「愛している」と嘘を吐き続けた男
◆◇◇◇子ども
「愛している」
それは残酷な言葉だった。
父はいつもその言葉で母を操っていた。
父と母は同じような家柄で、同じような価値観の持ち主だった。
ただ、父は母を顧みることはなかった。
父にとって母は便利な女だった。
母にとって幸せだったことは、父が暴力を振るわず、借金を作らず、他の女も作らなかったことだろう。
父は理想に生きていた。
理想の為に家のことは母に押し付けて生きていた。
母や私たちの約束を破って心を傷付けても平気な男だった。
そんな男なのだと母も諦めていた。
諦めながらも愛されたいと願って、「愛している」と言われれば何でも許してしまっていた。
父が屑なら、母は馬鹿な女だった。
家と子どもの世話を一人でおこない、愚痴を言う相手もいない母。
母は父の奴隷だった。
母は一人で苦しみ、泣いていた。
「あんな男とは離婚したほうがいい」と子どもである私たちが言っても、「それはできないわ。だって、あの人が『愛している』と言うの」と泣きそうな顔で言う。
母では埒が明かないので、父本人に言ってみれば、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして言葉を失くした。
開き直ったり、怒り出してくれたら、今頃、両親を離婚させていただろう。
しかし、視線を彷徨わせて言葉を探す父は親に見捨てられた子どものようで、父は父なりに母への想いがあるのだと知った。
当事者である母がいいと言うのだから、子どもが口を挟むことではない、と私たちは結論を出した。
◇◆◇◇妻
「愛している」
それは嫌な言葉だった。
夫となるダンテとは彼が十八の時に結婚した。女性は二十歳を過ぎれば行き遅れと言われても、十代で結婚する殿方は珍しい。余程、切羽詰まった状態でなければあり得ない結婚だ。
でも、それはダンテならあり得る話だ。彼は親が結婚相手を決めない限り結婚できない人物だった。
同じような家柄で、持参金もそこそこあり、彼の負担にならない性格の私が選ばれた。
顔は平凡でも、ダンテは男爵家の長男だ。次期男爵様は地位が低くとも、爵位が回ってこないだろう伯爵家以上の三男よりも優良物件であり、紳士階級の令嬢が嫁いだ後でも肩身の狭い思いをしなくていい貴族の階級である。よって、伯爵以上の高位貴族を親族とする令嬢から紳士階級の令嬢まで幅広い令嬢から狙われていた。
そこに条件の合う私が見つかって婚約者の座に納まったのだ。妬みや嫌がらせは結婚するまですごかった。
彼から愛されているなら、それに耐えることもできただろう。
けれど、ダンテは外出の約束をすっぽかすことなど当たり前だった。
勿論、私を愛しているなどということもない。
それにもかかわらず、会う度に「愛している」と言うのだ。
ひどい人。
ダンテにとって私や子どもたちはどんな意味があるのか、問いたいと思ったこともある。彼の仕事は世を良くすることであり、領民の生活を守り、男爵家を守ることにあって、私や子どもたちはおまけだ。
毎日、出かける時に「愛している」と言われなければ、耐えられなかっただろう。
三文小説にあるような甘いことは何もないのに、「愛している」とだけはよく言う。
「愛している」は私を宥める言葉。
私の敵意を挫く言葉。
ひどい言葉。
子どもたちを育てる時に困った時も、乳母や仲の良いご婦人仲間、彼の母、実家の母などの助言などでどうにかやってきた。
苦しい時も悲しい時も私一人で乗り越えてきた。
彼はいつだって大事なことがあるからと私に見向きもしない。
そんな彼が私にかける言葉は「大丈夫?」や「何かあった?」ではなく、「愛している」だ。
その言葉じゃないの。かけて欲しい言葉は、そんな言葉じゃないのよ。
それでも、ないよりは良くて。
「愛している」に慰められている。
お茶会で聞く殿方の悪い噂に比べれば、彼の欠点なんて小さなもの。
妻を支配し、物のように扱う夫に比べれば、彼は寛大な夫。それどころか、愛妻家のように「愛している」とまで言ってくれる夫だ。
年をとって隠居した彼は壊れたオルゴールのように「愛している」と日に何度も言う。
隠居する前から毎日一回は言っていたのだから、あまり変わらないような気もするが、甘い言葉の一つも囁いてくれない彼のことだ。「愛している」と何度も言ってくれるだけでも、良しとするべきなのかもしれない。
「愛している」
「愛している」
「愛している」
安売りされた愛の言葉。
寛大な夫の優しい嘘。
その優しい嘘が私たちの結婚を存続させている。
あまりにも言われるから、嘘だと知っていても信じてしまいそうな夫の嘘。
◇◇◆◇夫
「愛している」
それは便利な言葉だった。
婚約者で、後に妻となったオデットにはその言葉を何度も言った。
一緒に出掛ける約束を反故にした時。
彼女が怒った時。
彼女が表情を曇らせた時。
彼女が雰囲気に合わせて微笑みを浮かべている時。
彼女の視線から愛情が消える度に私はその言葉を言った。
たとえ、嘘であっても、「愛している」とさえ言えば、彼女の目に輝きが戻る。
そして、私は私のしたいことだけをできるようになる。
オデットは私にとって都合の良い女だった。
過度な要求もせず、私を煩わせない女だった。
私は自分の仕事にいくらでも没頭していられた。
子どもの教育も彼女に任せていれば良かった。私は子どもたちのお披露目と、娘たちの年頃になった時のエスコートだけしていれば良かった。あとは何もする必要がなかった。
私はしたいことをし、煩わしい雑事はすべて彼女がしてくれていた。
ただ一言、「愛している」と彼女に嘘を吐くだけで、そんな生活が許された。
いつまでも、そのままでいられると思っていた。
誰もが私に頼り、私は自分の仕事に誇らしさを感じていられると思っていた。
だが、年をとり、私も老いて世代交代が必要となった。ほとんど話したことがない息子たちに次代を託す時が来た。
その時から私は空っぽになってしまった。
私は傍にいるオデットに「愛している」と嘘を吐き続ける以外やることが何もなくなってしまった。
公園にある池を一緒に見ながら、「愛している」と嘘を吐けば、彼女は柔らかく微笑む。
それを見て私は「愛している」とは、とても都合が良い言葉だと思いながら、腕にかけられた彼女の手に手を重ねる。
その、とても長閑で、これまでと同じ風景に安心した。
◇◇◇◆子ども
「愛している」
それは最早、呪縛の言葉だ。
言っているほうも言われているほうもそう思い込まされる呪いの言葉。
私や兄弟たちが結婚してわかったことだが、愛妻家や新婚夫婦のようなわかりやすい空気はなくても、「愛している」と父は毎日のように言っている。
母を宥めるように。
父自身にそう思わせるように。
「愛している」と毎日言って出かける父。
それ以外の甘い言葉も仕草もない。
仕事を引退して母と連れ添って散歩している姿を見れば、誰もがおしどり夫婦だと思うだろう。決して、「愛している」と嘘を吐いて母を操っているとは思えない。