わかりましたわ。ではお相手いたしますわね
あるお昼過ぎ――
セバスチャンにお掃除をお願いすると、前より散らかってしまうこともしばしばですの。
今日も朝からリビングの掃き掃除をしていると……。
「あら? なにかしら?」
ソファーの下から小さな丸いお皿? が出てきましたわ。
真っ白で手にしてみるとひんやりしていて、陶器でできているみたい。ドールハウスのティーカップのソーサーかしら。
ただ、お皿というには真っ平らすぎますわね。真っ白ですけど両面に紋章が刻印されていますし、いったいなにかしら?
「おや、お嬢様。それをどこで手に入れられたのですか?」
艶のある黒髪を軽く手櫛でかきあげて、あくび混じりにわが家の執事がリビングにやってきましたの。
「この白い小さな陶器に心当たりがありますのねセバスチャン?」
ラピスラズリ色の瞳でじっと見つめると、セバスチャンは「もちろんですともお嬢様」と恭しく一礼しましたわ。
「まさかセバスチャンにドールハウスの趣味があるとは思いませんでしたわ。意外に乙女ですのね」
「なにを誤解されているのですか? そちらはとあるカジノのチップにございます」
「あら、そうでしたの……って、まさかセバスチャンあなた、ギャンブルをなさいますの?」
わたくしのお父様も嗜む程度でしたけれど、カジノには行っていましたわ。貴族の社交場で勝った負けたというよりは、ルーレットやカードといった遊戯に興じながら、お仕事のお話をするそうですけれど。
そういえば、まだ幼かったこともあってカジノには一度も連れて行ってもらったことがありませんでしたわね。
カジノというものはとてもきらびやかで、眠らない不夜城だとか。
べ、別に賭け事に興味があるわけではありませんけれど、見聞を広めるには一度くらい中をのぞいてみたいなんて思わないなんてことも……。
けど、それはそれとしてセバスチャンったら、掃除も洗濯もお料理も満足にできないうえに、カジノに入り浸りだなんて執事の風上にもおけませんわ。
わたくし、チップを突きつけて言ってあげましたの。
「どういうことですの!? ギャンブルだなんて!」
セバスチャンは眉尻を下げると言いましたわ。
「実は二千万ほど借金を作ってしまいまして」
こ、こ、このダメ執事! なんてことをしてくださいましたの!?
花の都で一年息災に暮らして晴れて自由の身になるはずでしたのに、これは由々しきことですわ。主人であるわたくしの管理責任を問われる事態でしてよ。
じっと見つめると、セバスチャンは表情を引き締めてこう言いましたの。
「お嬢様。冗談です。わが家の家計は本日も安泰にございます」
ムキイイイイ! やってくれましたわね。
「心臓が止まるかと思いましたわ! 普段の行いもあって、信じてしまいましてよ! もう! そういう真実味のある冗談はおよしになって! えい! えい! えい!」
ソファーの上にあったクッションを手にして、わたくしはセバスチャンをメッタ打ちにしてやりましたの。反省しているのか、セバスチャンもされるがままですわね。
本当にはた迷惑ですわ。けど……。
クッションを放り投げて、わたくしはじっとセバスチャンを見据えましたの。
「カジノのチップが、どうしてわが家のリビングのソファーから出て来たのかしら?」
セバスチャンは人差し指と親指で自分のあごを軽く挟んで頷きましたわ。
「実はそのカジノで一日だけアルバイトをすることになりまして、つきましてはお嬢様にお許しをいただければと思っていた次第です」
「そういう話は受ける前に相談なさい」
「申し訳ございません。なにぶん急なことでしたもので。というわけで休暇の申請をしたいのですがよろしいでしょうか?」
元々セバスチャンの執事としての仕事は半人前ですし、一方わたくしは独りでなんでもできますから、一日二日いなくても問題ありませんわ。
「仕方ありませんわね。先方にご迷惑をかけるのも気の毒ですし、よろしくてよ」
「流石お嬢様。人徳が溢れ出て後光が眩しく直視が困難にございます。ところでこの休暇の間、私の日給は出るのでしょうか? きっとお優しいお嬢様のことですから給金から天引きなどという無慈悲なことにはならないと願い、祈るばかりです」
有給休暇とは良い度胸してますわね。
わざとらしく目を細めるセバスチャンに、ちょっと仕返しがしてやりたいという気持ちがムクムクと膨らんできましたわ。
「そうですわね。有給休暇にしたいというのなら一つ条件がありますわ!」
「それはいったいどのような条件でしょうか?」
「わたくしをそのカジノに連れて行きなさい。あなたの仕事ぶりをきっちり監視してあげましてよ」
きっと仕事といってもセバスチャンに出来ることなんて、給仕係や雑用でしょうし。
……その雑用がこなせるかちょっと心配ですけれど、わたくしは存分にカジノ見学にいそしむことに決めましたわ。
※
月明かりが照らす夜――
かしこまった服装は苦手ですけれど、淡いブルーのドレスに身を包んで、客船のデッキから遠目に花の都の街明りを見つめていましたの。
ちょっと背中が開きすぎていてスースーしますわね。
揺れる波間に満月がクラゲみたいにふわふわ、ふわふわ。船酔いはしていませんけれど、なんだか海の上にいるのだと思うと不思議な気分。
わたくしは溜息交じりに、セバスチャンの用意した仮面をつけましたわ。いわゆる仮面舞踏会などで使われるもので、目元と素性を隠すものですわね。
といっても見知る人間が相手なら背格好で誰だか判別できてしまうでしょうけれど、この客船のカジノではつけるのが習わしなのだとか。
さっきはうっかりつけずに入ろうとして、黒服に止められてしまって……ちょっぴり気まずい思いをしましたけれど、これで準備は万全ですわね。
改めて、わたくしはデッキからカジノホールに入りましたわ。
今度は黒服に止められることもなく、すんなりいきましたわね。
ホールはまるで宮廷の鏡の間みたいにきらびやかで、テーブルがいくつも並んでカードやルーレットが盛況みたい。
それにしても、誰も彼もがホールの中では仮面をつけていますのね。給仕係もお酒を作るカウンターのバーテンダーも、揃いの黒い仮面をつけていますわ。
テーブルではタイを締めたディーラーが手際よくカードを配ったり、ルーレットを回して……あら?
ホール中央の一番大きなルーレット台で、わたくしに馴染みのある背格好の青年がルーレットを回していますわね。
仮面で隠していても、そのラピスラズリ色の瞳ですぐにわかってしまいましてよ。
ちょっと見に行ってみようかしら。
それにしても意外ですわね。セバスチャンったらカジノのディーラーが出来ただなんて。
背筋もピンとして中々様になってますし。
中央のルーレット台にはギャラリーが集まりつつありましたわ。なんとかルーレットが見える位置に陣取りましたけど、うふふ♪ セバスチャンったら集中していて、わたくしに気づいてないみたい。
こちらに視線の一つも向けないで、仕事に集中してますわね。
カアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
と、セバスチャンの手から放たれた小さな銀の玉が、ゆっくり回る赤と黒に分かたれた円盤の上を遡るように走っていきましたの。
賭けの参加者は二人しかいませんわ。その割にギャラリーが多いのは不思議ですわね。
痩せ気味で土気色をした顔の殿方と、恰幅も血色も良い殿方。
仮面をつけていても二人並ぶと、恰幅の良い殿方の顔色の良さがくっきり浮き彫りという感じがしますわ。
それぞれ赤や黒の枠に色とりどりのチップの山を築いていきますわね。
そういえばお父様がルーレットのルールについて話していたのを思い出しましたわ。
誰がどこに賭けたのか判るように、ルーレットのチップは色分けされているのだとか。
痩せ気味の殿方のチップは白。恰幅の良い方は青。まるで北半島のペルゴランの磁器みたいな色合いですわね。
そして――
「ノーモアベッツ」
セバスチャンが賭けを締め切りましたわ。こうなったらあとは運命の輪に己の幸運を委ねて待つしかありませんわね。
円盤の回転がゆっくりになり、銀の玉も遠心力を失って……最後に小さく跳ねるようにして止まると、赤の14番のポケットに収まりましたわ。
ワアアアアアアアアアアアアアアアッ!
と、ギャラリーが火に掛けたポットのお湯みたいに沸騰したけれど、この熱狂振りはどういうことかしら?
「か、勘弁してくれ! 頼む! 頼むから!」
黒の枠にチップを残さず賭けていた殿方が、台につっぷして頭を抱えていますわ。
その隣で恰幅の良い男が口元をいやらしくゆがめて嗤っていますけれど……この方の賭けた青のチップは赤の14番で小山を作ってましたの。ズバリ大当たりですわね。
「いやぁ……これで決着ですなぁ」
勝った恰幅の良い殿方がまあるいお腹をさすって言いましたわ。なんだか品が無くてあまり好きになれそうにないタイプですわね。
負けた細身の殿方は台につっぷしたままですわ。あら、口から泡を吐いて……すると黒服がやってきて、その殿方に肩を貸してどこかに連れていってしまいましたの。
別室で休ませるのかしら? 親切ですのね。
それにしても負けて気を失うなんて、よっぽど悔しかったのでしょうね。
恰幅の良い殿方はギャラリーに言いましたわ。
「さて、せっかくの一対一の相手がこれじゃあつまらん。どうだね誰か私の相手をしようという者は? 読みと駆け引きのカードと違ってルーレットは運否天賦の勝負じゃないか?」
誰も立候補する方はいらっしゃいませんわね。
「そちらのお嬢様はいかがでしょう? スリリングな一夜の夢に身を焦がしてみては?」
ギャラリーのざわめきの中でもハッキリ聞き取れる通った声でディーラーがわたくしに視線を向けましたわ。
「ほほぅ! これは麗しい! しかし初めてみる顔だが……いやいや失敬。ここで仮面をつけた以上は誰もが一期一会だったな。どうでしょうお嬢さん。一つ私と勝負しようじゃありませんか?」
恰幅の良い殿方は「ふぉっふぉっふぉ」と笑いましたわ。
それにしてもディーラー……というかセバスチャンったらどういうつもりかしら?
セバスチャンは小さく目配せをしてきましたわ。
あっ!
そういうことですのね。この客はきっとカジノの上客だから、誰かが相手をしないといけないと。
ディーラーも色々と大変ですのね。
「わかりましたわ。ではお相手いたしますわね」
「おー! 勇気あるお嬢さんだ。では一対一をしようじゃありませんか。互いのすべてをかけた青天井の勝負を! 途中で降りることのできない狂気の宴を!」
青天井? なにかしら? 降りるもなにも、わたくしチップは一枚しか持っていませんのに。
実はこっそり、セバスチャンから没収した白のチップを持ってきましたの。
見学とはいえ一度くらいは賭けてみたいですものね。
セバスチャンがコールしましたわ。
「プリーズユアベッツ」
このディーラーの宣言で賭けが始まりますわ。
そうですわね。どうせなら一番倍率が高そうなところにしましょう。
赤か黒か二分の一の確率では、当たっても増えるのは一枚ですし。
「わたくしはここにしますわ」
ルーレットには赤と黒ではないポケットがありますの。それが「0」の枠ですわ。
迷わずそこに一枚賭け。当たれば36倍の大穴狙いですわね。
セバスチャンが円盤を回して銀の玉をルーレットに放ちましたわ。
カアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
「なんとそう来るとは。では私はその隣の赤の32に同じく一枚ベットしようじゃないか」
青のチップが赤の32に置かれたところでセバスチャンから「ノーモアベッツ」の声がかかりましたの。
ちょっぴりドキドキしてきましたわね。
次第に銀の玉の走る勢いが弱まって、円盤もゆっくりと停止しましたわ。
カツン! と銀の玉は小さく跳ねて……その直後。
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
先ほどよりも大きな歓声がカジノホールに響き渡りましたわ。
銀の玉は……あらあら……0のポケットに収まりましたわね。途端に恰幅のよい殿方がディーラーを睨み
つけましたわ。
「き、貴様ッ!」
ディーラーは涼しい顔で恰幅の良い殿方にこう言いましたの。
「一対一の青天井ですので、途中下船はお控えくださいませお客様。では続けてプリーズユアベッツ」
どうしてセバスチャンを恰幅の良い殿方が睨んだのかしら?
ええと、そうですわね。ちょっと変な空気ですし、早く終わらせて今日はもう帰った方がよさそうですわ。
二度も同じアタリが来るなんて思えませんし、36枚のチップをわたくしは0の枠にベットしましたの。
「な、ならば私も同じだ!」
「お客様。一対一の特別ルールでは、先にベットしたお客様に優先権が与えられます」
あら、そんなルールでしたのね。
「ぐ、ぐぬぬ! う、うら……うらぎ……うぅ」
さっきまで血色も良くてつやつやした顔をした恰幅の良い殿方は、赤に賭けましたわ。
「ノーモアベッツ」
結果は……あら、また当たってしまいましたわ。36枚の36倍で1296枚。
みるみるうちに恰幅の良い殿方の顔が土気色になって、口から泡を吐いて倒れると黒服に連れて行かれてしまいましたわ。
それにしても偶然とはいえ、二度も0が出るなんて驚きましたわね。
一流のディーラーならある程度、出す目を狙えるとお父様は言っていましたけれど……セバスチャンですものね。
「わたくし充分に楽しませていただきましたから、これくらいにさせていただきますわ」
「勝ち分のチップはいかがなさいますかお客様?」
「そうですわね。王都の孤児院に寄付でもなさってくださいませ」
「ではそのように」
もとよりわたくしは一銭も払っておりませんし、これ以上賭け事を続けても、負けてあんな土気色の顔をしたくはありませんもの。
気持ちの良いうちに退場させていただきましてよ。
※
数日後――
朝刊は二つのニュースで大賑わいでしたわ。
一つ目はディーラーを買収したり家族を人質にとってイカサマをさせていたという、悪徳貴族が捕まったのだとか。相変わらず悪い人間とはどこにでもいるものですわね。
ただ、悪いニュースばかりでもなかったのが救いですわ。
王国中の孤児院という孤児院に、多額の寄付があったのだとか。
わたくしもうっかり身につきそうになった悪銭を寄付することにしましたけれど、王国中だなんてスケールが違いますわ。
そういえば、あのカジノの掛け金のレート……セバスチャンに訊いていませんでしたけれど……。
わたくしは今日も新聞紙をくるくるっと丸めると、寝ぼすけ執事を叩き起こしに彼の部屋のドアをノックしましたの。
相変わらず、返ってくるのは寝息ばかりで、本当もうダメ執事なのですから。
もう少しシャキッとなさいまし!




