15
――――カランッ、
テーブルに置かれた、オレンジジュースが入ったグラスの中で、氷が涼しい音を立てる。
夏休み前だと言うのに、もう外は凄まじい暑さ。
まぁ、ここはクーラーが効いてて涼しいんだけどね。
そんなひんやりとしたこの部屋は、星野宮家の応接間である。
週末のお休みに、平日習い事で忙しい私と流は、ここぞとばかりに遊び倒すのだ。
私達はただ今、置かれている立派な応接セットを無視して、絨毯の上に直接、ぺたんと向かい合って座っている。
私と流の間に置かれてるのは、ガラス製のチェス盤だ。
「チェック」
私がそう言って置いたナイトを見て、しばし、流が考え込む。
思考が入り込みすぎて、手を顎に当てながら盤に少しずつ前のめりになっていっている。
流の薄茶の髪がサラサラ揺れて、つむじが見え始めた。その頭を押したらそのまま盤に突っ込んじゃいそう。
やってみたいな。
きっと流なら痛みに涙目になりながらも、痛いからもうしちゃダメだよ、と諭すだけで許してくれるに違いない。
そんな好奇心が私の手を微かに浮かしたところで、何かを察したのか、流が急に顔を上げた。
「桜子?」
さすがは草食動物。
捕食される危機に対する野生の勘が備わってるらしい。
あれ、そうすると私が肉食動物?
「なぁに流。貴方の番よ」
「……んー、うん、そうだね」
流はお澄ましで答える私に、少しの沈黙の後、曖昧に頷いた。
そしてそのまま左手を動かし、ビショップでナイトをとる。
悪手だ。
でも流の得意な将棋と違ってチェック後はキングが動けない。
チェスに不慣れな流なら仕方ないかな。
私はすかさず、クイーンで動く前のビショップの後ろにいたポーンをとり、その場に彼女を収める。
透明な彼女が誇らしく輝いた。
「あ」
「チェックメイト」
ふふふーん。やったね!
得意げな私の顔を見て流が首を傾げる。
「初心者をいたぶって面白い?」
「とっても面白いわ」
今の私の笑顔はきっと最高に輝いているに違いない。
キツめの顔でかなりの悪役顏だろう。
これぞ悪役令嬢、星野宮桜子というものだ。
流が苦笑した。
その後に始めた将棋で三回連続で負けて泣かされた。
ワンワン泣く私を流は慌てて宥める羽目に。
因果応報、自業自得、を2人共に身をもって体験する結果に終わった。
「ほら桜子、ハンカチ濡らしてきたから目に当てなね」
「ん。……ひっく、ッ……んく」
流から手渡されたハンカチを熱を持った目に当てる。
ん〜冷たさがじんわり目に染みますな。
ポンポン、と流に頭を撫でられた。
もう落ち着いたからいいけど、泣いてる最中の流のそれは余計に涙を誘ってるからね、逆効果だから。
まぁ、でもその感触は落ち着くので、それを伝えたことはない。存分に撫でてくれたまえ。ふふふ。
少ししてハンカチを目から離せば、私の横に並んで座った流と目があった。
「もう三年生なのに、泣き虫だよね桜子は。たかだかゲームだよ?」
「だってぇ、悔しいんだもの!悔しいと涙が出て来ちゃうの」
流は私によく向ける、お得意の困ったような微笑みを浮かべた。
彼にゲームでコテンパンにされる度に泣いてるのだから、いい加減慣れろと言いたい。
私、星野宮桜子はかなりの負けず嫌いなのだ。
西野美優の時はそれほどでもなかったんだけどなぁ。
やっぱりプライドの高い星野宮桜子の人格が混ざったせい?
自分でも少し引くけどさぁ。
「学校ではちゃんとしてるわ」
「……うん、そうだね。確かに」
開き直る私に、流が重々しく頷いた。
そうでしょうとも。私は自分で言うのもなんだが、小学校に入学して2年と少し、 かーなーり頑張ってるのだから。
通知表は全科目でオール5をキープ。
苦手な体育の持久走も、根性で走り切った甲斐があるってものだ。
素行だって品行方正に、クラスメイトにも笑顔で丁寧な対応を心掛けている。
間違っても旧桜子の時の様な、高飛車な態度はとってない。
それもこれも、付け入れられる隙を与えないように。
将来、断罪のネタにされたら堪らないもんね。
「そう言えば、この前廊下で見たけど桜子のお付きの人また増えてたね。」
思い出したように言いだした流に、思わず唇が尖る。
お付きの人って。
そんな私を見て楽しそうに笑う流を、私は横目でジロリと睨んだ。
「お付きの人じゃないわ。お友達、だもん」
「桜子が引き連れる感じで、大勢で歩いているよね」
「だ、だって私のグループは横に並ぶには人数が多いから……」
「最近だと参覲交代って呼ばれてるよ。横切ったら切り捨て御免になるんじゃないかって」
参勤交代。
「…………」
地味にショック。
そんな風に言われてるなんて。
参覲交代。参覲交代って。
泣きそう。引っ込んだ涙がまた出てこようと涙腺をこじ開けようとする。
「ごめんごめん。冗談だよ」
「……っ、ほんとっ?」
「うん、さすがに切り捨て御免までは言われてない、かな。まぁ、みんな横切らないけど」
参覲交代は言われてるんじゃない!
日本史の知識の定着度は、さすが上流階級が多い学校というべきか、余計な知識より思いやりを持て泣かすぞ、と罵るべきか。
…………まぁ、正直なところ、言われるのは仕方ないとも思うんだけどけどね。
流の言う通り、私の『友人』が年々増えていっているのは、事実だし。
クラス替えで多少の流動はするけど、最も近しい円香さんを中心として、私の周りには女生徒が集まりやすいのだ。
理由は単純。
私が『星野宮家』の娘だから。
もちろん、みんながみんな、そうでないけど。
……そうだといいな、と思うけど。
一年生の時は私を入れて4、5人だったグループも、今では常時7、8人はいる。
さらに、昼食や長い休み時間の時だけ集まる他のクラスの子を入れたら、軽く倍になる。
その増えていく友人達が、私のコミュニケーション力でならいいんだけど。
でも、たぶん恐らく、うん、違うんだよね。
だって、何だかちょっと、お友達と呼ぶにはかなり距離がある子が、多い気がするのだ。
みんな私には、丁寧語で様づけが基本。
同い年だから気安くお話しして、と言っても全く改善しない。
円香さん含む一年生の時から親しい子はまだましだけど、それでも彼女たちも様付はやめてくれない。
さらに言うなら、時々、桜子じゃなくて星野宮家の長女を見ているな、と感じる瞬間が増えてきた。
気のせいかな、と最初は思うようにしてたけどさすがにね、そこまで鈍くないもの。
学年が上がるにつれ、家族に言われたりで、そうなる子が出てくるのは仕方無い。
それだけ、この世界で『星野宮家』の名は大きいって分かってる。
アニメ『キミ☆らぶ』の中で、『東の雄』と謳われていたあの京極家の跡取り息子と長女とを、無理やり婚約させるだけの力を持っていた星野宮家。
この現実で本当にそれが出来るのかはわからないけど、でもそれに近いことは出来るかも、と思うくらいに星野宮家は実際大きい。
『御三家』、なーんて設定もあったしね。
あーあ、せめて円香さんくらいは、私の事好きでいてくれていないかなぁ。
私を見つけると、「桜子様」とニッコリと笑って
、駆け寄って来てくれる姿を思い浮かべる。
はぁ、なんだか気分が落ち込んできた。
急に黙った私の表情から、聡い流は何かを読み取ったらしい。
ふいに口を開いた。
「……そう言えば、桜子またバイオリンのコンクールで賞取ったんだってね。藤真おじさんから聞いたよ。僕も聴きに行けば良かったなぁ」
流が柔らかく微笑む。
明らかな話題転換。
まぁその気遣いは私に優しいから、乗っちゃうけどね!
「仕方ないわ、流はその日予定があったんでしょう。」
「うん、本家主催の親戚の集まりがあって。」
「常盤家は親族関係が強くて大変ね。」
「まぁね。キツイこともあるけど、楽なところもあるからなんとも言えないけどね。」
流は涼しげな顔でサラッと流す。
常盤家の親族関係について、流はあまり話したがらない。
デリケートな部分って知ってるだけに私も突っ込んで聞こうとは思わないけど。
とは言え、上流階級というのは層状以上に狭い世界。
噂として耳に入る部分もある。
白金学園でない小学校に入学した泉の事も、色々聞いてる。
「その集まりで聞いたけど、今度のウチが主催するパーティー、桜子も来るんだってね」
「……えぇ、まぁ。」
「ふふっ、主催者側の僕の前で、そんな嫌そうな顔」
「だってぇ〜」
「最近、ちょこちょこパーティー出席してるんだよね。星野宮家の桜子さんはまだ幼いのにご優秀だ、って噂されてるとお父さんが言ってたよ」
「パーティーって言っても身内の多い小規模のだもの。今度の常盤家のは大きいじゃない!勝手が違うわ」
「大丈夫だよ。やることは変わらない。まぁ、滅多に出てこない桜子だから、多少注目されはするだろうけど」
それが困るの!
私はこの前両親にゴリ押しで出席を約束させられた常盤家のパーティーを考えて憂鬱になる。
流はそんな私の気も知らずにまぁまぁと宥めてくる。
もしもの時は流を生贄にパーティーを乗り切ると決意した瞬間だった。




