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『さあ、何をしようか。』

作者: 青葉 緑

ーーさあ、何をしようか。


少年は施設の自分の部屋で無感情にそう呟いた。

昨日を過ごし、明日へ新たな望みを、希望を持てなくなったのは何時からだっただろうか。

己の人生がどうしようもなく終わっているのだと理解したのはたった数年前の事だった。

自分は身体の弱い母の元に生まれた。

父の顔はよく覚えていない。

記憶に薄い父親は通帳と金品を持って、誰にも行き先を告げず、蒸発した。

身体の弱い母は頻繁に入退院を繰り返していたが、そのまま花が枯れ、散るように亡くなった。

どちらも自分が6歳の頃の話だ。

母が死んだ事は悲しかった。

その後、自分は施設に預けられた。

今はもう、なんとも思っていないが、その頃の自分は母が亡くなったのは、父が母を捨てたショックのせいだと父を恨んだ。

16の頃の夏休み話だ。その恨みを何時までも忘れずに育った自分は、高校生になり、ある程度自由に動けるようになった。そして、思いつく父親の知り合いを辿っていき、ついに自分は蒸発した父親を探し出した。

その時の事は今でもよく憶えている。彼はアパートの一室に居を構えていた。自分が彼のアパートを訪れた時、無用心にも彼のアパートの玄関の扉の鍵は開いていた。


ーー扉を開くと異臭がした。


自分はそのまま、父親の姿を探し、部屋の中へと入っていき、変わり果てた父親の姿を目にした。

ベッドに横たわる人だったモノ。


ーーああ、異臭の正体はこれだったのか。


幼少の頃に一度もはっきりと見る事がなかった彼の顔を、こんなにも長く見つめたのはこの時が初めてだっただろう。彼の顔は腐り果てていて、よく分からなかった。

ただ、漠然と人違いではなくこの男が自分の父親であると理解し、彼の死体を無感情に見下ろしていた。

彼を恨んでいた気持ちは何時の間にか何処かへと消えていた。いや、恨みだけではない、その時に自分は全ての感情を失ってしまったのかもしれない。


それが二年前の話だ。


自分は18になる。今年で高校生活も終わり、進学、就職とまだ人生は続いていく。

手元の進路調査票をぼんやりと眺める。結局、この3年間、一度もこの紙に自身の望みを書いた事はなかったな、と、呟く。

これ以上、施設の世話になる事はできない。自分は就職の道に進むのだろうという漠然とした確信はあった。

ただ、それでも一度もその文字をこの紙に書く事はできなかった。

労働とは、それ即ち自らの才と時間を売り、生きていく上での対価を得るという行為だ。

しかし自分には売ることができる才など存在しない。それに、これ以上、自分は生きて何をしたいのだろうか。

自慢にはならないが自分は、昔から趣味らしい趣味を持っていなかった。バイトをして、金は入っても学費などを負担してくれている施設に払っているので、無駄に使うことのできる金は持ちえていなかったということもある。ものをねだるような相手だっていなかったというのもある。何よりも楽しいという感情を分かち合える友人と呼べる人が自分にはいなかった。この場合、趣味を持たなかったというよりは、持てなかったとするのが正しいのだろう。

果たして、今後生きていく上で自分が生きる理由は見つかるのだろうか。そして、こんな自分に生きる理由など存在するのだろうか。


ふと、部屋の窓から外を眺める。

施設の門の外、国道を挟んだ向かい側の歩道に一人の小学生ぐらいの女の子の姿が見えた。女の子は建物と建物の間の細い隙間を覗き込むようにして座り、何かをしている。

彼女は立ち上がる、その腕には猫が抱えられていた。遠目からだからはっきりとは見えないが、首輪がついているように見える。


ーー捨て猫か。


少女はそのまま走り去って行った。自分は誰も居なくなった歩道をただぼんやりと眺め続ける。少女とあの猫は、この後どうなるのだろうか。

少女はきっと、親に猫を育てたいと言うのだろう。親は娘の優しさに心を打たれ、許可を出すかもしれない。しかし、許可を出さないという可能性だってある。むしろ後者の可能性の方が大きいぐらいだろう。

なんの準備もなしにいきなり猫を飼い始めることはできないし、動物を育てるのにも何かと金がかかる。ひとときの憐れみなどで軽々しく決められる事ではないのだろう。

その時、少女はどうするのだろうか。親が許可をしてくれるまで説得をするのだろうか。それとも、里親を探したりするのだろうか。それとも、また捨てるのだろうか。


ふと目を閉じて想像してみる。右目は少女が家族と四苦八苦しながらも、笑顔で猫と過ごしていく日常を写す。方や左目は少女が目を伏せ、謝りながら猫を腕から離し去っていく姿を写す。

前者のような未来になってくれればいいな、と他人事ながらに考える。自分は家族というものを知らないが、ともに苦しみながら笑顔になっていく。きっとそんな姿が本当の家族なのだろう。

だから、少女の未来にそんな優しさがある事を無責任に望む。世界は自分には優しくないのだから、これぐらいの細やかな願いを望んでもバチは当たらないだろう。


視線を自分の手元に戻す。

シャーペンを握る手に力がこもる。何故だろうか、今ならば少しぐらいはこの紙に自分の未来を描けるような気がした。


「さあ、何をしようか」

一度、深い絶望を知ると、少しの光がとても尊い希望の光に見えるという話。

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