「では、好きな席に座るといい」
彼の声を合図に僕は自分の手でゆっくりと扉を開ける。
そこには以前と同じように
カウンターに立っている彼がいた。
「いらっしゃいま……
ああ、この前の!
傘を返しに来てくれたのかい?」
彼は僕の顔を見るなり、
僕のことを思い出してくれたようだ。
あれだけの関わりだったのに、
覚えてくれていたことがくすぐったく感じられる。
「はい。
この前はどうも、ありがとうございました。
それと、この店に入ってみたくなったので」
そう、本当に衝動的に来たくなった。
気恥ずかしくなって、視線を下げてみると、
彼の服装が前と異なっていたことに気づく。
先日はギャルソンの制服だったのに、
今日はワイシャツに黒のエプロンと
ジーンズという少しラフな格好をしている。
不思議な服装ではあるが、
サラリーマンが仕事帰りに
台所に立っているような感じだ。
しかし、
そんな格好をしていても格好良さを感じるのは、
美形故なのか。
僕がそんな考察、
という名の妄想を繰り広げているうちに
彼は飲み物とおしぼりを用意していた。
「カウンターとテーブル、どちらにするかい?」
不意に話しかけられようものなら、
反射的に身体がピクリと跳ね上がってしまう。
彼に見据えられると、
僕のくだらない妄想まで
見透かされるんじゃないかと内心焦っているからだ。
だから僕は彼の問いに答える際、
例のように視線を外して返事をする。
「じゃあ、カウンターで」
「では、好きな席に座るといい」




