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主人公が目覚めるその前夜に


 ――11時間前――ノーヘルガラム森林――


 深々とした夜、辺り一面雪で覆われた森は静寂に身を包んでいた。

 雪晴れした夜空には無数の星々が凛とした星彩を放ち、藍紺の幕ような空を煌めきに彩る。


「……はぁ……はぁ……」


 凍えるような寒さの中、その冷気を直に触れていた鼻頭はすでに赤く腫れ上がり、脚を踏み鳴らす度に膝下まで積った雪が足先の感覚を奪っていく。

 男――ガストは、その雪を脚で鬱陶しげに踏み潰しては持ち上げ、真っ白な雪に足跡をつける。


 遠方の街の奴隷市まで商品用の奴隷を売り込みに出張していたガストだったが、帰る途中、思った以上に積もる雪に馬車をせき止められた関係で、一旦、運行を停止して様子を見ていたのだ。ある程度、風を凌げるこの寒い森の中で。

 

 そんな状況で、馬車を後ろで待機させて彼は何をしようとしているのか。

 その答えは、彼の数歩先にあった。


「なんだぁ、こいつ……?」


 ガストが見つけたのは、雪に埋まっている人だった。いや、もう既に人ではないのかもしれない。

 ガストは、歩く速度を上げ埋まっている何かに手を伸ばす。


「よっこいせっ!…と」


 相当長い間この寒さにさらされ続けたのか、持ち上げてみればその身体は思わず歯を食いしばる程に冷たい。

 

 少年だ。

 彼の目にはそのように映る。今は目を瞑っていて顔も青白い。身体は少し痩せている。

 体格からして10代半ばだとおもうが。.......それにしては少しばかり幼いように感じる。


「もう死んでるか……」


 風と雪に体温を奪われ、そのまま気を失う。後は死を待つだけ、典型的な凍死だ。

 なぜここに少年が、とは思わなかった。この時代、他人の悪意によって命を落とす輩は珍しくない。

 この少年も同じだろう。

 奴隷商を営んでいる由縁か、ガストは大して同情もせずそう答えを出した。


「ん、……この服はなんだ?」


 ガストは掴んでいる少年の衣服に目を向けた。

 見たことのない素材で出来た薄着だ。冷えきっていて所々に霜が付着している。

 取り敢えず少年から服を剥がすと、魔法を唱える。


「フレム」


 紅い陽光が瞬く間に手元の服を包み、暖かな波が凍りきった部分を溶かしていく。

 溶けた霜で服が多少濡れるが、魔法の効果で直ぐに乾く。傍らには半裸にされた少年が冷えきったまま、ぴくりともしない。

 

「ふん、得体のしれねぇ服だな。だが、かなりきめが細かい。貴族共に売り付ければ多少の金にはなるか……」


 この後に及んで、彼は少年ではなく羽織っていた肌着に目を向けていた。外道も良い処だが、知ったことではない。そう言いたげな表情で服を手に取っている。

 

「朝になるまで暇だしな。………ふむ、こいつの"中"も貰うか」


 今夜はどうせ動けない。なら出来ることをしよう。

 ガストは腰から作業用ナイフを取り出すと、悪いな、と何とも素っ気ない態度で動かない少年に謝罪した。

 そして――


 躊躇うことなく少年の肌に突き刺し、腹を縦に割いた。


 その瞬間、切った線を追うように赤い血が流れ出る。やがて溢れた鮮血は少年の腹を這うように広がり、積もる雪を真っ赤に染めた。

 

「おぉ……。結構良い色してるじゃねぇか。あの"狂った魔法使い"...涎垂らして欲しがるだろうな」


 少年の腹を両手で押し拡げ、内臓を血に濡れた指で撫でた。そこにはもう、人としての温かみは一切残っていない。ここまで浸透しているとかなり長い間雪に埋まっていたのが分かる。ひたすらに冷えた臓物ばかり。

 彼は慣れているのか、おびただしい量の出血に目もくれずに淡々と作業を続ける。

 生命活動を停止した心臓を肋骨の下から引き抜く。連なっている様々の菅を断ち切り、独立したそれをまじまじと眺め、ガストは満足そうに笑み深めた。

 その時、背後から声がかかった。


「オーナー、馬車を停めて独りで何をしてるんです?」


 首を向ければ、カンテラを手に持ち寒そうに肩を縮込める従業員――ヴェルサスが怪訝な表情でこちらを見ていた。その顔は、青年といった風な若々しさを感じさせる面持ちに澄んだな碧瞳。彼の表情にはおよそ、奴隷商の従業員に相応しくない、不適な歪さがあった。それほど、青年の雰囲気は場違いなものだった。

 カンテラから輝く炎がゆらゆらと不規則に靡き、周囲の雪や木々を淡い橙に染めている。

 どうやら、心配になって馬車から出てきたらしい。少し夢中になりすぎていた。

 

「ああ、悪い直ぐに戻る」

 

 ガストは立ち上がり、苦笑気味な表情で振り向く。カンテラの灯りが少し眩しく、思わず目を細めてしまった。

 血に染まった腕を振り上げ、ヴェルサスに向けて声をかけた。だが、それが不味かった。


「じゃあ、先に戻っていま……ひィッ――?」


 彼の持つカンテラの灯りが映してしまったのだ。

 無惨に腹を割かれ密に詰まった内臓を溢れさせた傷口。大量の血に染まった横たわる少年の死体を。

 結果。


「ぅ、うわあぁぁぁぁぁぁぁッ!?――――」


 静かな森に高らかな絶叫が乱響し、ディレイを掛けてこだました。

 総毛立ったヴェルサスは恐怖と吐き気に耐えられず、馬車へと全力疾走。途中、積もる雪に足を掬われ何度も顔を雪に埋めていたのは、仕方あるまい。

 

「おい待て――……ったく」


 ヴェルサスの発狂した様子を遠目に、ガストはため息を吐く。どうやら脅かしてしまったらしい。

 普通、様子を見にきたところに無惨な死体が転がっていれば、誰でも走り去っていった彼のように肝を抜かすと思うのだが、この男は少しばかり頭のネジが弛んでいるのか。

 青年の疾走によって舞い上がった雪が月明かりに照らされ、ガストを覆うように煌めく。


「さて、心臓も無事取れたことだしな。俺も馬車に戻るか……」


 ガストは少年から抜き取った心臓を腰に提げている物入れに収納すると、手から腕にかけて冷気に冷やされ冷凍しかけている血を魔法で()がす。

 血が接がれ、その下にある地肌が晒される。魔法では接がしきれなかった指先の血糊に関しては諦め、革製の手袋を嵌めた。

 ガストはここにはもう用はない、と少年から背を向け馬車に向けて足を踏み出した。


「じゃあな」


 最後に横たわる少年を肩越しに一瞥し、別れを告げようと手を振り上げる時だった。


 ――しゅる、しゅるるるるるるっ......


「…………あぁ?」

 

 おかしな現象だった。

 仰向けに横たわる少年の身体から煙が発生している。いや、正しくは少年の割かれた傷口から。

 ガストは自身の目を疑った。目の前で起きている光景は夢だと、幻だと言われた方がまだ信じることができただろう。

 しかし、現実に起きている奇妙な現象はこれだけではなかった。

 

「なっ……傷が…………?」

 

 その傷口が数瞬の間に再生されていく。まるで、時を巻き戻しているかのような、在るべきところへと次々に溺れた肉片が(おさ)まっていく。

 ガストは目の前で起こっている出来事に理解が追いつかない。


 ――なにが起きている……?


 額にぶわっと嫌な汗が噴き出すのが分かる。

 ガストは言葉に出来ない気味悪さを胸中へ押し込み、少年へ駆け寄った。

 起立したまま少年を上から覗き込む。煙は既に収まっていて脱がれた肌には傷の一つも存在しない。

 流れ出た血も、溢れ出た腸も、脂肪も筋組織も、何もかもが消えていた。

 その代わりに白皙(はくせき)とした、汚れを知らない柔肌が体を覆っていた。

 

「っ…………!」


 怖気が背筋を(はし)るのをガストは感じた。

 少年の肌は綺麗だった。

 しかしそれ故に、その下に隠れる異常性を見た彼は、まとわり付くようなドロリとした何かに嫌悪と寒気を禁じ得ない。

 彼はその場で少年に覆い被さると胸に耳を当てた。

 微かだが、規則性のある鼓動が聴こえてくる。


 ――心臓がある。


 ガストは、頭を離すと腰に提げている物入れに手を突っ込んだ。

 その中には、冷えて凍った心臓の感触がある。


「……っふ、……はは……っ」


 そういうことか。

 ガストは双眸を見開き、引き攣るように笑う。


「コイツ。――生きてやがるのか」


 ガストの目に映る少年は、瞳を閉じたまま動かない。

 眠る顔は、死に顔のそれと見分けがつかなかった。



 ☆



「……オーナー。その子……どうしたんですか?」


 馬車の荷台には座る男が2人。

 天幕の張られた荷台の中、奴隷が収監されていた空の檻が数台、奥の方で鳴りを潜めていた。


 ヴェルサスは頬を引き攣らせながらガストの運んで来た少年を指差す。

 青年の顔は若干青い。恐らく原因は、寒冷地に滞在した事によって血色が悪くなっただけではないと思われる。

 先程見た光景が尾を引いているのだろうか。

 ヴェルサスは眠る少年を気味悪そうに眺め、そのままガストへと視線を移した。


「この子、生きてるんですか……?」


 見たところ、ただ眠っているだけだが、明らかに違和感がある。

 ヴェルサスの声音には、言外にそう含んでいるように感じた。


「オ、オレがさっき見た時は、血だらけで腹が割けていた気がするんですけど……?」

「……気のせいだ」

「……え」


 さらりと嘘を(のたま)う主に怪訝の視線を向ける従業員。

 

「気のせいだ」


 さらに、追い打ちをかけるようにガストは同じ言葉を重ねて言う。その表情には有無を言わせない圧力があった。

 横になっている少年には、事前に睡眠系の魔法――スリープをかけている為、意識は夢の中だ。当分は目が覚めない。

 今は上裸でいて、少年の薄着はガストが既に窃取(せっしゅ)している。上下両方ひん剥いでも良かったが、流石にこの寒さの中で下着一枚の男の子を置いていくのは、ガストとしても精神的に寒く感じて止まないとのことで手を止めた。

 ――あくまでも自分本意にものを考えるところが、この男らしいが。

 は、はい……と、ヴェルサスは主の無言の圧力に堪えかね、押され気味に頷く。

 納得いかない表情を浮かべる部下に見かね、ガストは溜め息を一つ。

 魔法陣を(えが)く為の――彼の血を混ぜ合わせた――インクを注入した瓶を懐から取り出すと、蓋を指で押し開けた。

 ポン、と気の抜けた開蓋(かいがい)音と共に蓋が跳びだし荷台の床を転がる。

 おぼつかない様子で右往左往している瓶の蓋を目で追いながら、ガストは言う。


「まぁ、伝えておくが……コイツは商品にすることにした」

「はい?」


 一体何を言っているのか。

 ヴェルサスは疑いを隠そうともせずに眉を寄せる。予想の遥か上をいく主の考えが全く理解出来ない。

 

「だ、大丈夫なんですか……?見たところ、黒髪だし……極東の出身だと思いますけど。"訳あり"とかだったら不味くないですか?」


 ヴェルサスは、自身の胸中にある懸念を拭いきれない。おずおずとガストに問う。


 "訳あり奴隷"。

 本来、奴隷を商品として売り出すには保護者や本人の承諾が必要となる。身元不明な奴隷をそのまま売り出せば、購入する顧客はほとんどない。

 何故ならば。

 身元不明な奴隷は問題を抱えているケースが多いからだ。


 それらの総称を同業者達は"訳あり奴隷"と呼ぶのだ。

 訳あり奴隷に挙げられる例は複数ある。誘拐され、慰み者として扱われた後に売られる貴族の子女。酷使され続け、劣悪な環境に耐えきれなくなり所有者の手を離れた野良奴隷。等々。

 これらの訳あり奴隷を所有していれば、有事の際に――主に奴隷の保護者や本来の所有者に告発されるなど――所有者である者は責任を取らされる羽目になる。

 ――知らなかった。――自分は関係ない。そう哀願したところで結果は変わらない。待っているのは、高額な損害賠償金と借金に追われる惨苦な日々だけ。

 奴隷商を押し掛けようものならば、契約書にサインした、との一点張り。一切責任はこちらにない。そう笑顔で返されるだろう。


 これまで、多くの奴隷購入者がこの手の問題に巻き込まれ、後悔と悲哀で頬を濡らしてきたのだ。

 よって、他者は学ぶのだ。身元不明な奴隷には手を付けないようにしよう、と。

 ……それでも運が悪いと、質の悪い悪徳奴隷商に、訳あり奴隷を掴まされたりするのだが。

 

 その知識がある為に、潔癖なヴェルサスは思う。この少年も訳あり奴隷なのではないのかと。そう勘繰ってしまう。

 訳あり奴隷を平然と売っていれば、そのうち誰も寄り付かなくなる。奴隷を商品として扱う奴隷商にとって、客が来ないというのは生命線を断たれるようなものだ。

 ヴェルサスはその事を危惧しているのだ。


「ふん。……訳ありだろうが関係ねぇよ。売っちまえばこっちのもんだ。……それにこのガキに関しては、あの"狂った魔法使い"に高値で押し付けるつもりだしな」

 

 ガストは蓋の開いた瓶を覗きこむと、舌打ちを一つ。折角のインクがこの寒さで凍っていたのか、不機嫌そうに眉を寄せ、転がる蓋と共にヴェルサスへ放り投げた。

 宙を舞う瓶と蓋を器用に両手で掴み取ると、ヴェルサスはしっかりと瓶に蓋を閉じて、かわりに自身の携帯しているポーチから同じインクの入った瓶をガストに手渡す。

 ガストの手に瓶を載せると同時に、目を細めてはっきりと言う。


「……正気ですか?」


 ヴェルサスの懸念を含んだ声は、荷台の天幕を越えて静寂な森にまで通った。

 

 ――よりによって、町でも噂に聞くあの悪名高い”狂った魔法使い”に売り渡すとは。

 

 "狂った魔法使い"の噂を知れば、誰もその魔法使いとは関わりを持とうとはしないだろう。ヴェルサスもその例に洩れず、気味悪そうに肩を(すぼ)める。

 

「止めたほうがいいんじゃ……。あの魔法使いに売るのは、流石に……この少年には酷です」


 訥々(とつとつ)として声を放つヴェルサス。自身の胸中にある、少年に向ける憐れみや不安を吐露させながら俯く。どこか、後悔に似た感情を声音に滲ませて。


 それに対しガストといえば渡された瓶を手に、左右に揺すりながらインクの状態を確認していた。

 その表情から、全くもって気にしていない事が分かる。この男も噂を知っているはずだが、ヴェルサスの忠告にも靡くことはない。

 存外、噂を気にしない気質の持ち主なのかもしれない。


 ガストはインクに問題がないと分かると、自身の傍らにそっと置いた。

 深呼吸するように深く息を吐き出す。白息が勢い良く散った。

 いつの間に用意していたのか、葉巻をくわえると寒さで強張った体をこれでもかというほど脱力させる。

 厳しい目付きでこちらを見るヴェルサスを尻目に、檻の鉄格子部分に持たれかけると口内に含めた煙をゆっくりと吐き出し(くゆ)らせた紫煙を顔中に漂わせた。


「今さら善人ぶるなよ、ヴェルサス。お前も奴隷を売ってきた側だろうが。客を選り好みするのは良くないぜ?きっとバチが当たる。……それとも――」


 ガストは意地の悪い、黒い笑顔をヴェルサスに向けた。その目には嗜虐に満ちたものが宿っている。

 ヴェルサスは彼が何を言おうとしているのか警戒して、顔を強張らせた。


「――奴隷に身を()とした妹にこのガキを重ねてるのか?」


 笑っていた。


「……っ、別に妹は関係ないでしょう……」


 ヴェルサスは、内心沸々と沸き上がる怒りを自覚しながらも、あくまでも平静を装いそう返した。

 硬くなる声音に、能面のような無表情。ガストの思い通りにはならないとばかりに、憤る気持ちを上から蓋し抑える。

 

「ああ、そうだな。悪かった」


 明らかに白々しく、軽い謝罪。

 ガストの表情は、ヴェルサスの感情の変化を楽しんでいるように見える。

 彼の境遇を知っているにも関わらずのうのうと嘯くこの男は、ニタニタと粘つく笑みを隠そうともしない。

 主の反応に堪忍袋の尾がはち切れそうなヴェルサスは、即座に話題を変えた。


「オーナーがこの少年を商品にするのなら、それをオレに止める権利は有りません。あくまでも個人の意見なんで。――少し外へ見回りに行ってきます。……隷属用の魔法陣を埋め込むのなら、その瓶を使ってください」

 

 ヴェルサスは話を打ち切るようにそう言うと、天幕をくぐり抜け外へと出ていった。


 怒るなよ、と失笑気味に言うガスト。隙間の空いた天幕から入り込む冷気に、指先の葉巻の煙が撫でられ震えるように靡いた。

 

 




 ヴェルサスが見回りに外へ出てから、ガストは馬車の中で外の風音に耳を向けていた。


「……そろそろ、動くか」


 風が靡く音が収まると、ガストはそう息を吐いた。

 葉巻の煙を吐き出し気だるげに立ち上がり、座り続けていた事で凝り固まってしまった腰に手を当て軽く伸びる。

 適度に(ほぐ)れる感触に心地好さを感じながら程なくして止め、ヴェルサスから渡された瓶を掴み取ると、物入れの押し込んだ。


「それにしても、よく寝てんなぁ、コイツ」


 死んだように眠り続ける少年を一瞥するガスト。

 少年のその表情は、この寒さを感じていないのか、と思える程自然なもので、一瞬、本当に死んでいるのではないのか、と端無く思ってしまう。

 半裸の状態で横になる少年の胸元を注視すれば、うっすらと上下していることが分かる。大分緩やかに動いている事から、おそらく呼吸はかなり浅い。


「よっと」


 弛緩している少年を肩に担ぐようにして持ち上げ、天幕をもう片方の手で押し上げくぐり抜ける。その際、ガストは少年の身体が心なしか拾った当初より冷え込んではいない事に気づいた。

 ――本当、どんな珍妙な身体してんだコイツ……?

 ガストはこの奇妙な少年の生態に怪訝そうな目を向け、そしてすぐに考えても意味はないと溜め息を吐く。


 荷台から降りると、刺すような冷気がガスト達を迎えた。風が止む頃合いを見計らい外に出たガストだったが、それでも寒さには勝てず目を細める。


「それじゃあ、やるか……」


 少年を雪に上にうつ伏せに落とすように置く。ざぶ、と雪が潰され乾いた音がした。

 糸を切られて動かなくなった人形のように不恰好なまま突っ伏す少年に屈み寄ると、滑らかな窪みをつくる肩甲骨の辺りに触れ、魔法陣の当りをつける。



「この辺だな」


 魔法陣を埋め込む位置を決め、腰のベルトに提げている物入れから瓶を取り出す。中にあるインクがタプン、と瓶の内側を黒く染めた。

 蓋を開けると瓶をゆっくりと傾けていき、背中の当りをつけた部分にインクを垂らしていく。

 インクは少年の肩甲骨を流れ、波紋が広がるように光沢のある黒が白肌を徐々に(けが)していった。やがて浅い窪みに沈み、少年の背中を満遍(まんべん)なく染める。

 ガストは次に、はめていた革手袋を外し剥き身の作業用ナイフを素の指先に押しあてると、軽く傷をつける。赤黒い血が傷口から膨らむように溢れ、下に向けた指先を伝い少年の背中に雫を落とした。

 血が混ざり黒々としている背中に切り傷を押し当てるようにして指先で触れると、ガストは目を瞑った。

 魔力制御に集中する為か、意識を研ぎ澄ましているらしい。そのまま深く息を吸い込む。

 ━━そして詠唱。


「"リスレイン"」


 刹那、指先を中心に少年の背中に紅い光が迸った。

 黒に染まる少年の背中には、インクを燃料として凛々と輝く紅光。次第に円を形作り、その内縁には緻密な模様が浮かび上がる。

 そして最後には、転写されたように少年の白肌に収まった。

 隷属の魔方陣だ。

 その魔法陣━━奴隷特有の紅緋色の刻印━━が少年の背中に刻まれた。


「こんなものか……」


 ガストが指を離すと、少年の背中には大きな円を描いた魔法陣が広がっていた。

 紅々としたその刻印はこの夜の森でもはっきりと視認することでき、精彩で幾何学的な紋様は、少年の柔肌とは相反して異質な存在感を放つ。

 ガストは立ち上がると、さらに重複して少年に魔法を唱える。


「"サイレント"…………これで騒がれたとしても問題ねぇ」


 仕事を終え、満足げに一人頷くガスト。

 思わぬ臨時収入にほくそ笑むこの男は、売り先にどの値段で交渉するか楽しみなのか、未だに目覚めない少年を軽やかに担ぎ足早に馬車の荷台へと消えた。



 ☆



「はあ…………」


 それから暫くして、見回りに行っていたヴェルサスは、寒さに震えながら馬車の荷台へと入っていった。

 天幕をくぐると、大の字に眠るオーナーが盛大にくしゃみをしていた。

 奥には、同じく横に寝ている半裸姿の少年が、檻の中であちらを向いて縮こまっている。一応、身動ぎをとれる程度には回復したようだ。


 背中には大きく刻まれた魔法陣。

 思わずヴェルサスは眉を歪ませる。

 これから、この少年は奴隷として生きていくのだろう。

 そう思うと酷く胸が痛んだ。目に見えない膿が潰れグズグズになっていくような、そんな感覚。

 しかし、このまま憐憫に思い続けても、いつか潰れてしまうのはヴェルサスのほうだ。

 沈む思いを振り払い気分を入れ替え、少年に一歩近づく。

 屈んで格子越しに見てみると、ある違和感に気づいた。


「あれ、拘束されてない……?」


 万が一逃げられないように奴隷には拘束具をつけるのだが、目の前の少年は拘束されていない。

 そして、すぐにヴェルサスはその意図に気づき、ため息混じりにぼやいた。


「オレが拘束しろってことか……」


 相変わらず趣味の悪い。眠るガストに対し、恨むように視線を向けるヴェルサス。その気持ち良さそうな寝顔を見ると軽く苛立ちを覚える。

 はあ、とまた沈みかける気分を、ため息に乗せて吐き出す。 

 近くに錯雑(さくざつ)として放置されている拘束具達から、いくつか取り出すと、鉄格子と少年にそれぞれ装着していった。少年は反応する様子を見せずされるがままだ。

 全ての拘束具を少年につけ終えると、ヴェルサスはおもむろに立ち上がり、鉄格子を見据える。

 そして、小さく口を開いた。


「せめて、服くらい着せてやって下さいよ……」



 深々とした夜。月の明かりが静寂な森を仄かに照らしていた。


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