傘は持ってない
ただそれでも、
彼の好意を無碍にするということはしたくなかった。
こんなにも物腰穏やかな対応をしてくれる人が
悪い人だとは思えないし、思いたくない。
悪人ほど善人面をしているというけれど、
悪意のようなものは微塵も感じられない。
どちらかというと、下心のようなものだ。
ただ僕にはリスクを負って、
彼の好意に甘えるという勇気ある
行為ができる人間ではないので、前者しかない。
「す、すみません。
遠慮しておき、ます」
声が震える、格好悪い。
どちらか二択じゃなく、
もう一つ選択肢があればなあ。
「そうか、すまない。
気を遣わせてしまったな」
彼の声音がしぼんでいる。
ふと見上げると寂しそうに
眉を落として笑う彼の顔が僕の目に刻み込まれた。
僕の方こそ、気を遣わせてしまってごめんなさい。
そんな顔をさせたかったわけではないのに、
綺麗な顔を歪めてしまった。
僕は何も返せなくて、再び地面とにらめっこを始める。
すると、いつの間にか彼がこの場を去っていた。
どうやら店の中へ戻っていったようだ。
この間にさっさと帰ってしまおうか。
そうした方がどちらにとってもい幸いだろう。
しかし、踵を返したとき、彼に呼び止められて。
僕は驚いて思わず振り返る。
彼はよかった、
とでも言う様ににっこりと笑みを浮かべ、
僕の所へ駆け寄ってくる。
そして手にしていた傘をそっと差し出した。
「これ使って。
君、傘は持ってないだろ?
返すのはいつでもいいから。
このまま濡れて帰ると、風邪引くぞ」
あぁ、また気を遣わせてしまった。
それに、バレていたんだな、恥ずかしい。
でも、心配してもらえて少し嬉しいや。
それにこれ以上、
彼の好意を無碍にしたくないから、僕の返事は――
「はい、ありがとうございます」
ちゃんと笑顔で答えられただろうか、
彼の笑顔には叶わないけれど、
笑顔には笑顔で応えたい。
傘を受け取り、彼にきちんと頭を下げる。
「さようなら」




