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ランナー真美の願い  作者: でこぽん
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2.アンダー20世界陸上競技

 翌日、雲一つない晴天である。青空には鳩の群れが気持ちよさそうに飛び交っていた。


 だが真美は、朝から眠そうな顔だ。無理もない。昨夜はあんな騒動があった。しかも、警察官が帰った後で、真美は井口コーチからさんざん説教されたのだ。そんな真美の眠そうな顔は、誰が見てもわかるほどだった。


 明日からは、ロスアンゼルス・メモリアル・コロシアムで、アンダー20世界陸上競技大会が開催される。明日は予選なので、今日は軽めの練習で済むはずだった。


 ところが、真美の予想に反して、みっちりと練習をすることになった。しかも、みっちり練習させられているのは、真美だけだ。


「井口コーチ、これでは疲れが溜たまり、明日の試合に影響します」


「篠原、大丈夫だ。午後から明日の朝までずっと、ホテルで眠っていれば良い」


「えっ? 午後から寝るの?」


「篠原、お前は俺との約束を破って昨晩遅くまで起きていただろう? だから、時差の影響を解消するには、これが良いんだよ」


「そんな…。午後からハリウッドに観光に行きたかったのに…」

 真美は、涙目でうったえた。


「お前のウソ泣きはバレバレだ」


「えっ? ばれていたの?」

 真美は、丸い大きな瞳をキョトンとして尋ねた。


「あたりまえだ。篠原、おまえはこんなことぐらいで泣くような女じゃない。もっと頑丈がんじょうな奴だ」


「えー。それは差別だよ。偏見だよ。井口コーチは、えこひいきしている。人種差別している」


「うるさい。お前は観光に来たのではない。大会に出場するために来たのだ。俺との約束を破った報いだと思い、諦めろ」


「とほほ……」

 真美は、両手の人差し指の先を合わせ、ぼやいた。


 結局、真美は、井口コーチの指導のもと、正午まで激しい練習をした。


 ヘロヘロの体でシャワーを浴びた後、昼食をがっちり食べ、真美は、部屋のベッドで大の字に寝た。そして、ものの一分と経たないうちに、真美は熟睡モードに入った。


 真南にあった太陽が西に傾き、地平線に沈んでも、真美は、ひたすら眠り続けた。まるで、遊び疲れたガキ大将のような、無邪気な眠りである。



 翌朝の五時、小鳥が「起きなさい」と叫ぶように真美の部屋の窓辺に集まり、ピーピーと鳴いている。


「うーむ。あっ…、おはよう、小鳥さん」

 真美は、寝ぼけまなこで背伸びをし、服を着替えて廊下に出た。


 すると、廊下には既に、井口コーチが待ち構えている。


「朝食ができている。腹いっぱい食べろ」

 井口コーチは、朝早くから真美のために、食事を注文していた。


 朝食は日本食だ。しかも、真美の好みの料理が沢山あった。おそらく、井口コーチがホテルに特別に注文したのだろう。


 真美は、舌鼓したつづみをうち、料理を食べた。夕食をとってなかったため、ひときわ美味しく感じる。美味しいおかずが多いので、ご飯もすすむ。結局真美は、どんぶりで四杯もごはんを頬張った。



 今日は日差しが穏やかだ。吹く風が心地よく頬を撫でる。暑くもなく寒くもない。真美にとって、まさに走るための最良の日だ。


「今日は良いタイムをだせそうだ」

 真美は、予選の開始時間が待ち遠しかった。



 ロスアンゼルス・メモリアル・コロシアム。ここでは一九三二年と一九八四年に、オリンピックの開会式や閉会式と陸上競技が行われた場所である。現在はアメリカンフットボールで使用されており、NFLのロサンゼルス・ラムズとカレッジフットボールのUSCトロージャンズ(南カリフォルニア大学)の本拠地である。


 本日から開催されるアンダー20世界陸上競技選手権大会のために、コロシアムにはトラックが設置された。


 今日は真美にとって、女子三千メートル走の予選日である。十五時から始まる予選一組に真美は出場する。五位以内に入るか、全ての予選選手の中で十五位以内であれば、二日後の決勝戦に進むことができる。



(お父さん、私は走るよ。応援してね)

 真美は、父が残した言葉を思い出していた。


『真美、お前には誰よりも努力する才能がある。たとえ優勝できなくとも、その才能があるお前を、私は誇りに思う』


(お父さん、私は優勝するよ。そして、お父さんの遺影の前に金メダルを飾るね)

 真美は、亡き父に優勝を誓った。

 真美の父親は、二年前に交通事故で亡くなっていた。


 時間を止める能力を持っている真美だが、陸上競技のとき、真美はその能力を一切使わない。使わない理由は単純である。

『ズルして勝っても何も得るものが無い』

 一生懸命努力することに意義があると、真美は感じていた。そしてそれは、今は亡き真美の父親の教えでもあった。



 晴れた青空に心地良いそよ風が吹いている。


 まもなく十五時になる。女子三千メートル走の出場者がスタートラインに並んだ。


 予選一組の参加者は、みんな真美よりも身長が高い。特にアメリカ代表で優勝候補のルーシーは、身長が百九十センチもあり、真美と三十二センチも差があった。足の長さも二十センチ近く差がある。一緒に並ぶと、大人と子供のような違いである。


「ひゃー。こんなに足の長さが違うのは反則だよー。柔道みたいに体重別に分けてもらえないのかな」

 真美はボヤいたが、決まりは決まりである。


 隣にいたルーシーは、真美の言葉の意味が分からず、

「オー、キューティ・ジャパニーズ・ガール。グッドラック」と、笑顔を見せた。


 真美は、英語がわからず、「サンキュー」と、無邪気な笑顔を見せる。



 会場が静かになり、張り詰めた空気が漂う。そして、競技用ピストルからスタートを告げる号砲が鳴った。走者が一斉にスタートする。


 真美は、スタートダッシュをし、瞬く間にトップに躍り出た。


 彼女の走りは、先行逃げ切り型である。この速度を最後まで維持できれば、彼女の勝つ確率が高い。真美は、最後までこの速度を維持できる自信があった。

 それに対してルーシーは、追い込み型である。終盤まで力を蓄え、最後に一気に抜くのが彼女の必勝法だ。


 三千メートル走は、四百メートルトラックを七周半走る。時間にして約九分ほどだ。見ている人にとっては短い時間だが、苦しみに耐えて走っている選手にとっては、著しく長く感じられる時間である。


 最初の一周半が過ぎた。真美は、まだトップだった。だが、息が荒い。


 さすがに世界大会である。真美がスタートダッシュで走っても、他の選手は、真美の真後ろにピッタリと付いている。少しでも真美のスピードが落ちれば、直ぐに抜かれてしまうだろう。まさに、世界中の猛者たちがつどっている大会だ。


 二周半が過ぎた。あと五周だ。真美は全身が汗まみれだ。だが、かろうじて先頭をキープしている。他の選手は、相変わらず真美の後ろにピッタリ付いている。


 三周半が過ぎた。あと四周であるが、真美は息も絶え絶えだった。だが、持ち前の粘りで先頭をキープしていた。後続の選手は、真美の粘りに驚いた。


 普通の人間は、息を荒くして長時間走れるものではない。根性とか気力とかで最後まで走り続けるのは、映画や漫画の世界だけである。なぜならば、無理を続ければ足が痙攣し、間違いなく動かなくなる。


 四周半が過ぎた。あと三周となった。これで半分以上を走ったことになる。だが、相変わらず真美のスピードは落ちない。


 そのとき、アメリカ代表のルーシーが真美の真横に来た。次の直線で真美を追い抜くつもりである。

 トラックのカーブが終わり、直線になった。ルーシーが一挙に加速する。真美を抜こうとしている。


 しかし、ここで信じられないことが起こった。真美もスピードをアップしたのである。だからルーシーは、前に出ることができない。


 先行逃げ切り型の選手は、通常であれば、ゴール直前の最後の周を除き、最初の周よりも短い時間で後の周を走ることは無い。あるとすれば、最初の周を手抜きで走っていたことになる。


 今、まさに篠原真美は、最初の周よりも早く走っている。これは信じられないことだった。


 五周半が過ぎた。あと二周となった。


 先頭は変わらずに真美とルーシーだ。二人は、横一線に並んでいる。それ以外の走者は、二人よりもかなり後方に離されてしまった。


 先頭を走る二人では、真美が内側にいる分、外側を走るルーシーが不利である。なぜならば、トラックのカーブでルーシーは大回りをする必要がある。


 だが、ルーシーにとって、そんなことは気にも留めない。それ以前に、隣に並ぶ小さな少女を追い抜けないことのほうが信じられなかった。


 自分よりも三十二センチも背が低く、足の長さも二十センチ近く差がある日本の少女が、自分と対等に走っている。それは信じがたいことである。まさに奇跡だった。



 優勝候補のルーシーは、恵まれた体格にも慢心せず、毎日欠かさず熱心に練習してきた。


 人はルーシーを、『恵まれた体格だから速い』と言う。しかし、ルーシー自身は決してそう思っていない。


(私が速いのは身長でも足の長さでもない。毎日の練習の積み重ねの結果だ。私は人一倍練習してきた)

 ルーシーは、自分の練習量に自信があった。自分の努力する姿勢に誇りを持っていた。だからこそ…、だからこそ、小さな日本の少女が自分と対等に走っていること自体が信じられなかった。


(私と対等に走っているこの少女は、いったいどれほどの練習を、今までしてきたのだろうか? おそらく、私以上の練習をしてきたに違いない。血のにじむような練習を、泣き出したくなるような練習を、毎日毎日、地道に続けてきたはずだ)


 ルーシーは、隣を走る小さな日本の少女を尊敬した。そして今までの自分を反省した。


(私は恥ずかしい。今まで私は、誰よりも努力してきたと自負していた。しかし、それは間違いだった。私の自惚うぬぼれだった。間違いない。日本から来たこの少女は、私以上の努力家だ)


 ルーシーは真美の存在を知り、今日から練習量を増やすことを、自分自身に誓った。


 普通の人間は、『明日から頑張ろう』と誓う。だが、ルーシーはそうではない。今日から頑張るのだ。なぜならば、『明日から頑張ろう』という人の半分以上は、いざ明日になると頑張る気が失せてしまう。真剣な気持ちが醒めてしまう。ルーシーは、それを知っていた。だから、気持ちが変わらない今日のうちから頑張るのである。


 ルーシーは、人一倍真面目な努力家だった。



 足の歩幅は、真美よりもルーシーの方がはるかに長い。それに対して真美は、足の回転数でルーシーを凌いでいた。


 六周半が過ぎた、あとわずか一周である。

 ルーシーは、最後の力を振り絞った。さらに速度が上がる。

 信じられないことに、真美も、さらに速度を増した。まるで、体のどこかにターボエンジンでも積んでいるような走りだった。それほど凄いスピードの変化だった。


 ルーシーは恐怖した。


(この可愛い日本の少女は、本当に人間なのか? もしかして私は、幽霊かサイボーグと戦っているのではないのか?)


 真美の息継ぎは、異常なほどに不規則である。通常ならば、いつ倒れても不思議でない。そう思えるほど、真美の呼吸は荒かった。


 二人は、並んだまま疾走した。まるで疾風のような速さである。

 真美もルーシーも、最後の力を振り絞り、走った。二人とも、周りが見えない。目の前のラインだけが目に映っていた。



 トラックのカーブを過ぎ、最後の直線になった。二人の目にゴールのテープが見える。

 二人とも死に物狂いで走った。


やがて『プチッ』と、ゴールのテーブが切れた。二人同時の到着だ。

 真美は、ゴールと同時に倒れ込んだ。ルーシーも、同時に倒れ込んだ。


 真美とルーシーは、仰向けになりながら激しく息継ぎをしている。そのときルーシーは、手を動かし、真美の手を握った。


「えっ?」

 真美は驚き、ルーシーを見た。


 ルーシーは、激しく息継ぎをしながらも真美を見て、笑顔を見せた。

「ナイス ファイト」

 真美も、ルーシーの手を握り返し、笑顔を見せた。


 二人とも、持てる力を全て使い尽くした。後は結果を待つだけだ。



 順位はコンピュータによる判定となった。場内アナウンスにて、判定結果が出るまでしばらく時間がかかる旨の連絡があった。


 会場が一瞬、静まり返った。


 やがて、判定の結果、ルーシーの胸の方が早くゴールテープについていたことがわかった。真美の胸は、ルーシーよりも小さい。その差が勝敗を決めたのである。


「あはは。負けちゃった」

 真美は大の字になり、笑いながら涙を見せてつぶやいた。


「篠原、おめでとう。日本新記録だぞ」

 井口コーチが駆け寄り、真美を抱き起した。


「真美、おめでとう。日本新記録よ。素晴らしい記録だわ」

 佐々木かおりや他の選手も駆け寄り、真美を祝福した。


 だが、真美は日本新記録よりも、ルーシーに負けた事を悔しがった。


 真美が起き上がったとき、隣にいたルーシーが思わず真美に抱きついた。

「キューティ・ジャパニーズ・ガール。ユー・アー・グレート」


 真美は戸惑っている。真ん丸の瞳がキョトンとしている。


「真美、あなたのおかげで、私はこの記録を出せた。あなたがいなければ、この記録は生まれなかった」

 ルーシーは、英語で語り、真美に感謝した。


 だが、真美は意味がわからない。


「コングラッチュレーション(おめでとう)」

 それだけを笑顔で言った。


「篠原、ルーシーは、『あなたのおかげで、私はこの記録を出せた。あなたがいなければ、この記録は生まれなかった』といい、お前に感謝していたぞ」

 ルーシーが去った後、井口コーチが教えてくれた。


「えーっ。そうだったのかー」

 真美は、あのとき意味が分からず返事した自分を悔やんだ。


 すぐさま井口コーチの手を引っ張り、急いでルーシーを追いかけた。


「いた!」

 ルーシーはテレビ局のインタビュー中だったが、迷わずルーシーに抱きつき、

「私も、あなたの役に立ててうれしい。私も、あなたのおかげで日本新記録が出せた。決勝では頑張りましょう」

 真美は、ありったけの笑顔を見せた。


 井口コーチが申し訳なさそうな顔をして、通訳した。


 ルーシーは、インタビュー中の思わぬ乱入者に戸惑ったが、真美の無邪気な笑顔にあどけないまなざしを見て、それに井口コーチの説明を聞き、

「真美、決勝でも新記録を出すわよ」と、笑顔を見せた。そして、テレビ局の人に真美を紹介し、

「真美は私のライバルよ」と、真美を持ち上げた。



 ホテルに戻ると、部屋の電話が鳴った。

 受話器をとると、

「篠原真美さんに白井玲子さんから電話です」

 フロントの人がそう答えた。


「えっ?」

 真美は信じられなかった。白井玲子といえば、中学二年のときにオーストリアのウィーンへ転校した友達だ。その彼女が、どうしてロスアンゼルスの真美の滞在しているホテルを知っているのか、真美は不思議に思った。


 すぐに電話がつながった。


「真美、玲子よ。白井玲子。私のこと覚えている?」


「もちろん覚えているよ。久しぶりだね。元気?」


「もちろん元気だわ。それよりも、真美にお礼を言いたくて…。ありがとう。真美がキャッシュカードを取り戻してくれたおかげで、すごく助かったわ」


 真美は玲子が言っている意味がわからなかった。


「玲子、意味がわからないよ。そして、どうしてここに私がいるとがわかったの?」


「二日前に真美が、私のキャッシュカードを盗んだ犯人を捕まえてくれたでしょう? 犯人を捕まえた人にお礼が言いたくて、警察の人に尋ねたのよ。すると真美の名前が出てきたのよ。『篠原真美』だと警察の方が教えてくれたわ」

 玲子はすごく興奮しているようだ。そして続けて、

「それを聞いて、私、すごく驚いた。埼玉とウィーンに住んでいる二人が、今、二人ともロスアンゼルスにいるなんて。まるで、神様が導いたとしか思えない」


 玲子の説明を聞いて、ようやく真美は疑問が解けた。玲子のキャッシュカードを盗んだ犯人は、一昨日の夜に真美が捕まえた男だった。


「ところで、玲子もロスアンゼルスにいるの?」


「そうよ。ピアノ・リサイタルでロスアンゼルスに滞在中よ。私、真美に会いたい。今から会えるかしら?」


「もちろん大丈夫だよ」

 迷うことなく返事をし、それから真美は、玲子との待ち合わせ場所と時間を決めた。



 不思議なきっかけだった。

 一昨日の夜、真美がホテルを抜け出さなければ、真美は窃盗犯を捕まえることも無く、玲子と会う機会も無かった。あのときの真美の行動は、もちろん褒められたものではない。だが、結果として、多くの人から感謝され、玲子と会う機会ができた。


『まるで、神様が導いたとしか思えない』

 さっき玲子が言ったことを、真美は思い出した。

真美の一生懸命に走る姿はどうでしたか?


次は、真美の友達の白井玲子が奇跡を起こします。

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