額を言おうとしない。勝ったり負けたりしていることを真美に知らせることで、『自分はただ単に運が悪かっただけであり、実力で負けたのではない』と、暗にうったえているのだろう。だが、それこそが、借金地獄に落ちる者たちの考え方だった。
真美は、また頭を抱えた。
おそらく、ディーラーがしばらく勝たせてあげたのだろう。そのことに、かおりは、まだ気づいていない。
「そのときディーラーが、『勝ち続けている今ならば、賭ける額を増やした方が良いよ』と言ってね、それで賭ける額を今までの十倍にしたの」
「それで借金はいくらになったの?」
「五千ドル。約五十万円……」
「クレジットカードって、利子もつくんですよね」
真美がそう言うと、
「あっ…、そうだった。利息が年間十五%つく……」
通常、お金を借りれば当然利子がつく。それは、誰でも知っていることである。だが、佐々木かおりは、このとき、利子のことも考える余裕が無かったようだ。
「だいたい五十八万円ほどですね」
そう言うと真美は、かおりの両肩に手をかけ、
「かおり先輩、先輩は、ディーラーからカモにされたのよ。ディーラーは、最初に、かおり先輩をうんと勝たせて、先輩をギャンブルにのめり込ませたの」と、真実を伝え、かおりの考えを改めさせようとした。
「でも、途中でも勝っていたわよ」
「そりゃあ負け続けたら、かおり先輩が止めるので、ディーラーは、損にならない程度に勝たせてあげていたのよ」
「そんなこと無い。私、半分近く勝っていたわ」
かおりは、むきになって反論した。真美の言葉を信じようとしない。
真美は、佐々木かおりの発言を手で制して、
「だから、ディーラーが勝たせてあげていたの。その証拠に、賭けの金額が高い勝負では殆ど負けているでしょう?」
「あっ……」
かおりは、ようやく思い当たる節があるような顔をし、黙ってしまった。
「私…、騙されていたのね…」
しばらくして、かおりは、涙を流しながら呟いた。
「私、バカ…、本当にどうしようもないバカ」
かおりは、ひとり言のように、自分を蔑んだ。
「かおり先輩、行こう!」
「真美、どこへ?」
「負けたお金を取り返しに行くのよ」
「どうやって?」
「私に考えがあるわ。でも、卑怯な方法だから、細かいことは聞かないでほしい」
真美は、ついさっき、ケンへの協力を断ったばかりだった。ケンに対して「お金は汗水流して稼ぐものだ」と語ったばかりである。
だが、今は卑怯な方法でお金を取り返そうとしている。さっきケンに言っていたことと矛盾している。そのことに、真美自身も気づいている。
(お父さん、ごめんね。かおり先輩の借金を返すだけだから、自分のためじゃないから)
真美は、心の中で亡き父に謝り、自分の信念と反する行動を、まさにとろうとしていた。
ホテルのロビーを出ると、待機しているタクシーに二人は乗り込んだ。
「かおり先輩。行先を告げて」
すると、かおりは「アルバトロス・ホテルまで」と、運転手に英語で伝えた。
アルバトロス・ホテルは、ついさっき、真美がケンと一緒に行ったばかりのホテルである。
しばらくすると、真美たちはストリップ通りにあるアルバトロス・ホテルに到着した。
運転手にお金を払い、タクシーから降りると、真美は呟いた。
「また、ここに来てしまった…。つくづく、このホテルには縁があるのかもしれない」
「えっ? 真美、何か言った?」
「ううん。何でもない」
真美は、何食わぬ顔で答え、カジノを目指して歩いた。
佐々木かおりは、真美が迷うことなくカジノの場所へ向かっているので驚いた。
「真美、ここに来たことあるの?」
真美は、一瞬ギクッとしたが、澄ました顔で、
「初めてでも、カジノの場所は見当がついているよ」と、答えた。
「ところで、かおり先輩を騙したディーラーは、どこにいるの?」
「あそこ…」
かおりが指差した先は、ポーカーの場所だった。
ポーカーは、通常のカジノでは参加者同士で賭けあう。だが、このカジノでは、ディーラーと賭けあう珍しいやり方だった。もちろん賭金も、それぞれの参加者は違っている。
真美は、ズカズカと足音を立ててディーラーに近づき、大声で文句を言った。
「あなた、かおり先輩をカモにしたでしょう。純粋な子供を騙して五千ドルも奪うなんて卑怯よ!」
ポーカーの最中に、いきなり真美が怒鳴り込んだものだから、周りの客が驚いた。
だが、ディーラーは、落ち着いた顔で真美の顔と隣にいる佐々木かおりの顔を見ると、瞬時に全てを察したかのようだ。
「彼女は、四時間もここでゲームを楽しんだのだよ。その気になれば、彼女は、いつでもゲームを止めることができた。でも彼女は、ゲームを止めなかった。全ては、彼女が自分の意思で決めたことだ。私に落ち度は無い」
そう言うと、ディーラーは、さらに続けて、
「君もここでゲームを楽しめば良い。そうすれば君も、カジノの楽しさがわかるだろう」と、真美をゲームに誘った。
「わかった。そうさせてもらう。その代り、賭け金に上限は無いことで良い?」
信じられない提案だった。
(馬鹿な少女だ。自ら不利な条件を提案している)
ディーラーは、そう思ったが、そんなことはおくびにも出さず、
「オー。あなたは、日本の財閥のお嬢様ですか。構いませんよ」
と、表面上は笑顔を装い、真美をカモにすることを決めた。
早速、真美は、百ドル分をチップに交換して、ゲームに参加した。
カードが配られた。いきなりスリーカードだった。
二枚交換した。だがスリーカードのままだ。
「フリーズ」
真美の周りの景色が灰色になった。真美が時間を止めたのだ。
真美はディーラーのカードを覗いた。確かに卑怯なやり方である。
ディーラーはツーペアだった。
「これなら勝てる」
真美は、息を吐き出した。すると時間が動き出す。周りの景色がカラーに変わった。
「百ドル全て賭ける」
ディーラーも、勝負に応じた。
スリーカードとツーペアの勝負なので、当然真美の勝ちだ。真美のチップは、二倍の二百ドルに増えた。
「真美、凄い」
佐々木かおりがいった。だが、その言葉が、逆に真美を冷静にさせた。
(もしかして、私は、勝たせてもらっている?)
真美は考えた。
(おそらく、そうだろう。ならば、この間にできるだけ稼いでおく必要がある)
カードが配られた。次はいきなりツーペアだ。
真美は、一枚チェンジした。だが、ツーペアのままである。
「フリーズ」
再び真美は、時間を止めた。
灰色の空間で止まっているディーラーのカードを覗くと、ディーラーも同じくツーペアだった。だが、ディーラーはクィーンと七のツーペアであり、真美は八と三のツーペアだ。これでは勝負しても負ける。
真美は、息を吐き出した。再び時間が動き出す。
真美は、チップを一枚支払い、フォールドした。フォールドとは、このカードでのゲームを降りることを意味している。ちなみに、ここでのチップは一枚十ドルである。
すると、ディーラーが意外そうな顔をした。
(しまった。ディーラーに気づかれたか?)
真美は焦った。通常、ツーペアの役がある場合、降りる者はあまりいない。降りる者は、勝つ自身の無い者だけだ。
(私の能力に気づかれないように、これからは、勝ち続けないようにしなくては……)
真美は注意した。なぜならば、真美の能力にディーラーが気づいたら、ゲームが成り立たなくなる。あくまでも『幸運が重なって勝った』と、思わせる必要がある。
次のゲームのカードが配られた。またしてもツーペアだった。一枚チェンジしたが、役は同じままだ。
真美は、時間を止めた。
ディーラーもツーペアだ。だが、ディーラーはキングとジャックのツーペアであり、真美はクィーンと二のツーペアだった。勝負しても真美の負けになる。
(もしかして、試されている?)
真美は確信した。
(ここで降りたら、私がディーラーのカードを覗けることに気づかれてしまう)
真美は、息を吐き出し、時間を動かした。
四十ドル賭けた。負けるとわかっていて、あえて賭けた。
賭け金がディーラーに取られ、これで手持ちは百五十ドルである。
だが、この行為でディーラーは、真美への疑いを無くしたようだ。ディーラーの顔に余裕が感じられた。
真美は、一旦ゲームを中断し、かおりにゲームの勝敗をカウントしてほしいと頼んだ。
「勝敗だけでいいの? 儲もうけの額は教えなくていいの?」
「勝敗だけで構わない。その代り、教えるときは耳に手を当てて小さな声で教えてほしい。ちなみに今は、私の一勝二敗よ」
「わかったわ」
再び座席に戻り、ゲームを始めた。
次のゲームのカードが配られた。キングのスリーカードだった。
二枚チェンジしたが、スリーカードのままだ。
真美は時間を止め、ディーラーのカードを見た。
ディーラーはツーペアだった。
真美は時間を再会し、手持ちのチップ百五十ドルを全て賭けた。
もちろん真美が勝ち、三百ドルになった。
ここに来て、真美は少しだけ冷静さを取り戻した。
(私は、嘘が苦手だ。だったら終始無言を貫こう。表情も、ごまかすことができないだろう。私は、顔に喜怒哀楽がすぐに表れる。だったら、ディーラーに顔を見せないように、テーブルだけ見よう。どうせ掛け金はテーブルの上に置かれるはずだ)
さらに真美は、かおりが観光店で買ったサングラスを借りて、それを目にかけた。
(勝ち過ぎてはダメだ。何度も負けないと怪しまれる)
確かに、真美が相手のカードを見ることができるとディーラーがわかったら、それ以降、賭けは成立しなくなる。それは、かおりの借金を返せなくなることを意味している。
まるで、急がば回れの格言のように、真美は、勝ったり負けたりを繰り返した。日頃の能天気な真美にしては信じられないほど、忍耐強く、黙々とゲームを続けている。だが、そのおかげで、真美の所持金は、少しずつ増えていった。
その後、三十分が過ぎた。真美の勝率は十五勝十二敗だったが、チップは、いつの間にか二千八百ドルに増えていた。
さすがにディーラーも、驚いた。
元々ディーラーは、真美には七百ドルまで勝たせてあげようと思っていた。だが、七百ドルを超えた後も、真美は勝ったり負けたりを繰り返しながら、少しずつ手持ちのチップが増えていったのだ。
(この少女は、どうやら私のカードが見えているようだ)
ディーラーも、真美が只者でないことに気づいた。だが、ディーラーは、まさか真美が時間を止めていることまでは、気づいていない。透視能力もしくは読心力のたぐいだと思っている。しかも、毎回かおりが真美の耳元で何か囁いているのが気になっている。
かおりは、単に勝敗の数を小さな声で、真美だけに聞こえるように教えている。ただ、それだけだ。だが、ディーラーは、二人が示し合わせて、何か細工をしているように感じる。
それこそが、真美が狙ったもう一つの効果だった。
次のゲームのカードが配られた。真美は、三のスリーカードだった。二枚チェンジした。すると、三がもう一枚来た。三のフォーカードである。
一応念のために、真美は時間を止めてディーラーのカードを覗いた。 ディーラーは六が三枚と四が二枚のフルハウスだった。
真美は、息を吐き出し、時間を動かすと共に、二千八百ドル全てを賭けた。
すると、ディーラーは右手を高くかざし、指をパチリと鳴らした。その瞬間、室内の照明が一瞬、白から黄色に変わり、また白に戻った。
「みなさん、五千ドルの大勝負です。遠くにいる方は近くに寄ってみてください」
そう言うとディーラーは、さらに賭け金を二千二百ドル上乗せし、五千ドルとした。
「一回の勝負で五千ドルだって。凄いな!」
周りにいた人がディーラーの声に興味を示し、大勢集まりだした。
「そんなに賭けるお金は無いよ」
真美が言うと、すかさずディーラーが、
「賭け金に上限は無いとルールを決めたのは、君自身だろう。必ず勝つ見込みがあるのなら、借金してでも賭ければ良いじゃないか。それとも、二千八百ドル払って降りるかね」
ディーラーは、余裕がある顔だった。
ディーラーの自信ある表情に、真美は疑問を持った。
(なぜだろう?)
だが、既に二千八百ドルを賭けてしまっている。今更、降りる訳にはいかない。
真美は、二千二百ドルの借用書を書き、五千ドルの勝負を受けた。
その瞬間、真美の頭の中に、どこからか声が聞こえた。
「真美、このままでは負ける。今すぐ時間を止めるんだ!」
ケンの声だった。この声は、真美だけに聞こえた。
「それじゃ勝負だ」
と、ディーラーが言おうとする直前、真美は再び時間を止めた。
周りの景色が再び灰色となり、時間が止まった。
ついさっき確認したばかりのディーラーのカードを、もう一度覗いた。すると、驚くべきことに、ディーラーの役は、六が四枚のフォーカードに変わっているではないか。先ほどは無かったダイヤの六が加わり、代わりにハートの四が無くなっていた。
(いつの間に変わったの?)。
真美は驚いた。
「あっ。そう言えば、さっき室内の照明が一瞬、白から黄色に変わり、そして白に戻った」
真美は、ディーラーのトリックを想像した。
おそらく、室内の照明の色が変わった僅かな時間を利用して、ディーラーがすり替えたようだ。
(まずい…、このままでは負ける)
真美は焦った。しかも、今回は急に時間を止めたため、息がもう続かない。真美は、思わず息を吐き出した。すると、時間が動き出す。
真美は息を吐き出すと同時に、
「あと千ドル上乗せする」と、大声で叫んだ。
今度はディーラーが驚いた。
真美は、素早く深呼吸をし、
「どうする? …それとも…五千ドル払って、降りる?…」
真美は、ゆっくりと話しながら、呼吸を整えた。
「よかろう。千ドル追加して六千ドルにする」
ディーラーが応じた。
「ちょっと待って、借用書を千ドル分追加しなきゃ」
真美は、呼吸を整えるため、ゆっくりと千ドル分の借用書を書いた。
ディーラーがじれったそうに借用書を書く真美を見つめ、カードを置いた。
真美は、その瞬間を見逃さなかった。
「フリーズ」
真美は、またしても時間を止めた。周りの景色が灰色に変わる。
カードの山をめくってみると、先ほどディーラーが持っていたハートの四が山の一番上にあった。ディーラーが山のカードと交換したのだ。
真美は、カードの山からダイヤの九を取り出し、ディーラーのダイヤの六と交換した。これでディーラーの役は、六が三枚のスリーカードになる。
真美は、息を吐き出した。周りの景色がカラーに戻る。時間が再び動き出した。
すかさず真美は、「勝負よ」といい、カードをディーラーに見せた。
「三のフォーカードか。残念ながら、私の勝ちだ。私は、六のフォーカードだ」
ディーラーは、自信たっぷりと置いてあるカードを裏返し、真美に見せた。
「あら? これフォーカードじゃない。六のスリーカードよ。一枚ダイヤの九がある」
佐々木かおりがいった。
「何をバカなことを言っている。フォーカードだろう。よく見てごらん」
ディーラーが佐々木かおりに説明するためにカードを見た途端、ディーラー自身がショックを受けた。
「馬鹿な…、ちゃんと俺は、ダイヤの六にすり替えたはずだ…」
思わずディーラーがつぶやいた。
「おい。おまえ、今、『すり替えた』と言ったな? イカサマしたのか?」
近くで見ていた男が、ディーラーにどなった。
「俺も聞いたぞ。確かにおまえは『すり替えた』と言った。お前は今までずっと、イカサマをしていたのか?」
隣の男も、激しい口調でディーラーに詰め寄った。
「いや…、そうじゃなく…」
ディーラーは、しどろもどろだった。
皮肉なことに、ディーラーが勝負のために呼び寄せた観客が、ディーラーのことを胡散臭い目で見だした。
「どちらにしても、私の勝ちよ。今すぐ六千ドル払いなさい!」
真美が大声でいった。威厳がある声だ。
ディーラーは、仕方なく、真美に六千ドル分のチップを渡した。
これだけあれば、真美には、もう勝負する理由が無い。真美は直ちに換金した。真美の持ち分と合わせて八千八百ドルである。
真美が書いた借用書は、もちろん帳消しになり、かおりの借金五千ドルを直ちに払った。
「真美、ありがとう」
かおりは泣きながら真美に感謝した。
真美は、かおりに小さな声で、
「かおり先輩、もう二度と借金をしちゃだめだよ。今回私が勝てたのは、私が汚いやり方をしたからなの。決して偶然でも運でもない」
それを聞いたかおりは、不思議そうに、
「汚いやり方ってどんな方法?」と、尋ねた。
だが真美は、ニコッと笑うだけで、決してその方法を言わなかった。しかも、
「かおり先輩、今日のことは誰にも言わないと、誓ってほしい。誰かに言ったら、私は、かおり先輩と二度と会えなくなる」
そう告げて、それ以降、真美は、この件に関して口を閉ざした。
ロビーに向かう通路を歩いている最中、
「そうだ。ケン、どこにいるの?」
真美は、声を出しケンを探した。
「僕は、君の後ろにいるよ」
その声に振り向くと、ケンがいた。
「ありがとう。ケンのおかげで助かった」
「どういたしまして。君があの子の借金を返すために賭けをしたことも、僕は知っている」
「一時間前はケンに偉そうなことを言ったのに、私自身が賭けをしてしまった。ケン、ごめんね」
「気にしていない。あの男は警察に突き出した。君が言ったように、治療費と慰謝料がもらえそうだ」
「そう。良かったわね」
真美とケンが話していると、かおりが不思議そうな顔をした。
「真美、その人は誰?」
「ケンよ。私の友達」
「こんばんは、かおりさん。君のことは真美から聞いているよ」
品行が良さそうなケンから挨拶されて、佐々木かおりは驚いた。
(真美は、私のことを、どのように話したのだろうか?)
かおりは、いろいろと想像した。
「もしかして深夜帰宅したのは、ケンさんと会っていたためなの?」
「違うとも言えるし…、そうとも言える…」
真美は、きちんと説明しない。どうも説明したくないようである。
「もしかして、真美の彼氏?」
「まさか、ただの友達だよ。グランド・キャニオンで私を助けてくれた人。そして、ダウンタウンやこのカジノでも、私を助けてくれた友達」
「それじゃあ、運命の出会いかもしれないよ」
そう言うとかおりは、ケンに向かって挨拶した。
「初めまして。佐々木かおりです。真美は私のことを、何と言っていましたか?」
ケンは、すばやく真美の心を覗き、
「真美は、君のことを優しい先輩だといっていたよ。これからも真美に優しくしてほしい」と、佐々木かおりを安心させた。
その後、真美に向かって、
「真美、朝の七時半にダウンタウンの施設で会おう」
そう告げると、ケンは足早に去って行った。
「えーっ、朝七時半? 施設?」
現在の時刻は、すでに一時半だった。
「真美、早朝デートなの?」
佐々木かおりは、真美がデートをすると勘違いしている。
「デートじゃなくて、一緒に児童養護施設に行くのよ。それよりも、急いで寝なきゃ!」
大急ぎでタクシーを捕まえ、真美たちは慌ててホテルに戻った。
その後、真美は、かおりと別れ、部屋に戻った。
(あー危なかった。ケンがいてくれなかったら…、ディーラーのイカサマに気づくのがあと一秒遅れていたら…、私も借金をするところだったー。ふぅー)
そうつぶやき、真美は、バスタブに浸かって疲れた体を休めた。
真美の手元には、賭けの残金が三千ドル残っていた。
この日、真美が寝たのは、午前二時を過ぎていた。
真美のポーカーでの活躍はどうでしたか? ケンが立ち直って良かったですね。
次は、真美がラスベガス・マラソンに参加します。