誰も死なない
「へえ。じゃあさあ、神官様を呼んで来なけりゃあいけないんじゃない」
アルテが、昨日自分が教えた地下へ潜っていったという連中を酒場で捕まえて話を聞き出した。
「そうなのか?」
髭の濃いずんぐりとした体型のオヤジが聞き返した。
「あんたが言ってるのは多分ミストストーカーって魔物さ。あいつは神官様の魔法じゃないと倒せないのよ」
話をしたオヤジは知らなかったが、アルテは彼の話を聞いて当たりを付けた。彼女は他にも候補をいくつか思いついていたが、ミストストーカーはもっとも確率が高そうで、対策が絶対必要となる魔物だった。
「二十分間も階段を下り続けたってことはさあ、かなり深かったんだよねえ」
アルテは仲間たちと今後方針を相談し始めたのだが、もうすでに何が必要か、どうすべきか自分の中では決めているようだった。
「なら、多分ハズレなんだ」
しごく残念そうに彼女は言った。
「なんでそう思う?」
説明してくれないアルテにバグマウが聞いた。
「廃都、というか、グラネダ帝国は、その首都を空に浮かべる計画を立てていたことが近年分かりまして」
と、アルテが答える前にヨーゼフが語り始めた。
滅びる直前、零落しつつあったグラネダ帝国は全盛期の影響力を取り戻すべく、一つの計画を進めていた。それがグラネダの空中都市計画だ。
廃都グラネダから持ち帰ってきた書物や書類の類から、ほんの三年前にそうした計画があったことがわかった。
こういった話は、バグマウとリットどころか、街の冒険者たちも知らない話だった。しかし、今ここで話を聞いただけの二人にはその情報の価値がいまいち分かっていない。学者連中が言う“説”が一つ、といった程度の考えだった。
「ヨーゼフ、いいのかい? って、もう言っちまったあとだけどさ」
アルテがヨーゼフに何かを確認した。
「彼らを信用する。もう信用している。だから、いいんだよ」
ヨーゼフは体ごとアルテに向き直ってから、彼女に言った。バグマウとリットは何が何やら、と言った表情で二人のやりとりを見守っていた。
「……そうか。……いいかい? 今ヨーゼフが言った帝国の立てていたっていう計画のことを知っているのは、ヨーゼフとあたし、それにヨーゼフの上司のえらーい学者様だけだ。……実はね、バレたら王国に指名手配されてもおかしくないような、重大な反逆行為なのよ」
アルテが皮肉っぽく、演技っぽく、声をいくらか潜めながら手振りを交えて言った。
「え? アルテとヨーゼフ先生って犯罪者だったの?」
アルテの反逆行為という言葉に脊髄反射したかのようなタイミングでリットが聞いた。
「違うわ。言い逃れする方法はあるから」
これには短くピシャリと否定した。否定したと言っていいか、判断は人によるところだが。
「それはあんたらがそうだと思っているだけってことはないのか?」
バグマウが慎重に聞いた。
「それって反逆行為のこと? 帝国が空飛ぶ街を造ろうとしていたこと? 前者については議論の余地ないわ。後者は……、ヨーゼフ」
アルテがヨーゼフにあとを任せた。彼女は姿勢を崩し、指で自分の髪を巻いたり、遊び始めた。
「はい。……帝国宰相の自宅跡から発見された手記に記されていたことです。それも、その手記は書斎と思われる部屋から出入りできる隠し部屋の中にあったそうです。内容や字の癖を見ても、本物の宰相の物である可能性は極めて高い」
ヨーゼフが神妙に答えた。
「……えっ。それだけ? あたしには長ったらしく色々と語ったじゃない」
アルテが呆気にとられた、といった表情でヨーゼフに聞く。
「アルテさんは最初、学者だっていって紹介されましたからね。詳しく話したほうがいいかと思ったんですよ。二人は違います。あなたの言う通り長ったらしく話したところで眠たいだけでしょう。ね?」
ヨーゼフがバグマウとリットに同意を求めた。
「それはそうだが……」
「お兄さん俺らのこと馬鹿にしてる?」
バグマウは目を細め、リットはヨーゼフを普段とは違う呼び方で言った。
「興味がないでしょう?」
ヨーゼフは悪びれなかった。彼にはこうした自分の小さな失敗をごまかす癖がある。
「まあ、そうだが……」
「納得いかない……」
顔をしかめる二人に、ヨーゼフは「ははは」と軽く笑った。
「それはそうと、じゃあなんであの隠し階段が奥まで続いてないと言えるんだ?」
バグマウが気を取り直して聞いた。
「あの隠し階段はさあ、結構迷宮の端にあっただろ? まだ空に街を浮かべるための施設は未完成だったらしくてさ、あのでっかい城の真下にある中枢部しか形はできてなかったみたいなのよね」
城の真下に大きな柱状の中枢部があり、最終的にはその柱を中心にリング状の魔力機関を地の中に埋め込むように作るはずだったそうだ。リングは複数作る予定で、逆ピラミッド状に、地下に行くにつれてだんだんとリングの窄まっていくような形で造られていくはずだった。宰相の記録が正しければ、まだ一番上、一番大きいリングまでしか埋め込まれていないはずだ。
「位置的にはさあ、あの辺だと地下50mもあったらいけないはずなのよ。流石にそれで二十分はないでしょ? 多分誰かの個人的な地下空間だったのね。まあ、それにしたって怪しい雰囲気はプンプンするけど」
「じゃあ、あそこの探索はしないの?」
リットが不満そうに言った。アルテの言うことが確かなら、何かしら金になりそうなものが見つかる可能性は高い。帝国には地下組織や邪教の集会所が相当数あった。今までに発見された地下空間でも、金目の物が多く見つかったのはそうした場所の方が多かったのだ。
「当然探索するわよ。私たちの求めるものが何もないとは限らないわ」
「ハッハッハァーッ! こりゃあいいな! 大当たりじゃねえか!」
アルテたちが見つけた隠し階段の奥、そこはただの倉庫に見せかけた神殿だった。小部屋の中にあったボロボロの机の上には真っ黒な血糊が点在する聖書らしき書物があり、そこにはアーリマンと呼ばれる邪神のもたらす災厄について書かれていた。
「いやあ! 親分がいなけりゃ俺たちはこんなお宝にめぐり合う前にお陀仏だったでしょうね! ほんと様々ですよ!」
黙っていれば神官服に身を包んだ好青年。しかし、そのチンピラ風味な発言と、彼に従う、まんまチンピラな十数人の連中が全てを台無しにしている。彼らが向かい合えば、チンピラ連中を神官様が説教しようとする図ではなく、チンピラのボスが神官のコスプレをしているようにしか見えない。
「しかしまあ、よくこんだけ貯め込んだもんだなあ! やっぱ宗教って儲かるんだよな!」
神官風の男、いや、本当に信仰する神の力を借りて魔法が使えるほどの神官なのだが、彼は後ろに控える部下に言った。彼は昔から「神様は儲かる」と言って憚らない男だった。実際、協会に勤めていた頃は、治癒の魔法を施す際にもらうお布施を多めにちょろまかしたりした。そうした言動ゆえに協会からは破門された身である。
「おやぶーん! あっちの銅像は高く売れるかな!?」
薄着の上に厚いコートを着込んだ若い女性が扉から顔を出して神官風の男を手招きする。彼らの吐く息は白い。
「すぐ行く!」
「これっすよ! これ!」
それは全長5mほどの、巨大な蛇の像だった。ただの蛇ではない。竜のような肉々しい翼と二本の腕を持ち、ゴツゴツとした鱗、それから尻尾は何又にも分かたれていた。
「……禍々しいな」
部下の女は銅像と言ったが、よく見るとただの銅像ではない。似ているが、素材に魔法的な何かを彼は感じていた。具体的なことは何一つわからないが、あまり長い間見つめていたくはないと感じる代物だった。
「馬鹿野郎おめえ、こんなにでかけりゃ俺たちじゃ運び出せねえじゃねえか! ちったあ考えろ!」
神官風の後ろに控えていた部下が女の部下を叱り飛ばした。
「えー! そんなの、切り出して運べばいいじゃん! ちょっと切り目ができるくらいいいでしょ!?」
「いや、これには手を出さねえ。持ち出せねえことはないが、どうにも嫌な予感がするぜ」
彼らは金になりそうな書物や帝国硬貨、邪教徒の備品らしき品々を運び出した。
「うーん。ミストストーカーどころか、何もいないわね。……匂いはするから、何かいることは確かなんだけど」
アルテたちは神官を一人臨時で雇って、例の隠し階段の下を探索していた。
「そうだな。……っと、あるじゃねえか、死体。ゾンビとスケルトンか」
バグマウは通路を曲がったところで一度足を止めた。アルテの言った匂いは、ゾンビの腐臭のことだった。
「こいつらもうやられてるね。先に誰か来てやっつけたんだ」
リットがため息を吐いた。この奥に何かお宝が残っている可能性は低い。同じ酒場の冒険者たちはミストストーカーの存在を知って、すでにここの探索を諦めていた。神官の冒険者なんて滅多におらず、日雇いにだって応じないことがほとんどだ。
「私はお役御免かな」
アルテがコネを使って隣町から連れてきた神官が呟いた。
「ゾンビやらが出たって話は聞かなかったからね。ミストストーカーは入って割とすぐのところにいたはずさ。ここまで来て気配がないなら、このゾンビたちを殺った連中が一緒に始末したんだろうさ」
アルテは肩をすくめた。
「神官のいるパーティっつったら、泉亭の破戒神官のところか、あとは果樹園の勇者気取りのどっちかだな」
アルテたちが利用する酒場の他に、小グラネダには三つの冒険者の酒場がある。それは三つの組合があるということで、互いにライバル関係にあった。酒場の中で大々的に情報をばらまいたので、他の組合の連中に知られるのは織り込み済みだった。
破戒神官と呼ばれたのはそうした別の酒場の組合に所属するパーティのリーダーのことで、彼らは冒険者としての探索以外でも、あくどい取引を行って小金を稼いでいる悪徳パーティとして知られていた。だが、その分羽振りと金払いがよく、同じ酒場内でも、取引相手にもよく酒や食事をおごったり、何かあれば積極的に手を貸したりしていて、強く恨まれるようなこともなかった。
勇者気取りの方はどの組合にも所属せず、小グラネダから少し離れたところにある果樹園に寝泊りしている冒険者パーティだった。勇者を自称する青年をリーダーに、魔法使い、神官、戦士、斥候役の狩人とバランスのいいパーティで廃都グラネダの中心、城に挑もうとしている者たちだ。ちなみに自称勇者以外は全員若い女性で構成されている。
「勇者どもならは経験値稼ぎだろうけど、見る目のある魔法使いがいるからね。いいものは残ってないだろうさ。破戒神官なら……。まあ、どちらにせよめぼしいものは残ってないだろうね」
「じゃあ無駄骨ってこともありえる?」
リットはゾンビやスケルトンが何か金になりそうなものを持っていないかまさぐりながら聞いた。ゾンビの方はぐちゃぐちゃいう肉になるべく触れないように、指先で摘んで転がしていた。
「さあ。どっちのパーティも人工物の探索には弱い方だろ。うちには盗賊ギルド出身のバグマウがいるから、奴らが見逃した隠し部屋でも見つけてくれるかもよ?」
期待してるわ、とアルテはバグマウに後ろから色っぽく囁いた。
「一番乗りなら稼げたかもしんねえのになあ……」
「その場合はあたしたち、ミストストーカーにやられてたかもねえ。……ほらリット、いつまでも気色悪いもの触ってないで行くよ」
ゾンビたちの間を通り過ぎ、アルテは後方を警戒するはずのリットが膝を折ってごちゃごちゃといじっているのを咎めた。
「帰り道でいいので、彼らの冥福を祈る時間をもらえるかな?」
そういう神官は額に汗が滲んでいる。ローブもところどころ汗ばんでいた。
「まあ、余裕があればね」
そんな様子を見て、アルテは少し心配になりつつも先に進む。
「これは、暗黒神の神殿でしょうか」
通路を進んだ先、いくつかの小部屋を介して大きな扉があった。開くと奥行きのある広い空間に出て、ヨーゼフが部屋を見渡して言った。
天井が高い。バグマウの持つ松明の明かりでは天井も、部屋の奥もまだ暗い。全く見えないわけではなくて、特に部屋の奥の壁には巨大な化物の石像があった。その手前には人が一人横になれそうな台座があった。
「いかにもって感じだね」
リットが手にした弓を引いて、化物の銅像に狙いを定めて射つふりをして遊んでいる。
「さあ、手前の部屋には最近荒らされた形跡があった。ここに何もなければ本当に無駄骨だったってことになるねえ」
各々が勝手に部屋を調べうろつき始めた。
「この容姿は暗黒神ですね。翼と腕を持つ大蛇。何又にも裂かれた尾。罰当たりなものですが、学術的な価値は高いものです」
「私としては今すぐにでも破壊したい代物だな」
ヨーゼフと神官は銅像を観察し。
「どう? こういうところなら資産を隠しておくような部屋はないかしら?」
「どうだろうな。先にきた連中が持ち出したあとって可能性も高いぞ。あちこちに足跡が残ってるからな」
壁という壁を隅々まで調べているバグマウと、それについて行くアルテ。
リットはそうそうに飽きて、台座に腰をかけて足をブラブラさせていた。
「あとは台座と銅像だな」
前後左右と足元の壁を調べたバグマウが残った内装を調べに取り掛かった。この部屋に入ってすでに小一時間。アルテとバグマウ以外はその辺に座って休んでいた。
「この台座には何かあると思ったんだがなあ」
よく観察し、叩いたりずらしてみようとしたりしたが台座はびくともしなかった。どこかに押し込めるようなスイッチがあるということもない。
「こいつはまた物々しい御神体で」
「暗黒神だってさ。この世の中で起こる悪いことは全てこいつのせいらしいわよ?」
責任転嫁もいいところだと、アルテは吐き捨てた。
「暗黒神を信仰している連中は破滅願望があるんですよ。ほとんどの信者はかの手にかかることを望んでいるんだそうです。別に暗黒神の力を借りようとか、罪の意識を逃れようとか、そういう目的じゃないらしい。全く理解できませんね」
ヨーゼフは全くの他人事として話した。近くで休む神官やリットが、わけがわからないというところに同意している。
「おっと、こいつの右腕、レバーになってるぞ!」
バグマウがついに発見した。アルテが目を見張り、残りの三人も立ち上がって近づいていった。
「罠とかじゃあないよね?」
「……多分違うな。俺の知らない仕掛けもある可能性は高いから、確実には言えん。どうする? リーダー」
バグマウがアルテを見つめ返す。アルテは口に手を当てて考え込む。
十数秒、彼女はゆっくりと考えて決断した。
「押せ。目的の物があるとは思えないけど、一攫千金。無駄足になるくらいなら賭けてみようじゃない。ランスタンを雇う金も馬鹿にはならないからね」
神官のランスタン。彼はマルバスの頭蓋骨で換算すれば三十頭分払ってこの一日を雇っている。慎ましやかに過ごせば半年は生きていけるほどだ。
「……やるぞ。ちょっと離れてろ」
そして、緊張した面持ちでしっかりと銅像の腕を握りこんで、慎重にレバーとしての遊びを削っていった。約五十年という時をほったらかしにされたにしては強いバネを感じ、バグマウは警戒心が最高潮になっていた。そしてここより少しでも下げれば仕掛けが発動するというその地点を見つけ出し、バグマウは一気に押し切った。
銅像に登っていたバグマウはレバーを押してすぐに銅像から飛び降りて離れた。
「……何も起こりませんね」
しばらく何も起こらず緊張が続き、ヨーゼフが緊張を解こうとしたその時。
「うわっ」
銅像の前の台座がスライドし、階段が現れた。
「……行こうか」
アルテが全員を見て促した。
「これはなんの匂いだ?」
階段を下りきって、小部屋の中に入った。階段を下りきる手前から、なんとも言い難い花のような香りが漂っていた。バグマウは鼻を摘んだ。
「さあねえ。植物っぽいけど匂いがきつすぎる。嗅ぐと危ない類のものかもしれないけど、みんな気分はどうだい?」
アルテが今さらなことを確認した。
「特に体調や精神に変調はありませんね」
「俺もなんともないよ」
「大丈夫だ」
バグマウ以外が答えた。バグマウは部屋の奥を凝視している。
その視線の先には骸骨が足を組んでいた。ボロボロの黒い布切れに身を包んだ、どこか偉そうな骸骨だ。
「こいつはなんだ? なんでこんなところに一人で死んでる?」
バグマウが誰にともなく聞いた。
と、黙って神官が骸骨に近づき、祈りを捧げた。四人はそれを黙って見届ける。
「このようなところにいるのだ。彼は正しい生き方をした人ではないのだろう。しかし、怪しげな神を信仰していようと、彼がその神に敬虔であったことは門外漢の私にもわかる。……その敬虔さが良いことかどうかはともかく」
神官は振り返って苦笑した。空気が少し和んだ。
「……なんにもないね」
気を取り直してアルテが部屋を見渡した。バグマウも調べたが、骸骨以外には何もなかった。
「結局ただ働きかよー」
地上に戻り、リットがもう終わったとばかりにため息を大きく吐き出した。
「まあ、こんなこともあるわよ」
まだ迷宮内ではあるが、地下にいた時より砕けた、というよりアルテの場合は妖艶な声色になってから言った。
特にバグマウとリットは名残惜しげに階段を見ながらも、五人は小グラネダに帰っていった。
地下の銅像の仕掛けはそのままにして。