お仕事
私が畑に水やりをしていると急に後ろから声をかけられた。
ここに引っ越してから初めての来客である。
「ああ、いたいた。あなたには明後日の夜会に王妃として参加してもらう。分かっていると思うがこのことは他言無用だ。それと会場ではただ黙って座っておれば良い。分かったな。しかしこんな物まで私が運ばねばならぬとは・・・」
男は一気にまくし立てた後に小声で何か呟きながら私の前に大きな籠を置いた。
「・・・よくは分かりませんが、とにかく明後日の夜会に参加すれば良いのですね。とこれで「あなたからの質問に答えるつもりはない」」
男は私の言葉を遮りきびすを返して去って行った。
ところで、いきなりやって来てドレスや装飾品を置いていった男はいったい誰だったのでしょうか。
それに”王妃として”とはどういう意味だろうか
まあ、一応は末席だけどグランケルト王国の王位継承権も有している私はグランケルト王国の王族としての立場もあるからそちらでは無いという意味かな・・・
それはさておき、さっきの男は着ている服や言動から推測すると国王陛下の可能性がある。
あのがさつな言葉遣いで臣下ということはないだろう。
「明後日か・・・」
この国に来てから離宮の外での初めての仕事である。
ところでこのドレスは侍女がいなくても着ることが出来るのでしょうか?
ここに来るときに着ていたドレスは複雑な作りで、手伝ってもらわなければ着ることさえ出来なかったのだけれど・・・
取り敢えず一人で服を着られるようになることが最初の仕事のようだ。
二日が経ち、今日は夜会に参加する日である。
コルセットは紐を前で結ぶことで何とか対応したし、ドレスは肩紐や袖の無い物だったので前後を逆に着て締め紐を結んだ後でくるっと回して対応した。
チョットだけ緩んでいるような気もするけど、鏡で見た感じは違和感がないので問題ないだろう。
化粧はどうせベールで見えないのでしていない。
まあ化粧道具なんてここには無いし、やり方も分からないけど。
準備を終えて離宮で待っていると身なりの良い男が入ってきた。
「お初にお目にかかります。アフロディーテ・グランケルトにございます」
挨拶をすると男はしばらく無言で私を見る。
「う、うむ、なかなか堂に入っているでは無いか。だがアフロディーテは予の妃なのだからアフロディーテ・コルトだな」
「申し訳ございません」
言っている意味は分からないがとりあえず謝っておこう。
「よい、いきなりのことで難しいであろう事は理解している。今日は基本黙って頷いておけ、何か問われても曖昧に返事をしておけばよい。其方は私の隣に座っているだけでよいのだ。決して余計なことはせぬように」
難しい話は苦手なのでこれはありがたいことだ。
しかし、この国の高貴な人達は名乗らないのが基本なのだろうか?
先ほどの言葉から察するにこの人が国王陛下なのだろうけど、まさか”あなたはだれですか”なんてさすがに聞けないわね。
まあ、ベールのせいでお顔はほとんど見えてないし、どうせ覚えられないからいいか。
ところで前回来た男と声や体型が違う。
つまり前回の男は口が悪いだけの臣下だったようだ。
いや、国王陛下以外の王族であった可能性もあるのか・・・
私は思考を巡らせながら国王陛下と思われる人物にエスコートされて会場へと向う。
会場への道は室内のように魔力灯の明かりがあるわけではないので、ベールで見えにくい視界は漆黒の暗闇と化していた。
私は転ばないように彼の腕にギュッとしがみついた。
彼は一瞬驚いたようにビクッとしたがその後は何事もないかのように私をエスコートしてくれた。
夜会の会場に入ると貴族達がざわめいた。
私はプロポーションだけはよいのでベールで顔を隠している今は周囲から美人であるかのように見えているのだろう。
ベールの力、恐るべし。
皆さんの脳内では黒のベールの下にある美しい顔を夢想でもしているのでしょうか。
予定通りに壇上の席に着き、私はだだ黙ったまま貴族達から挨拶を受ける。
「オルケスの地を預かりますビブラン・バルシモンと申します」
その言葉に私は軽く頷いて応える。
本来なら相手の顔と名前を覚えなければならないと思うのだが、何せベールのせいでほとんどなにも見えない。
さっきの人も辛うじて太っていたのが分かったくらいだ。
まあ見えていたとしても覚えられないとは思うけど。
そんなことよりも周囲から漂ってくる美味しそうな臭いの方が気になる。
お腹が鳴ったらどうしましょうか?
こうしてこの日の夜会は料理の臭いを味わうだけで終わった。