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流との二度目の出会い(私に限ってはだけどね)、を果たしてから数か月が過ぎた10月。
習い事とお勉強、たまの一人遊びしかないと長く感じる時間も、ここ数か月は流と遊んでるせいか、あっという間。
そんな、5歳の秋、私は部屋のベッドにお行儀悪く寝転びながら、流と電話の真っ最中だ。
「ねぇ、流。今度の土よう日、あいてる?遊びましょう!」
「土曜日?ん~、ちょっとまってね」
お互い習い事等々あるせいで、会える日は限られる。
流は幼稚園にも通っているし。
だけど、全然、話し足りない!
という私の嘆きを、私に甘いお母様にした次の日、私と流の手元に携帯電話が届きました。
もちろん購入者はお母様達。
小学校入学前の子供に買い与えるのは、教育上いかがなものか、と少し思ったものの、家の電話回線を独占しなくて済むし、いいとよう。
流だって、子供にしてはかなり思慮深い性格だしね。
そんな携帯でのやり取りの終わりがけに、そう言えば、と遊びの誘いをすれば、何やら受話器の向こうでごそごそ音が聞こえた。
きっと、座っていたソファーから立ち上がって、勉強机の上のカレンダーを確認するんだろう。
しばし待機。
手持ち無沙汰な私は、寝転んでいたベッドからうんしょ、と立ち上がり、バルコニーに行きかける。
でも一人どころか3人いても広いくらいの部屋のせいで、ちょっと面倒だったから、近くの小窓に進路を変更。
私の部屋は二階。
小窓から下を見下ろせば、星野宮家の裏庭が広がっている。
バルコニーから見える表の庭の、お母様の薔薇の区画からは離れているから、薔薇は一本も見当たらない。
その代わりに、大きな樹木が塀の外と内とを隔てる様に、たくさん植えられている。
敷地が広いのと、植えられた木が多いのとで、もはや森状態。
初夏になると、その花が一斉に咲き、裏庭は緑一色から、赤い森に変貌する。
表の方の薔薇も、ちょうど一番綺麗に咲くから、私はその時期の星野宮の庭が一番好きなんだよね。
そんなことをつらつらと考えていれば、流が電話に戻ってきた。
遊べるよ、とのこと。
やったね、楽しみ!
小窓の枠に肘をつきながら、流との約束を無事取り付け、電話を切る。
携帯画面の時刻は14時半。
今日はお稽古がお休みだから暇だし、バイオリンの練習でもしようかなぁ。
楽譜を取りに小窓から離れようとした時、ふいに、裏庭を歩く人影が目に入った。
緑に茂った樹木の陰から、屋敷の表の方へゆっくり歩いて行く、ジャケット姿の男性。
「……お父さま?」
意外な人物に思わず小窓に張り付いて見てしまう。
今日は家で仕事するって朝食の席で聞いてたから、いるのは分かるけど、でも庭になんて珍しいな。
仕事が忙しく、家にいること自体稀なお父様が、庭仕事なんてもちろんするはずもなく、維持は全て、星野宮家の専属庭師である岩田信夫58歳、通称、のぶじい任せだ。
そんなお父様が庭に。
息抜きの散歩かな?
気分転換なら、こんな裏の森の中よりも薔薇園の方が良いと思うけどなぁ、って、まぁ学者っぽいお父様には、薔薇と戯れているよりも、こういった落ち着いたところが似合うけど。
て、いや。今はそんなことはどうでもよくて。
「…………」
お父様が戻っていく方向を確認。
私はクローゼットに飛びつき、中から、カーディガンを取り出して、ワンピースの上に羽織る。
早足で部屋から飛び出して、玄関から庭に出た。
そのままお父様がいるであろう方へ急げば、案の定、発見!
「お父さまっ!」
呼べば、こちらに気づいたお父様が、目を瞬かせる。
不意を突かれ驚いたご様子に構わず、超手を伸ばしながら走り寄れば、しゃがんで待っていてくれる、お優しいお父様。
そのまま腕の中に飛び込んだ。
「見て、お父さま。あの薔薇綺麗ね!」
「そうだね。桜子はピンクが好きなのかい?」
「黄色よ!」
「……そうなんだね」
一緒にお散歩したいと駄々をこねた私と一緒に、お父様が薔薇園を歩く。
ふわり、ふわりと漂う良い香り。
色とりどりの薔薇。
しかも隣には、いつもお忙しいお父様。
これで、はしゃがずにいられようか。
ウッキウキの気分が抑えきれず、思わず走り出そうとした瞬間、肩を抑えられる。
「桜子、転ぶと危ないからね、お父様と手を繋ごうか」
右隣のお父様を見上げれば、差し出される左手。
そっかぁ、手をつないだら、片方が転びかけても支えられるよね。
薔薇を植えている都合上、ちょっと凸凹して危ないとこもあるし。
さすがはお父様!
「えぇ!お父様が躓いたら、私が支えてあげるわね!」
「うん、うん。ありがとう」
任せてちょうだい!
と宣言すれば、お父様は柔らかく微笑む。
うーん、やっぱりその笑った時に弓なりになる目の形、春兄様に似てるなぁ。
まぁ他のパーツだって、も どことなく似てる部分があるんだろうけど、顔の種類が違い過ぎて見つけづらい。
春兄様は美形に生まれすぎたのね。
つらつら思いながらお父様の顔を凝視していれば、危ないから前を向いて歩こうね、と言われた。
はい。
視線をまた前の薔薇たちに戻す。
「そう言えば、桜子。何でお庭に出てたんだい?」
「あのね、お父さまに遊んでもらおうと思ったの。あんまり会えてないから」
「そうか……。さびしい思いをさせて済まないね。今の仕事が落ち着いたらもう少し時間がとれるだろうけど」
「ううん、いいのよ! だって、お父さまはお仕事なんだもの。それに、春兄さまも遊んでくれるし、私は大丈夫よ!」
穏やかで、一見そうは見えなくても、お父様は星野宮家の現当主。
日本のビジネスマンの中でも、トップレベルの忙しさだろう。
スケジュールはもちろん、分刻み。
お父様の秘書さんが持つスケジュール帳を覗けば、これ以上ないくらいの書き込みで、どの月のページも真っ黒だ。
「そうか、春雪はいい兄みたいだね」
「もちろん!春兄さまは最高よ! でも、あのね、私は大丈夫だけれど、働きすぎるとお体をこわしちゃうから、無理しないでね、お父さま」
「あぁ、うん。桜子は優しいね。ありがとう」
繋いでない方の手で、頭を柔らかくなでられる。
思わず、ふふふ~、と笑っちゃった。
「それにしても、よく、私が庭にいると分かったね。」
一通り撫で終えたお父さまが手を離して、口を開いた。
「ふふふ、あのね、部屋の小窓から、裏庭をおさんぽしているお父さまが見えたの。表の」
「小窓?」
唐突に、私の言葉をお父様が遮った。
ピタッ、と足も止まっている。
手を繋いでるから、私もつられて立ち止まる。
「お父さま?」
どうなさったの?
様子の変化に、顔を見上げれば、少し困ったような目が私を見下ろした。
え、なに?
「桜子」
「なあに?」
「桜子の部屋から、裏庭はどのくらい見えるかい?」
「え?え~と、木がたくさんあって、葉っぱで遮られちゃうからあんまり見えないの。木の葉っぱのとこと、木がないところの芝生しか見えないわ」
さっきの小窓からの眺めを思い浮かべながら答える。
何でこんなこと聞くんだろう。
私の答えに、そうか、とお父様が呟いた。
「ええっと、それがどうかされたの、お父さま」
「いや、桜子の部屋に小窓があるのを忘れていてね。どんな風に見えるんだろう、って気になったんだ」
「ふ~ん、そうなの。……あ、じゃぁ、あとから見に来たらいかが? お父様なら大歓迎よ!」
「うん? あぁ、そうだね」
お父さまは、また私の頭を一撫でして微笑むと、胸ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。
「桜子、そろそろ戻ろうか」
どうやら、時間切れらしい。
もう少し一緒にお散歩していたかったけど、お父様はお仕事だろうし、私も歩いて少し疲れたかも。
素直に頷いて、二人で来た道を戻る。
少しでも長く一緒にいられるように、こっそり歩調を遅くしたのは、お父さまには内緒ね!




