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思い立ったが吉日、と私は行動に移すことにした。
まず我が星野宮家の書庫に行く。
あ、あった。英語で書かれた本。
『And Then There Were None』
アガサクリスティの『そして誰もいなくなった』の英語版。
私はそれを手に取った。
正直、本はなんだっていい。英語で書かれてるというのが大事。
私はそれを胸に抱えて、リビングでくつろぐお母様の元へと向かった。
「お母さま〜」
「あら桜子さん、どうかしましたか?」
「このご本の文字はなに?」
「アガサクリスティの本ね。書庫から?」
「うん!これ、桜子にも読める?」
「これは英語で書かれてますから、まずはそちらを学ばなければいけませんね。」
「えーご?」
「えぇ、アメリカやイギリスという国では、桜子さんが使ってるのとは違う言葉が使われているんですよ。」
「えーご!私も話せるようになりたい!」
「え? まだ桜子さんには少し早いとおもいますけど……。」
「やーー!もう桜子にほんご読めるもん!えーごもやりたーいー!」
題して駄々っ子作戦である。
5歳という年齢的優位性を存分に発揮。
将来思い出して頭を抱えたくなるだろう点が唯一の欠点だけど。
私のおねだりにお母様は困った顔をした。
「でも、まだ桜子さんに、お勉強は……。」
「お願ぁいお母様。バイオリンもお琴ももっと頑張るわ!」
「そうですねぇ。」
今でも習い事はいくつか始めてるのだ。
バイオリンやお琴の他に日本舞踊とバレエ等のザ・お嬢様な教養分野。
といってもお母様曰く適性がないのはそのうち辞めれば良いとのこと。
星野宮のご令嬢としては普通な習い事だけれど、正直、全然実践的じゃない。
ウェルナーの「野ばら」がバイオリンで弾けたって、私程度の才能じゃプロにはなれないもの。
自分のことは自分がよくわかっている。
それよりも、将来グローバル化を見越して英語だ!
企業のパーティーで優秀さを見せつけやすいし、万が一没落しても使えるはず!
「いつかは役に立つかしら。私のお友達に英語が堪能な方がいらっしゃるから、お頼みしてみましょうか。」
「ほんと! ありがとうお母さまぁ。」
私は嬉しくってお母様に抱きついた。
柔らかくって良い匂い。
私のお母様は、あの悪役令嬢、星野宮桜子を産んだとは思えないくらいに、優しくておっとりした人だ。
口調はお手伝いさんにも丁寧だし、いつもおっとり微笑んでいて、コロコロと穏やかに笑う。
間違っても、桜子みたいに、オーホッホッホッ、なんていつぞやの貴族の様な奇天烈な笑い方はしない。
人を見下すようなことも言わないし、家名を鼻にかけたりもしない。本当に出来た人だ。
唯一の欠点としては、桜子に甘過ぎること。
ショートケーキに砂糖をふりかけるレベルで激甘なのだ。
結婚後何年も、女の子が欲しかった反動らしい。
そのせいで旧桜子は、私はお姫様〜、みたいなイタイ勘違いをしたまま高飛車なご令嬢に育っちゃったわけで。
いや、甘やかしてくれるのは大歓迎!なんだけどね。でも、行きつく先が刺殺エンドじゃぁ、笑えない。
とは言っても、お母様に私を甘やかさないで!なんて素っ頓狂なことは言えないし、今世は驕らないように、自分で気を引き締めていかないといけない。
でもまぁ何だかんだ言っても、優しいお母様の事、大好きだけどね!
というわけで、私に甘いお母様には、なるべく我儘を叶えてもらう形で、色々と学べる環境をもらおうと思っております。
なんせ我が家は星野宮家。
私が多少習い事にお金をかけてもピクリともしない家計なのだから、その方面では存分に、ね。
さて、英語はこれでよいとして、護身術はなんて言って習おうかな?
英語を教えてくれるのは、お母様のご友人の春日井家の娘さんだ。
お母様のご友人がアメリカ人と日本人のハーフということで、娘さんはクウォーター。
見た目はほとんど日本人だけど、目だけが弱冠薄い茶色をしている。
外国食品の輸入業で財をなした春日井家の令嬢なだけあって、日本語も英語はもとより、フランス語もベラベラな17歳。
将来英語の先生になりたいらしく、私の英語教育を快く引き受けてくれた。
あれ、つまり私は実験台?
名前は乃絵瑠さん。
中々すごい名前だが、どうやらアメリカ人である母方の祖父母でも発音しやすいものを、との意向らしい。
初めてお会いした乃絵瑠さんは明るくサバサバした美人で素敵な人。
大人っぽくて高校生には見えない。
「まだ5歳なのに英語を学ぼうと思うなんて桜子さんは偉いわね。」
「英語のご本をみてとってもきょうみがあったんです。私にも読めるようになりますか?」
「あら、大丈夫よ。英語っていうのは突き詰めればただのツールだわ。法則と単語さえ覚える努力をすれば誰だって使える道具よ。」
か、かっこいい。
思わず乃絵瑠さんを尊敬。
この若さで英語をツールと言い切る乃絵瑠さんの言葉の裏には自分への自信が見える。
私もこんなカッコいい高校生になりたい!
「わたし頑張ります!」
「えぇ、一緒に頑張りましょうね。」
パチンッ、と乃絵瑠さんが片目をつむる。なんて自然なウィンク。
ドラマの中でしか見たことのない華麗なそれに、思わず釘付けだ。
後からウィンクの仕方も教えてもらおう。