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うちの執事(セバスチャン)が無能すぎる2  作者: 原雷火
チェスは乙女のたしなみですわ
5/11

とんでもない怪物でしたのね


「セバスチャン! 今までどこに行っていましたの?」


「大変広いお屋敷で、少々迷子になっておりました。それよりなぜお嬢様がジュリアン様と? ああ、なるほど。盤面を遡れば……ふむふむ、途中でウィリアム様からジュリアン様に交代なさったのですね」


戻ってくるなりチェス盤の戦況を一目見ただけで、セバスチャンは把握してしまいましたわ。


というか、周囲の空気や雰囲気で事情くらいは察せますわよね。


「ではお嬢様。あちらも交代したことですし、この先は私が打ちましょう。執事たるもの、お嬢様の戦績にこのような形で黒星を残すわけにはまいりません」


セバスチャンがウィリアムをチラリと見ましたわ。ウィリアムは「今さらどうにもなるまい。好きにしたらいい」と、笑い飛ばしましたの。


ムムムキィ! なんだか悔しいですわね。


「最後まで打たせてほしいのだけれど……この敗北もわたくしの糧になりますわ」


「不条理に押しつけられたそれは、糧ではなく毒に違いありませんよお嬢様。私は悪食ですから、その毒も皿ごと平らげてみせましょう」


「ですけれど……」


「勝つつもりで戦って負けたならいざ知らず、勝ち筋も見えないまま、闇雲に戦うことは経験にはなりません。勝つことを諦めた時点で勝負は負けなのです」


思えばジュリアンが出てきた時から、わたくしも“勝てるわけが無い”と自分に言い訳をしていた感じがしますわね。


「ジュリアン様にはまた別の機会に、正しい手筋を指導していただければよろしいのではありませか?」


ジュリアンは申し訳なさそうな顔で、セバスチャンの提案を否定も肯定もしませんでしたわ。よっぽどウィリアムが怖いみたいですわね。


「さあお嬢様。この場は私にすべてお任せください」


「し、仕方ありませんわね。セバスチャンがそこまで言うのなら……」


とっても悔しいですけれど、わたくしは席を離れましたわ。


ああもう……セバスチャンはわたくしの代わりに敗北の辛酸と苦渋を舐めるつもりですのね。


妙なのところで優しくて……どうしてこんなに胸がドキドキしてしまうのかしら。

け、決してこの気持ちは恋とかそういうものではありませんわよ!

わたくしがドギマギしている間に、セバスチャンとジュリアンの盤上の戦いが始まりましたわ。


ああもう、セバスチャンったら定跡無視も良いところですわね。ジュリアンが一手打つと、即座に自軍の駒を動かして、きっとなにも考えていないのだわ。


早く負けて早く帰ろうというつもりみたい。


なのに、不思議とジュリアンの手が攻め辛そうに見えますわね。


セバスチャンが自由奔放に駒を操って、ジュリアンの選択肢が次々と無くなって……あ、あら? 形勢が五分五分に戻ってますわ。


ウィリアムの顔から笑顔が消えて、ジュリアンは頭を手櫛でかきむしっていますの。


ギャラリーたちも言葉を失って、わたくしもなにが起こっているのかわからず混乱しっぱなしですわ。


きっとセバスチャンがデタラメすぎて、ジュリアンは混乱して自爆してしまったのですわね。


ジュリアンの“千里眼”の読みを、さらに先読みしてるみたいに、セバスチャンが乱雑に動かした駒のすべてが機能して……。


セバスチャンの動かした騎士ナイトがジュリアンのキングにランスの先端を突きつけましたわ。


偶然って恐ろしいですわね。


「おや、これはたしか……チェックメイトというものですよねお嬢様?」


自分でもなにをしていたのかセバスチャンはわかってないみたいですわ。


ジュリアンはその場で頭を抱え、ウィリアムはへなへなと腰砕けになって床に尻餅をついてしまいましたの。


ジュリアンはずっと「なぜだ……こんなこと……ありえない」と、熱に浮かされたみたいにブツブツ呟いていますわ。


当然ですわね。セバスチャンの駒の不可解な動きは、どんな定跡にも当てはまりませんもの。


ウィリアムが椅子にすがりつくようにして、よろけ気味に立ち上がりましたわ。


「な、なんじゃこの手筋は……おいジュリアン! どうなっておる! ああ……もうこいつはだめじゃな……クソッ」


耳元でがなり立てられてもジュリアンはピクリともしませんわね。頭の中は、セバスチャンとの戦いの棋譜でいっぱいみたい。呆けたような顔で、金魚みたいに口をパクパクとさえて……整った顔がもはや別人ですわ。


そんな中、セバスチャンは席を立つとウィリアムに言いましたの。


「では、私の勝利は我が主であらせられるお嬢様の勝利に他なりませんので、敗北を認めていただけますね?」


嫌味ったらしくニコリと微笑むセバスチャン。ちょっぴりですけど、スカッとした良い気分ですわね。


さしものウィリアムも返す言葉は無いでしょうし。


と、思いましたら――


「セバスチャンと言ったな。気に入ったぞ! どうだワシのところで働かぬか? 給料なら今もらっている額の五倍……いや十倍だそう!」


そ、それは困りますわ。ハラハラしながらわたくしがセバスチャンの顔を見つめると、セバスチャンはそっと首を左右に降りましたの。


「私の主はお嬢様ただお一人です。他の方にお仕えするくらいでしたら、私はこの天職とも言える執事の仕事を辞する覚悟です。申し訳ございませんウィリアム様」


ウィリアムったら自分の髭を千切れるくらいに引っ張って「ぐぬぬ……!」ですって。


ハァ……良かったですわ。けれど、セバスチャンったらもったいないことをしましたわね。


それだけお給料をもらえたら、生ハムだって食べ放題ですのに。


わたくしは小さく会釈をして告げましたわ。


「では、わたくしたちはこれにて失礼いたしますわね」


セバスチャンを引き連れて出ていこうとすると、ウィリアムが慌ててわたくしを引き留めましたの。


「ままま待つのじゃ! そうじゃ賞金をくれてやろう! じゃからまた参加してはくれぬか? いや、お嬢さんが嫌というなら執事の貴様だけでいい!」


そういえば、勝ったら賞金をいただける約束でしたけど……。


「お断りいたしますわ。帰りますわよセバスチャン」


「はい。ご主人様」


未練がましいウィリアムを袖にして、わたくしたちは館を後にしましたわ。



手頃な乗り合い馬車が無かったから、橋を歩いて渡りましたの。ちょうどお昼時でお腹も空いてきた頃合いですわね。


街並みを遠目に眺めながら、セバスチャンはぽつりと漏らしましたわ。


「お嬢様、賞金を受け取ってもよろしかったのではありませんか?」


「嫌ですわよ。ウィリアムとは金輪際関わり合いになりたくありませんし……わたくし、チェスには自信がありましたけれど、ジュリアンにあんなにコテンパンにされてしまいましたもの。負けて賞金だけもらって帰ろうなんて、都合の良いことは言えませんわ」


「お嬢様の気高さ……このセバスチャン感服いたしました。優しく気高く美しいお嬢様こそ至高の存在に他なりません。お側にいさせていただくだけで、幸せの極みでございます」


カアアアアアっと顔が熱くなりましたわ。


聞いているこちらが恥ずかしくなるようなことを、この執事は真顔で言いますのね。橋の上に他の誰もいなかったのが救いですわね。


橋を渡りきるとすぐにそばに市場通りがありましたの。


「馬車に乗る前に昼食の食材を買っていきましょう。一本まるごととはいきませんけれど、生ハムでパスタなんてどうかしら?」


セバスチャンが瞳を満月のようにして嬉しそうに笑う。


「ああ、なんとお優しい。お嬢様のお気持ちだけで胸がいっぱいです。そのうえ美味しい料理でお腹まで満たされるとなれば、私も執事冥利に尽きます」


本当にどこからその台詞が浮かんでくるのかしら?


けど、ちょっぴり気分がいいので、パスタに使う生ハムは少しだけ高級なものにしてあげますわね。



月曜日の朝刊の一面に、とある貴族のスクープ記事が載っていましたわ。


「あら……ウィリアム・ゴドウィン逮捕ですって?」


記事にはウィリアムが若者を集めてチェス大会をしていたことと、その大会で実力のある若者を厳選して、賭けチェスをしていたことが書かれていましたわ。


ウィリアムは大金を賭け、若者は命を賭けさせられていたそうですの。


けれど、大金を手にした若者はいなかったようですわね。負けそうになるとウィリアムは仮面の用心棒と交代して、どんな劣勢からも逆転してしまうのだとか。


逮捕の決め手となった証拠は棋譜だそうですけれど、どういった経緯で事件が発覚したのかまでは、記事には書かれていませんわね。


どうして事件が発覚したのかしら? 証拠の品があったとしても、それを忍び込んで持ち出した誰かが……もしかしたら、ジュリアンかもしれませんわね。良心の呵責に耐えきれなくなったのかも。


「ウィリアムは心の歪んだ方と思いましたけど、とんでもない怪物でしたのね」


ウィリアムと関わり合うのが、表向きのチェス大会だけで済んで本当に良かったですわ。


他にめぼしい記事もないので、今日も朝刊をくるっとまとめて棒状にすると、ぐっすり眠りこけているセバスチャンを叩き起こしてあげましたわ。


「起きなさいセバスチャン。あなたときたらデタラメさだけは一流で、運では勝てないチェスでプロを負かせてしまいましたけど、あのような幸運は人生に一度きりですわよ。本来のチェスの腕前はまだまだなのだから、朝食の後でわたくしが鍛えてさしあげますわ」


ナイトキャップを目深にかぶって、テディベアをぎゅーっと抱きしめながらセバスチャンは呟きましたの。


「私は執事として超一流にして有能です。そのうえチェスまで打てるようになっては世界中の執事たちの嫉妬を集めてしまいかねません。ご遠慮させていただきます。では、おやすみなさい」


パンパンパン! とわたくしはセバスチャンの額を新聞紙の棒でお仕置きしてあげましたわ。

まったく、いつものことですけれど、本当に困った執事ですわね。


チェスを教えるよりも前に、まずは早起きの仕方と紅茶の淹れ方を覚えてもらった方がいいのかもしれませんわね。

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