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うちの執事(セバスチャン)が無能すぎる2  作者: 原雷火
チェスは乙女のたしなみですわ
4/11

それはあんまりですわ

談話室に招かれて、わたくしはテーブルに着きましたわ。


真っ白な壁紙が一面に貼られた部屋には、金細工の施された黒いピアノ調のキャビネットや、貝殻を磨いて作ったランプといった、豪勢な調度品が並んでいますわね。


壁には大きな絵画が掛けられていますけれど、題材はどれも天使と悪魔。


白と黒を基調とした部屋の真ん中で、チェス盤を挟んでわたくしはウィリアムと対峙しましたの。


ウィリアムの脇にはプロ棋士のジュリアンが控えていて、わたくしのそばには同じようにセバスチャンが立ちましたわ。


他の参加者たちがそれを囲んで観戦する格好ですわね。ギャラリーを背負って打つのは初めてだから、ちょっと緊張。


ウィリアムが左右の手に白と黒の駒を一つずつ握り込みましたわ。わたくしが左手を選ぶと……白の駒が出ましたの。


ウィリアムが駒を盤面に戻して髭をさすって一言。


「どうやら先番はワシじゃな」


有利な先攻を取られてしまいましたけど、そこは技術でカバーですわね。


けれど、本当に通用しますのかしら? 相手はなかなかに老獪そうですし、なによりプロの手ほどきを受けていますもの。


なんだか緊張してきましたわね。


ジュリアンがテーブルの上に対局時計を置いて、優しくて穏やかな口振りで言いましたわ。


「ルールは基本的に王都の公式ルールとなります。この砂時計の砂が落ちるまでに一手を指してください。時間切れは即敗北となりますのでご注意を」


対局時計は特別製で、砂時計が四つ組み込まれていて、手番が終わってボタンを押すと、新しい砂時計に切り替わる仕組みになっていますの。一手を五分以内に指さないとベルが鳴るなんて凝っていますこと。


ジュリアンはこう締めくくりましたわ。


「なお、今回は特別に引き分けの際には、不利な後番の勝利とさせていただきます」

ウィリアムは「ふむ……お嬢さんが相手じゃし、それくらいのハンデはやらんとな。お嬢さんが勝ったら、大会の優勝賞金と同額を出そう」と余裕の笑みを浮かべましたわ。

うう、ますます指先が緊張で震えてきますわね。


先程からセバスチャンときたら、ずっとだんまりですし……こんな時くらい、もうちょっと応援してくれてもいいのに。


「セバスチャン? わたくしに掛ける言葉の一つも持ち合わせていませんの?」


セバスチャンは目を細めて「おや、お嬢様が弱気だなんてらしくもありません。ここは一つ、ウィリアム様にどーんと胸を貸すつもりでよろしいのではないでしょうか?」


「淑女に胸を貸すという言い方は、いささか……ど、どうかと思いましてよ!」


つい、ちょっとだけ声が大きくなってしまったけれど、セバスチャンのいつもの調子にあてられたら、なんだか少しだけ緊張が解けた気分。


ジュリアンが「では、始めましょう」と砂時計を返しましたわ。


サラサラと対局時計の砂が落ち始めて、ウィリアムの指先が黒の兵士ポーンを掴んで進軍してきましたわ。


わたくしも応手しましたの。序盤は定跡セオリー通りですわね。


序盤は静かな立ち上がりで、お互いに様子を見るような雰囲気ですわね。


十手ほど進んだところで、ウィリアムの手が止まりましたは。砂時計に残った時間を使って考えてるみたいですわね。まだ、そこまで複雑な盤面ではないのに……どうしたのかしら?


と、思っていたら、急に吐息が耳にかかって、身体がビクンっとなってしまいましたわ。


セバスチャンが突然、わたくしに耳打ちしましたの。


「お嬢様。お花を摘んでまいります」


「い、いけませんわセバスチャン。対局中にプレイヤーの耳元で囁くなんて、あらぬ誤解を招きましてよ?」


「はて、お嬢様の足下にも及ばない私にはアドバイスのしようなどありません」


わたくしはウィリアムとジュリアンに頭を下げましたわ。


「対局中の非礼をお詫びいたします」


ジュリアンはわたくしではなく、セバスチャンを睨みましたわ。


「勝負の最中にそういったことはやめてもらいたい」


セバスチャンがラピスラズリ色の瞳でジュリアンを見つめ返す。


「これは大変失礼いたしました」


セバスチャンに動じる様子は一切ありませんわね。咎めたジュリアンの方が面食らっているみたい。


ウィリアムが駒をつまみ上げましたわ。


「公式大会でもあるまいし、良いではないかジュリアン。相談大いにけっこう。ここはワシの館じゃからな。ハウスルールということで認めようじゃないか」


わたくしの手番になったので、駒を動かしながら返しましたわ。


「お気遣いありがとうございます。けれど、セバスチャンはチェスを覚えたての素人ですの。相談相手は務まりませんわ」


わたくしの一手にウィリアムはまた、考えこんでしまいましたわ。


あら? もしかしてわたくし、優位を築きつつあるのかも。


まだ相手の出方次第でどう転ぶか解りませんけれど、あっさり勝ててしまいそうですわ。


「セバスチャン。もしわたくしが勝つことができたら……セバスチャン?」


振り返ると、普段はいつもわたくしの影のようにぴったり付き従っている、長身イケメンの姿が忽然と消えていましたの。


よっぽど我慢できなかったみたいですわね。ここからわたくしの攻勢が始まりますのに、それを見ないなんて……はぁ、まったくトイレくらい事前に済ませて欲しいですわね。





ウィリアムが一手を指すまでに砂時計の砂をぎりぎりまで使っていますけれど、わたくしは一分もあれば素敵な応手を思いつきますわ。


戦いも中盤。わたくしがじわじわと黒の軍勢を包囲しつつありますわね。


「ぐぬぬ……可愛がってやろうと思ったんじゃが見た目に騙されたわい」


悔しそうにウィリアムは言うと、突然席から立ち上がりましたの。


対局時計を止めてウィリアムは続けましたわ。


「こ、交代じゃ!」


わたくしは思わず耳を疑って聞き返してしまいましたの。


「交代とはどういうことかしら?」


「じゃから打ち手を交代するのじゃ! ジュリアン……代われ」


立会人を務めていたジュリアンが、眉尻を下げてすっかり困り顔ですわ。イケメンが形無しですわね。


「ウィリアム様……途中交代というのは問題があるかと」


「このままでは負けてしまうではないか! 大会の賞金など端た金じゃが、ワシが何よりも負けるのが嫌いじゃということは解っておろうに!」


まあ、なんてとんでもないことを言うのかしら。紳士の顔は仮面でしたのね。同じチェスの打ち手として残念ですわ。


ジュリアンの悲しげな目に、つい、同情してしまいますわね。


悲嘆に暮れるジュリアンにウィリアムは「なんじゃ……ワシの言うことが聞けぬと申すか?」って、小悪党じみた口振りで迫りましたの。


ジュリアンは小さく頷くと、しぶしぶ席に着きましたわ。


「わかりました」


ウィリアムは満足そう。先ほどまでの余裕の表情に戻りましたわ。


「という訳じゃから、お嬢さん。キャスリングでワシというキングとジュリアンというルークの位置を交換させてもらうぞ」


ジュリアンは逆らえないみたいですけれど、承服しかねますわ。


「それはあんまりですわ。最後まで打たずに逃げるだなんて……棋士は敗北の経験を糧に強くなっていくものですわよ」


お父様の口癖が乗り移ってしまいましたわね。けど、これで説得できるような相手なら、最初からこのような卑劣な真似はしませんもの。


ウィリアムは「この館ではワシがルールブックじゃ。そもそも先に相談するような素振りを見せたのはそちらではないか? ワシは寛大にもそれを許してやったろうに。嫌ならそちらの負けじゃな?」って、横暴にもほどがありましてよ。


ギャラリーも黙認の構えのようですし、わたくしってば完全にアウェーですわね。


わたくしは振り返って聞きましたの。


「セバスチャンもなにか言っておやりな……ハァ……慣れない館で迷子かしら」


いったいどこまでお花を摘みにいってしまったのかしら。


前を向くとジュリアンが対局時計の砂を落とし始めましたわ。


「申し訳ありませんがお嬢さん……すぐに楽にしてあげますから」


柔和な表情が引き締まってジュリアンの眼光が鋭くなりましたわ。


盤面はわたくしが有利ですけれど“千里眼”の異名を持つプロを相手にするには、ハンデが足りませんわね。





あっという間に形勢をひっくり返されてしまいましたわ。


ウィリアムは終始、下品に口元を緩ませっぱなしで醜悪な怪物に見えてきますわね。

ジュリアンの一手一手が、薄衣を剥がしていくようにわたくしの防衛陣地を切り取っていきますの。


必死に抗ってはみたものの、実力差は歴然ですわ。時計の砂はもう三分の一も残っていませんけれど、次の一手を間違えれば……たぶん一気に決められてしまいますわね。


ジュリアンはわたくしに言いますの。


「お若いのに中々の腕前ですね。お嬢さん……悪い事は言いませんから、もうこの館に足を踏み入れてはいけません」


「まだ勝負は決まっていませんわ」


威勢良く言い返してやると、ジュリアンの後ろでウィリアムが手を叩いて「いやぁ愉快愉快!」と大喜び。確かに、二度とこんなところでチェスを打つのは御免ですわね。


ただ、途中からとはいえプロの方と打ち合えたのだけは良かったですけど。


残りの砂が落ちきる寸前で、わたくしは女王クイーンに手を伸ばしましたの。


「おや、お嬢様が動くことなどございません。ここは騎士たる私の出番でしょう」


突然、頭上から聞き慣れた声が降ってきましたわ。


椅子に座ったわたくしの頭越しに、長身の青年が腕を伸ばして騎士ナイトを適当に動かしてしまいましたの。


ああもう! また勝手に……けど、心細かったのが嘘みたいに、わたくしの心は落ち着きを取り戻してましたわ。

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